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歴史還元の亡国騎士  作者: mask
還元の始まり
8/68

〈反撃〉

「リーシア様。これを」

 アークと別れてから一刻。大陸最東の地――キンカンの港。ここから船に乗れば極東へと至ることができる。リーシアたちは手頃な船を三隻確保し荷物を運んでいるところであった。そこにリーシアの兵が手紙を渡してきた。

「これは!?」

 手紙はアークから宛てられたものであった。内容は幼馴染として共に過ごしてきたこと。今回の戦のこと。彼が遭遇したという過去へ飛ぶ力。そして、

「私の過去……」

 そこに記されていることは簡単には信じられることではなかった。笑えない冗談だと思った。だが、此度の戦いは彼を信じることが出来なかったからだ。リーシアは思った。前回の私は彼を信じてあげられたのだろうか。それとも今の私とおなじだったのか。

 自らの不甲斐なさに目の前が涙で滲んでしまう。

 手紙を涙で濡らしていると、ふと、手に温もりを感じる。目をやると誰かが彼女の手を握っていた。背はリーシアの胸辺り、麦わらで編んだ鍔広帽子に白いワンピースを着ている。女の子だろう。少女は俯いていた顔をあげた。

「――!?」

 少女は両目の色が違っていた。右目は赤く燃える様で、左目は青く澄んでいる。麦わら帽子からこぼれる肩までの髪は完全な黒ではなく毛先にいくにつれて翡翠色になっていた。

 少女を見てリーシアは畏怖の念を抱いた。自分より背が低く、年端もいかない少女を騎士で力のある彼女が恐れるはずはない。だが、目の前にいる者はこの世のではない場所から来た感じがしたのだ。

「あなたはどうしたいですか?」

「……えっ?」

 突然の質問に言葉が詰まる。私が何をしたいのか? 

