〈鏖殺者〉
新たな敵が現れたのは敵軽騎兵隊が空けた穴からだった。数はおよそ二百の小勢。だが彼らの身なりは周りのガイナス兵の一般兵装と違い、布の服に甲を身に着けた傭兵然とした兵士たちだ。服のどこかにはガイナス兵を示す双頭の赤竜が刺繍されているので間違いない。
「あの部隊は!?」
ルナが彼の軍の登場に目を見開く。
「知っているのか?」
アークの問いかけにルナは苦虫を噛み潰したように呻く。
「あれは、特殊戦士部隊。私が協力していた部隊です」
ルナが仇のように睨みつける部隊をアークもともに見据えた。
実は彼は特殊戦士部隊を見たことがあった。だが、それは前回死んだアークであり、今のアークは丘の戦いで彼の部隊と戦っていないので初見だった。
敵は軽騎兵隊と合流して歩兵だけの特殊戦士部隊が各々の得物を振り回し、槍衾で対抗するアークの兵に襲い掛かる。
槍兵たちは一心不乱に突き続けるが身軽な特殊戦士部隊の兵士たちは走り回って翻弄し、長柄武器である彼らを次々と討ち果たしていく。その間を縫って軽騎兵隊が再びアークたちに突撃してくる。
「来るぞ、ルナ!」
「はい!」
八百の敵に挑む覚悟決めた二人と彼らの兵士の許に鬨の声が響く。
敵味方が一瞬だけ殺意を消して声の方を向くと九百ほどの部隊が向かってきていた。その先頭を駆ける騎士はアークのよく知る人物。
「アーク!」
「リーシア、無事だったんだな」
赤髪の部隊を率いる彼女は軽騎兵隊の横っ腹を突き崩して乱戦へと持ち込んだ。
アークはリーシアの部隊に注意を向けた敵騎兵隊に自らも突っ込んだ。
馬上同士の戦いで相手の得物も剣であった。アークは敵と刃を打ち合わせて鍔競り合いに持ち込むと、力で押し切り落馬させて次の相手と相対する。その相手は剣で腕を払い、空いた腹に剣を突き刺した。苦しげな表情で血を吐き出す軽騎兵から剣を抜くと自然に落馬する。
剣から血を払うと、アークは周りに目を走らせた。乱戦の中、リーシアは朱槍で敵を貫き、ルナはハルバードの小斧で敵の服をひっかけて落馬させていた。
リーシア隊のおかげで軽騎兵隊は不利を悟ったのか退き始めた。アークたちが、そこで一息ついていると悲鳴が上がった。
「ば、化け物だあッ!」
声の方を向くと兵士たちの間から人が見えた――ローブを着た黒槍の兵士が。
「う、があ」
ファラス兵は腹から背まで突き刺された黒鋼の槍を呆然と見つめることしかできなかった。
黒槍の兵士は鉄靴の底でファラス兵の胸を蹴飛ばし、黒槍を引き抜く。
「はあ~、同じような兵士ばっかりですね。飽きちゃいました」
「貴様あぁッ!」
周りでは仲間を殺されたファラス兵たちが恐怖を押し殺して黒槍の兵士に槍を向けて駆けた。
「邪魔」
一人目――突き出した槍を難なく躱されて前に倒れそうになったところに左の手甲で後頭部を殴打される。
二人目――これまた突き出した槍を今度は穂先を左手で捕えて根元をへし折られ、唖然としているところに黒鋼の槍で腹を貫かれる。
三人目――槍が味方に突き刺さっている間に次の兵士が背後から槍を振り下ろす。しかし、槍が黒槍の兵士にあたる前に彼の頭が宙を舞った。
