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現代短編

シアワセバコ

作者: コーチャー

 京都のKさんから聞いた話である。



 私は大学で古民家を利用した地域活性化について研究をしています。高齢で家主が施設に入ったり、息子や娘が住んでいる別の地域に家主が転居して空になった家を借りて地域のコミュニティスペースとして活用してみようというのがコンセプトです。


 とはいえ、空家を貸してくれる人いうのはいそうでいない。いても使いにくい場所にあったり、老朽化が進みすぎて学生と私だけではリフォームできない。そんな家が多くて物件探しがとても大変でした。


 あるとき大学に家を貸してもいい、という連絡がありました。

 かつて紙屋だったというその家は表側が店造りで裏側が家になっていました。探している物件のお手本のような家で私は、契約したいと家主に申し出ました。


 家主は八十代の小柄な女性で東京に住む息子夫婦と同居するので仏壇やわずかな荷物を持ち出したら好きにしていい、と言いました。私はほっとしました。古民家を借りる際、問題になるのが屋内に残された荷物です。今回のように好きにしていい、と言われればいいのですが仏壇や箪笥、写真類は捨てないで欲しいなど言われると保管の問題が出てくるのです。


 女性は足を悪くされていましたが、綺麗好きなのか部屋の中は整理整頓がされており私たちが来てもすぐにリフォームにかかれそうでした。私はすぐに大学の事務局と不動産業者に頼んで借受ける準備にかかりました。こういう事務的なことは学生には頼めないので私の仕事になります。


 そのとき担当になった不動産屋が家主の名前を見て少し驚いていました。なんだろうか、と聞くと彼は笑って言いました。


「いえ、このお婆さんはあの地域一帯に土地を持っている地主なんですよ。この家の近辺はだいたいこの人の土地です」


 そんなに金持ちには見えなかったので私は驚きました。


「皆さんそう言いますよ。まぁでも洛中にはそんな人がいますよ。古い町ですから」

「そんなもんですか」


 苦笑いをしながら私は不動産屋に契約書を渡しました。それからしばらくして契約が完了した旨の連絡があり私は生徒たちを連れて古民家へと向かいました。すでにお婆さんは東京に行ったらしく鍵を預かっていた不動産屋が立会でした。


 家の中に入るとかつての紙屋であった場所にはいくつかの荷物と紙屋時代の棚などがありましたがとくに捨てるのに困るようなものはありませんでした。居住スペースになっていた居間や台所には女性のメモが残されていました。


『家電や食器などはお使いにならないなら捨ててください』


 正直なところ、家電などはあとあと必要になることが多いので大いに助かりました。大体の部屋を見回ったあと寝室の隣にある仏間に入ると仏壇があったであろう場所だけがぽっかりと抜け落ちて壁がむき出しになっていました。


 女性が仏壇をもって出ると言っていたので私はもっと小さな小さな仏壇を想像していたのです。ですが、抜け落ちた空間から仏壇は私の背丈ほどあり横幅は学生を四人並べたくらいあることがわかりました。仏壇が出て行った仏間にはいくつかの掛け軸や線香入れなどが残されていました。それらにもお婆さんが几帳面に「春用掛け軸」とか「納経軸」と書いたメモが残っていました。


 生徒たちも「随分と几帳面な人だったんですねぇ」と驚いていたので私は「お前らもこれくらい几帳面ならなぁ」とため息をつきました。


「先生、それはひどいですよ」


 院生のS君が不満顔をこちらに向けました。彼はお調子者ではあるがゼミ生をまとめ役としてよくやってくれる生徒です。実際、私が学会などで忙しいときは彼ともうひとりの院生であるY君が私の代わりになります。


「ざっと片付けて内装に使えそうなものだけ残して捨ててしまおう」


 私が指示を出すとS君が数名のゼミ生と店側を、Y君が残りの生徒と仏間や居間の片付けにはいりました。私は不動産屋のところに戻って問題なく受領したことを伝えました。


「では僕の仕事もこれまでですね。あと家主から残ってるものは好きにして欲しい、と念を押されました」


 私は少し不思議に思いました。


 女性の言いようはこの家と関わりたくない、と言っているように思えたからです。

 そんなことをぼんやり思っていると仏間の方から生徒の騒ぎ声が聞こえました。私が声の方に向かうと生徒たちが十センチ四方の箱を見て笑っていました。箱は寄木細工らしく、複雑で美しい模様が目を惹く一品でした。生徒たちは私を見ると口々に言いました。