 そこでリーシアはあることに気付く。アークの手紙に書いてあったことが本当ならば、もしかして――

「私を過去に連れて行ってくれるのか?」

「本当にいいのですか? あなたの未来は繋がりました。あなたは歴史に残れます。この結果は彼の願いです」

 少女は無表情に鈴のような声で淡々と告げる。

「アークがくれた今だとしても私は要らない。私は、私が生きたいと思える今に生きる」

 だから、とリーシアは少女を見据える。握っていた手紙はクシャとつぶれた。

「私を彼の許へ」

 リーシアの言葉に少女はとてもうれしそうに笑った。

「喜んで。では目を閉じてください」

 言われるままに瞳を閉じる。そして開ける。そこは――

「戻ってきたのか?」

 彼女の記憶と同じ世界。ミリタ大平原の天幕前。戦前にアークと語らった場所。そこに今いる。

「リーシア……なのか?」

 恐る恐る問いかけてくる声にリーシアは向いた。

「アーク……また出会えたな」

 別れた彼に再び出会え、リーシアはうれしさのあまり抱きついた。

「ちょっ、お前!?」

 ここは馬上。ふたりは仲良く落馬した。



「ヤバい。折れたかも」

「す、すまない」

 落馬した二人はリーシアの天幕に居た。アークはリーシアを抱きとめようとしたが、勢いを殺せず鎧を着ているリーシアの下敷きとなってしまった。今はその治療をしている。

「本物なんだな?」

「ああ、私だ」

 目端に涙を溜めているアークにリーシアは苦笑した。

「だが、未だに信じられない」

 だって、とアークは俯き唇を引き結んだ。それを、彼が紡げない言葉を彼女は繋ぐ。

「私はガイナスに捕縛され、そして首を落とされた」

 アークは驚きで目を剥いている。なぜ知っているのかと。

「リーシアは……お前は死んだ。俺も死んだ。それならこの世界は何なんだ? なぜ、あの時にいるんだ?」

 混乱しているアークは訝しげに彼女を見た。いや、彼女の後ろに隠れている少女にであった。

「そういえば、お前は声しか聴いていなかったのだったな」

 リーシアは少女の背を押す。

「リオンというらしい。私も先程知ったのだがな。かわいらしいだろう?」

 屈み、リオンと背丈を合わせリーシアは微笑む。だが、アークは怪訝そうな顔をする。それに気が付きリーシアは同じく訝しがったが、すぐに得心したかのように笑った。

「すまん、すまん。声を聴かないと判らんな」

 自らの失態に恥ずかしげに頬を掻く。しかし、アークの言葉に呆然とする。

「リオンって誰だよ。そんな名前知らないぞ」

 アークが眉根を寄せる。

「えっ? だって――」

「リーシアさん」

 リオンが遮り、リーシアの耳元で口を開く

「今のアークさんは過去に戻った事実はありますが、私の存在を知っているのは戻った後です。それに彼と話すリオンはここにいます」

 なるほど、とリーシアは何度も頷く。

「さっきから何をしているんだ?」

 目を細めてアークはリオンを睨む。リオンはそれに怯むことなく受け止める。

「アークさん。あなたは今、リーシアさんの過去にいます。」

「リーシアの?」

「はい。しかし、あなたの過去でもあります」

「俺のでも?」

 アークはなんとか理解しようと眉間を押さえている。

「アークさんがリーシアさんを、リーシアさんがアークさんを救うために過去へ跳びました。ここに未来を知る者が二人。何をしたいですか?」

 結局、理解できずに唸っていたが、最後の言葉に決意を込めた瞳でリオンを次いでリーシアを見据えた。

「俺はこの戦いを変えたい。そしてリーシア、お前を助ける」

 彼の言葉にリーシアは恥ずかしそうに俯くが、顔をあげ決意を語る。

「私は今度こそ君を救う。絶対だ」

 リーシアは拳を前に突き出す。それに応えてアークは自らの拳を突き合わせた。

「まずはどうするんだ?」

「君の話によるとワイズ卿が裏切るのだったな」

 アークはまた目を見開いた。

「だから未来から来たのだって言っただろ」

 ああ、とアークは得心したようだ。

「やはり、王に進言すべきだろう」

「だけど俺たち下級の騎士の言葉を信じるだろうか」

「確かに私たち二人が行っても会わせてくれるか怪しいな」

 腕を組んで唸る二人。そこに手が上がる。リオンだ。

「二人ではなければいいのですか?」

 呆然とする二人にリオンは微笑んだ。そこへ、

「リーシア様!」

 天幕に転がるように赤髪の兵士が何人か入ってきた。

「リーシア様、幻術が! 悪魔の技です!」

「みんなが、死んだ奴らが生きています!」

「我らは呪いでも貰ったのでしょうか!」

「落ち着け!」

 興奮気味の兵士たちをリーシアは一喝した。

「どういうことだ? リオン」

「みなさんもお連れしました」

 リオンは無い胸を張る。

「そんなことができるのか!?」

「人がいたほうが便利かと思いまして。これで証人が増えましたね」

 この時間に跳んだのはリーシアを含めて百人ほどらしい。確かに増えた。だが、下級騎士の兵士が増えたところで変わらない。ただの性質の悪い噂程度にされてしまうだろう。 

リーシアは再び手段を思考する。

「よし、いますぐ向かおう」

 単純な思考のアークにリーシアは嘆息した。だが、リーシアも聡いわけではなく何も考えつかないのだから嘆息する他ない。

「しかたない。参ろう」

 そして本幕。若き現国王への謁見。先王が四十という若さで亡くなり弱冠十三で即位。現ファラスの最高権力者である。だが、その若さ、そして女ゆえに権威が弱く女王ではなく王と名乗っている。しかし、良しとせず傾城転覆を狙う領主が幾人も挙兵した。これの討伐中、ガイナスが兵を動かし、辺境のワイズ領に侵攻、半月でワイズ卿の城は奪われた。これに全ファラス領主は意見を統合、一致させ国王の命に従い派兵。しかし、敗北。この戦いでファラス軍は半壊。これで国王の権威は皆無に等しくなり、多くの領主が離反してしまった。それから国王は精神を病むようになったという。

「何用ですか?」

「報告したき件があるので参りました」

 兵は本幕の外に待たせてアークとリーシアは床机に座す若き国王に跪く。

「顔を……あげよ」

 生気のない声に顔をあげる。二人の目に映ったのは白に統一された簡素なドレスを着こむ妙齢の女性。そして、その隣に座す金装飾が施された甲冑を身に着けた国王。国王の顔は少女の幼さがあるが、虚ろな瞳は深海のように蒼く深い。

