〈黒き部隊〉
「本当に来ちゃったのね」
苦笑しながら周りを見渡す。
戦場はミリタ大平原の西端。正面には大河のイラ川、左にはそこからミリタ大平原の南へ流れる支流のミームス川、右奥にはイラ川を流すマザッカ山、振り返れば侵略者を大平原に進ませないための拠点――グタンス城。
「どこか痛いところはありませんか?」
リオンが心配そうに声をかけた。姿は見えないので適当に返す。
「大丈夫よ。少しふらつくけど」
「そうですか。頭のふらつきはすぐに落ち着きます。……では後は頼みます。私は戦えませんので」
残念そうに苦笑するリオン。リーシアは彼女を見る。マリーもリーシアが見つめるところを見た。
「君は一人で大丈夫なのか? どこかに隠れた方が」
「大丈夫です。私は死にませんので」
「どういうこと?」
驚きを含んだ怪訝の瞳で問いかけるマリー。リオンは背を向けて立ち去る。
「今は秘密です」
兵士たちに紛れて消えて行ったリオンをリーシアは恐ろしく感じた。姿は幼い少女であるが異彩色の髪と瞳、過去へと跳ぶ異能、そして最後に彼女の”不死”を唆した言葉。
――あの子は、何者なのだ?
それを答える者はいない。
マリーは姿が見えないので再び声をかける。
「ちょっと、何か言って――」
「マリー様、どうなされました?」
声のほうを見ると隣に彼女と同じように革鎧を身に着けた少年弓騎兵だった
「あなた、無事だったの!?」
「は、はい。自分は大きな傷は」
そこでマリーは気づく。失言をしてしまったことに。
隣にいる少年弓騎兵は敵に討たれて死ぬ。それをマリーは知っている。しかし、それを匂わす言葉を言っては混乱を招くだけだ。言われた本人はマリーに心配されたことがうれしいらしく笑っているが。
とにかく、今は戦況を知らなければならない。
隣に馬が駆けてきた。
「マリー殿、無事だな」
「よかったわ。……どこから馬を持って来たの?」
「目を開けたらすでに乗っていた。それをいうならマリー殿も」
そのときにマリーは気づいた。馬上にいたことを。
「やっぱり、知っているわ。この戦い、ファラスは負けるわ」
マリーの言葉にリーシアは強く頷く。
「ならば、戦況は分かるな?」
「ええ、まかせて」
マリーはイラ川を、その先のガイナス軍を見据える。
ガイナス軍はファラス侵攻後、北、中央、南に分かれて蹂躙を開始。奮戦を行った中央も次第に戦況を悪化させ、ファラス王国中央までガイナスの手に落ちた――この頃には南北の前線は崩壊していた。
中央を奪ったガイナスは、その東に位置する小高い山――マザッカ山と山城のマザッカ城を包囲した。
この包囲を破るために北東のムガノ城と現在のマリーたちの拠点であるグタンス城より援軍を派兵。しかし、作戦は失敗に終わる。兵数を半分にまで減らしたファラス軍は各々の拠点へ退く。困窮したマザッカは陥落、抗戦兵力が低下したムガノ城も同じ道をたどった。
騎士たちの援軍が来たグタンス城は抗戦のために三万の兵をイラ川の東に展開。それに応えるようにガイナス軍はマザッカの包囲を解き、イラ川の西に同じく三万の兵を配置して対峙した。それが現状である。
「この戦いでファラス軍は敗北し、私は部下をたくさん失ってグタンス城も陥落する」
マリーは拳を強く握りしめてリーシアに向く。
「このことを指揮官に伝えましょう」
「いや、待ってくれ」
リーシアの制止の言葉にマリーは訝しげに返す。
「どうしたの?」
「ここの指揮官に未来のことを告げても信じてもらえないのではないか?」
「うッ」
マリーは言葉に詰まる。マリーやリーシアの若年騎士には領主としての力が弱く、諫言しようものなら反駁されるだろう。それ以前にこの場の指揮はファラス国王の直属の騎士――王国騎士団が執っていた。彼らの方が遥かに上位なので意見するのすら難しい。それに現在は騎士団長が戦死して癇癪持ちで有名な副団長が率いていたのだ。