「コトリバコを見つけました」


 私が聞きなれない言葉に首をかしげるとY君が呆れ顔を向けました。


「コトリバコはネットで有名なオカルト話です。こういう綺麗な箱の中に水子の指とか内蔵を詰めて呪いたい相手に渡すそうです」

「これがそうだと?」


 私は箱を見たがそういう恐ろしいもののようには見えなかった。


「ネットの話なんで作り話です。この箱にこれが貼ってあったので皆が悪ノリしただけです」


 Y君は箱に貼ってあったというメモを差し出した。紙には家主の几帳面な字で『シアワセバコ』と書かれていた。


「なにこれ?」

「さぁ? 分からないんでコトリバコって話になったんです」


 私は手にした箱を振ってみるがとくに音はしなかった。だが、石のような重いものが詰まっているような感覚があった。先ほどの話からあまりいい気分ではないが、指や内蔵ではないようで私はほっとした。


「なに騒いでるんですか?」


 振り返るとS君が立っていた。私とY君が説明するとS君はふーんと頷くと箱を私の手から持っていった。彼はひとしきり触って箱が開かないことを確認すると言った。


「俺、パズル得意なんです。これ借りといてもいいですか?」


 私とY君は顔を見合わせたが、呪われたものには見えなかったので構わない、と伝えた。

 それから数日して、私の研究室にS君が来た。


「先生。あの箱、本当にシアワセバコですよ!」


 興奮した様子の彼に私はなんのことかわからず困惑した。しばらく考えて、先日の寄木細工かと気づいた。


「あの箱が開いたの?」

「開かないんですけど。あの箱をもってからパチンコで勝ちまくりなんです」


 白い歯を見せて笑う彼に私は賭け事はほどほどにしとけよ、と言いました。


「この箱を持って打つとヤバイくらい当たるんですよ」

「そんなに当たったならゼミ生にでもジュースをおごってあげなさい」


 私は苦笑いしつつも箱が人に不幸を与えるようなものではないらしいとわかって安心しました。それから数ヶ月の間にS君は私が驚くほど羽振りが良くなっていました。服装もそうでしたが、小物ひとつをとっても高価なものであることがひと目で分かりました。


「もう、この箱がないと生きていけませんよ」

 S君はそう言って箱を大事そうに手の中で握り締めた。


 季節が秋にはいると急にS君が研究室に現れなくなった。Y君に尋ねるとS君に彼女ができたらしく最近は彼女の家に転がり込んだまま実家にも帰ってないらしい。


 Y君は少し心配そうな表情でしたが、私は学生ならあることだとあまり深く気にしませんでした。

 そんなある日、S君が研究室に姿を見せた。彼の表情はひどく険しく私は何があったのか、と驚いた。S君はしばらく黙っていたが意を決したかのように口を開いた。


「思ったことがすべて叶ってしまうんです」


 私が意図を理解しかねて黙っていると彼は鞄から箱を取り出して机の上に置いた。


「頭の中で思ったことがそのまま叶うんです。美人の彼女がほしいとか、お金が欲しいとか、あれが食べたい、こうなればいいのにっていう願望が全部、現実になってしまうんです」


 願いが叶う。それは幸せなことだろう。だが、いま私の前にいる彼は幸せそうには見えない。


「この間、実家から電話があったんです。いつまでも彼女の家にいないで家に帰ってこいって。それで、俺は思ってしまったんです。鬱陶しいなぁ、て。そうしたら次の日、うちが火事になったって連絡があって……。家族はみんなダメでした」


 私はどう声をかけていいか分からなかった。

 この箱にそんな力があるのだろうか。偶然が重なっただけではないのか。


「葬式が終わってから彼女の家で凹んでたんです。彼女は優しく俺を励ましてくれました。でも俺は何も分からねぇのに煩いなぁ。消えてくれよって思ったんです。それからすぐでした。彼女は俺の見ている前で首に包丁を突き立てて自殺しました」

