〈ムガノ城炎上〉
――ムガノ城 城内――
ムガノ城はマザッカ山の北東に位置する城だ。ファラス中央付近にあることからマザッカ山と並んで要として敵を集めることに機能していた城であり、強固な石造りの城壁に囲まれて、その中には城下町も存在しており、長い籠城にも耐えられる城でもあった。だが、現在ではそんな城はなかった。
―ドゴーン、ヅゴーン、ガラガラリ。
城を包囲されてから三日目。何度目か判らない大砲が轟く。それが響くたびに城壁が崩れ、人々が悲鳴を上げる。騎士たちはそれを城の中で訊いていた。なすすべなく。
「申し上げます! 南側の城下門が砲火により破られました!」
息を切らした伝令が報告する。それを受けた老年騎士が指示を出し、伝令を退がらせる。
「もうだめだ。このムガノ城も大砲の前では塵と同じか」
調度品は何もなく、蝋燭を燃やした燭台で部屋を照らすなか、一人の老年騎士の言葉に周りの騎士たちも重く頷く。ここに居る騎士たちは何十年も前からファラスに忠誠を誓ってきた領主たちの老骨騎士だ。だが若者にも負けない武勇と培われてきた経験で今まで戦ってきた。しかし、前回のマザッカ城の救出戦で多くの仲間が戦死してムガノ城に逃れた彼らも城を包囲されてから三日目、今ではガイナス軍は城下町まで侵略していた。次に狙われるのは彼らがいる本城だろう。
「あきらめるなよ、爺さんたち」
黒目黒髪の少女が乾いた声で笑い励ます。老年騎士たちは彼女に笑い返す。
少女の年齢は十三、四ほどで老年騎士たちにとっては孫のように思えたのだ。そんな彼女の服装はクロアゲハ蝶が刺繍された紫の小袖に黒の胴服、下は絹の袴で足袋を履き、頭には漆塗りの椀を被っている。大陸では見たこともない衣装だった。
黒目黒髪の少女は老年騎士たちの周りをぐるぐる回り、う~ん、と唸っている。
「こちらは三千と少し、あちらは三万を超える大部隊。明らかに足りない。城下の門は破られた。呼んだ援軍は来ない。どうする、どうする、どうする」
ぶつぶつとひとり呟く少女。その表情からは焦りと苦しみが窺える。
「嬢ちゃんは、また頭の中でチェスをしている。嬢ちゃんは強いからなあ」
禿頭の老年騎士が極東製の杯を傾けながら快活そうに笑った。周りの者も酒を飲み、歌を歌う。完全な酔っぱらいだ。少女は彼らを半眼で睨む。
「あたしが策を考えているんだから、酒なんか。緊張感を持ってよね」
「いいじゃねえか、今日で飲み納めなんだから」
笑って答える老年騎士に少女は悲しげに目を伏せ、肩を落とす。
「そんなこと言うなよ。あたし、頑張るから。だがらあたしが酒を飲めるようになるまで生きてくれよ」
徐々に心が悲しみに染まり、しゃくりを上げる少女の背中を禿頭の老年騎士はバンバン、と強く叩く。それに彼女は涙で潤んだ瞳を吊り上げた。
「痛いじゃないかよ、ハゲじじい!」
少女の汚い言葉に禿頭の老年騎士は怒ることもなく、むしろ嬉しそうに笑う。
「嬢ちゃんはこんな状況でも元気だな!」
「うるさいな! 策が浮かばないだろう!?」
涙を拭い、睨みつけてくる少女の瞳を禿頭の老年騎士は見据えた。彼女は黙って見つめられたことに肩を竦ませる。まるで、悪戯がばれてしまった子供のように。
「な、なんだよ」
「嬢ちゃんが策を何も思いつかなわけがないだろう?」
老年騎士の言葉に少女は肩を跳ね上げて、顔を背けた。
「あたしだって人の子だよ。何も考えつかない日ぐらい――」
「わしらを死地へ向かわせないため、か?」
少女は再び肩を跳ね上げて黙り、周りの老年騎士に助けを求めるように視線を移す。だが彼女の姿を周りの老年騎士たちも見つめ、そして何も言わない。みんな、勘付いているのだ。
「嬢ちゃんは、いつもわしらをチェスの駒のように荒く扱うくせに、兵士が一人でも死ぬと隠れて泣いている。わしらが気づかないと思ったか?」
「…………」
少女は否定せずに老年騎士たちを呆然と見つめたまま黙っていた。いや、少しだが肩が震え始めている。禿頭の老年騎士は彼女を抱くと、子供をあやすように背中を優しくたたいた。
「嬢ちゃんは優しすぎるんじゃ、誰も死なない戦など無理だ」
「でも、爺さんたちを行かせたく、ない」
「しかし、城下の民を救わなくてはならん。俺たちの兵士は下で敵を抑えている。だから策を言ってくれ」
少女は震える肩を抑えるために、ゆっくりと呼吸をして涙を拭う。
「わかったよ。国を救うのは民、民を救うのはあたしたちだからね」
少女は老年騎士たちの前に胡坐をかくと、城の地図を広げた。
「敵はムガノ城を東西南北包囲している。そして城の南には台地があり、そこに大砲の陣地が作られてしまった。それが原因で城下南門は壊されてガイナス兵が侵入してしまっている。だが、敵は城下の道が狭いのと略奪行為をするために少数の兵士がゆっくりと攻めてきている」
