2.0【霊峰は静かに目を覚ます】六合目
ジャノメ工房
宝石、天然石、パワーストーンを使ったハンドメイドショップ
住所:◯県□市△区x-x-x
◇◇駅から徒歩10分
あの後、男性が言ったジャノメ工房というものをネットで検索してみたら、実在するお店だということが分かった。
地図アプリで調べたルートを歩いて行ったその先に、確かにお店はあった。
場所は思ったよりも近かく、乗り換え駅でもあり休みの日は友達とよく遊ぶこともある駅の周辺だった。ほどほどに土地勘もあるし迷子になる心配はなかった。
外観は喫茶店みたいな、ちょっと綺麗でオシャレな感じだ。多分アクセサリー屋さんの延長線になるお店なら、友達と一緒に入ったことはある。ただ、宝石屋さんなのかパワーストーンショップなのかちょっとよく分からないけど、その手のお店に一人で足を運ぶのはもしかしたら初めてかもしれない。
お店の前で立っていても仕方がない。緊張するが中に入っていく。
「いらっしゃい」
ドアに吊るされたベルの音が心地よくお店の中に届く。店員の迎え入れの一言に思わず会釈し、ゆっくり周りを見渡す。
金色に銀色、赤から紫までの七色、その色に境界線を作るように白黒灰無色のブレスレットやピアス、イヤリング、ネックレスが綺麗に置かれている。奥にあるショーケースにも、数は少ないが同様なものと指輪やペンダントといった、一般的にジュエリーと呼ばれるものが並んでいる。ちらりと値段が目に入ったが、天文学的数字のようなものが見えた気がするが気のせいということにしよう。
その奥には見慣れないデザインをした机にローラーのような機具、煤の付いたバーナーが置かれたテーブルがある。ハンドメイドは手作りの意味だったはずだから、ショーケースの中にあったジュエリーはあそこで作られたのだと、漠然とだが何となくそんな気がした。
ふと、大小様々な置き石が目についた。透明なもの、紫色、空色と、カラーバリエーションこそ飾られてるアクセサリーには程遠いが、平たいもの、山なりなもの、卵型なものといった形のバリエーションは引けを取らない。
中でも小さく先端のとがった六角柱をした、内側には山を象った模様の石に何故か魅かれてしまう。商品ポップにはファントムクォーツと、そこそこ良い値段が書かれてた。
(和名、幻影水晶。……これ、水晶なんだ)
水晶イコール透明のイメージがあったけど、こんな風に模様が入ってるものもあるんだと感心した。
「そいつが気になるのかい?」
店員の人──私と同じか少しくらい高い背丈に、同年代にいそうな逆立った栗色の短髪と幼い顔立ちに違和感を作り出す短く茂った顎の髭で年齢が読み取りにくく、ボロと汚れが混ざった年期の入った黒いエプロンと紐で繋がれたメガネを首から下げた男の人から声をかけられた。
つい置いてあった商品を手にとってまじまじと見てたら、声をかけられてもおかしくはない。ここに来た目的は買い物ではない。店員の男性には申し訳ないけど、あの時のキーワードを口にする。
「えっと、スピリタイト、を探してまして……」
そう言うと男性の目が、ほんの数秒間キョトンとした。戻った目は上から下へ、下から上へ、一瞬だけ私の後ろに視線が向けられたが直ぐに私に戻った。
「成る程、嬢ちゃんか」
何かを理解したのか、小刻みに首を縦に揺らした。
「取り敢えずそこに座りな。ああ、テーブルの上のものには触んないでくれ、まだ途中なんでね」
そう言われて指されたテーブルの上には彩り鮮やかな丸いビーズがたくさん詰まった瓶やケース、複数の円が出っ張った灰色のボードには紐に通したビーズと円に沿って並んでるビーズがあった。たぶんこれはブレスレットを作っているのだろう。
入口と窓を薄地のカーテンで閉じ、鍵をかける音がした。
「よくアレを夢と思わずにここまで来れたな。まぁこっちもちょっとしたギャンブルみたいなもんだったし、結果オーライかな」
矢継ぎ早に続き遮れずスタスタと言葉と足が進む。
店の奥、バックヤードに入って何かしながらも言葉はまだ続いた。
「ちょいと長い話になるからな、茶でも飲みながらいこうや。今紅茶は切らしててな、出せるのは緑茶一択だ。珈琲カフェオレみてぇな洒落たもんが欲しいってんなら近くの自販機で買ってきな。ゴミは持ち帰りだがな」
私が知る限りの接客業はもっと丁寧な応対があって成り立つものだが、この人のそれは接客というより、少し強めな言葉を使うなら馴れ馴れし過ぎる。一体何なんだろう、この人は?
