1:邂逅―そして彼等に出会った。
◇
夢を見た。一目で悪夢とわかるようなどろどろしたものじゃない。でもそれは確かに悪夢だった。
俺はその中で意味の解らないものを沢山みた。
びりびりに裂かれた生徒手帳
白い花
涙で歪んだ女の顔
ひっくり返った机
蒼白く光るモニター
膝を抱えて泣く男の子
仁王立ちで見下ろす女の子
白い仮面
嘲りの表情で辺りを囲む
ひびの入った写真立て
ひびの入らない殻
外から叩くは……
そして響き渡る女声
「自*****て*****なさ*****た*****が*****じゃない!」
ぇ……何……?
◇
俺が気付いたら目の前に見知らぬ天井が見えた。
くぐもった騒音が絶え間無く響く。時折振動が駆け抜けた。
あれ、何か、この天井低くないか?大人は立てないよな。これじゃ。と、漠然と思った。
『気が付いた様だぞ。』
『……裕紀……ゆう、き』
『急いで***』
『***が***』
幾つもの知らない声とよく知っている女の声。
おい……そんなに泣くなよ。正直泣かれたくないんだ。
声を出そうとしても声は出なかった。ひゅーひゅーと空気の漏れる音ばかり。
おかしい。俺は別に体に異常があるわけじゃないのに。
体の痛みも今は何処か遠いものになっている。言うなれば、フィルタ越しみたいな感じ。フィルタといえば映像もそうだ。曇りガラスから部屋の中を見る様な歪んだ景色。
ものとものの境界、輪郭、か?それがぶれる。曖昧だ。
『***、***。』
……耳もか。くそ、嫌な世界だ。どうしたら治るんだろうか。寝たらなおるかな。
……うん。寝よう。
『裕紀……生きてるのよね?ねぇ、裕紀……』
おやすみ。起きたときに健康だといいな。
「あれぇ、セッカク気付いたのに、また寝ちゃうんですか?」
幼い声。フィルタ越しじゃない明瞭な声。……誰?
「目を開けて下さいよぅ。わたしが見えるでしょう?」
言われるままに目を開けると、俺の頭上に何かがある。
人形?
その人形は、よかったですよぅ、気付いて。とか言っている。
丸い顔にひらひらの服、頭に輪っかがついている。
天使だ。天使の人形。下から手を入れる、操り人形。
「ホント、このまま死なないでよかったです。」
さっきからよかったよかったと繰り返す天使は、動きこそ手を擦り合わせてみたり、顔を振ってみたりと嬉しそうだけど、表情はそうじゃない。
そのガラスの瞳は俺を映すだけで、なんの輝きもないし、口はぱくばくと動くばかり。人形だから当たり前なんだけど、嫌だ。嫌な感じがする。
多分その嫌悪感が露骨に剥き出しになったのかもしれない。天使は淋しそうな仕種をして引き下がった。
「すまん。こいつが変なことしたか?」
横からの声の後、顔が覗く。瞳の見える薄いサングラスをかけた、ぼさぼさ頭の男の顔。
「いや……と、言うよりあんたは何だ?」
「何だ、はご挨拶だが仕方ないよな。」
こんなナリだしな。と呟いて男は紫煙を吐き出した。
左手で。右手にはさっきの天使がはまっていた。
おい、ここは……と言いかけた俺を男が手で遮る。
「お前さんの言いたいことは解ってる。」
それでも男は紫煙を燻らす。わかってんなら止めろよ。
「でも俺は他の人には見えないからな。だから大丈夫。」
「は?………」
「ちなみに、今お前さんは他から見ると気を失ってる。」
話しが見えん。
「キミ、ゆっくり呼吸を整えて下さい。」
幼い声が割り込む。
男がだらんと下げた右手からその声がする。天使が声に合わせてひょこひょこ動いていた。見事な腹話術だな。とぼんやり思いながら、見ていると、
「……ハイ深呼吸ぅ。2回短く吸ってぇ、1回長く吐くぅ。」
吸ってっ吸って、吐いてぇ、と天使は宣った。
「ハイ、ひっひっ……」
「ちょっと、その呼吸法だと生まれるよ?!生まれちゃうよ?それ!確かに此処、救急車だけど!」
……?、きゅうきゅうしゃ?って救急車?!
え?何で?俺、どうした?
「どうしました?」
天使が首を傾げる。
つまらなそうにしていた男の顔が真剣だ。
やばい。頭が混乱する。痛い。痛い。体より、頭。
思い出せ、俺に何があった?動け海馬、光れシナプス。
頭痛!止めよ頭痛!
と、そこに男が手をかざした。
「ま、無理矢理思い出してもいいことはない。」
ゆっくりやろう。と男が言う。
まぁいいか。此処が救急車なのは確かだし、だったら俺は事故にでもあったんだろう。おいおい判っていくさ、と言う男の言葉を信用しよう。
◇
救急車が病院に到着した様だ。振動が徐々に収まり、がっくんと完全に停止する。幾つもの手が俺に伸びて、運び出す。
・・・・・・?ちょっと、俺は?おい、置いて行くなよ!