四人目――突撃しながらも味方の首が目前に跳び、恐れで足が鈍ったところに三人目の首を刎ねた黒鋼の直刀が飛来して胸に突き刺さる。
五人目――彼は騎士だった全身を強固な鎧で包み、自慢の剣で大上段から黒槍の兵士へ切りかかる。が、黒槍の兵士は黒鋼の槍から右手を離して左手で刃を受け止める。驚く騎士の左横に回り後ろ蹴りで膝を崩す。背中を強く打ち付け呻く騎士。黒槍の兵士は彼の頭をフルフェイスごと踏み砕いた。
何度も。何度も何度も。嗤いながら。
「ユリマラああッ!」
ルナが吼えて馬上よりハルバードを振り下ろす。
だが案の定。右の手甲に阻まれる。
「あら、ルナさん。会えてうれしいですよ」
旧友に再会したことを喜ぶようなユリマラにルナは斬って捨てる。
「私はそうでもない」
ハルバードで圧し続けられる凶刃を気にもせずにユリマラはフードを脱ぎ去り微笑む。
「また、私たちの許に来ませんか?」
「お前たちのところにだと!?」
「はい。今ならまだ、あなたの家族や領民を助けられますよ」
ユリマラは笑みを深く刻む。ルナは怒りと悔しさが混じり、手の柄に力が増す。
「脅しのつもりかあッ!」
「そうですよ。十分な交渉材料でしょ」
ユリマラは左手でハルバードの柄を握ると、片腕の力だけで引っ張る。馬上より引き摺り下ろされることを危惧したルナはハルバードから手を放す。だが、それは間違いだった。
「しまっ――」
奪ったハルバードでその場で一回転、凶刃が牙を剥いたのは今度はルナにだった。
ルナは大きく目を見開き動けずにいた。
「怖がらなくてもいいですよ」
小斧の刃はルナの眼前で寸止めされる。
「返答は待ちます。ですが、それまで――」
刃を引いたユリマラはハルバードを肩に担ぐと表情を消した。それは普段からヘラヘラと人を小馬鹿にしたように笑うユリマラを知っているルナにとって、それは――
「あなたの仲間を殺し続けます」
戦慄に値した。
「そうですね。手始めに……」
ユリマラは獲物を探し、嗤った。
「あの騎士を殺してみますか」
ユリマラがハルバードの穂先を向けたのは剣を構えて彼女を見据える黒目黒髪の青年騎士――アーク・ユースティス。
「ルナさんはそこで見ていてください」
「ま、待て!」
ルナの制止を聞かずにユリマラは地を蹴った。数メートルの距離を一瞬で肉薄した彼女は両手で柄を握りハルバードを振りかぶった。
「はあアッ!」
アークは上段から剣を振り下ろして迎え撃った。
甲高い音が鳴り響き、ギリギリと金属同士の擦過音が戦場に広がる。
「さすがに一兵卒とは違いますね。ですが弱い」
ユリマラが得物を振り切ると押し負けたアークはわずかに退く。そこへ一度獲物を引き穂先を向けて突きを放つ。
「・・・・・・あれ?」
ユリマラはアークの心臓を狙った。だが穂先は彼の鎧まで届かなかった。小斧が何かに引っ掛かり止まっていた。邪魔した者をチラリと見るとユリマラは感嘆したように声を上げた。
「へぇ~、まさか災厄の赤髪が騎士として存命しているなんて驚きました」
「たとえ災厄と罵られようともこの朱槍で人を救えるならば本望だ」
朱槍でユリマラの突きを受け止めながらも笑ってみせた。
