後編
中学校とはこういう最低の人しかいないものなのか、と気付かされた私は心の奥底から失望し、同時に絶望もしていました。
それが原因で、部活に入っていたのにしばらく休むといい半年ぐらい行かなくなりました。部活だけではありません。学校から帰宅しても何事にもやる気が出ず、着替えてはすぐにベッドの中に潜って寝るかゲームでした。
そんな生活をしているせいで勉強にも支障が出てきました。入学当時は難関高校を合格するという意気込みを入れていたのに本当に勉強なんて意味があるのか、という思考をし始めました。
あの日を境に、何事もプラスの思考を持っていた私は真逆のマイナス思考になってしまったのです。
今現在もどちらかと言うとマイナス思考が多いです。
ならば、両親に相談すればいいじゃないか、と思いますよね?
その通りです。両親に相談すれば、話を聞いた両親は学校側に連絡をして謝罪を求めるでしょう。
では、何故全国で起きているいじめは受けている子供が一人で抱え込み、両親がそのことに気が付くのに遅れてしまうのでしょうか?
※今から話すのは、私自身がそうであったから、恐らく私と同じような経験がある人は同じ理由で言わなかったのではないか、と思っています。絶対にそうだとは限りません。
当時の私は中学生。体も心もある程度まで成長していました。成長した自分自身が人に迷惑はかけたくないと大半の人が思い始めます。その迷惑をかけたくないということが両親に相談しないことに繋がってくるのです。
その他にも、反抗期の影響で両親に話しても無駄だと考えている人もいるのではないかと思います。
嫌なことをされらすぐに先生や両親に言っていた小学生の時とは違うのです。
少なくとも、私は両親に迷惑をかけたくなかった為に相談しませんでした。
私の両親は、父が仕事の都合で殆ど家には帰らず、母は家事や仕事でとても忙しそうに見えました。
ただでさえ忙しいのに、そこに私の私情を持ち込んで更に忙しくさせる訳にはいきませんでした。
そして、嫌がらせは段々エスカレートしていき、遂には背中を殴られるなんてこともされました。
これには流石に我慢出来ず、今まで溜め込んできた怒りが爆発しました。今日までのこと、どうしてこんなことをされるのかという疑問、何故私だけなのか、その他諸々……。
この全ての感情と思いを吐き出しました。
——これで何とかなる。
そう思っていました。
しかし、結果はその真逆でいつもの様にヘラヘラと笑いながら、
「何言ってのこいつ?」
その言葉が、私の中の何かを壊した。
狂ったかのように叫び、泣き、この世の全てを恨みました。
何度も頭を壁にぶつけ、壁を蹴り、ペンケースの中に入っていたシャーペンで手を刺したりもしました。しかし、大量出血なんてことはしていないので心配しないでください。
その時は昼休みなので勿論先生はいません。その代わりに、廊下にいた生徒と教室の中にいた生徒が野次馬のように集まってきました。
私が狂ったかのような行動をしても誰一人として声を掛けてくれず、ザワザワとするだけでした。
きっと、ここにいる人達全員が今の私をサーカスでショーをしている道化師を見るかのような感情で見ていると勝手に思いました。
そう考えた途端、急に気力がなくなり腕を枕にしてうつ伏せになりました。
そして、五時限目、六時限目とずっとこの姿勢でいました。この姿勢でいたため、授業をちゃんと受けろと怒られたことを覚えています。そして、その言葉に思いっきり反抗したことも。
もう私の中では、家族やこれからの人生、勉強、上下関係、全てがどうでもよくなってました。
学校が終わり、家に帰ってくると誰もいませんでした。
両親は仕事、兄と妹は恐らく学校。
——これは、チャンスなのかもしれない。
私はそう思いました
自分がこの世からいなくなっても、誰も傷つかないし、逆に気に入らない奴がいなくなってせいせいしたと喜ぶだろう。
そう思い、私は歩いてキッチンに向かいます。そして、包丁が閉まっているタンスから包丁を取り出しました。
自殺をしようとしました。
——楽になりたい。
それはまるで、悪魔の囁きのようでした。
自分の胸に包丁の刃を構え、ちょいとでも手前に引けば体に刺さる程の距離まで近づけました。
その時は以外にも、過呼吸どころか心臓さえ緊張した様子を見せなかったのです。
これで楽になれると思い、手に持っている包丁を引こうとしました、しかし、覚悟も出来てきたのに何故動けない。
何故動かなかったのかはわからなかった。
何故自分は態々幸福を自分から捨てるのか。
ここでもわからないが多発した。
しばらくしてから何故自分が行為に移れなかったのかがわかりました。
——自分では楽になりたいと思っていても、心のどこかで自殺への恐怖を感じていたんだと思います。
遺書も書きました。全てを終わらせたかったのです。
しかし、自殺への恐怖が私の行為を邪魔してきました。今思えば、あの時に恐怖を感じていなかったのなら、私はこの世にはいなかったでしょう。
包丁の刃を構えたまま時間が経過し、兄が帰ってきたところで包丁を元のところに戻しました。この状況を見られれば、確実に母の元に知れ渡って余計やストレスをかけさせると思ったからです。
兄が私のいるキッチンに来てもいつも通りの態度で対応しました。
——今の私では、自殺なんてものは絶対にできない。
またの機会にしようと心の中で決めました。