「発言を……許可します」

「率直に申し上げます。残念ながら我が軍には裏切り者がいます」

 本幕内に緊張が奔る。人々の視線を受ける中、アークは続ける。

「裏切り者はワイズ卿。敵と裏で関わり――」

「待ちなさい!」

 アークの言葉を国王の横に控えていた白ドレスの女宰相が遮る。

「あなたの言はなんなのですか。これから戦だというのに、軍を疑心暗鬼に陥れさせるおつもりですか?」

 女宰相は眼光を鋭くする。

「証拠はあるのですか? 書状なり信頼における証人などは?」

「ありません。ですが、今はいりません」

 リーシアが同じように眼光を鋭くし静かに反駁する。

「どういうことですか?」

 訝しげに問う女宰相。リーシアは本幕に入る直前で頭に浮かんだ作戦を消えぬ様に焼き付ける。

「ある方法があります。ですが、それを行うには陛下の許可が必要なのです」

 リーシアは両膝を付け、頭を傾ぐ。だが、アークがそれを止めた。

「この作戦をどうか受け入れてもらいたい」

 国王の昏青い瞳を見据える。

「残り一刻」

 女宰相は鋭い瞳を伏せる。

「騒ぎを起こさずにできますか? それと、あなたに責任はとれますか?」

 女宰相が再び開いた瞳は問う。アークはそれを笑う。

「もちろん。ワイズ卿の裏切りが起こらなければ、虚偽の報告として、この首を飛ばしてもらっても構いません。ですが私が申したことが真実だったのならば、一つだけ、望みを叶えてもらえませんか?」

 アークの言葉にリーシアは目を剥いた。直前のことだったのでアークには作戦を伝えてはいない。それなのに彼は自分が責任を取ると言い出したのだ。

女宰相は目を伏せる。

 本幕内に静寂が支配する。しかし、それはすぐに変わる。

「俺もその案を知りたいな」

 本幕に騎士が数人参る。

「「ザラスさん!」」

「よう、ひさしぶりだな。二人ともデカくなったな」

 黒髪を刈上げた騎士ザラス。彼はクライスの子息であり親に似て快活な人物である。アーク、リーシアが子供のころ彼に従騎士として仕えていた。そのとき剣術を教えてくれた先輩騎士だ。

 彼の他のも見知ったような顔の騎士がいる。

「どうなされました?」

 女宰相が一同を見回す。

「それがな。俺の兵の何人かが、ある噂をしていてな。これが実に不可思議だったので周りの領主たちに相談したら、そこでも同じ噂が回っているらしい」

 な、とザラスが周囲の騎士に同意を求める。騎士たちもそれに頷く。

「その噂とは?」

 女宰相の問いにザラスは顔を渋らせる。

「それが……未来から来たっていうんだ。最初は俺も含めて戯言だと思い、そいつらを笑っていたんだが……そいつらが近い未来を言い当てたんだよ」

 ザラスの語りに周りの騎士たちは何度も頷く。

「そうですか。……陛下」

 女宰相は瞼を閉じ頭の整理を終わらせ、国王の前に跪いた。

「託そう。……この者に」

「御意」

 女宰相が立ち上がりアークの許に歩み寄る。

「あなたの覚悟は承知しました。許可致します。申し上げなさい」

 ミリタ会戦まで後一刻――歴史は既に変わっている。



 騎士二人が本幕から出てくる。一人は栗色短髪の若い騎士が不安げに、もう一人は小太りな中年の騎士が肩を怒らせて歩いている。

「どういうことだ。我々の隊が突出した場所に配置されるなど。これでは死にに行けと結われているも同じ。やはり、愚王であったか」

「落ち着いてください。王にも策があるのでしょう」

 なだめようとする若い騎士にキッと睨む。

「黙れ! 貴様のような下級の騎士に何が分かる?」

 この言葉に若い騎士の心に怒りがふつふつと湧いていく。だが、ここで騒ぎを起こしては後々面倒になる。そう考え黙ってその場を去る。中年の騎士が酒樽をひっくり返して何か言っているが無視だ。

 若い騎士は思考する。先程、本営に呼ばれ隊の配置換えを伝えられた。戦を始める予定の半刻前に、だ。そして、配置される場所が第一陣の前。重装歩兵の前だ。これでは味方に背中を突かれ、敵との板挟みになり隊は壊滅する。それを理解していて出したものなら、これは――