「ああ悪ィな、こう見えても饒舌で剽軽でチンピラなもんでな。口が悪ィのは愛嬌とでも思ってくれ。何よりここは俺の城だ、俺が自由にしちゃあ可笑しいか?」
湯呑みを持ってそう言われても、どう答えればいいかさっぱり分からないけど、個人営業のお店ってだけで免罪符になるのかは正直暴論な気がする。
でもそれでお店が成り立ってるなら、それは一種の才能なのだろうか?
「さて、まずは自己紹介からだな」
向かいの椅子に座ろうとしたのを止めて、軽く拭いたメガネを掛けエプロンをピンッと張り直した。
「俺は矢間加賀地綠、このジャノメ工房の一人店主で愉快痛快爽快なナイスガイだ。敬意と尊敬と親愛を込めてマスターと呼べ。それ以外で呼んだら一度は警告するが二度目は鼻と前歯を90°に曲げると決めてるからヨロシク。で、嬢ちゃんの名前は?」
「清嶺晶、です」
「よし、アッキーラだな。よく来たな、ウェルカムだ。ところで、羊羹食うか?」
友達にも一度も付けられたことのないあだ名と、意図がよく分からない羊羮を出された。
変な人、初対面で失礼だと思うけど、この人に抱いた印象はその一言に集約され、同時にこの人を先導に一抹の不安がしてきた。
そして、不安は別の角度からくるとは予想もしていなかった。
◆
髪は黒でストレート、毛先が背中に隠れて長さはわからんがロングのカテゴリーに入るだろう。駅でよく見慣れたブレザー服は確か近くの女子校の制服だったはず。流石に学校名までは知らん。知ってたら知ってたでそれは気持ち悪ィが。手足は華奢に見えてしっかり肉付いる。何かしらのスポーツでもやってたんだろう。ただ、健康的と呼ぶには随分と陰のある顔色だ。まぁあんなモン見て、ヤベェ目にあえば誰でも減なりはするか。俺にも責任はあるし。
さて、来たはいいが、まさか華の女子高生だったとはな。予想外って訳ではねぇが、自分の半分くらい下の歳の小娘とマンツーマンで話すとなると、なんつーか妙な感じだ。締め切ったのは逆にマズったか。
いやいや、これから話す内容が他所に聞かれる方が色々マズイし、この状況は致し方あるまい。
何か聞きたいことはあるか、は範囲の広すぎる話の振り方で適切じゃないな。普段の接客トークと違って話題も内容もえらくブッ飛んでるし、ある程度範囲を絞って話を始めるのが良いんだが、如何せんスタート地点が絞りづらい。
「あの、昨日のアレはなんだったんですか?」
茶を一口啜った後に恐る恐るアッキーラは質問を口にした。
切っ掛けが何であれ、話の入り口が出来たのは行幸行幸。本当ならこっちから入り口を作るべきなんだが、情けないが今は善しとしよう。
「その前に確認だ。ああ言った光景を見ることは、これまでにあったか?」
「……はい」
「いつ頃、とかは分かるか?」
「去年の十二月頃くらいから時々夢で見るようになってた、はずです。最初は、綺麗な夢だなって思ってました。けど、春頃から学校や通学途中でも見るようになって……」
成る程、俺も同じ頃にあの光景を見るようになったから、選ばれた時期は大体重なるな。学校や通学途中となると、近くにいた奴らに引っ張られたって考えるのが無難か。
「あれは夢じゃないんですか……?」
声に張りがない。不安と得体の知れない恐怖が、この娘の中に巣食ってるんだろう。
そんな状態に、いくら荒唐無稽だとしても真実を突き付けなきゃいけないってのは、流石に良心に堪えるな。だが、話さないと何にも進まん。
嘘であって欲しいって顔してるとこ悪ィが、ありゃ夢じゃない。かといって現実なのかと聞かれると、ちょいと微妙なラインになる。
俺はそのまま話を進めた。
結論から述べよう。俺や嬢ちゃんは、とある戦争に巻き込まれている。昨日見たあの光景、あの場所は、謂わば戦場のような場所になる。現実味が無い話だと思うが、紛れもない事実だ。
「………………」
絶句、といったところか。
無理もない、普通の人間のキャパシティを越えるような話だし、受け入れるだけでも半日は頭痛に悩まされる内容だからな。
「……戦争って、何ですか。私、そんなものに身を投じた覚えはありません!」
