第3話 羊魔
「そうだよ!悪いか!」
少年……ではなく少女が涙目になりながら言った。声が高いなとか可愛い顔立ちをしているなとは感じていたが、ただ幼いからだろうと理由付けて口調の荒さから勝手に男と決めつけてしまっていた
「いやー、デリカシーないねぇ」
その様子を見ながらシルフィアがくすくすと笑う。どうやら最初から女の子だと分かっていたようだった
「まあ君が気が付いていないのはそれだけじゃなさそうだけど」
そう言うだけ言ってシルフィアは手に持った剣に興味を移し、これ何で出来ているんだろうと手で叩いて感触を確かめ始めていた。どうやら石を探すのは手伝ってくれなさそうだ
女の子と分かった以上、不用意に身体をまさぐる訳にもいかないので、背中側を探すため上着を脱がそうと胸元の留めを外し、フードを脱ぎにくくしてある首元の紐を緩めようとすると、またも少女が嫌そうに暴れだした
「脱がせて何をするつもりだこの変態野郎!」
「いや、変態野郎といわれても……脱がさないと探せないしな」
「くそっ、分かったよ、石は返すからちょっと待ってろ」
そう言って少女は服の中に手を伸ばそうとするが、嫌な予感がしたため再度羽交い絞めにして動きを封じる
「駄目だ、懐に刃物を隠している可能性もある。すまないが、脱がさせて貰うぞ」
そう断ってから、途中まで緩めていた首元の紐を解いてフード付き上着を引き剥がした
「あっ、ちょっと!」
焦っている少女のフードに隠されていたその頭には、右回りに曲がった二つの角と、腰の下まで伸びたふわふわな白い髪があった
その姿はまるで―――
「―――羊?」
「やめろ!見るなぁ!」
上着を脱がす際の一瞬の隙に拘束を解いた少女が、フードを取り返そうと追いすがってくる。それを腕で抑えながら、上着を脱がすのを嫌がっていた原因はこれかと納得する。しかし記憶喪失なので確証はないが、おそらく羊の角や毛は普通の人は生えないはずだ。ということは、人ではない?
「多分その娘は羊魔―――魔族の血が入っているんだろうね」
シルフィアが手元の剣を弄びながらこちらの疑問に答えるように言った
魔族―――とその単語を頭で理解するよりもまず、どうしようもなくその羊の毛の様な髪に興味を惹かれてしまった
「なあ、ちょっとその髪触っていいか?」
「は?お前急に何を言って……」
上着を取り返そうと身を乗り出していた少女を掴んで強引に後ろに向かせると、その体に抱き付いて背中まで覆った髪の毛に思いっきり頭をぐりぐりと押し付けた
「うぉおおおおっ!もふもふしてる!」
「お、おお、お前!何やってんだ!」
少女の狼狽した声が聞こえるが、構わず頭を押し付けて至福の時を味わい続ける。自分でもよく分からないが、このもふもふとした感触をどうしようもなく求めてしまっていた。むしろこのもふもふを前にして何もしないというのはもはやもふもふに対する罪なのではないか?
「なんでも良いけど早く石を取り返してくれないかなー」
シルフィアから呆れた様な声が聞こえてくる。この魅力が分からないとは……悲しい奴だ
「くそっ、離せっ!離せぇ!」
腕の中で少女が両手両足を使って暴れるが、背後を取っている上に体躯の差は大きく、攻撃はこちらまであまり届いてこなかった
「セレム!助けてくれぇ!」
少女が拘束から逃れないと判断したのか、泣き付くように誰かの助けを呼んだ。周囲に他に人は居なかったはず……と思っていると、おおっというシルフィアの驚くような声が上がる
「すごい、この剣生きてるよ!」
反応が気になり、少女に抱きつきながら顔を上げてシルフィアの方を見る。そこには、シルフィアの手の中で剣から姿を変え、青色の液状化した物体が自発的に蠢いている様子があった。
うにょうにょと形を変えるその動きを抑えられず、捕まえていた手から逃げ出され、あっ、とシルフィアが声を漏らす。その物体―――セレム?は、ぶよんという擬音が聞こえてきそうな動きで地面に降り立つと、黒い縦線の様な目をこちらに向けてきた
「セレム!こいつを殺れ!」
少女のその声が聞こえたのか、ぎゅっと縮こまったかと思うと、次の瞬間凄まじい勢いでこちらの顔に向けてジャンプして体当たりを仕掛けてきた
「うおっ!?……あれ?痛くない」
避ける間もない攻撃にぶつかられた衝撃を覚悟したが、その体の柔らかさ故か殆ど痛みを感じない。そのままぶよんぶよんと何度か背中や頭に体当たりを受けるも、特にこちらが痛みを感じることはなかった
「やっぱりセレムの攻撃じゃ駄目か……」
少女がこちらに抱き着かれた格好のまま、落胆して抵抗を諦める。さっきの剣の状態になって攻撃すれば良かったんじゃ……と思ったものの、敢えて口に出すことはしなかった
「いやー、あそこまで完璧に擬態する生物は初めて見たよ」
シルフィアがゆっくりと近付いてきながら言うと、しゃがんで抱き着かれている少女と目線を合わせた
「でもま、このままだと収拾がつかなくなさそうだし、さっさと回収させてもらおうかな」
「もう好きにしろよ……」
