ある魔術師は模索する
エーテルの存在が確定したのは二年前のことだ。
しかし、自然に存在するマナの存在が明らかになっただけであって、体内で生成するオドの作り方は明らかになっていなかった。科学に当てはめるなら、自然金はあるが、鉱石から金を取り出すことはできない、といった具合であろうか。
さて、この状況の意図するところは簡単に言えば、呪術師と魔術師の間に生まれた確執だ。
長い間求め続けたユートピアへ至った呪術師達と、未だにディストピアに彷徨い続けている魔術師は、国からの待遇すらも変わってきていた。魔術師達はおもしろくない。
今までは、環境に依存しないことから、むしろ好待遇であったのが、今となっては総スカンである。
テロに及ぶ過激な者、研究のために引きこもる魔術ジャンキー、今までと全く変わらない無神経な奴、対応は様々であるが、大半の者に刺激になったのは明らかである。
「苦いなぁ……」
代用コーヒーを口に含み、黒の髪をした少年は小声で呟く。目線は、今朝羽ペンで羊皮紙に書き殴った、図形や計算の結果に向いていた。
二回深く吸って五回浅く吐く独特な呼吸法をしながら、自分の肩に飛び乗ってきた黒猫の喉を撫でる。
「死ぬだろうこれ。間違いなく」
呼吸法によって生成した火のオドによって、小さな炎を起こして羊皮紙を燃やす。黒猫は慣れているのか全く動じず、主人に頬をこすりつける。少年ももはやどうでもよくなって、猫と戯れながら横になった。
窓から差し込む西日の眩しさに、数回寝返りをした後、彼は体を起こした。時間感覚を持たずに生きているとはいえ、昼を無駄にするとどこか損をした気分になるものだ。残りの昼を楽しもうと、もそもそと仕度して、行動を開始する。
職人が終業し、昼の商人も夜の商人も店を開く、もっとも活気がある黄昏時の市場――笑い声から怒声まで響く人の波に飲まれると、生きていると強く感じる。
もしかしたら、これこそがエーテルなのかもしれないと、まるで妄言のように脳裏によぎり、しかし否定する。そんな適当なものではないであろうし、それなら既に見つかっているだろう。
なーう、と猫の声が聞こえた。驚いて視線を落とすと自分の黒猫だ。猫は人よりも賢いと前々から思っていたが、ここまで縛りがないと羨ましく思う。
人は行動も感情も自分で枠組みを決めすぎているのではないか、だから頭が悪いのだと。そこまで考えたところで少年は違和感を覚えたが、結論に至る前に美味しいものを食べてどうでもよくなった。けだるそうに黒猫はもう一度鳴いた。
日もすっかり落ちて、酒屋と娼館くらいしか開いていない刻となるが、どうにも家に戻る気にはなれなかった。
十六、この世界では間違いなく大人であるし、魔術に身をやつした時点で縛りなどはないも同然なのだから文句は言われない。しかし道は物騒であるし、酒屋に行っても彼は下戸だし、娼館に行く金はない。
郊外ならば派手に花火を打ち上げるような遊びも可能なのだが、如何せん大都市であるため事件になること必至である。
やはりやることもなく、何故か今日はやたらと懐いてくる黒猫を撫でながら、星をつないで絵を作る。
……不規則に動く惑星も含めて、自分だけの一夜限りの星座を想像する。一つ作って飽きた。
夕刻に買ったジャーキーの余りを右肩に座する黒猫に与えながら、でオドを作る。松明代わりにするためだ。
「未だにそれで火を作っているのか」
馬鹿にしているのではなく、軽口をたたくような口調が降ってきた。茶髪で高身長、一見イケメンなのだがよく見るとそれほどでもないその男は、少年の同胞であった。動物に懐かれないことが特徴であり、黒猫座も隠れてしまった。
「心臓制御は汎用性が低い。それでエーテルに至っても呪術師の連中と変わらないじゃあないか」
「ふむ、一理ある」
茶髪の男は楽しそうに笑った。いや、へらへらしたと言った方が正しいか。同じ師の元で励んだ頃から変わっていない、彼の悪癖だ。
数拍の沈黙後表情は一転、オンの時の顔付きとなる。オフの彼は腹立たしいが良い奴だが、オンの彼は理想に執着して無理矢理でも掴もうとする、太古の魔法使いそのものであって薄気味悪いものがあった。
質問が飛ぶ。
「同志フィー、おまえは汎用性の低いものではあるが、師匠よりも早く見つける才能があった。お前の理想と不一致であるのは周知の上だが、教えて欲しい」
「同志カイ、僕は同胞を殺したくはないのだが」
沈黙が落ちる。異変を感じた猫が騒ぐ。黒髪の少年フィーはしぶしぶ口を開く。
「同志カイ、死なないことを約束しろ」
「あたりまえだ。本末転倒はしないさ」
「相分かった。羊皮紙を貸せ、それに書く。文句は答え合わせをした上でしか受け付けない」