短い沈黙を終え、至極真っ当な反応を示したが、この反応から察するに本当に何も知らなそうだな。
話を続けよう。今言ったように、この戦争に巻き込まれたんだ。俺達の意志は関係無い、ただ偶然、たまたま選ばれただけなんだ。質の悪い交通事故に遭遇したと思って割り切れ。
「意味が分かりません、一体誰に選ばれたって言うんですか!?」
「コイツらだ。サーペン、出て来ていいぞ」
そう合図を出し、俺の肩にのし掛かるようにサーペンが姿を表す。うん、重さは感じないが、重いから退いてくれ。あと案の定か、嬢ちゃんがドン引きだ。約三メートル弱の巨体な蛇じゃ当然の反応か。
怖がんなくて大丈夫だ。危害を加えたりしないから。丸呑みとかしないから。無闇に巻き付いたりしないから。超安全だから。試しに触ってみな。
「………………」
恐る恐る触ろうと手を伸ばす。指先で軽く触れて、掌で優しく撫でるも顔は引きつっている。意外と肝が座ってて正直驚きだけど、無理はしなくていいぞ。
コイツはサーペンティン。ややこしい言い方になるが、蛇紋石の冀石霊だ。無作為に俺達を選出した冀石霊の一つだ。
「冀石、霊……?」
ざっくり分かりやすく例えるなら、石の精霊みたいなものだとイメージして概ね間違いはない。
『はじめまして、ボクはサーペンティン。よろしくね』
サーペンが喋った途端、転げ落ちた。おい、大丈夫か?
「しゃ、喋った!? そのヘビ、今喋りましたよ!?」
何だか新鮮な反応をする。
喋るも何も、コイツは普通の蛇じゃないし、第一、普通の蛇が何もないところから出て来たりするか。それ以前に、精霊みたいなものって説明しただろうに。
俺達はコイツら冀石霊に選ばれ、最後の一人になるまで戦い続けなけりゃいけねぇ、バトルロワイアルに引きずり込まれたって訳さ。ここまでは付いてこれたか?
「ま、待ってください。冀石霊とかバトルロワイアルとかいきなり言われても、何がなんだかで……」
「そりゃそうさな。まぁちょいと小休止にしようや。茶のおかわりいるか?」
「あ、いえ、大丈夫、です」
「なら羊羮でも食いな。甘いモン食って少しリフレッシュしとけ。この先もっと頭の痛くなる話しか待ってないからな」
さてと、俺はお茶のおかわりでもしますか。
ありゃ、お湯が無ぇ。
◆
綠さんがバックヤードに入って少ししてから、電気ケトルで水を沸かす音がした。
初めはふざけた人だと思ったけど、話してくれた内容は別として、言葉の節々は荒々しくも嘘を織り混ぜた様子はなかった。
とりあえず、ここまでの話を整頓してみる。
まず、昨日の出来事は夢ではなく、そしてあの場所は戦場だと言った。だけど全容は語られず、まだ不透明な部分が残されていて、これからその部分が分かるはず。
次に、冀石霊と呼ばれる石の精霊的なものに選ばれて、よく分からない戦争に巻き込まれた。綠さんはタチの悪い交通事故と例えたけど、ニュアンスとしては通り魔みたいなものなのだろう。冀石霊についてはあまりにも漠然としていて、精霊とは言ったけどそんなファンタジーな例えをされても理解がまったく追い付かない。
ここに来て一時間も経っていないが、半日以上頭を動かした並に疲れた。せっかくだから出してもらった羊羮だし、いただきます。
「……美味しい」
普段和菓子なんて食べないけど、何だか懐かしくて新鮮な感じ。これっていわゆる、和の心なのかな。
でもこれ、高級な羊羮だったりするのかな、フォークが全然止まらない。
そういえば昔コーチが、羊羮はスポーツにおいて理想の携帯食だ、って言ってたような。帰ったら調べてみよう。
『……………………』
少し前から、綠さんが呼んだ?サーペンティンさんがテーブルの端っこに頭をのせてこっちを見てくる。すごく視線が刺さる。ヘビなのに、なんだか犬っぽい。
「えっと……食べます?」
一切れ、サーペンティンさんに差し出してみた。
『大丈夫だよ。ボクたちはキミたち人間の食べ物は必要ないから』
そうなんだ。
じゃあ、こっちを見てくる理由はなんだろう。