「いえいえ、私は尊敬しているのですよ。赤髪の一族、かつて大陸の二割を征服した戦闘民族。常人をはるかに凌駕する力を有すると。ですが少しばかり残念です。私の一撃に余裕をなくしていますから」
「それなら見せてやる!」
リーシアは足に力を込めて踏ん張り、ユリマラのハルバード押し返した。そして腰に朱槍を溜めてユリマラの胴に向けて一閃。
「おおっ危ない」
ユリマラはそれを左の手甲で受け止める。本来なら刺し貫かれるはずの手は黒鋼で完全に防がれる。
「残念ですね。これで終わりです、災厄」
今度はユリマラの番だった。ハルバードを同じように腰に溜めて刺し貫く。
ガキイィィィン
「――・・・・・・ほう」
ユリマラは今度こそ驚きに目を見開いた。
「よくできましたね、それ」
ギチギチと金属同士が擦れ合う。ユリマラの突きの刃は”リーシアの肘と膝”で挟まれていた。
片足でも動じずにリーシアは答える。
「鍛えているからな。これぐらい何ともないさ」
互いに攻撃を防ぎ、防がれて動けないでいるとユリマラが何かを察して目を瞠り、潔く得物を捨ててまで振り返った。
再びの金属音。
「後ろから女性を襲うなんて……卑怯ですよ?」
「戦において卑怯だと? おまえらガイナスの方が卑怯じゃないか!」
交差された手甲で防がれた剣に力を込めてアークは吼えた。彼の言葉に不機嫌そうに首を傾げる。
「戦ではなく道徳的な意味で訊いたのですが……災厄、槍で後頭部を狙うのは――」
今度は反対に首を傾げる。顔の横を朱槍の穂先が掠める。灰髪が数本はらりと落ちる。
「あまり良いとは言えませんね。頭部の骨は固く丸いので狙いが少しでもずれれば殺傷率は下がります」
そう講釈垂れながらも手甲でアークの剣戟を防ぎ、身体を逸らすだけでリーシアの突きを躱す。二人を嘲笑いながら。
「あなたたちは武器を振るうことには慣れていても人殺しは下手ですねぇ」
二人がかりで剣を朱槍を拳を蹴りを多様に使って攻めようとも灰髪の少女は全てを逸らして逆に一打を放ってくる。その攻撃は甲冑を身に着けている二人のからだに響き渡った。
決定打を撃ちこめない二人にユリマラは嘆息する。
「騎士二人がかかってきても傷一つ負わせられないとは」
アークの上段からの斬撃を左手で止める。
「あなたは動きが単調で狙いが読めてしまいます」
掴んだ刃を引き寄せる。だがアークは倒されまいと重心を後ろに移動させる。そこで彼は気づいたユリマラの笑みが深まったことに。
彼女が握り込んだ黒き拳がアークの鳩尾を突いた。その衝撃は腹の装甲を打ち砕いた。
「かはッ!?」
胃液がこみ上げるが吐き出す前に足を払われる。重たい甲冑で背中を地面に打ちつける。前後からの痛みで息ができなくなる。
鉄靴の右足を掲げて苦しむアークの顔に狙いを定める。
「!」
ユリマラは片足だけで横に跳躍する。刹那に紅長髪を殺意の疾風にのせてユリマラが居た場所を貫いた。
すぐに引き抜くと着地したユリマラの胸の中心を狙う。それを横にずれるだけで空を突かせる。
重心が前に偏ってしまったことに気づき、振り返りざまに朱槍を振るうことで態勢を整え直す。
振り返った先にはユリマラは居なかった。
――違う!