カイは懐から新しい羊皮紙を出し、フィーに渡す。
羽ペンで図形や数式を書くこと数分、エーテルへ至る道を手に入れたカイは一言、「感謝する」と述べて去って行った。
とくに何もしていないはずなのに今日は疲れた。オンの時のカイと話したのが精神にきたのかもしれない。明日はオミクロン師匠の元に行って、ヒントだけでも探そう。完全な独学では限界がある。
夏が近づいてくるとともに行動する気が削がれていく。
魔法というものは温度を上げることは第一元素で一発なのに、下げる方になると第二元素の応用とかになってしまって限りなく面倒くさい。
エーテルならば一発で出来るのだろうか。第二元素で出来るということは不可能な気がするが。
嗚呼、夜だから季節を忘れていた、しかし、行くと決めた以上は行かねばならぬ、アポイントメントはとっていないのだから行く義務は生じていないが、今行かないと多分半年は動かない。
市場を抜けて、裏路地に入り、突き当たりの酒場の裏口から入って中庭に抜け、向かいの壁に掛けてある梯子を登った先にオミクロン師匠の教室がある。
梯子を登った先は一見ただの物置にしか見えないが、これはちょっとした悪戯のようなものだ。
「師匠、フィーです。お時間よろしいでしょうか?」
一声かけると物音一つたてずに壁の一部が開く。
固体を動かす、つまり第四元素「土」の魔術であり、ただでさえ難易度が高い。しかもそれを無音でやるとなると、摩擦を消すために風も併用して使うのだから、術者の技量の高さが分かるだろう。
オミクロンは非常に高名でありながら、名誉は欲さず、しかし研究費のために賞金はきっちり貰うような人物だ。
名前は知られているものの姿を知るものは少なく、生ける伝説のような魔術師である。術者としても、研究者としても、教育者としても非常に優れていて、師事する者も多い。
白髪こそ多いものの肌の艶もよく、背筋もピンと伸びているため若々しく映るが、しかし彼は皇国の魔術師の中でも指折りの高齢だ。
機能性に優れた質素な椅子に腰かけた彼は、弟子を視界におさめると人のよさそうな笑みを浮かべる。
フィーが礼をすると、よいよいと諫め座るように促す。少年が素直に従うと、満足そうに頷き、
「久しぶりじゃな、フィーよ。元気にしておったか?」
「お久しぶりです、師匠。自分は身心健康そのものです。師匠こそ年なのですから、ご自愛ください」
「弟子に心配される程老いてはおらぬ。さて、フィーよ。聞きたいことがあるのじゃろう?」
相変わらず聡い人だ。
(いや、質問以外で来ることがほとんどないのだから当然か。)
住み込みに近い形で師事していた時代と変わりないことに不思議な安心感を覚えつつ、フィーは施されるままに質問をする。
「エーテルの、安全な作り方のヒントはないかと思いまして」
オミクロンは納得したように頷く。
「分かっていたら公表しておる。さて、危険な作り方については『机上の空論』としては出ているが、それはフィーよ、そちらでもわかっておろう? さて安全な作り方は、皆目見当がつかぬ。しかしこれは予想に過ぎぬが、わしよりもおぬしの方が掴んでいるのではないか?」
その回答は、前半は予想しえたことであったが、「自分の方が近い」と正面から言われて弟子は思わず面喰ってしまう。その様を微笑ましく思いながら、老魔術師は続ける
。
「エーテルは曖昧なものじゃ。それこそ、日常に転がっているかもしれぬぞ」
師に礼をして、立ち去る。日常に転がっている、その違和感にフィーは酔いそうになった。かつて感じた「なにか」が答えなのかもしてないが、それを思い出すことは叶わなかった。
頬に冷たいものを感じて目を覚ますと、自室の固いベッドであった。
思考の深淵に落ちていて、どこまでが思考でどこからが夢か境界が曖昧だ。
覚醒したことで生理的な欲求を思い出し、黒猫が頬を舐めてきたのは食事を要求しているのだと察する。こういうときのためにしまっていた干し魚を取り出そうとするが、知らぬ間に漁られていたようで、小さな盗人を睨みながら、自分用のパンを半分与える。
美味しい、と。無自覚にも余程腹が減っていたのか、固いパンですらフィーはそう思った。
――二ヶ月程経過した。季節はすっかり夏となる。
オルカ=レニア皇国の夏は、蒸し風呂の中にでもいるような気分になると外国人は言う。しかし、そこで生まれ育ったカイにとっては、暑くて不快だとは思うが、気にしていたらキリがないと切り捨てられる程度のものであった。
問題はそれではない。
フィーから聞き出した方法は、どうにも命を懸けないと無理らしい。師匠にも聞いたが、同様の結果を示された。
心臓の停止を五分以上継続し、かつ自身は生命力に溢れていなければならないらしい。