『ん~、好奇心?』
疑問形の返答はどうやって返せばいいのだろうか。
ものを食べることが珍しいのか、それとも何か別の何かが珍しいのか。ともかく、今の私ではサーペンティンさんの好奇心を満たすのは難しいから、とりあえず撫でておこう。
『お~……』
犬や猫が見せる気の抜けた顔に近いような喜んだ表情をする。ヘビも撫でると喜ぶのかな。
もう少しだけ撫でてみよう。
『あ、そこ、いい感じ』
何だか、楽しいかも。
「……………………」
バックヤードの方から、こっちを見つめる視線が気になる。
「ん、ああ、俺のことは気にすんな。存分に撫で続けな」
そんなこと言われて続けられるほど、私の心は豪胆じゃありません。
「……蛇と戯れる少女って、字面でも絵面でもなんかエロいと思わねぇか?」
悠長にお茶すすりながら何言ってるの、あの人!?
話を再開してください!
「そんな一瞬で茹で蛸みたいに真っ赤になって吠えるなよ、冗談の通じねぇ嬢ちゃんだな。で、俺以外に撫でられた感想は?」
『良かったよ~』
「そりゃ結構。んで、荒唐無稽話は続くが、大丈夫か?」
「大丈夫です」
……多分、大丈夫のはず。
綠さんが椅子に座り、質問は再開した。
「この段階で何か質問はあるか。可能な限り答える努力はする」
「それじゃあ一つ。さっき綠さんが──」
「マスターだ」
はい?
「悪いが俺は宣言通りのことを必ず実行する。そこに一切の例外はないからな」
なんだろう、この『意地でも譲らん』と言わしめる強固な姿勢は。昔いたであろう頑固親父なる存在って、こんな感じのことをいったのだろうか。
郷に入っては郷に従え。とにかくこれ以上変に機嫌を損ねるのは止めた方がいいだろう。
「……マスター、さん」
「さんはいらんが、まあ大目に見るか。さぁ、質問の続きを」
やっぱり変な人だ。
気を取り直して、さっきマスターさんは『冀石霊の一つ』と言った。つまり冀石霊は複数いるととらえられますが、実際はどうなんでしょうか。
「答えはイエス。さっき冀石霊は石の精霊と例えただろ、それなら他の石の冀石霊がいても何ら不思議なことじゃないさ。まぁ呼んで見せた方が早いな。ラルド、ご指名だ」
後ろに向けた人差し指をクイクイッと、何かを呼ぶような仕草を取った瞬間だった。
昨日、あの時に見た古代エジプト風の衣服を纏った、宝石のように煌めく深緑色をした髪の女性が現れた。最初からそこにいたかのように、自然に立って、いいや、浮いている。
『お主が件の娘かえ?』
ゆっくり開いた瞳は力強く、発した言葉は柔らかく、それでいて重厚感のあるものだ。
私はラルドと呼ばれた冀石霊の問いに、首を縦に振って答える。返答を受け取ると品定めするように、ゆっくりぐるりと私の周りを「ふむ」「ほう」と一言溢しながら飛んで、マスターさんの側に戻った。
『成程確かに、稀有な存在よな』
「こっから先はバトンタッチしていいよな?」
『うむ、良いぞ。妾もこの娘には興味が湧いた』
「と、いう訳だ」
どういう訳ですか。
私の質問の受け答えしてくれる相手がマスターさんから古風で緑髪の人に変わる、そうとらえていいんですか。
『緑髪の人などとは不躾な。妾は四大宝石が一つ、緑柱石の冀石霊である』
「え、あ、すいません……」
思わず頭を下げて謝罪の言葉を述べた。
『良い。その素直さに免じて許すぞ』
「気難しいヤツだが当事者かつ、サーペン以上に事を知ってるしお喋りだ。根掘り葉掘り聞いてみな」
えっと、とりあえず深呼吸して落ち着こう。……よし。
それじゃあ質問です。
◆
いやぁ、受け答えが出来る奴が他にいるとスゲェ楽だ。一応アッキーラがしてくるだろう質問に予想は立ててたし、分かりやすく噛み砕いて答えれるけど当事者様がいるならソイツに渡すのが合理的だろうさ。
問題は、こっから先の答えを受け止めて折れるか、燃え上がるかだ。
「それじゃあ質問です」
『まあ待て。お主の問いに答える前に確かめねばならぬことがある』
根掘り葉掘り言った手前で流れぶった切るの止めて。俺が可哀想でしょ。