反射的に身体を逸らす。するとガリガリガリと黒い鉤爪がリーシアの下方より鎧を削った。
「よく反応できました」
リーシアは急いで跳躍して離れる。
「大丈夫かアーク?」
槍を構えてユリマラを牽制しながらアークの身を案じる。アークは地面に剣を突き立てて身体を起こして立ち上がる。
「強いな、コイツ」
「女性にコイツとはなってませんね」
やれやれと嘆息するユリマラ。そこで左手をかざすと黒き穂先が彼女の頬に触れる寸前で止まった。
「そんなに怒らないでください。それに私の槍ですよ」
「ユリマラ、兄様の仇!」
「ですから、あれは命令されたからで本意ではないですって」
怒りの形相で突き出された黒槍をものともせずに口を尖らせてそれを奪い取る。空いてしまった右の拳を握りしめてユリマラに向けて振りかぶる。しかし、刃のない一撃は容易く受け止められる。
「腕の一本でも折っておきますか」
捕えた手首をひねりあげる。ギリギリと皮膚がねじれる。ルナが悲鳴をあげる。
それを叩き落とす剣。黒い手甲が弾かれてルナが痛みから解放される。
「痛いですね。邪魔しないでください」
傷一つついていない手甲をさすりながらユリマラが言う。
アークは突きを放ちユリマラを遠ざけて、すかさずルナを後ろに庇い剣を構えなおす。その様子を見てユリマラはヘラヘラと笑った。
「裏切り者を身を挺して守るなど、馬鹿でしょ」
笑いをクスクスと変えてユリマラは笑いつづける。
彼女の後ろに音も立てずにリーシアが忍びよる。それに気づき相手に悟られないようにアークは会話を続ける。
「裏切りはお前らが脅したからだ! そして今は俺たちと戦うと誓ってくれた仲間だ!」
「彼女に有用な人質は私たちの手の中にある。そうでしょう、ルナさん?」
ユリマラは笑みを深めてアークの背後で震え怯えるルナに問いかける。
「今なら戻れます。さあ」
手を差し伸べるユリマラ。だが救いなどではない絶望へと誘う悪魔の手だ。だが手を取れば大切な家族や領民が助かる。だが手を取れば裏切りを許し再起の機会を与えてくれたアークたちを再び裏切ることになる。
「わたし、わたしは――」
頭を抱え、戦場の中で蹲ってしまう。
「ルナ!」
「!?」
アークの声にルナはハッと顔を上げる。彼は続ける。
「立つんだ! 俺たちには、やらなければことがあるだろう? その先には君を救える道があるんだ! それを叶えられる力があるんだ。だから戦え!」
アークが地を蹴る。それに合わせてリーシアも駆けた。
「呆れた」
そうつぶやくとユリマラは右手の黒鋼の槍をアークに突き出し彼を貫き、背後から襲い掛かった朱槍を気配だけで掴み、勢いを殺した。
「私が気づかないとでも?」
鎧を貫き腹を刺して勝利を確信したユリマラは笑う。それにアークは笑い返した
「何を笑っているのですか? ――!?」
相手の態度に苛立ちを覚えたユリマラは背後に殺気を感じて逃れようとしたが、遅かった。
銀色の腕が首に絡みつき十字に締め上げる。それを解こうとした腕を銀色の脚が伸びて二の腕ごと縛り上げる。
ユリマラは左手で掴んでいた主なき槍を放して苦しげに、だがなおも笑う。
「槍を捨て徒手で狙ってくるとは」
「これが私たち赤髪の一族の戦い方だ!」
ギリギリと首が締まりつづけて、ついに力をなくした右手が黒鋼の槍を放し、支えを失ったアークは地に倒れる。それでもアークは意識を手放さなかった。
「今だ! ルナ!」
彼の言葉に力をもらいルナは腰の鞘からナイフを引き抜いて走り出した。
たった数メートル。両手でしっかりと柄を握り震える心と身体を抑え込み抗う。
今のユリマラは鎧を身に着けていない。へそが露わとなった腹を狙えば彼女といえど深手を負わせることができる。
「ユリマラあぁぁぁあッ!!」
あと数センチで刃が届く。
「残念」
掠れた声でユリマラが言った。
そしてぐらりと彼女の身体が前へと傾いた。
