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02

 結局、わたしはあの河川敷に戻っていた。街中には怖くていられない。無駄に体力を使っただけな気もするが、あのままあそこにいるよりはマシだと思う。

 河川敷にある橋の下で、膝を抱えて座り込む。少なくとも雨は防げるはずだ。

 走り回ったので汗が気持ち悪いし、ごみ袋が頭に当たったので妙に臭い。お風呂に入りたい、と思うが、それ以上に問題があった。


 食料である。


 部屋着のまま、異世界に放り出されたわたしは、なんの所持品もなかった。お金は一円もなく、そもそもここの世界で日本のお金が使えるかは、分からない。単位は円で、一緒だったけれど。

 しかも、どうやら泥棒に刺されるまでの空腹感は引き継いでいるようだ。先ほどまでは混乱と恐怖が強くて全然気が付かなかったが、今になって猛烈にお腹が空いてきた。

 山の中に放り出されていたら逆に山菜なんかが採れたんだろうか……と一瞬思ったが、わたしは首を横に振った。

 山菜を生で食べられるかなんてわからないし、そもそもどれが食べることのできる山菜か、わたしには判断できない。毒のある草花を口にしてしまう可能性は否定できないし、野生動物と遭遇してしまったら完全に詰みだ。

 大体、山を探索できるほどの体力が、今のわたしにあるとは思えない。

 

 もう夜になってしまったし、今日はこのまま寝てしまうとしても、明日からどうしよう……。

 女性優位の世界なら働き口を探すのも難しくないかな、とちょっと思ったが、冷静になればそれも難しいと分かる。


 これほど日本に酷似しているのなら、戸籍関連もしっかりしているだろう。住所がなくても働く方法はゼロではないと思うが、戸籍がなくてもできる仕事の安全性なんてみじんもないだろう。

 どうしようか悩んでいると、ふと、人の気配がする。


 橋の陰にわたしがいるからか、それとも、こんな場所に、ましてや夜に誰かがいると思ってないのか、男が一人、わたしの近くに座った。

 スーツ姿で、随分とくたびれた三〇代後半くらいに見えるおじさんだった。顔の造形はいいのだろうが、あふれ出る倦怠感と酷いクマ、くたびれたスーツをまとう彼に覇気はなく、あんまりモテなさそうだった。いや、引きこもりニートで街を駆けずり回り、汗でどろどろのわたしが下していい判断じゃない気がするけど。


 すぐ隣、というほど近くもないが、会話ができるくらいの距離にいるにも関わらず、まったくこちらに気が付く様子のない男性を、思わず観察してしまう。

 おじさんはビニール袋から缶を取り出し、プルトップを起こしてそれを飲む。暗い中では缶のラベルの詳細までは見えないが、プシュ、といい音がしたので、多分炭酸系。ビールか発泡酒か、そのあたりだろう。

 ごくごくと勢いよく飲むおじさんは、ようやくわたしの視線に気が付いたのか、ちら、とこちらを見た。


 一瞬固まった後、露骨に動揺したおじさんは缶を落とす。胡坐をかいていた彼の股の隙間に丁度落ちたようだ。「あぶねっ!」という声が聞こえる。思ったよりおじさんの声は低かった。


「なん、なんで、女が、こんなとこに……!」


 ――ぐるるぅ……。


 慌てるおじさんの声をかき消すほどの大音量で、わたしのお腹が鳴った。これだけ大きいのだ。絶対おじさんに聞かれた。

 思わず抱えていた膝をさらに引き寄せる。手遅れだろうが、少しでも聞こえなければ――と思ったのに、もう一度、大きな音でお腹が鳴った。もう駄目だ。引きこもりニートは羞恥心で死ぬ。


「……食べますか?」


 しかし、おじさんが言ったのは、からかいの言葉なんかではなかった。

 あまつさえ、お弁当まで差し出してくれた。


「で、でも、あの……それ、おじさんの分ですよね」


 彼の夕飯なのだろう、と思って遠慮したのだが、ぴしり、とおじさんが固まった――ような気がする。

 しまった。もしかしたら彼はおじさん、なんて歳じゃなかったのかもしれない。随分とお疲れのようだし、ちょっと老け込んでいるだけで、実年齢は若いのかも……。


 お兄さんと呼ぶべきだったか、と後悔したが、ふと、ここはわたしのいた日本ではなく、女尊男卑の異世界であることに気が付いた。

 一般的な女性だったら、さっきの場面では「当たり前でしょ、さっさとよこしなさいよ!」くらいの態度をとるものだったのだろうか……?

 いや、いくら女尊男卑の世界だからって、そんなこと言う奴は単純にその人の性格が悪すぎる。


 悶々としていると、おじさんはビニール袋を軽く掲げた。


「まだおにぎりと焼き鳥があるので。だから遠慮しなくても平気です」


「えっ、でも……。……うぅ、お言葉に甘えて……」


 初対面の人間に、対価も払えないのに物をもらうのは抵抗があるものの、飢えと、今逃したら次の食料を入手する方法がない現状を鑑みて、受け取ることにした。


「いただきます……」


 おじさんから受け取ったカルビ弁当は、温めてから時間が経っているのか、ほんのりと温いだけだったが、今まで食べたどんなコンビニ弁当よりおいしい。


 あんまりがっつくのはみっともない、と我に返った時には、すでにお弁当の三分の二がお腹に収まった時だった。

 やってしまった、と思ったが、もはやここまできたら今更上品に食べるのもな、と思い、そのまま勢いで完食した。


「ごちそうさまでした……。あの、本当に助かりました」


 おじさんにそう言うと、またも彼は驚いたようは表情をした。お礼すら言わないのか、この世界の女性は……と引いてしまったが、それはわたしが別の世界から来ているからだろう。

 わたしだって、もしこの世界に生まれていて、男は女より下の立場にいる生き物だ、と教育されてきたらそう信じて育っただろう。


「……その、違ったら悪いんですが、貴女、この世界の人間じゃない……んですか?」


「えっ!?」


 驚いて二の句が継げない。現代日本とほとんど同じこの世界では、やはり非科学的なことは受け入れられないものだろう、と無意識に決めつけていたので、おじさんの言葉に驚きを隠せない。

 正直に言うかどうか迷ったが、おじさんは「今の態度で分かります」と言いながらおにぎりの封を切った。


「この世界の女だったら男に対して遠慮も感謝もしません。そもそも、敬語も男が使うものという認識でしょう」


「あ、あの、異世界人って信じられているもの、なんですかね……?」


 いまだにわたしはこの世界が現実している異世界だとちょっと認めたくないところにいるというのに。

 混乱しているわたしが面白いのか、おじさんは軽く笑った。


「二百年ほど前にこの世界にやってきた、ニホンジン、という異世界の女性が急速に文明を進化させた、と授業で習いますよ」


 だから女尊の世界なんです、とおじさんは言う。

 どうやらこの世界も、なかなかにファンタジーな世界だったらしい。

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