第1話 SSCの5人
この小説を読んでいただきありがとうございます!
最後まで書き切りますのでどうかよろしくお願いします! (佐伯千尋)
私立天神橋大学。
大して勉強もしてこなかった俺──結城傑──が易々と入れた訳だから、世間一般的には中の下、いや所によれば下の上くらいの学力に位置するであろうこの大学では、小説執筆サークル、通称SSCと言うものが人知れず活動している。
まあ、言うなれば軽めの文芸サークルだ。
メンバーはサークル代表者である俺を含めてたったの五人。
それぞれがいずれ書籍化するような作品を目指して、日々協力・切磋琢磨して執筆活動に勤しんでいる。
──と言うのは、毎年度の頭に新メンバーを勧誘するため掲げられる建前のようなもので。
真実は協調性の欠片も無い自分勝手な奴らの集まりなわけなのだが。
「あ~ダメ、ネタが全っ然思いつかない! 三月にある次の小説大賞もやっぱラブコメで行くしかないかぁ」
今現在俺の目の前でたわわに実った二つの果実を堂々と揺らしながら伸びしているのは、岸田桃華。
厚手のニットの上からでもはっきりと存在感を放つ双丘を携えた彼女は、このサークル唯一の一回生にして期待の新人でもある。
隙あらば……と言うより、しょっちゅう好き好んでラブコメを書いているが、ラブコメ以外──例えばファンタジーや推理物を本気で書かせたら恐らく入選作品には選ばれるだろう。これは彼女以外のメンバー四人総意の事実だ。それほどまでに彼女のラブコメ以外での文才は秀でている。
「やめとけやめとけ。桃華、お前のラブコメは結局どこまで行っても駄作の域を出れねぇんだって。まったく、他のジャンルは神がかってるってのに何でラブコメだけは書けねぇんだよ……」
そう言って、長机の中央に開けられたオイモチップスのコンソメ味へと手を伸ばしたのは二回生の倉持裕太。
ツーブロックにして前髪を上げた茶髪と右耳に開けたピアスのせいでしばしば下級生や同級生から怖がられているのを見かけるが、彼らもまさかこんな奴がキャンパスの端っこで小説を書いてるとは思いもしないだろうな。
それと、見た目通りと言えば良いのか、彼は熱血バトルモノやSFモノといったドンパチするシーンの多いジャンルを好む傾向にある。
「もっちーひど~い!」
「そうだ、言い過ぎだぞ倉持。小説は好きな時に好きな物を書くのが一番なんだ。それに、何だかんだ言ってる君だってお得意のSFが一次選考落ちしたって嘆いてたじゃないか」
「うっせー和希! そう言うお前の作品はどうだったんだよ!?」
「僕の作品は惜しくも二次選考落ちさ」
「かわしー、一次突破とかさすがじゃん!」
「あはは、岸田さんには劣るよ」
桃華のことを擁護するようにして二人の会話に混ざっていったのが、裕太と同じ二回生で幼少期からの腐れ縁でもある川代和希。
普段から大人しめの格好で眼鏡を着用しているため、パッと見の印象は勉強好きの陰キャと抱かれがちだが、眼鏡を外した顔はかなりの美形だしスポーツは万能だしで意外とファンが多い奴だ。
噂によると桃華のことが好きらしいのだが、そこの所についてはノーコメントで。……てか、正直言って俺は他人の恋愛沙汰に詳しくないんだよ。
ああ、そう言えばこの噂が出始めた頃からか。和希がお得意の学園モノにラブコメ要素を加え始めたのって。
「何だよ和希、お前桃華にだけ優しくしやがって。もしかして桃華のことが好きなのか~?」
「そっ、そんなことないよっ!」
「えっ、かわしーは私のこと嫌いなの!?」
「いやいやいや、好きとか嫌いとかじゃなくて! 僕が岸田さんに優しくしてるのは単純に彼女が僕達にとって唯一無二の後輩だからであって、別にやましい気持ちがあるわけじゃないよ!」
「ホントか~? 顔を赤くして早口で言っても説得力ねぇぞ」
騒がしい。……うん、騒がしいなこいつら。
どれ、ここらで一発こいつらを黙らせてサークル長の威厳を見せつけようではないか!
そう考えた俺は、第二章を読み終えて一段落着いた読みかけのライトノベル──『Catastrophic Revengers』──に栞を挟んで机上に優しく置く。
そして一度深く息を吐いてから、目を見開いて。
「おまえら──「皆んなっ、静かにして!」うおっ」
俺が驚いて変な声を口から漏らしてしまったのは無理もない。
俺の右隣に座っていた、いつもは大人しいはずの戸塚椿が不意に大声を上げたのだ。
仄かに茶色がかったロングの黒髪が揺れて、微かに漂った甘い香りが俺の鼻腔を擽る。
「傑が困ってるじゃない。……皆んな、『勘違いしているようだから今ここでハッキリと断言しておく。ここは言い争いをする場じゃない。ここは皆んなで小説を読んで、それでもって皆んなそれぞれ好きな風に小説を書いていくためのサークルだ』って今年度の初めに傑が言ってたの覚えてないのっ?」
あの椿が珍しくオコだ。
耳まで顔を紅色に染めて怒っている。
慣れないながらもほとんど俺のために怒ってくれたみたいなもんだし、それで他の三人が静かになってくれたから、できれば水を差したくはないんだが……。
椿を初め、俺以外の四人は皆勘違いしているみたいだからこれを機に言っておくとしよう。
「椿、半年以上も前の俺が言った言葉を一言一句違わず覚えていてくれたのは嬉しいんだけど、それ、俺の言葉じゃなくて今はもう卒業した二個上の先輩が遺したやつな」
「えっ」
目を丸くして唖然とする椿をよそに、俺は続ける。
「てか、俺が言った迷言チックな言葉は基本的に先輩の受け売りか偉人の迷言をもじったものだぞ」
「え、ええぇ、え~っ!? 傑が考えたんじゃないの!?」
「だからそうだって」
「酷いっ。私、傑のこと信じてたのに!」
「さいですかさいですか」
「軽くあしらわないでっ」
紹介が遅れた。
清楚をそのまま具現化したかのような外見に、純情でお淑やかながらも単純でどこか抜けている内面を持つこの女子が、俺と同じ三回生の戸塚椿。
特徴としては薄らと茶色がかったロングで艶やかな黒髪と、嗅ぐ者を優しく包み込んでくれるような仄かに薫る甘い香り、それと大人びつつもどこかあどけなさが残っている横顔。
あとは──……てか、横から見るとホントにねぇな。何がとは言わないが。
俺と机を挟んだ対岸でだらしなく椅子に腰掛けている桃華を見て、それからもう一度椿のことを横から見る。
やっぱり無い。……つくづく思うが、椿と桃華、この二人を同じサークルに入れて良かったのか?