力尽きたわけではない。背後のリーシアをルナにぶつけようとしているのだ。
リーシアは狙いに気づき拘束を解こうとしたが勢いのあまり反応が遅れたルナに衝突する方が速かった。
「がッ!」「ぐッ!」
身体を吹き飛ばされた二人は地面を転がり、打ち身の衝撃で身体が悲鳴を発した。
「二人とも!」
仰向けに倒れながらも腹の痛みを忘れ立ち上がれずにいるアークとルナに手を伸ばす。
「あ~あ。惜しかったですね」
ユリマラは咳き込みフラフラと立ち上がるとアークに突き刺した黒鋼の槍に手をかける。
「あれ? まだしぶとく生きていたんですね。浅かったですか?」
ずぶりと穂先が肉を抉っていく。
「うがあああぁぁッ!」
灼熱が腹から全身へと奔り身体が痙攣する。
「よく見てください、ルナさん。これがあなたの罪です」
より一層に黒鋼の槍が突き刺さり、叫びは高まっていく。
苦しむアークをルナをリーシアを嘲笑うユリマラのことを刃も矢も弾も止められない。
「?」
ただ一つ、響き渡るラッパの音だけが彼女の動きを止めた。
「どうして今。このまま攻めればガイナスは勝てるというのに」
ガイナス側による撤退の合図に戸惑うユリマラ。そこに部下が告げる。
「副長! て、天幕がッ!」
ユリマラがガイナスの陣に振り返る。そして息が止まった。
平地であり敵味方が入り乱れて天幕自体は見えない。だが天に上る黒煙がユリマラに最悪を予感させた。
焦燥に駆られたユリマラは黒鋼の槍と直刀を回収して大平原を駆けた。真っ直ぐ天幕へ。
――ミリタ大平原 ガイナス軍 天幕群――
天幕の一つに中年の騎士が輜重部隊と来た娼婦の女と床を共にしていた。
戦場では他の騎士が戦っているが彼はガイナスの陣である天幕群の防備を任されていた。しかし優勢のガイナスの陣を守る必要ないと断じて昼間から娼婦を連れ込み事に及んでいた。
「し、失礼いたします」
慌てて天幕内に兵士は駆けこむ。娼婦の女は驚きと恥ずかしさで布団で身を隠すが、中年騎士は堂々と裸のまま苛立ちを表して問い詰める。
「何ようだ! 我の一時を邪魔をするとは。打ち首だ!」
立てかけていた剣を抜き放ち切っ先を兵に向ける。
「お、お待ちください!? 敵が迫っているのです!」
「それを先に言わんかあぁッ! 鎧を準備せよ!」
軽甲冑姿で天幕より出ると北に部下が展開していた。数は百五十。
「敵は何処にいる?」
「正面です。数はこちらより少数。すべて騎兵です」
「マスケットは全て出払っているか。ならば弩しかあるまいか。狙え!」
姿を確認すると中年騎士の号令に従い弩を向けた。敵との距離は約二百メートル。
「はなッ――!?」
放て、と部下に号令しようとした中年騎士の額が血を散らして穿たれた。
呆けていた部下たちは中年騎士が死んだと分かるや声を上げて逃げ出した。その彼らの背中を飛来した矢が襲い掛かる。
「この距離から銃弾を当てるなどありえん!?」
騒ぎは陣地全体に伝わっていた。慌てて得物を取り応戦するために飛び出す。が、彼らは刃向うことができなかった。
大質量の重騎兵が彼らを蹴散らし蹂躙したからだ。安全が確保された後も止まらない。
弓騎兵が近づいてくる敵を漏らさず討ち取り、軽騎兵たちが篝火や焚き火から火を奪い天幕や物資を燃やしていく。
「急ぎなさい。できるだけ燃やし敵を混乱させるわ!」
金長髪の少女騎士の命令に従い、順次に天幕を崩していく。火の手が陣の半分ほどまで届くと敵の応戦の勢いは急激に落ち込み、マリーは引き際を悟る。
「?」
撤退を命じようとしたマリーの視線の先にそれは映った。
質素な町人の服から兵士ではないことが分かる。白い長髪を煤で汚し、幼く愛らしい顔は目端に涙をためて怒りをあらわにしている。それだけならマリーは状況を放置、いや戦場から連れ出していたかもしれない。だけどできない。弩を向けられていたからだ。重そうに持つそれは兵士が逃げる時に捨てたのだろう。それゆえに既に矢は引き絞られていて幼い少女でも引き金を引けば人を殺せる。
