〈敗走〉
――ファラス軍右翼側
「ぐはっ!?」
槍に貫かれファラス兵が地に伏す。
「はっはっはっ。ファラスの軟弱な兵ども、我が愛槍の錆となれ」
熊のように大柄な黒鎧のガイナス将は兜を被らずにファラスの兵をまるで子供をあしらうように蹂躙していた。将の強さにファラス兵が狼狽する中、一人の騎士が馬を駆けガイナスの将に朱槍を向けた。その騎士の姿を見、ガイナス将は嘲笑した。
「ファラスは女人まで戦わせるほど、憐れとは」
「うるさい!」
リーシアは兜からはみ出した紅髪を風に揺らしながら将に朱槍を打つ。
将はそれを難なく愛槍で受け止め、力一杯に振った。
「なっ!?」
朱槍ごと弾き飛ばされリーシアは馬上から地に叩きつけられた。鎧を身に着けているため、怪我はなかったが背中からの衝撃により肺の酸素が奪われた感覚に陥る。
なんとか手を地面につけ体を起こすが鼻先に槍の穂先が突きつけられる。将は一度愛槍を引き、突きを放つ。
リーシアは朱槍で突きの軌道を逸らす。槍は右に逸れ地に刺さる。その隙に足腰に力を籠め後ろに跳躍する。
敵将は愛槍を引き抜くと槍を大上段に構え肉薄した。槍が上から迫り柄でそれを受け止めるが膂力で片膝を地に付けてしまい、鉄靴が軋みを上げる。
「ぐははは。結局は女人。貴様らは、ガイナスに降り奴隷として生きるのだ」
「――くっ……この下衆があああっ」
足に力を込める。槍を下ろし、肩に受ける。肩透かしを受けたことに驚愕した。だが、それだけでは終わらない。槍を肩に当てられていたリーシアが消える――消えたと錯覚するほど姿勢を落としたのだ。そこから朱槍で足を掃う。すると大柄の敵将はいとも簡単に背中から倒れ、そこへ朱槍が眉間に向かって突き立てられた。
「無……念」
朱槍を引き抜き、振るうことで血を掃う。
その光景を見ていた兵たちは――味方は歓喜し、敵は戦慄した。
「敵を薙ぎ払え!」
「うおおおおっ――」
槍を敵に向けて吼える。それに連れられて兵たちも鬨の声をあげる。
気圧された敵は背を向け逃げだす。リーシアの隊はそれを追撃した。しかし、それが失態だった。
敵が散り散りになり逃げ惑う姿に勝利の興奮を覚えてしまい、冷静さを欠いてしまっていた。敵は潰走しているように見えて、違っていた。散り散りになった隙間から柵が窺えた。
「放てー!」
柵の隙間から木の杖が飛び出し、火を噴いた。
木の杖――マスケット銃から放たれた鉛玉は兵たちの体を穿っていく。
「――!?」
それは例外なくリーシアにも襲った。
頭に直撃し兜が飛び、視界が白くなる中なんとか踏み止まる。俯くと地に赤い花が一輪、二輪と咲いた。どうやら衝撃を抑えきれず頭を怪我してしまったらしい。
「リーシア様! ご無事ですか?」
「あ……ああ」
頭を打ったためか返事が緩慢になってしまう。
顔を上げると、世界は凄惨だった。
「あ……そんな――」
先を駆けていた者たちは既にほとんどの者たちが息絶えていた。生きている者も虫の息である。
「これが……マスケットの……力……」
有り得ない、リーシアはそう思った。あの一瞬で自分の隊、約五分の一が戦闘不能にまで陥ったのだ。しかも〝百メートル〟も離れたここで
「リーシア様。ここは退きましょう」
「しかし――!?」
朱槍を取り、再び駆けようとしたリーシアを押し止めようとした部下の兜が銃声とともに穿たれ血を吹き出した。
他の部下の布の服に革鎧を身に着けているのと違い、彼は自分と同じくらいの強固な鉄の鎧兜を身に着けていたはずなのに、鉛玉一発でこの世を去った。
