〈紅蓮と黄金の共闘〉
大平原を朝日が照らす。対陣してから三日目。
疲労の色が隠せない兵士たちが次々と目を覚ます。若い衆が豆と米の粥を作り始めると湯気から漂う匂いにつられて起きる兵士たちもいる。
「肉が食いてぇ」「味がねえべ」「腹いっぺい食いたいな」
兵士たちは愚痴りながらも粥をたいらげる。
「糧食も旨いもの食いたいな」
アークは兵士たちに混ざっていた。アークは貴族だが、兵士たちと同じ豆粥を食べている。彼は貴族でも弱小だったので生活は半農民的だった。だから食事の感覚に関しては兵士に近かった。
「ここに居たのね」
アークが粥をほおばっていると、声をかけられたので粥を飲み込んだ。振り返るとマリーが居た。
マリーはアークの隣に腰を下ろすと、鍋から匙で豆粥を掬って口に入れる。
「あまり旨くないわね」
文句を言いながらも匙で掬っては豆粥を食べている。よほどお腹が空いているのだろう。一通り腹ごしらえをすると、マリーが口を開いた。
「これからどうするの? 見た様子じゃあ、ファラスは厳しそうだけど」
マリーが周りを見渡す。朝飯を作るために焚き火をしたためだろう。いたる所で煙が上がっている。その下で佇む兵士たちは骸のように揺らめく火を見つめ続けている。彼らを率いて戦い続けられるのだろうか。
「大丈夫さ、過去を変えれば」
「まだそんなこと言っているの? 呆れた」
マリーは横目でアークを見ると深く息を吐く。
「過去を変えることなんて出来っこない」
「出来るさ、必ず。それに言っただろう。俺はお前をぜってぇ救うって」
頬を煤で汚しながら快活そうに笑う黒髪の青年にマリーは見とれていた。それに自分から気付くと赤く染まった頬を隠すために俯いた。
「ん? どうした?」
「…………あんた、臭い」
えぇ!? 自らの衣服を嗅ぎ出すアークに周りの兵士たちは笑いで沸いた。マリーもつられて笑った。
「アーク殿、マリー殿。メリル様がお呼びです」
焚き火の周りで騒いでいると、ルナが駆けてきた。彼女の身体は要所を守る半甲冑姿だった。一刻もしないうちに再び両軍がぶつかるのだろう。そのための呼び出しだと予感した。
アークとマリーは互いに顔を見合わせ頷くとルナと共に王の大天幕本営へと向かった。
大天幕内には、すでに数名の騎士が集まっていた。全員が沈黙しており、重い空気が流れている。これからのことが不安で仕方ないのだろう。その中の一人に紅長髪をうなじのところで結んだ銀鎧の少女がいた。
「よう、リーシア」
アークが声をかけるとリーシアが彼に気づき歩んでくる。
「昨日はお疲れ」
ああ、とアークが返すと、リーシアは天幕内の空気を明るくするような微笑みを見せた。だが、彼の隣に視線を送ると、悲しげに目を伏せて離れていった。
怪訝な表情のアークは隣を見遣ると、マリーが無言で俯いていた。二人の間に何かあったのだろうか? ゆっくりと話をしたいところだが時間が許してくれないだろう。
「皆さん、集まりましたね」
女宰相の言葉に天幕内の騎士たちがそちらを向く。女宰相の隣にはメリル王が立っていた。鈍色に光る金装飾の鎧を身に着けた少女の王からは、昨日のリオンの言葉のおかげか弱さが消えている。青色の瞳からは決意と、そしてすべての責任を背負う覚悟を感じた。
「我らは、これより、反撃に転じる」
騎士たちは一度騒めきたつが、すぐに納得したように頷く。
「マリー卿」
「はい」
メリル王に名指しで呼ばれ、マリーは背筋を伸ばし答える。
「卿には、過去に行ってもらいたい。……そこで、力を、奮ってほしい」
「は、はい?」
期待の眼差しが込められた主君の瞳にマリーは困惑している。
「あ、あの。過去に行くって、冗談ですよね?」