だがまぁ、エメラルドが確認を取りたいってことは冀石霊側にとっても何か重要なことなのかも知れない。実際にコイツは冀石霊の中でも重鎮に位置するくらいだ。
『一つ、夢でも現実でも構わぬ。お主は昨日を除きこれまでに冀石霊の存在、ないし冀石霊に近しい存在を感知したことはあるかえ』
「……いえ、なかったはずだと思います」
『二つ、闘掘場のような景色を初めて見たのはいつ頃だ』
「とうくつじょう?」
首を傾げ、視線が俺に向いた。
昨日俺らが邂逅したあの場所のことを闘掘場と呼ぶ。人間側は専ら戦場って呼んでて、正式名称を口にした奴にはまだ出くわしてないな。
細かい説明は省くが、闘掘場は冀石霊のチカラを使う為の専用の、一面ガラス張りやガラスのオブジェがわんさかある舞台のことだ。戦場って表現はまったく間違っちゃいない。
俺が把握してる限りだと、夢で見るタイプと戦いの為のタイプ、この二種類がある。何がどう違うのかは冀石霊の方が詳しいけど、話の本筋から外れるだろうからそれはまた別の機会に聞いた方がいいな。
「しっかりと覚えてるのは、二月頃だったかと……」
『ふむ、時期に大きなズレは無い。されど冀石霊との顔合わせが成されていないときたか。何とも奇妙なものよ』
質問はこれ以上なさそうなら、嬢ちゃんのに答えてやってくれ。長く店を閉める訳にもいかんし、悠長に時間を浪費するのは頂けねぇし、この後のことを考えると少し駆け足になって欲しい。
つーかさっきの確認いる? 俺一番初めに聞いた内容とほとんど同じだったよな。
『聞いてはおったが妾が直接確認しておらぬし、齟齬がないかを知らねばならぬだろうよ。しかし時を無為にした行為とも見えるのは間違いない、その点は反省しよう。して娘、妾に何を問う?』
「……えっと、じゃあ改めて。何で私はわけの分からない戦争に巻き込まれているんですか。そんなことに参加なんてしたくありません」
深呼吸を入れて嬢ちゃんの質問タイムが再開した。
内容は至極真っ当、当然と言えば当然のもの。常人なら誰しもが思うことで、恐らく誰しもが通るだろう道だ。
『まずはその問いを正そう。お主は巻き込まれたのではなく、妾達冀石霊に選ばれたのだ』
エメラルドは回答を繋げていく。
『まず前提として、この闘いはお前たち人間の時間感覚で言う一〇〇~五〇〇年の周期で繰り広げている。目的は冀石霊の王を決めるものである。
なに、王と言ってもお主達人間が思い描く権力者ではない。その周期において最も実力の優れた石のことよ』
キョトンとした顔でエメラルドの言葉を、どうにか咀嚼して飲み込もうと頑張ってるんだろうな。
『だがお主達人間はこうも思うだろう。人間が巻き込まれる理由は何か、王を決める闘いに何故人間を巻き込むのか、と。その答えは簡単ぞ。妾達冀石霊だけでは優劣が付きすぎてしまう。それではあまりにも公平ではない。故に冀石霊以外を介在させ優劣の差を失くし、公平な条件で競う。至極簡単であろう?』
「………………………………」
そんな悲しい目を向けないでくれ。理解しづらいのは分かるから、助け船出してやるから。
分かりやすく解説すると、まずコイツら冀石霊を野菜農家とする。で、コイツらは定期的に誰の作った野菜が一番なのか決めたいけど、個々に明確な差が出来てて勝負にすらならないってのが現状。
そこで、出来た野菜で優劣を決めるんじゃなく、その野菜を使った料理で優劣を決めようってことになった。だけどコイツらは料理が出来ないからそれぞれ専属の料理人を捕まえて、その料理人で勝負をしようってことになった。ここで出てきた料理人ってのが俺たち人間さ。
要するに、俺たち人間を使った代理戦争なのよ。ちなみに俺たち人間は冀石霊からは宿主と呼ばれて、人間同士だと参加者で呼び合ってる。
「……だいぶ事情が飲み込めました」
そりゃどうも。
『話を戻すえ。お主達人間に冀石霊はチカラを貸し与え、最後の一石になるまで闘い抜くことで、儀式は完了となる。しかしそれは妾達冀石霊側の益であり、宿主たる人間側には得るものが何もなく不満が募るだろう』