「どうすればいいの?」
「マリー卿」
マリーの許に馬で駆けてきたのは王国騎士団の騎士団員だった。面頬を上げると二十代半ばほどの若そうな顔が窺えた。だが騎士団員は強固な鎧兜を身に着けているだけで周りの兵士たちを威圧している。
「作戦が始まります。我々の指示通り動いてもらいたい」
「……了解した。肝に銘じます」
マリーに釘を刺すと騎士団員は去る。そのときリーシアに彼が侮蔑の視線を向けたことに彼女は気づいていた。大陸で赤い髪は災厄の象徴。その考えは差別偏見が少ないファラスであっても根強いのだ。
「怒らないのね」
リーシアの表情をうかがうと彼女は覚悟を決めた瞳で敵陣を睨んでいた。
「ああいうのは慣れてしまった。それに今は君のこと方が大切だ」
快活そうに笑みを向けてくるリーシアにマリーは、ただ苦笑することしかできなかった。
――痛みが慣れるわけないじゃない。こいつは我慢しているだけ。
マリーはリーシアを助け出したいと思った。だが、心に刻まれた赤髪への恐怖は拭えなかった。そんな自分に彼女は歯噛みした。
「マリー殿、作戦というのは?」
「そうね。それを教えていなかったわね」
マリーは自分、リーシアそして南側に並ぶ部隊を見渡す。
「まずは第一陣の重装歩兵とマスケット兵の混合隊が川岸まで行き敵を銃撃する。それで敵の反応を待ち、相手も銃撃をしてくるようなら銃撃戦を繰り広げる。まあイラ川は川幅が広いから両軍が川岸で銃を扱っても射程距離の関係で時間が無駄になるだけでしょうけど。だから――」
マリーはイラ川を流すマザッカ山を見据える。
「その間に私たち騎士混合部隊五千がマザッカ城を奪還する」
マリーから伝えられた作戦に驚きと怒りの籠った瞳でマリーを見た。
「それは無理があるだろう!? 敵の主力は川の向こうとはいえ城にも最低限の守備兵がいるだろう。しかも我々が動いたら敵も城を守るために向かってくるはずだ!」
リーシアの言葉にマリーは自嘲して彼女の瞳を見返す。
「それが私たちの目的よ。城を救助するためにこちらに横っ腹を見せた部隊と兵数が減った主力を騎士団が殲滅する。つまり私たちはガイナスを釣るための餌でしかない」
あまりにも衝撃を受けたリーシアは胸を押さえてしまう。そんな彼女を見ずにマリーは敵陣を見て笑う。
「大丈夫よ。それは作戦の一つ。この戦いでは使われなかったわ」
「そうか。では今回は?」
「敵は川を渡ってきた」
リーシアは再び驚く。敵を前にして川を渡るなど愚かだ。動きが鈍くなり流れに足を取られてしまっては逃げることさえかなわずに矢弾に身を晒すことになる。それでも渡るということは決戦に持ち込もうとしているのかもしれない。リーシアはそう考えた。
「第一陣は応戦して銃撃によって敵部隊が敗走したところに第二陣の王国騎士団が追撃してイラ川を取り戻して背水の陣を敷く。これを三日以内に達成するのが目標。私たち騎士混合部隊はマザッカ城から攻めてくる敵を抑えるのが役目」
「結局は盾扱いか」
リーシアは騎士団がいるであろう方向を睨む。彼女は今まで王国騎士団は国を守るために戦う立派な騎士たちだと思っていたが、考えを改めなければならないと感じた。それをマリーは宥めて嘆息する
「そう怒らないの。こんな作戦を考えるようになったのは副団長が王国騎士団の頭領になってからよ。以前はこんなことなかった」
マリーは後方の金刺繍の鷲がたなびく本陣を睨んだ。例の副団長はそこでふんぞり返っていることだろう。グタンス城に近い位置で陣を敷いたのは敗北しても一番に城に逃げ込むためだろう。それのせいで何人もの伝令が息を切らしながら往復していた。作戦の失敗時に指揮官が居なければ部隊は壊乱してしまうかもしれないというのに。