指で地図の要所要所を指し示して説明していく。それに老年騎士は何も言わずに頷く。
「城下の奥深くまで誘い込めれば三万の大軍なんて機能しない。あたしたちは敵が少数の集団になっているところを叩く。あたしたちの城下だから可能だよ」
広い城下町を指で丸く囲む。次に東の城下門を指差す。
「敵を南で抑えている間に東から城下を出て、東の陣を狙う。南が崩れたことで功を急いで統率のとれていない兵が多い可能性があるから少数精鋭でそれを突破する。敵の指揮官が爺さんたちと違って無欲なら残念だけどね」
皮肉る少女に老年騎士たちはどっと笑う。わしらより欲深い奴らなどいない、と。
「東の陣を破ったら、城内の兵と民を率いて撤退する。そのときに家屋や城を燃やして敵を混乱させる。そのあとはみんな連れてトンズラさ」
ない胸を張って得意げに説明を終える少女。だが、すぐに肩を落とす。
「南を抑える部隊は、まず助からない。いくら地の利があるとはいえ数の差が圧倒的。だからと言って東に向かう部隊は必ず成功するかは賭けに近い」
「それでもやらないわけにはいかんじゃろ」
老年騎士たちは、さも戦いが楽しそうに笑う。それを見て、少女は溜息を吐き、苦笑する。
「南には……あたしの部隊がいくよ。火薬箱を設置したのはあたしだし」
「死ぬ気なのか? 杯を酌み交わす約束をしたくせに」
禿頭の老年騎士は静かな怒りを込めて問う。それに少女は笑って返す。
「爺さんたちじゃあ死んじまうってだけだよ。あたしなら生きて帰るよ」
笑いかけてくる少女。その笑顔は老年騎士たちを癒した。だが、彼らの覚悟も決めた。
「爺さんたちには東を頼むよ。失敗したらあたし怒るからね」
少女は立ち上がり、部下を呼ぶ。
「乱破! ……あれ? 乱破!! 伝えてほしいことがあるんだけど」
何度も彼女は自分の忍を呼ぶが姿も返事すらない。少女は小首を傾げる。こんなことは初めてだったのだ。
「おかしいな。まったく何やってるんだよ、こんな大事な時に。……乱p――!?」
三度、部下の忍を呼ぼうとしたが少女の頭に衝撃が走った。少女は身体をふらつかせ、うつぶせに倒れた。
「ごめんよ、嬢ちゃん」
頭を垂れる禿頭の老年騎士の手に握られていたのは割れた酒瓶だった。彼が少女を後ろから殴ったのだ。
悲しげに少女を見つめる禿頭の老年騎士の背後に、いつの間にかに黒装束の男――少女の忍が跪いていた。
「ご協力、感謝いたします」
「ああ、早く連れて行け。ファラスの戦で極東の姫様を死なせるわけにはいかんからな」
忍は主である少女を担ぐと部屋を出ていった。
禿頭の老年騎士は嘆息すると、仲間の老年騎士たちの許に座り直し、杯を掲げた。周りの老年騎士たちも倣う。先程までとは違う。全員、真剣な表情だ。そして一気に杯を傾けた。
「かあぁッ。ただの水を飲んでも気分は上がらんなあ」
周りの者も苦笑して頷く。彼らは初めから酒など飲んでいなかったのだ。
老年騎士たちは立ち上がり、杯を床に打ち付けた。極東製の杯は軽い音を立てて跳ね上がり、床に落ちた。
「親友たちよ。老いぼれが母国であるファラスに役立てる最後の大戦だ。これが終わったら美味い酒を飲もう、あの世でな」
老年騎士たちは剣を抜いて、交じ合わせた。
「それまでは、さらばだ。友よ!」
夜明け、ムガノ城は城下の炎が回って炎上、そして陥落。このとき城下に侵攻していたガイナス兵およそ一万が謎の爆発に巻き込まれて死傷した。その少し前に東の部隊が脱走兵を見つけたが夜闇にまぎれて逃したという。
それを北の陣で見ていたのは迷彩服の男――トオルと、黒い甲冑で身を包んだ灰短髪の少女――ユリマラが率いる特殊戦士部隊だった。ユリマラは黒鋼の兜を脱ぎ、一息吐く。
「出番なかったですね」
「まあ、おかげで損失は無かったがな」
赤々と闇の空に上がる炎から視線を外し、トオルは天幕へと向かう。
「撤収ですか~?」
トオルの背中に声をかけるユリマラ。彼は振り返らずに答える。
「俺たちの仕事はもうない。天幕で休ませてもらう。お前もユリィの傍にいてやれ」
ひらひらと手を振り天幕に入ってしまったトオルに嘆息して再びマザッカ城を見据える。城下門からは自軍に捕まり奴隷にされるであろうファラス人と、炎に巻き込まれて地面に転がるガイナス兵。それを感慨もなく見つめる。いや、少しは滑稽に見えたのかもしれない。”自らが燃やされるよりは他人を燃やす方が悦だ”彼女はそう思っていた。だが、笑みは浮かばなかった。
「十五年前に燃やす側だった人間は私のことを笑ったのでしょうか?」
彼女の言葉に答えを返す者はいない。彼女自身も答えを欲してなどいなかった。
「さて、かわいいユリィと遊びますか」
ユリマラは燃える城に興味を無くして彼女の天幕へと帰った。