「逃げなさい。今なら見逃す」
威圧するようなマリーに白長髪の少女は怯んだ。しかしそれは一瞬。
「皆をいじめる悪い兵隊!」
相手は指を引き金にかけた。
――仕方ない。
マリーは銃口を白長髪の少女に向けた。
武器を取ったら子供だろうと敵だ。厳しい訓練が必要ない弩や銃が戦場に導入されてからはマリーはそう考えるようになっていた。
だけど、弾は込めていない。だって分かるから。弩を持つ少女が人を殺す恐怖に震えているのを。あれでは殺傷可能な距離があっても、いや、あるからこそ殺せない。人は元来簡単に人殺しの境界線を踏み越えられないからだ。だからこそマリーは泣きそうになる。相手が持っている弩、そして彼女が持っている銃も簡単にそれをなしえてしまう。白長髪の少女はそれが分かっているから愛おしい。何千、何万もの骸の山を築きあげた彼女は思う。
――お願いだから、私みたいに人殺しにならないで。
「武器を捨てなさい。さもないと……撃つわ」
「うおおおぉッ!」
横から聞こえた叫びにマリーは反射的に銃口をそちらに向けた。
ガシリ、と金属同士がぶつかり銃を持つ腕に衝撃が伝わる。
「あなた、何者?」
マリーは迷彩柄の異装男に問いかける。黒髪の異装男は剣を押し付けて返す。
「お前こそ、年端もいかない子供に銃口を向けるのか!?」
相手の憤りをマリーは感じた。それ以上の怒りでマリーは吼える。
「それならなんで戦場に連れてきたの! 安全な国で幸せにすればいいのに!?」
ライフルド・マスケットに力を込めて馬上の利を生かして剣を弾く。すかさず銃口下の錐状刃で牽制する。
相手の男は白長髪の少女を背中に庇い険しかった表情を緩める。
「大丈夫か、ユリィ?」
白長髪の少女は目端に涙を溜めながら肯く。
「頑張ったよ~!」
弩を投げ捨ててついには泣き出した。緊張の糸が切れたのだろう。わんわんと大粒の涙を流しながら泣き続ける。男はなだめるように優しく頭を撫でる。そして和らいでいた表情が再び引き締められると強められた眼光がマリーを射抜いた。
「お前にこの子を殺すつもりがないなら退いてくれ。さもなくば」
男は剣を捨てて、それを取り出した。
「お前を殺す」
マリーは男が握るモノに目を見開いた。
黒く無骨、マスケット銃のように長くはなく短銃よりも短い。それでも性能は劣っているようには見えない。小さいころから銃を扱っているマリーは銃口を向けられているのにも関わらずに惹かれてしまっていた。しかし、それは数瞬のこと。何か強大なものが近づいているのを感じて判断する。
「撤退しなさい。全力よ!」
彼女の号令により近衛兵たちは一気に戦場を離脱する。彼女たちを誰も追わない。ただ茫然としていた。
「火の回りが早いな。一度離れるしか――」
「ユリィ!」
二人の許にユリマラが駆け寄る。
「お姉ちゃん!」
「よかった。無事だったんですね」
灰短髪のユリマラと白長髪のユリィがひしと抱き合う。
「お姉ちゃん、痛いよ」
小柄な少女は強く抱き締められて苦しげだったが恥ずかしそうに笑う。だって姉であるユリマラが、いつも戦場で武勇を誇る女性が戦を捨ててまで駆けつけてきて、そして大粒の涙を流しながら自分を案じてくれているのだから。その優しさが心地よくて涙は止んでしまった。
「部下を放置してくるとは」
やれやれといった様子でトオルはユリィを託して戦場へと駆けていった。
「早く逃げようよ」
ユリィの言葉にユリマラはローブの裾で涙を脱ぐって頷き彼女の小さな手を離れないように握る。
「そうですね。一度、わたしたちの天幕へと戻りましょう。あそこならまだ火は届いていないでしょう」
「うん!」
大好きな姉の手を握り返すとユリィは力強く頷いた。