嬢ちゃんの首が縦に振られた。確かに、と思いながら首を縦に振ったんだろう。
実際ここまでの話、俺たち人間側に何のメリットがない。ただ闘いのための道具として使われてる感じがして、正直良い気分とは言えない。
そうなることを踏まえて、次の話に繋がる。
『そこで、人間側にある条件を設けた』
「条件、ですか?」
『お主達人間が、おおよそ思い付くだろう願いを叶える権利だ』
「願い……?」
端的かつ手垢ベッタベタで使い古された言い方をすると、「あるゆる願いを叶える権利」だ。
それこそ地位や金、名誉に女に不老不死といったコッテコテのテンプレートなものや、プロの◯◯になりたいとか俳優やアイドルの誰々と結婚したいとかいう俗っぽいもの、格差の是正や核兵器の廃絶とかいうエセ聖人の戯言、重病の誰々を治したいというお涙頂戴、目から怪光線が出せるようになりたいというファンタジー、エトセトラ……。
コイツらに協力すれば、そんなチビッ子の落書きを現実にする権利をくれるんだとさ。
「……………………」
おっと沈黙……いや、目の色が変わった。こいつは何か持ってるな。
嬢ちゃんには、何か叶えたい願いでもあんのか?
◆
あらゆる願いが叶う。この一言を聞いた瞬間、私の思考は一瞬固まり、急激に動き出した。
あまりにも甘美な響きだ。
曇天の隙間から差した日差しのように、真っ暗闇に光が落とされたみたいだ。
「嬢ちゃんには、何か叶えたい願いでもあんのか?」
マスターさんの問いかけに、ゆっくり口が開き、気づけば自分の夢だったものを語っていた。
私はテニスをしてました。自分で言うのも恥ずかしいですけど、周りからは天才なんて呼ばれてました。嘘じゃないですよ。実際、ジュニア大会で何度か優勝してきて、プロへのスカウトも受けました。プロになることは、いつしか私の目標になっていました。
だけど、断念せざるおえなくなりました。
高校に上がった頃に大きな大会に出場しました。その大会で、大きな怪我をしてしまいました。
「腕か肩の故障か?」
いいえ、脚の──膝の怪我です。一応は治ったと診断されましたが、現在の治療技術では完治は難しく、試合には出れてもあと一回が限度と宣告されました。選手生命の残り寿命を言い渡されたようなものです。
それを受けたとき、本当に頭と目の前が真っ白になりました。こんな理不尽があるんだって思いました。
これを期に、夢を諦めて別の何かを追ってみようと思いもしました。いっそのこと、怪我をした脚を棄ててパラスポーツに向かうのもありかなって自棄な考えもしました。そんなに短いなら、いっそのこと抱いた夢を燃やし尽くしてしまおうとも考えました。
でも、違いました。それらはただ逃げるための口実だって気づいたんです。私はテニスが大好きです。コートに立って、試合をして、勝つのも負けるのも、プロになることも、全部ひっくるめてテニスが大好きです。怪我をした今でも、その気持ちに変わりはありません。
マスターさんとエメラルドさんが話してくれた、なんでも願いが叶えられる権利を聞いて、ずっと私の中で燻っていた何かがやっと分かったんです。
『成る程成る程、儚くも健気で、強き娘よな』
「悪いエメラルド、ちょっと黙っててくれ。で、話の着地点が見えねぇな。つまり何だ? 夢はプロ選手になりたいってか?」
違います。
『ピシャリと断じたの』
「……いいから黙ってろ」
確かにプロになるのは私の『夢』ですが、あくまで『夢』の通過点です。プロになれば、厳しい世界に身を置くことになるけども、大好きなテニスに関わり続けることができます。でも関わり続けるには強くなくちゃいけません。楽しくプレー出来なくちゃいけません。今の私じゃ、怪我をしたままの私じゃ強くもなれませんし、楽しくも出来ません。テニスそのものを楽しめません。
私の『夢』は、自分の力でプロになって、世界に名だたる選手をなぎ倒して、トップに立つことです。
だから私は、そのなんでも願いが叶えられる権利に、怪我の完全完治を望みます。
「……………………なるほど」