「……そんなこと」


 あるはずがない。だが、その一言が出てこなかった。


「先生。もう、俺はあの箱が怖いんです」


 S君はそう言って研究室から出て行った。私は机に置かれた箱をしばらく眺めていた。

 翌日、私は箱をもとあった仏間に戻しておいた。Y君にS君がしばらく研究室にこないことを言うと複雑そうな表情をした。生徒が一人いなくなっても日々は流れていくもので秋が終わり冬が来ると次の催し物が始まっていた。私はその準備に追い立てられS君や箱のことは気になりながらもいつしか忘れていた。イベントの中で私は簡単な挨拶をして、壇上を下りると足を引きずった老婆と目があった。


 それは間違いなく家主のお婆さんだった。私が会釈すると老婆も頭を下げた。表は生徒や客でごった返していたので私は彼女を連れて奥の仏間に入った。


「ご盛況ですね。ご活躍は新聞で見ました」


 お婆さんが嬉しそうに微笑んだ。私は頭をかいて「おかげさまで」と答えた。正直にいって古民家再生の一環としては成功していました。仏間も展示に使ったパネルや資料が乱雑に置かれていて、私は少し申し訳ない気持ちになった。


「すっかり散らかしてしまいました」

「活気があっていいじゃない」


 老婆はパネルなどを興味深そうに覗いていたが、仏間の端に置かれていた箱を見て露骨に嫌悪をしめした。それは間違いなくシアワセバコでした。


「この箱はなんなのですか?」

「……先生はこの中身を見ましたか?」


 お婆さんは箱をじっと睨んだまま私に訊ねました。私が黙って首を左右に降ると老婆は箱に手を当てると寄木を器用に揃えると箱が音もなく開きました。


 箱を覗くと荒々しい造りのヱビス様がにこやかな表情でこちらを見ていました。それは不吉とは真逆でひどく福福しい様子であった。これがS君を追い詰めたのか、と思うと私はひどく不思議な気持ちになりました。


「父の代にそのヱビス様はこの家にやってきました。随分と御利益のあるもので願えばたちまち叶う、そういう話でした。確かにそれは願いを叶えてくれました。我が家の財や土地。すべてはそのヱビス様がくれたものです」


 お婆さんの語気は淡々としていましたが、どこか悲しげでした。

 それほどの御利益があるのならどうしても持って行かなかったのですか? と、訊ねようとして私は気づいた。S君は言ったのだ。


『頭の中で思ったことがそのまま叶うんです』


 例えば、お金が欲しい、という願いが叶ったとして、そのお金が家族の誰かにかけられた生命保険であったり、邪な行為によって得られたものだとしたら素直に喜べるだろうか。


「試しに、なんでもいいからそのヱビス様に願ってみてください。すぐに叶いますから」


 老婆はそう言って箱から取り出した木像を私の手の上に置いた。ヱビス様がこちらを見て微笑んでいた。私は妻の声が聞きたい、と思った。とくになにか意図があったわけではないがそう思ったのだ。その瞬間だった。ポケットに入れていた携帯が震えた。私は携帯を耳に当てた。


「あなた、お願いがあるんだけど」


 それは間違いなく妻の声であった。妻はこちらのことなど知らぬ様子で私に「帰りに買い物をしてきてほしい」と言った。私は彼女が言う買い物の中身などまったく頭に入らなかった。


「人がいうような良い、悪いなんて理解してもらえませんよ」


 老婆はそう言って箱を私の方へ差し出した。木像を入れろという事だろうと思って私は、そのヱビス様を箱に入れようとして小さな声を出した。箱の中にはギッシリと髪やどす黒く変色した紙が張り付いていた。


「これだけやっても抑えられません。神様は……」


 木像を箱にしまうと老婆は、にこりともせずにそれをまた部屋の片隅に戻した。私はそれをじっと黙って見ていました。


 それからその箱をどうしたって? 

 置いてありますよ。だって捨てたらどうなるか分からないじゃないですか。

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[良い点] 最後の、髪やどす黒く変色した紙を見つけたところでゾクっとしました( •̀ㅁ•́;) こういう、ゾクゾクする静かな終わりが好きです♪ [気になる点] 語り口調が途中から変わったところが、ちょ…
[良い点] ∀・)これは「怖くて面白い」といった感触ですね。凄く不気味なんだけど、絶妙にポップな要素が入っていて、凄く惹きこまれる作品でした。なんでしょう、やっぱりコーチャーさん、発想力の柔軟さがあり…
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