「この戦いでは何が敗北に起因したのだ?」
「詳しくは分からないの。私たちがマザッカ城からの敵と交戦中に王国騎士団本隊が退くときに何者かに奇襲を受けて敗走したのよ。私はそう聞かされたわ」
「ならばそれを防げれば勝機を見いだせるのだな?」
「たぶん。だけど私たちに余裕はない。どうすれば……」
二人が頭を悩ませているとラッパが高らかに開戦を告げる。
「第一陣、進め!」
騎士団の号令で重装歩兵横隊とマスケット隊がイラ川に向かって歩みだす。敵陣とマザッカ山からは動きがない。第一陣が川岸にたどり着き、重装歩兵は大盾を構えて背後からマスケット兵の銃口が敵陣を狙う。
「まだ撃つな! この距離では届かんぞ」
第一陣を率いる騎士団員が叫ぶ。彼は兜の面頬を上げ敵陣を見据え、そして目を見開いた。
「なんだあいつらは!?」
その言葉に第一陣の兵士たちに動揺が伝わる。
イラ川の先、ガイナスの敵陣には鎧を身に着けず、だからといって農民兵にも見えない兵士たちがいた。彼らは大陸西側から伝えられた詰襟の金ボタンで留められた黒い衣服に軍ブーツを履いて黒いシャコー軍帽を被り、こちらを睨み返してくる。兵装は左腰に極東から輸入した太刀、右腰にはマスケット銃の銃身を半分ほどに切り詰めた短銃を革製のホルスターに収めている。それが約一万人。騎士たちにとっては明らかに異様な光景に見えただろう。
「怯むな! あのような軽装の愚兵どもなど恐れるに足らん。ハチの巣にしろ!」
騎士団員たちが力強く吼える。それを対岸の黒軍服の兵士たちは冷静に見ていた。
「敵さんは元気やなあ」
黒軍服の兵士たちは男が多いが二割ほど女性もいて年齢は平均して二十代後半。平民出身のものが多く、中には犯罪に手を染めたものもいた。グランド代表が統べる〈軍〉という組織は貴族を中心に構成される騎士とは違い、戦う覚悟があれば出自など問わなかった。そういう理由からたくさんの若者たちが軍人を志して入隊を希望したのだ。そんな彼らの一部を率いているのはクセのついた茶髪を肩まで伸ばした少女だった。彼女の右眼にはケガで著しく低下した視力を補うために片眼鏡を掛けられている。
少女は馬に跨り、部下たちに向く。
「みんな聴くんや。うちらはあそこに突っ込む」
モノクル少女は川岸で待ち構えるファラス軍を指差す。それに部下たちは真剣に聴き入り、表情を硬くする。
「いくら中に胸当てをつけようともこんな薄いんじゃ銃の前では意味あらへん」
モノクル少女が自らの胸をたたくと部下たちも倣って叩く。だが不安げな表情はない。笑ってすらいる。そんな彼らを彼女は優しく見つめる。
「だから――」
モノクルの少女の眼差しは冷たいものへと変わる。
「死になさい。それが命令や」
モノクル少女の言葉に部下の誰も不平不満を漏らさない。彼らは知っているのだ一番つらいのは命令する彼女だということに。モノクル少女は悲しみに染まった瞳を隠すために敵陣を睨み、毅然とふるまう。
「指揮官騎乗!」
二百人ほど――〈軍〉では中隊規模を率いる指揮官たちが馬に跨る。
「短銃確認! これはうちらを一度だけ助けるものや。怠ってはいかへんで」
部下たちはホルスターから短銃を引き抜き、中を確認すると紙製薬莢から火薬を少量注ぎ、それを銃口から込めて戻す。
それを待ち終えると、モノクル少女は大きく息を吸う。
「抜刀!」
モノクル少女が左腰から太刀を抜き掲げると、部下たちも倣い掲げる。そして掲げた太刀の切っ先を対岸のファラス兵に向けた。
「突撃いぃぃ!」
おおおッ!! 号令に部下たちは応えてイラ川に向けて駆けだした。