マスターさんが発した言葉に、我に返った。
なんでこんなに熱の入ったことを話したんだろう。初対面……昨日のを初対面としてカウントするかどうかはこの際置いといて、あんまり接点のない人に熱く語るとか絶対引かれてる。
でも、胸の内が少し明るくなったような気もする。こんな風に、誰かに話を聞いてもらいたかったんだろう。誰かに打ち明けたかったんだろう。まだ、夢を諦めたくなかったんだろう。私は……
「お前、バカだろ」
そう、バカ────────────────はい?
「俺は叶えたい願いでもあんのか、と聞いただけで、テメェの夢を語れとは言っちゃいねぇぞ。まぁ最終的には問い掛けには応えたから良しとするが。しっかし、折角の「何でも願いを叶える権利」を怪我の治療だけに当てるとか、本気か? 大金が欲しいって願えば、その金を使って先進医療での治療で完治の可能性を拡げられる。身辺のサポートの充実にも出来んだぞ。用途があまりにも部分的で限定的で局所的で、実にバカらしい」
色々とボロクソに叩いてきた。
マスターの言う通り、お金を願えば怪我の治療にも使えるし、ラケットやシューズの購入費用にもできる。それ以外のことにも使えるだろうし、選択肢としては間違っていないんだろう。だけど、間違いじゃないだけだ。
お金を願うことは、お金に頼ることになる。頼れば色んな出来ることが広がっていいことだと思います。でも、それは私には要りません。
私にとってのプロは、たった一点、たった一筋の道を歩き、極め続ける人に贈られる名誉だと思ってます。私は、自分の力でそこに行きたいんです。
なにより、その選択肢を取ったとしても時間が掛かりすぎます。先進医療を受けられるとしても、明日明後日の話じゃありません。一ヶ月二ヶ月先か、それとも半年か一年後になるか分かりません。
お金じゃ時間は買えません。私に必要なのはお金を使って出来た広い選択肢と時間より、私自身の足で限られた選択肢を進む力です。だから怪我の完全完治を望みます。それだけは、譲れません。
『フフッ、面白き娘よな』
「筋金入りのバカだがな」
自覚はしている。だけどこれを譲ってしまったら、高く抱いた『夢』が陳腐なものに成り下がってしまう気がする。
それだけはしたくない。『夢』を思い出した今、もう忘れたくない。否定したくない。
「だが、そういうバカは実に好条件だ。そんな嬢ちゃんに美味しい話がある。聞くか? むしろ聞け」
今まで底を見ることができなかった言葉が急激に底を見せつけるような、なんと言うか特に興味もないのに急に始めた趣味の釣りに使う竿を嬉々として見せつけてくる親戚のおじさんみたいなノリといった感じの、カラッとしたトーンに変わった。
「単刀直入に言おう、手を組まないか。具体的には「願い」へリーチが掛かるまでの間は共闘関係、そして残り二人になった時、俺は「願い」の権利を放棄しそれを譲渡する。共闘関係中は手厚いサポートを約束する。
それにこう見えても戦績は優秀でね、既に四人戦って三人ほどぶっ倒してる。自分で言うのも何だがかなり強いし、色んな面で有利なポジションにいる。超絶優良かつ最良で最高の参加者さ。美味しい話だろ?」
突拍子のない提案が出された。これには流石に動揺する。
ただでさえ戦争だの冀石霊だのと飲み込むだけで精一杯だったのに、共闘の申し込みと言われてもいまいち理解に追い付かない。というより、根本的な疑問が理解を遮る。
「何だ、伝わりにくかったか。そうさなぁ……嬢ちゃんに伝わりやすい言葉を使うなら、ダブルスのパートナーもしくは専属コーチになろうってことだ」
分かりやすくしてくれるのは大変ありがたいのですが、そうではなくて、これは「願い」を懸けた戦いではないのか。
それならばマスターさんにも叶えたい「願い」があるのではないか。
「ああ、その点は安心しろ、俺には叶える「願い」は無い。俺はもう願いを消化して、その願いの中で朽ちていくことを望んでる老木みたいな男さ。それに「願い」の譲渡は適当で無作為で誰彼構わずって訳にもいかんのさ」
…………?