まあ、その後すぐに様子がおかしいとのことでバレましたけど。
それから案の定母に知られ、何故言わなかったのかで怒られました。その翌日に学校へと連絡してした奴全員を謝らせてくださいと言いました。
連絡した日に先生達が私にた奴らが誰かを聞いてき、正直に答えました。そしてその翌日、放課後に私が言った人達を謝らせるために一つの教室に集められ、あたかも反省したかのような表情で謝ってきました。
そのお陰で、ある一定の人達からの嫌がらせは無くなりました。
しかし、そこまで言われても尚嫌がらせ止めないゴキブリのようなしぶとさを持った奴もいました。転校生からの情報では、今度は影でコソコソと悪口や暴言を言っていたらしいです。
その転校生は、
「それは当時ネットで流行ってた言葉らしい」
とは言っていましたが、絶対に嘘だという確信がありました。
だって、私の本名、その時のクラス、入部していた部活が全て合致していましたから。
しかも、その悪口をネットで調べても流行ってもいないしネット上でそんな言葉は一つも見当たらなかったからです。
丁度その辺でしょうか、私がなろうで小説を書き始めたのは。
元々小説自体は書きたいと思っていました。この地獄の中の唯一の楽しみの一つでありましたから。
当時は、兄がスマホを中学で持った途端に成績の伸びが悪いとのことで私がスマホを持つことを母が許してくれなかったのです。
私の中学校は、スマホを持っていないだけで差別をするは生徒が八割ぐらいいるとてもレベルの低いが学校でした。
中学一年生の時に段々と友達から裏切られ始めたのは、スマホを持っていない奴と絡んでいたら自分も同じような扱いを受ける、とでも思ったからなのでしょう。実際はわかりませんが。
私の家はそういう事情もあるし、それ以前にそこらの小学生にポンッとスマホを持たせられるような裕福な家庭ではないんですよ。
まあ、そんなことがあり受験シーズンのラストスパートになりました。
私は合格の為に勉強しましたが、奴らはそれを邪魔してきました。いえ、あれは私以外の人の勉強をも邪魔したと言ってもいいでしょう。
言い方が悪いかもしれませんが、奴らはあまり勉強しなくても合格できるくらいの私立学校に受験してました。
だからこそ、奴らは受験前にも遊べ、他人のことを考えずに平気で邪魔出来たのでしょう。どうせ、そいつらには邪魔をしたという自覚さえないんでしょうが。
そして遂に公立高校の倍率が発表され、私の志望校は定員割れでした。だからと言って全く勉強しなかったら落とされる可能性もあったので、私は勉強するのを止めませんでした。
——公立受験当日。
緊張の中、私は受験会場である志望校の公立高校へ行きました。そして試験を終え、無事に帰宅しました。
その次の日からは卒業式の練習が始まりました。そこでも奴らは、誰でも一度は間違えるのにそれをクスクスと笑い、正直言うとムカつく以前にまだやるのかと呆れていました。
——卒業式当日。
普段通りに起き、普段通りに学校へ登校し卒業式が始まりました。
卒業式証書授与の時、このクソ中学校からやっと卒業出来るという嬉しさとこの場でも尚私のことを笑う奴らへの憎しみを必死に抑え込むために親指の爪で人差し指をグッと押して堪えました。
席に帰ってきた時に人差し指を見てみると、軽く内出血をしていました。
それから卒業式は進行していき、無事に終了しました。
——早くこの場を去りたい。
その思考しか無かった私は解散後、誰よりも早く校外へと出ました。どうせ、他の生徒は写真やらを撮るのでしょうが、私にはそれ程仲のいい友達なんてのはいないので、いてもただ奴らに最後の最後で嫌がらせを受けるだけでしょう。
それか、私よりも写真のことに夢中になっていて嫌がらせをしてこないかもわかりません。
どちらにせよ、あのまま校内にいても私にはメリットはありませんでした。
——それから数日後……。
受験校の合格発表日が来ました。
結果はSNSなどで上げましたが、無事合格することが出来ました。
この時私は、地獄のような日々が終わるのだとようやく安心することが出来ました。
これが、私の中学校生活の様子です。
どうせ、この文章を中学校の国語科の先生に見せると、
「マイナスなことが多すぎ。もっとプラスなことを書け」
とプラスな思い出が一つもない私に嘘を書けと言ってくるのしょうが、そんな思い出は一つもないから!
それは兎も角、本当に修学旅行でも行くだけ行ってぼーっとして気がついたら終わってたってな感じなんです。
小説を書き始めたのは、今までのこの経験があるからだと思っています。この出来事がなければ、私は何一つ楽しみのない心が死んでいる人間へと成長していたでしょう。
だからと言って、こんな経験をさせられたあの男子集団を許すなんてことはしません。
私は自分では怒らせない限りは優しい性格だと思っていますが、この出来事の全てを許す程優しい奴ではないんですけど。
高校ではこのことを出来る限り思い出さず、心機一転して小説を書いたり、絵を描いたり、家でのんびりしたりと充実した毎日を過ごしたいと思います。
こんなにも長くてつまらない話を読んで下さり、誠にありがとうございます。今の私があるのも、皆様がいるからこそだと思っています。
これからも頑張っていきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。