いつか終末戦争でも起きそうなものだが。
全人類の平和に胸囲が迫るってか?
はははっ────いや、笑えねぇな。
「ス、グ、ル~。今ものすご~く失礼なこと考えてたでしょ?」
「あっやっべ……んん"っ、酷い言い様だな。失礼なことなんて考えるわけねぇだろ」
ウィキ〇ディアに載っけたら一瞬で削除依頼が出されそうなふざけた戦を思い浮かべていたら。
その気配を感じ取ったのか、それとも無意識の内に彼女の胸部にそびえる日和山を見すぎてしまっていたのか、椿がジト目で俺のことを見つめてきた。
「今『やっべ』って言ったじゃない!」
「気のせいだろ。それかあれだ、幻聴だ」
椿はヤマトナデシコの比喩がよく似合う美貌とその人当たりの良さから例年学園祭の裏イベントとして密かに開かれている、他薦によるミスコンでは三年連続ぶっちぎりでトップの座を我が物としている。
勿論、エントリーを知らされていない彼女は、自分がそんな偉業を成し遂げていることなど露程も知らない。
そんな椿が「む~」と言って頬を膨らませる。
──はい可愛い。マジでなんなのこいつ。
「傑ってばす~ぐそんな適当なこと言って誤魔化そうとするんだから。──もう知らないわよ?」
「ごめんごめん、悪かったって。そう不貞腐れんなよ──可愛い顔が台無しだぞ」
「────ッ~!」
椿の頬が、耳が、朱に染まる。
その様子を見て始めて、俺は如何に自分が羞恥に塗れたセリフを吐いていたのかを理解した。死にたい、割とマジで。
「…………ま、まあ、いいわ。他の皆も執筆に戻ったわけだし、いい加減私たちも次の応募作に手をつけよっ!」
何と何の葛藤に苛まれたのか、数秒もの間一人で変顔大会を開催していた椿が、顔を隠すように親指の付け根を額に当てて言った。
そしてすぐに踵を返して作業机の方へと離れていく。
目は合わせてくれなかった。
「おう、そうだな……俺も久々に書くとするか」
忸怩たる戯れ言をぬかしたがために即刻タコツボにでも詰められたいのは事実だが。
椿の澄んだ美声とレアな表情で耳福と眼福を得られたのもまた事実。
ならば──
今の! 俺に! 書けぬ物など無いッッ!!
「あ~もうダメだ!」
極限集中状態の俺が約五千字を書き上げたということは、書き始めてから凡そ二時間が経過した頃か。
不意に裕太が大音声を上げた。
伸びをするために勢い良く全体重をかけられた椅子の背もたれがキシキシと不快な音を奏でる。
「良いアイデアが何も浮かばねぇ……。いっそ出来ることなら異世界にでも行って文字書きから離れたいくらいだぜ、ははは」
万人誰が見ても明らかな集中切れ。
そしてSSCのように全員が極度の集中状態に置かれる空間では、たった一人の集中切れは目にも留まらぬスピードで皆んなにも伝播するわけで。
「倉持、お前……」
「ちょっと~もっちーうるさい~」
俺を含めた四人が一斉に、溜め息混じりの薄目でもって裕太のことを睨んだ。
先ず以て異世界って何だよ。
そこはハワイやグアムみたいな南国のリゾート地か、別府や草津みたいな温泉街だろ普通……。
異世界ファンタジー系のラノベを好き好んで読み、あまつさえ同系の小説を書いている身で言うのもなんだが。
「異世界なんてあるわけ──「ならどうかお願い! 私たちの世界を救って!!」──んん?」
俺の言葉に被せるようにして。
どこからともなく聞いた覚えの無い声が。
耳元で騒がれたら一瞬で眠気が吹き飛びそうな甲高い女声が聞こえてきたのだ。
「今の……誰だ?」
そう言って俺は辺りを見回す。
誰もが首を傾げていた。
どうやら先程の言葉を発したのは、裕太や和希は勿論のこと、桃華や椿ですら無いようだ。
廊下側に備え付けられた曇りガラスの窓を見ても、部屋の外に誰かが居るような気配は感じられない。
「傑、さっきのって一体……もしかして良くないことでも起き────」
危惧の念を抱いた椿の言葉はしかし、途中で途切れた。
然して俺が続きを聞くことも無かった。
フラッシュバンが眼前で炸裂したかのように突然発せられた強烈な光が。
俺の視界を純白に染め上げたのだ──。