正攻法では死ぬか失敗するかの二択になってしまう。
訓練は重ねているが、精々一分が限界で、それでも川の先の花畑が見えたことも多い。
「そこまで無理をするか? 他の道を探した方が近いのではないか?」
最初は自問かと思ったが、どうやら外部の声であるらしい。
カイはその姿を認めると吐き捨てるように言う。
「怠惰の塊である貴様には分からないだろう。しかし、それは師匠やフィーのような人間の近道だ。俺はこれの方が早い」
「まあ、そうかもしれない。しかし、心拍コントロールは体のペースを乱したり、逆に完璧な正常にする技術だ。停止させるのは魔術から逸脱しているのでは?」
「貴様も魔術師ならばエーテルを掴みたいだろう。シグマ、何故進まない?」
シグマと呼ばれた青年は自嘲的な笑みを浮かべて、答えは返さなかった。
そのころフィーは違和感のきっかけを掴みつつあった。他の元素のことも踏まえると、エーテルも感情を使うと仮定できるので、それの抽出方法を模索する。
従来の方法では駄目だろう。曖昧なものだからこそ第五元素なのであるが、つまり取り出すのが限りなく難しい。
オドの作り方は大きく分けて二つ。理論型の「誤変換法」と、直結型の「再変換法」だ。
前者は呼吸法や心拍操作によって生命力になるエネルギーを誤変換する方法。
後者は特定の記号的動作によって一度生命力になったものを再変換する方法。
誤変換法は数学のようなもので、工夫すれば新しいものも机上では作り出すことが出来る。しかし、エーテルは実現不可能な結果が出てしまった。
だからこそ、再変換法でのやり方を探さなければならないのだが、こちらは第一、第二、第三、第四の元素ですらバラバラであり、偶然見つかったものだ。
否、一応のヒントはあるのだが、結びつけるのは何もない砂地で砂金を探すように困難だ。
ならば、今までよりも不透明なエーテルは未だに深い闇の中にある。
ただ、恐らくは、感情をもとにすれば良いのだと思う。再変換の統一性として、感情を使う。バラバラなのは記号。
「怒りは火、楽しみは風、悲しみは水。これらは誤変換が簡単だから再変換は主には用いない」
自分で確認するように情報を言葉にする。
「でも土は半々だ。恨み妬み、そういった複雑な不の感情……」
そうだ。
これは最大のヒントだ。
あとはもう、呪術の領域も組み合わせて無理矢理エネルギーにしてしまおう。呪文や呪符を使って強制的にひねり出す。
エーテル、固定化、実体化、体の保護……それらを示す呪符を使い、呪文を紡ぐ。
我が喜びのこころ 美味なるものを口に含む至上 やわらかい寝床で横になる快楽
人々の活気に触れて 人々のやさしさに触れて これらを物に出来ようか
否 出来ないはずはない 固定化された実体となれ 第五元素たるエーテルよ
一かける十を、一たす一たす一たす……とでもいうような汚い呪文。
それは確かに効果をなし、しかし、無理矢理であったため暴走する。生命力が枯渇する。
息が詰まるような錯覚を覚え、心の臓が刻むビートが感じられなくなる。
心も蝕まれ、喜びが消える。
怒りも、楽しさも、悲しみも、恨み妬みも、きっと恐らくエーテルは感情領域全てを使うのか。
成る程理解した。
理屈で言えば理解した。
しかし、生きていられるかどうか。カイに死ぬなといった割に、自分が別の方法で死んでは意味がないだろう。
黒猫が呪符を荒らしてくれれば、そう思うがいないときに始めたのは自分だった。邪魔されないように、と。
諦めた時、扉が開いた。開けた者の対応は滑らかであった。
以下命ず 生命回復 術式解除 現状維持 以上施行せよ
属性に依存しない術の行使。これは解除などの限られた術であり、その貴重な技術の使い手をフィーは知っていた。
「シグマか……」
「お前も無理をするのか。死ぬぞ」
「予想外だったんだよ。しかし、よくこのタイミングで来てくれたね」
シグマは曖昧な笑みを顔に張り付ける。
恐らくだが、彼は怠惰なように見えて他のことをやっているだけだとフィーは思う。自分で研究するのではなく、人の研究の情報を集めて、最後の結論だけ自分でやるタイプなのだ。
その後ろからカイもひょっこりと顔を出す。死にそうなのはお前じゃないかとられ、反論につまった。
数分後、落ち着いたフィーはシグマの行動原理や、何故カイまでいるのかといった、諸々の疑問はどうでもよくなった。なぜなら、
「四までではない、元素を感じる!」
体の中に残留するオドに、新たなものがある。それはエーテルしか有り得ない。
三人の男たちは純粋に、悔しそうに、素っ気なく、思い思いにそれを理解し歓喜した。
世界はまた一つ変わった。