こうしてファラス軍第一陣六千と〈軍〉の兵士一万が衝突。これがこの戦いの始まりである。
勢いある黒軍服の軍兵に気圧されながらも騎士団員は指示を出す。
「狙え、てぇ!」
銃声とともに発せられた鉛玉が川を越えて軍兵の身体を貫いていく。だが、まだ距離が遠かったらしく致命弾は少なかった。
「次だ、てぇ!」
二度目の銃撃では百名ほどの軍兵が骸となった。これに五十名いた指揮官のうち五名が戦死。それでも軍兵たちは突撃を続ける。まるで死地を決めたかのようにギラついた瞳で駆ける。
三度目の銃撃でも同じ数の軍兵が血を吐き倒れた。その間に致命を逃れた者たちは川岸にたどり着き、ホルスターから短銃を抜いて対岸のファラス兵に銃口を向けた。
「死ねぇッ! ファラス兵どもがあぁ!!」
少年軍兵が引き金を引き、ファラスのマスケット兵を一人討ち取る。だが彼は他のマスケット兵から狙い撃たれ、腹から流れ出す血を押さえながら川に倒れた。周りの軍兵たちは彼の行動に奮起して短銃を撃ちこみ、弾が跳ね返されても顧みずに太刀を振るいながら川を駆け渡る。
「マスケット兵、退けぇい。重装歩兵、突けえぇ!」
岸に近づいてきた軍兵を近づかせないために大盾で銃弾を防ぎ、長槍で追い返す。それに軽装である軍兵は貫かれるも軽装であるがゆえに身軽で長槍を躱し、敵に取り付いて太刀を突き刺し、壁となる大盾を引き剥がす。鈍重な重装歩兵の鎧の甲と甲の隙間に太刀の刃をねじ込み討ち果たしていく。
乱戦に持ち込まれる前にファラス軍第二陣一万五千が動いた。
「川のガイナス兵どもを殲滅せよ」
第二陣指揮官の号令に強固な鎧を身に着けた騎士団員たちが盾を左手で構えて騎士槍を突き出し、馬鎧を身に着けた馬の腹を蹴り突撃した。
騎士団員は太刀を盾で防ぎ、騎士槍で軍兵を貫き、馬蹄にて踏み砕いた。
「戦えぇ! 俺たちが授かりし刀は鎧で身を固める臆病者どもを切り裂くぞ」
「ファラスの貴族どもなど恐れるに足らず、俺は百人斬りの悪人だ」
「軍神よ、私たちに勇気をお与えてください!」
数の差が覆され武力に圧倒されても一歩も退くことなく騎士団員に挑み、討ち取られていく。
「こいつら死を恐れないのか――!?」
一人の騎士団員の馬が暴れ出す。どうやら馬が斬られたらしい。嘶きを抑えられず馬とともに地に倒れた。落馬の痛みに顔をしかめながらも起き上がろうとすると胸を貫かれて絶命した。
「騎士と言っても落馬しちゃあ、うちの相手ではないわな」
モノクル少女は太刀を引き抜き、頬にかかった血を拭う。乗っていた馬は敵に貫かれてすでにあらず。短銃は騎士団員の一人を討ち取ったが弾を込める余裕はなく、今はホルスターに収めて太刀一本でここまで耐えた。だが、限界が近づいてきた。
周りを見渡す。川を越えた部下たちは命を懸けて敵に斬り込んでいる。それでも次々と戦死していきモノクル少女の心を苦しめていく。だが退くわけにはいかない。合図が、来るまでは。
騎士団員がモノクル少女を狙い、馬を駆けて騎士槍を振り下ろす。彼女は太刀でそれを受け流し、振り向きざまに馬の後ろ脚を斬りつけた。それだけで馬は嘶き倒れて馬から放り出された騎士団員は彼女の部下たちに首を太刀で圧し斬られた。
「まだかぁ。もう保たんで」
まるで愛しき人を待ちわびるかのようにマザッカ山の方角を見つめた。そこから狼煙が見えたときモノクル少女は笑ってしまった。
「遅すぎやぁ。くたびれてしもうた」
笑いを収めて大きく息を吸う。
「全部隊に告げる。全力で逃げるんや!」
モノクル少女の号令に勇ましく戦っていた部下たちが怯えだし、我先にとイラ川を渡りだした。
「逃がすな! 追え、追えぇッい」
精強勇猛な騎士団はイラ川を奪還するために追撃を行った。だが、それが戦場で視界が狭まった彼らの失態であった。