ぶっきらぼうになっている少女を見て満足そうに笑ったシルフィアは、上着の中に隠されていた少女の服の後ろのポケットに手を伸ばした
「確かさっき返すって言ってた時ここら辺触ってたよね……あった!」
そう言って少女の服の中から取り出したのは、あの半透明の光る石だった。改めて見ると光の加減によって七色に輝く神秘的な輝きをしていて、石というよりも水晶と言った方が近いのかもしれなかった
シルフィアはその石が無事なのを確認すると、はい、とこちらに差し出してきた
「じゃ、後はこれお願いね」
言われた通り受け取ろうと手を伸ばすが、ふと気になって一つ疑問を投げかけてみる
「よく分からんのだがこれは俺が持っていたほうが良いのか?価値の分かっているお前が持っていたほうがいいんじゃないか」
「いや、これは元々君のものだし、そもそも僕は君の力でシルフィアという方向付けをされて顕現しているだけで、本来は現世に存在してないはずのものだからね。存在しえぬものが物を所持するっていうのはおかしいだろう?」
さも当然のように抽象的なことを話すシルフィア。そうは言っても実際ここに存在しているだろうが、と思ったがどうせまた屁理屈こねられるだけだろうし口には出さないことにした
相変わらず要領を得ない説明だが、ひとまず石は受け取って元々入れていた腰回りのポケットに入れておく
「もう取られないようにしてね、大事なものなんだからさ」
受け取ったのを見てシルフィアが満足そうに笑うと、さて、とひとおきしてから言う
「―――じゃ、僕は消えるから後はよろしく」
「ちょっ、ちょっと待った!」
用事は終わったとばかりにいきなり居なくなろうとするシルフィアを、慌てて引き止める
「何?ピンチは助けたから用事は済んだと思うんだけど」
シルフィアが不満そうな顔で腕を組みながらこちらを見下ろしてくる。確かにシルフィアの用事は終わったかもしれないが、こちらの問題は山済みのままだ
「そうじゃなくて、お前は俺が記憶喪失になる前を知っているんだろう?俺が何者だったのかとか、そもそも何故記憶喪失になったか知っているなら教えてくれてもいいだろ」
「うーん……どうしようかな」
何故かこちらの質問に対して回答を渋るシルフィア。俺が自分自身の過去を知るのは不都合があるのだろうか
「記憶を失う前の君は、ある使命を背負って行動していたんだけど……詳しくは秘密にしておこうかな」
「それは何故だ?」
「君は自分では気付いていないと思うけど、ひどく傷ついていて本来の力が少しも出せていない。君が記憶喪失になった原因もそれさ。だから君が為すべきことはそれが回復してからにしたほうがいいし、それまでは不用意に手を出さないよう知らないでいたほうがいいと僕は思っている」
「その使命というのはそんなに俺の根幹を成すようなものなのか」
「多分ね。僕は君自身じゃないから実際はどうだったかわからないけど」
「ふむ……」
シルフィアの言うことも理解できないことはないが、これだと実質的に何も説明してもらっていないのと変わらないようなもので、納得する説明とは程遠い。せめて自分のアイデンティティに繋がる情報が何か一つでも欲しかった
「せめて名前と使命に関わらない素性ぐらい教えてくれてもいいだろう。出身地とか」
「それもひ・み・つ♪生まれ変わったとでも思って新しい人生を歩んでみるのも良いんじゃないかな」
「えぇ……」
困惑していると、その間に再度引き止める間もなくじゃーねっ、と手を振って小さな竜巻を身にまといながらすうっと消えてしまった
風の精だけあって風のように移り気で、やることなすこと素早いやつだった
『―――君のことはいつも見てるからさ、名前さえ呼んでくれればいつでも助けてあげるよ』
再度直接頭に響く声が聞こえた。今度はずっとフランクな口調ではあったが
まあ、側に居るというのならばもう一度聞くタイミングもあるだろう。自分が何者か分からないということについては、ひとまずこの森を抜けるまでは深く考える必要はないと思うことにした
「で、いい加減離してくれよ」
と、羊魔の少女の口から不満が漏れる。つい羊の毛の感触が気持ちよくてずっと抱きついたままだったのだから当然の要求かもしれない
「もう石は諦めたし抵抗はしねぇよ。森の出方を知りたいって言うなら教えてやるからいいだろ?」
少女からの提案はこれ以上なく望んでいることであったし、嘘をついているようにも感じられなかった。そうは頭で理解しつつも、ついつい少女の羊毛の髪に目がいってしまう
「お前の言うことはもっともだし、そうしてくれると助かる。だが―――」
「だが?」
不思議そうに聞き返す少女に、そのまま後ろから強く抱きついてそのもふもふな髪に頭をこすりつける。ああ、なんという幸福感!
「すまん、このもふもふに抗えそうにない!うぉおおおおおっ!」
「あああああああああっ!!やめろぉおおおおお!!」
森の中、嫌がる少女の絶叫がしばらくの間響き渡っていた
その傍らには、理解していないのか呆れたのか、我関せずといったような姿でふよんふよんと液状生物がゆらめいていた