苦笑するマリー。それに小首を傾げたメリル王はアークに視線を移す。
「アーク卿、彼女に、説明していないのか?」
頭を掻きながら苦笑するアーク。それを見たマリーは頬を引き攣らせながら笑う。
「え、え、う、嘘でしょ。過去に戻れちゃうわけ?」
「戻れちゃうんです」
マリーの前で異彩色の瞳と髪を持つリオンが、ない胸を張りながら自信満々に答える。その姿に騎士たちは笑うが、マリーには――ルナを含めてリオンの姿が見えていないらしい。だが、マリーはルナとは違った。
「今、可愛らしい声が聞こえたけど。どっかに隠れているの?」
どうやらマリーには誰かの娘が天幕内に身を潜めていると思っているようだ。――目の前にいるのだが……
「ここに居ますよ」
「ひゃッ!?」
リオンがマリーの手を握ると、彼女は驚きで声を上げ、隣にいたアークの肩を殴った。見えない彼女からしてみれば隣にいたアークが握ってきたものだと思ったのだろう。
「俺じゃない。前に手を伸ばしてみろ」
「な、なんでよ!?」
「いいから」
アークは笑いながらマリーの前の空間を示す。マリーは彼に疑いの視線を飛ばしながらも前を向いて大きく息を吐いた。そして恐る恐る手を伸ばす。
「…………!?」
何かに触れたのだろう。反射的に手を引くが、再び手を伸ばして触れる。
「何か、さらさらしたものが。まるでシルクの糸のような」
つぶやきを漏らしながら、今度は両手で触り、その両手は下へと移動していく。
「わあ~。なにこれ。プにプにしてて、やわらかい」
「マリーさん、くすぐったいですよ~」
「声が綺麗ね」
マリーとルナにはリオンの姿が見えてないが、他の者たちから見ると、幼い女の子の身体を弄りまわす少女の図は、名状しがたい感情が湧き上がってしまい、抑え込むのが大変だった。
アークの後ろでルナが羨望の眼差しをマリーに送っていたのは見なかったことをした。
女宰相が咳払いで窘めると、マリーは苦笑しながらリオンを放した。リオンは疲れた顔をしながらも笑った。
「それではマリーさんに協力してもらいたいことは、過去に行き、未来が途絶えてしまった人々を救い出してもらうことです」
「未来が途絶えった、って?」
「本来ある歴史を変えられ、命を落としてしまったということです」
ふ~ん、と納得したよな声を出すマリー。リオンは続ける。
「行ってもらうのはマリーさんの過去に行くのでマリーさん本人。そして同じ戦場にいた可能性の高いマリーさんの近衛兵さんたちです」
「マリーだけじゃ危なくはないか? 俺も一緒に行くぞ」
首を突っ込んできたアークにマリーは呆れたように息を吐く。
「あなたは戦い終わってから、ろくに休んでいないでしょう。それにあなたと一緒に戦ったことがないから無理ね」
腕を組みながら何故か勝ち誇ったように笑うマリー。それにアークは納得いかなそうに唇を尖らせる。
「それは、お前も同じだろ。……リオン、不可能なのか?」
視線をリオンに移すと、リオンは苦笑しながら答える。
「可能です。歴史というのは不思議で、いくら私たちが捻じ曲げようとも大きくは変わらずに落ち着きを取り戻し始めます。なので、アークさんがマリーさんの過去に行ったところで過去改変は歴史の力のよって都合のいいように書き換えられるだけ。ですが、強大な力や複数の改変が同時に起こると、変わってしまいます。それが今、私たちが陥っている現在なのです。それを私たちがすることで過去を戻します」
騎士たちが感嘆の息を漏らす。
今度はアークが何故か勝ち誇ったように笑った。
「だってよ。それじゃあ俺が――」
「私が行こう」
アークの言葉を切ったのはリーシアだった。
「げッ!?」