目の前で部下の惨酷な死を見せられ恐怖に錯乱したリーシアは腰が抜け、立ち上がれなくなってしまった。後方に居た別の部下が動けないリーシアを引っ張り、何とかマスケットの有効射程から退こうとする。
敵の全ての兵が柵へ退いたかと思うと次は矢が降り注いできた。銃弾によって疲弊していた兵が次々に貫かれていく。これまででリーシアの兵の三分の二が死に絶えた。
「我らが抑えよう。リーシア殿は態勢を立て直すのだ」
リーシアの隊が退くのと入れ替わりで別の領主の隊が突撃した。
「駄目だ。行っては――」
リーシアの制止の声は、銃声によって悲鳴に変わる。
轟く銃声によってリーシア隊、壊滅。他三つの隊が潰走した。
右翼四隊が崩れると、柵から先程まで退いていた敵兵が再び突撃してきて逃げるファラス兵を屠っていった。
頭の怪我で少しずつ血を失い意識がもうろうとする中、部下に抱えられリーシアは何とか立ち上がる。朱槍を振り、残った自らの部下とともに敵を抑える。だが数が倍以上違い包囲されてしまった。
「これで終わりか……」
生まれてから王に仕えるために日々修練を重ね、女子らしいことをさせてもらえなかったのは忍びなかった。だが騎士になってからは騎士として死ぬのが本望になっていた。
リーシアは高々と槍を掲げる味方を鼓舞するように。リーシアは槍を前に突き出す。敵を威圧するように紅の髪を風に流す。黒い双眸で敵を睨み命令する。
「突撃!!」
それは玉砕覚悟の戦いだった。槍で貫き、剣で斬り進む。策はない。ただ死ぬまで戦い続けるだけだ。リーシアは死を覚悟し、敵と斬り結んだ。
周りの味方が殺される中、リーシアは少しずつ壊れていた。それは頭の出血が原因かもしれない。でもそれ以上の原因があったのだろう。
敵の血、味方の血がリーシアの顔や鎧を染め、腰まで届く長い髪はより一層、赤に近づき炎が揺らめいているようだった。
「喚け、叫べ、慄け、そして死んでしまえ!」
血で血を洗う闘争の中、リーシアは――嗤っていた。朱槍を突き、薙ぎ、払う。敵の血が頬を濡らすたびに悦んでいた。その様は、まさに修羅だった。
「ははッ……はははははッ!!……はッ――」
既に敵兵は彼女を包囲している。だが目の前の惨状、そしてこれを惹き起こした少女に戦慄してしまっていた。
ガイナス兵が槍を向けたまま固まっていると、リーシアから表情が消える。彼女の周りには敵も味方も死屍累々となっていた。銀の鎧は赤黒く染まり、朱槍の穂先からは血が滴っている。
遠くで銃声が響く。ファラスの兵を無残に殺した忌まわしき武器だ。リーシアは死の音の方向を見据える。
闇にでも飲み込まれたかのような黒い双眸。それに睨まれた敵兵は腰を抜かしてしまった。だが、彼女が見ていたものは違う。視線の先、敵の後方に翻る旗が目に留まった。
「金の鷲……!?」
翼を広げた金の鷲が風にたなびいていた。
「リーシアぁぁッ――!!」
吼えながらこちらに向かってくる一団。その中に一騎駆けしてくる人物がいた。
リーシアには遠目でも正体が判った。彼だ。
彼――アークが敵とリーシアの間に割って入ってくる。
大丈夫か?と、アークが馬上から降りて抱いてきた。急なことで闇に染まっていたリーシアの心が羞恥に変わった。
「な、ななななにをしている!?」
耳まで赤くなっているリーシアの無事を確認すると、手を掴み馬まで引っ張ろうとする。
「お前は馬に乗れ」
「何故、私が?」
お前を救うためだ、こちらを向かずにアークが答える。
私を救うため? アークは私を助けに来てくれたのか。リーシアの心に温かいものが湧いてきた。だが、あることに気付く。リーシアは握られていた手を振りほどいた。