 ラッパが高らかに鳴る。もう時間だ。

「小細工はできないか」

 若い騎士は自分の隊に向かう。自らの未来を案じながら。



 教会の黒服修道者が何か叫んでいるがアークの耳には届かない。それほどまでに彼は緊張していた。他の騎士たちは既に配置についている。今のところ騒ぎは起きていないらしく、策の第一段階は成功したらしい。だが、本番はここからである。

 前方で鬨の声が上がる。……いや、違う。怒号だ。誰かが叫んでいる。ざわめきが第二陣、そしてアークたち第三陣まで伝わる。散らしていたアークの兵の一人が彼の前に跪く。

「報告します。ワイズ卿の兵士が刃を第一陣重装歩兵部隊に向けました」

「そうか。ご苦労」

 兵士は頭を下げると隊に戻る。

 第二陣の部隊が動く。作戦は進んでいる。

「このままいけば、いける」

 アークは期待に胸を膨らませた。

「第三陣出るぞ!」

 騎士が声を荒げる。アークも腹の底から声を張り上げた。

「アーク隊、突撃!」



「まずい、非常にまずい」

 栗色短髪の若い騎士は突出した配置にされ、それを伝えると兵たちは浮足立った。そのせいで今、彼らは私の指揮を離れてしまった。そして、死んでいく。私たちはもう助からないだろう。だが、死ぬわけにはいかない。ここで死んでは約束が……。どうにかしなければ、しかし、

「このままでは――」

「おい、お前」

 ワイズは思考の波から一気に引き上げられる。声の方を振り向くと、目を見張った。

「貴殿がワイズ卿で相違ないか?」

 声の主は長い赤髪を黒いリボンでうなじに一本に結わえた銀鎧の女騎士。問いかけてはいるが、彼女の双眸はまるで獣のようだ。すでに正体は、ばれているだろう。

「確かに。私がデューク・ワイズだ」

 デュークは自らの得物である鉄槍を地面に突き刺す。リーシアは朱槍の穂先をデュークに向ける。

「なぜ、国を裏切った?」

 憤然としリーシアが一歩詰め寄る。

「なぜ……だと?」

 デュークはリーシアの言葉に憤る。俯き、心をなんとか鎮めようと奥歯を噛み締めるが、止められなかった。

「先に裏切ったのは貴様らだろ!」

 デュークに睨まれ、リーシアは戦慄してしまう。彼の瞳が人間のものとは思えないほど闇に染まっていたからだ。

「ガイナスが攻めてきたとき、国は何もせずにただ傍観していただけではないか!」

「あれはガイナスが唐突に攻めてきたからだ。すぐに軍は貴殿の領地へと向かったではないか」

 リーシアはデュークの言に反駁する。だが、デュークは頭を振る。

「確かに軍は来た。だが、その軍が何をしたか知っているか?」

 昏く、虚ろな瞳でデュークは嗤った。

「あいつらは奪った。食料を、住む場所を……そして人権を」

 リーシアは息をのむ。デュークの言が信じられなかったからだ。――軍が人権を奪った。それはつまり、

「軍の奴らは助けはせず、私たちのものを冒し、侵し、犯したのだ。自分たちの利益のために」

「そんな馬鹿な。私が知らされた話と違う」

 リーシアは国王直属の騎士団と辺境国領主の兵で編成された軍がガイナスに占領された地の奪還だった。だが、士気の低いファラス軍は大敗。軍の半数が死傷したと聞かされている。しかし、話が真実ならば状況が変わってくる。