「げッ!? とは何だ、マリー殿。……アーク、お前は頑張りすぎだ。このままでは身体を壊しかねない」
嫌な顔をするマリーをリーシアは半眼で睨み、今度は優しげに目を細めてアークの手を両手で包む。
「私が代わりに行く。一度、過去を渡った私が適任だ。だから、お前は休んでいてくれ」
アークは反駁しようとしたが、幼馴染である彼にはできなかった。言い出したら聞かない彼女を説得するのは骨が折れるし、それ以上に彼女にこれ以上心配をかけて悲しませたくなかったからだ。
「わかった。マリーのことは任せた。だから、お前も無理するな」
アークは笑うと、リーシアの紅の髪を愛おしそうに手で梳いた。彼の行動にリーシアは頬を染めながら笑みを返す。
「なんか、空気が痛いのだけど」
「は、ははは」
身震いするマリーに苦笑するルナ。痛みの理由は仲良しをやっている男女二人に男の騎士たちがイライラの睨みを向けていたからだ。それがマリーたちにまで及んでいるのだ。
「ほんと、仲がいいわね。なんだか私もイライラしてきたわ」
「幼馴染らしいですからね」
「…………そう」
未だ苦笑を崩せないルナの言葉にマリーは胸が苦しくなるのを感じた。だが、それは数秒のことでマリーにとってはただの疲労によるものとしか思えなかった。
「それでは皆さん、準備を」
リオンの言葉に騎士たちは拳を掲げて答えた。
ファラス軍の天幕群では兵士たちが駆けまわっていた。三度目の激突が始まるのだ。
その中、すでに準備を整えた部隊が二つあった。
マリーの〈百騎兵〉とリーシアの赤髪の部隊およそ千。
「マリーさん、過去へ行く前に伝えておきたいがあります」
「ん? なに?」
「マリー殿、リオンはこっちだ」
「――しょ、しょうがないじゃないの!? 姿が見えないんだから!」
「ははは……」
三文芝居は置いといて、
「まず、マリーさんの何時の過去に行けるかはやってみなければ判りません。私はあなたの過去を見たことがありませんので」
マリーは頷く。
「ですのでマリーさんには臨機応変に動いてもらいたいのです」
「すべての戦いなんて無理よ!」
マリーは困惑気に叫ぶ。
「大丈夫です……と言っていいのか判りませんが、マリーさんの未来へとつながる糸が細くなっています。これは、あらゆる選択によって削られていったものです。これが削れていく速さが速過ぎると短い人生でこの世を去ります」
「????……つまり、私はヤバいということね」
リオンの説明はちんぷんかんぷんだったが、そう納得した。
「はい、このまま往くと。だから過去に行って、選択を変えて削れる速さを遅くします。しかし、過去に跳ぶといっても戦うのは”ここにいるマリーさん”なので糸が細いまま戦っていただきます。過去へ跳ぶときも糸は削れるので遠い過去には跳べません」
「????……つまり?」
眉間にしわを寄せるマリーにリオンは大きく息を吸い、笑う。
「ここ最近の戦いに跳びます。きっと、クラム砦の前でしょう」
マリーは安堵の息を吐き、笑みを返す。そしてリーシアに向く。
「頼んだわリーシア殿。あなたの武勇、期待している」
「こちらこそ」
マリーは手を差し出し、リーシアは拳を突き出す。
「え?」「あ!」
これが教育の差だろうか。握手を求めているマリーにリーシアは幼馴染と同じように拳を突合せようとしてしまった。
「す、すまない。いつものクセで」
苦笑しながら頬を染めるリーシアの手を握ると、マリーは心に安らぎを覚えた。忌まわしき赤い髪が美しく思えるほどに。
「では行きましょう。皆さん、瞳を閉じ、私に意識を集中させてください」
言われたとおりに瞳を閉じる兵士たち。再び瞳を開いたときには、そこは別の戦場であった。