「どうして……どうしてお前が、左翼はどうした?」
リーシアは剣呑な眼つきでアークを睨む。アークは逡巡したが振り返り戦場で起きていることを告げた。リーシアは膝を折ってしまった。仲間から裏切りが出るとは思っていなかった。だから、アークの言葉を信じずに一蹴した。その結果がこれだ。
リーシアは乾いた笑いを上げ、瞳を潤ました。
「そうか……私の所為なのだな」
リーシアは朱槍を握り直し、立ち上がった。その瞳に涙は既になく微笑んでいる。アークはそれに危うさを感じずにはいられなかった。幼馴染の彼には判る。彼女は――
「私は残る。だから……お前は逃げてくれ」
これでは前回より彼女の死が早まってしまっている。
(俺の選択は間違っていたのか? いや、そんなわけはない)
アークは去ろうとするリーシアの肩を掴み自分の方を向かせる。
「俺はもう見捨てない」
訝しがる彼女のこめかみを手刀で殴打した。元々出血の所為で朦朧としていたところに受けたため、彼女の世界は揺らぎアークに抱えられて意識を手放した。アークは気絶した彼女を馬に――さすがに女性とは言え甲冑を纏っているので部下に力を借りて乗せ、自らも彼女が落馬しない様に腕の中に寝かせ跨った。
馬を奔らせクライスの許に戻る。そこでは既に決着がついていた。強襲により敵のマスケット部隊は壊滅。こちらも十数名が戦死を遂げた。事実上敵のマスケット部隊を中心にした左翼は半壊。だがその場に敵影は既になく、潰走はせずに味方左翼側へと回っていた。そちらでは、もう金の鷲は羽ばたいていない。
領主の誰かが自軍の天幕の方向を指して叫んでいたが、アークにとってはどうでもいい。彼は幼馴染のリーシアを救えたのだから。
「ガイナスに降るしかないかのう」
クライスがアークと轡を並べる。
「ご子息は?」
「討たれたらしい」
クライスは面頬を上げると遠くを見つめた。つい先程まで激戦となっていた最前線。今ではガイナスの軍旗――双頭の赤竜が立っている。話によると左翼後方の敗走が原因で最前線に孤立。奮起するも戦死、生き延びた部下がクライスの許まで辿り着いたらしい。
周りで蹂躙された戦場を見ている領主たちは甲冑を脱ぎ始めている。これから降伏でもしに行くのだろう。
アークは自分の腕の中で寝ているリーシアを見つめ、そして悩んだ。彼女を救い、死を迎えるはずだった将兵たちも助け全滅になることもなくなった。だが、この後は何も考えていなかった。前回と同じように敗残兵を束ねて一矢報いるべきか、それとも周りの領主とともにガイナスに降るか。
アークは頭を振り、考えを追い出す。彼は過去の経験からどちらを選んでもリーシアを救えないことは自明だった。
リーシアの紅髪を指で梳く。彼にとっては愛おしい色だが、ガイナスでは赤毛は異端で魔女として処刑されてしまう。ならば逃げるしかない。東の島国、極東が安全だろうか。思考して何時までも指示を出さないアークに不安を覚えたのか部下が呼びかけてきた。アークは鷹揚に答えながら馬の方向を変えた。
「城へ戻る。ついてきてくれ」
「王城に、ですか!?」
部下は有り得ないとでもいうような顔をした。
「ファラスは此度の戦いで負け、もう未来はありませぬ。ここは他の領主に倣って降るべきかと」
部下の言う通り、このまま城に戻り籠城しても一週間も保てないだろう。降ることの方が賢明だ。しかしリーシアが生きている限り、彼にそのような選択肢はなかった。
譲らないアーク、先に折れたのは部下の方だった。不承不承了解し、アークの兵、リーシアの敗残兵千余りが東へと行軍を開始した。他の領主たちは彼らの後を追おうとはしなかった。