あろうことか俺の体は俺を置き去りにして運び出されてしまった。
体中に何本もついているチューブとその先の袋が妙に目に付いた。
「行っちまったな。」
男がぽつんと言った。
「な、ど、どういうことだ・・・・・・」
のどの奥から搾り出すようにして声を出す俺。
「なぁ、なんていったら言いのか・・・・・・」
歯切れの悪い男。
「おい、俺だけ体から抜け出して、これってまるで・・・・・・」
「そう、キミは一度死んじゃったんですよ。」
あっけらかんと言ってのけたのは天使だ。こらこらと男が天使を嗜めているけれど、俺にはそんなことどうでもよかった。
俺は、死んだのか?そんなことならもっと亜里沙に善くしてやればよかった・・・。
もっと親孝行してやればよかった・・・。
もっと目一杯遊びまくればよかった・・・。
折角17年間も生きてきたのに、ここで終いか・・・?
人生悔いが残らないように生きろって言うけど、そんなの無理だよな・・・。
当時はよかれと思った選択も、後から見たら酷いもんだよな・・・。
てか何でこんな安っぽい後悔しかしてないんだ?!俺は?
一人で葛藤してると、男がしぶしぶといった感じに説明しだした。
「まぁ、正確に言うと死んではいなんだ。言うなれば仮死状態?危篤なんだよ。お前さんは。」
一気に言ってから紫煙を吐き出す。
「俺はお前さんの黄泉路の案内人ってことだ。」
そうでもしないと迷う奴が多いからな、昨今は。と唸る男。
「って事は死んでないんだな?」
仮死とか危篤とかはどうだっていい。重要なのはいま生きているかだ。
“為せば成る”生きてりゃいいこともある。
「まぁな。でも生きちゃいない。お前さん次第だな。」
それって俺の心次第で未だ生きれるってことか?
「それは、どうやって?俺はどうしたら生きられる?」
意気込んで捲くし立てる俺を、男は五月蝿そうに眺めた。
「ハイハイハイ、ちょっと待って下さいねぇ。」
幼い声がして、同時に俺の顔に天使が覆い被さって来た。
「そいつの言う通りだ。ちょっと待て。」
勘違いするなよ、とその目が告げる。
俺をしっかり見据えて、でも何の感慨もない瞳で。
人を射抜く空虚の瞳、例えて言うなら、それは銃口の様だった。
薄暗い、無機質な、光りの差さない瞳。
「お前さんは、『死んでいるのか』と問うのか?それなら答は否。死んでいない。『生きているのか』と問うのでも答は否。生きてもいない。」
医学的に言うなら仮死とか、お前さんの様に危篤とかかな。と男は付け足す。
「あなたに生きる意思があって、それを提示出来るのならば、『生きる』かもしれません。逆もまた然り、ですけどね。」
横から天使がにこやかな口調で俺の先程の胸の内の問いに答える。
しかし、そこまで聞いて急速に疑心の闇が広がる。
男と天使が天上から来たっていうなら、俺の死亡は決定的なのだろうか。という疑問が。
天上って言うのはつまり全知全能の神サマがおわします処で、そこから男が来たなら、それは俺の死が決まっていたからに外ならない。
だったら如何に抗おうとそれは無駄だ。
そこまで考えた結果、俺の口から飛び出したのはこんな問いだった。
「それは……運命な、のか?」
どんな答を期待していたのだろう?
是と言って欲しかったのか?
幾年も前からの決まり事なら、諦めると?
今までだってそうだった。
子供のときから、何もかも運命の所為にしてきたんだ。
だったら今回もそれでいいじゃないか。
でも、その都合のいい言い訳は、今回ばかりは俺の味方じゃなかった。
「そうじゃない。」
え、と思わず顔が上がる。
見ると男は両手で何か手帳を覗き込んでいる。
ちなみに右手は天使だ。
口で器用に手帳の一端を掴んで|(咥えて?)いる。
「昨日、新たにお前さんの名前と死因、時間とかが浮かんできたんだ。」
もとから書いてあった名前を押しのけてな。と男は言う。
・・・・・・それってどういうこと?
思いが顔出ていたのだろう。天使がもごもごと説明する。
けど、聞き取れない。見事な腹話術だなぁ。
「つまりは、予想されていた未来じゃないってこった。」
ってことは、
「運命じゃないってことか?」
思わず口を衝いて飛び出した言葉に男がじろりと俺を睨んだ。
「まぁ、そういう言葉も存在するな。」
吐いて捨てるような言い方。
カチンとくる暇もなく、天使が喋り出した。
「未来って言うのは、色々な事柄が絡み合って出来るんですよぅ。だから、何が起こるかは正確な意味では全然判んないんです。」
だからぁ・・・・・・と続ける天使と男の声が被った。
「詳しい説明はまた後で、だ。取り敢えず移動しよう。」
声を被せる――同時に二つの声を出すなんて、そんな腹話術があるんだろうか。
声質も全然違うしなぁ。
この期に及んでそんな事を考えた俺はおかしいのだろうか。
でも解らないことはしかたがない。いまは一先ず俺の置かれた不自然の説明を受けよう。
取り敢えず男の提案通り、俺たちは救急車から出た。