それは言葉通りの意味なのか、それとも何か比喩的な言い回しなのだろうか。
──────ズキッ
急な頭痛が襲ってきた。頭痛持ちでもないのに最近は妙に多い。それに確か、この頭痛がしたらあの夢、闘掘場にいることが多い。
「なぁ、分かりやすいのは確かだけど、頭痛って方法で報せるのなんとかなんねぇのか?」
『それはお主の冀石霊に伝えよ。妾は席を失った身、協力は出来ども進行には関与出来ぬ』
「どうしようもねぇな……。嬢ちゃん、今しがた頭痛とか──したって顔してんな」
歪んでいる表情を察してか、マスターの投げ掛けようとした問いは解決したようだ。
この頭痛と闘掘場は何か関係があるのか、その事を聞こうと思ったが、どうやら時間はなかったようだ。
「さて、楽しいクエスチョンタイムは一旦お開き、そんでもって最悪なお知らせだ。その頭痛は他の参加者からド派手で綺羅びやかで泥臭い戦争に招待された合図だ。話は色々途中だが、俺から言えるのは腹を括れ、覚悟を決めろ、の月並みなもんしかない。まぁ向こうに行けば嫌でもそうせざるを得ないがな」
マスターは椅子から立ち上がって着ていたエプロンを外し、奥の机の上に綺麗にたたんでそっと置いた。
あの頭痛は他の参加者からの招待、と言った。聞こうとしたことが結果的に解消したが、今はそんなことは重要じゃない。
「願い」を賭けた戦いがこれから始まる。だけど私には、冀石霊も戦う手段もない。勝手にエントリーされてラケットなしで試合をするようなもので、負け試合をするどころか出場すらできない。せっかく夢に一縷の望みが見えたのに、これじゃあ何の意味もない。
『そろそろだぞ、ミドリ』
「だ、そうだ。そろそろ闘掘場に引き込まれるから目を閉じときな、少しは楽になれるぞ」
マスターはこちらの心情にお構い無く淡々と言葉を進める。
その刹那、時計の針が高速で一周したように世界が回り、入れ替わった。
あまりに一瞬な出来事だった。お店はガラス張りに、置いてあったものは乱反射するプリズムに変わった。
「こう言うのも変だが、ようこそ、この世で最も泥臭く輝く場所、闘掘場へ」
聞き覚えのあるマスターの声にわずかばかりの安心感を覚えた。視線をその方に移せば、萌黄色の髪と目をした人がそこに立っていた。誰、と一瞬思ったが、マスターだった。
……いや、ちょっと待ってほしい。何で私はこの人がマスターだと思ったのだろうか。確かに声色はマスターだが、ぼんやりと覚えている顔立ち、体格、髪の色に違和感がある。変わった所は確かにあるのだけれど、それがどこなのかまったく分からない。
直感はマスター本人だと訴え確証を持てなかったが、あの時付けられた妙なあだ名で確信に至った。この人はマスターだ。
「細かい事情は移動しながら話す。ついて来な、アッキーラ」
新しく聞きたいことが山のように増えたけど、今はマスターの指示に従って動くことにする。
けどとりあえず、これだけは聞いておきたい。
「その髪の色って……」
「ああ、萌木色が外見年齢と顔立ちには合ってるけど実年齢では合ってないって話だろ? 個人的には花萌葱色とか織部色が好みなんだけどさ」
どうでもいい情報だった。