「騎士団はどうした? 彼らまでもが加担したのか」

 デュークの瞳に少しだけ光が見えた気がしたが、すぐに闇に戻る。

「彼らは良く戦っていました。必死に領民たちを救おうと奔走してくれた」

 ですが、とデュークは鉄槍を引き抜く。

「ガイナス軍四十万、そして辺境国の屑ども十万。勝てるわけはないですよね? まあ、半壊で済んだのだから騎士団は優秀だったのでしょうね」

「嘘だろ……」

 リーシアは二の句が継げなくなってしまう。辺境国の領主たちは大敗後に離反したのではない。初めから裏切っていたのだ。

 リーシアの心の中に怒りがふつふつと湧いていく。自然と朱槍を握る力が増す。そして歯噛みする。彼女が信じていた国はここまで汚れていたことに。だが、同情はしない。

「おまえを倒す。さすれば未来は変わる」

 怪訝そうな顔をするデュークに肉薄する。槍と槍が交差し、競り合う。力は互角、いや背の高いリーシアの方が少しばかり押している。

 力では勝ち目無と判断したのか、リーシアの腹部を蹴り、後ろに跳ぶ。蹴られた衝撃でリーシアはたたらを踏むがすぐに構え、対象を見据える。栗色短髪の騎士デュークは甲冑ではなく胸甲、肩当てや手甲、鉄靴など重要な部分だけを守る軽装の上に外套を羽織っている。狙うべきは頭部か腹部。リーシアは朱槍を両手で握り穂先を後ろに向け左腰まで落とし、奔る。間合いに入ったところで薙ぐ。デュークは鉄槍を顔の横に鉛直に構え防ぐ。再び競り合うかと思いきや、リーシアは朱槍から手を離し、拳を引き、唖然とするデュークの無防備な腹を突いた。

「かはっ――くっ……ううぅ」

 鳩尾を打たれ膝を屈し呻くデューク。リーシアは朱槍を拾い、顔をあげたデュークの喉許に突きつける。

「早く……殺してください」

 デュークは苦しそうに、しかし晴々とした表情をしていた。先程までの瞳に闇はなく光があった。でもリーシアには諦観に感じた。

「これで解放される。皆にはすまないが先に逝く」

 デュークは朱槍を掴み、自らの喉に当てる。だが、リーシアはさせまいと抵抗する。

「何をしているのです? 早く貫いてください」

 目端に涙を溜め、懇願するデューク。それでもリーシアは抵抗をやめない。彼女も瞳が潤んでいる。

同情はしないと決めていた。でも、彼女は殺せない。いや、殺してはいけないと思ったからだ。

「投降してくれワイズ卿。命を捨てることはない!」

 デュークの心に届くように声を張り上げるが首を縦に振るおうとはしない。

「もういやなのです。一人で泣くのは疲れました」

 デュークは朱槍から手を離し、腰巻に括り付けていたナイフを逆手に持ち掲げた。

「死ねぇぇぇ。裏切り者があぁぁ!!」

 獣のような吠えにデュークの動きが止まった。リーシアは吠えの正体、デュークの後ろに目を向ける。そこにはデュークとともに配置された小太りの中年騎士――ラース卿が恐怖で顔を歪ませ剣を掲げていた。

 間に合え、リーシアは朱槍を突いた。届くように。守れるように。



「このぐらいか」

 迷彩服の男は周りを見渡す。彼の周りは彼の部隊――特殊戦士部隊が制していた。前方にはまだファラス兵が槍衾を作り、こちらの様子を窺っているが別にかまわない。犠牲を払ってでも崩さなければいけないわけでもない。

「退くぞ」

 剣を腰に収め、迷彩服の男は踵を返す。彼の部下たちも追撃を睨みで抑えながら従う。

「良かったの? 勝手に退いて」

 兜を脱ぎ灰色短髪を掻あげ、黒甲冑女のユリマラが心配そうに迷彩服の男の顔を覗く。

「大軍勢同士の戦いはほとんど小競り合いで決定的な一打がないかぎり終わり、膠着する。砦を包囲している部隊が仕事を終わらせればこちらに来る。それから本気で攻めた方が効率は良い」

「ふ~ん。でも戦況が互角ということは、あいつは失敗したかな」

 ユリマラはファラス軍の奥を見据える。予定ではガイナスの協力者が後方攪乱、そして赴いているはずの国王の暗殺をする手配だったが、失敗したなら別にそれでいい。ファラスは身内に裏切り者がいることを知り、疑心暗鬼に陥るだけだ。それにこれは本命の策ではないらしい。ユリマラは改めて迷彩服の男を尊敬した。そして憧れ、慕う。

 ラッパの音が鳴り響く。どうやら今日の小競り合いは終わりらしい。

「な、言ったとおりだっただろう?」

 迷彩服の男はユリマラに向けて微笑む。それにつられて彼女の頬は緩む。

「そうですね。トオルさん」


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