セラフィナ姫
「といっても、セラフィナ様が七つの時ですが」
みんながほーっと安堵のため息をついた。
「えっと、まずセラフィナ様ですが、マルテス国王にはお二方、妹さんがおられまして、上の妹さんが我が国の王妃様で、下の妹さんがセラフィナ様のお母様になります」
「殿下にとってセラフィナ様は母方の従妹となるわけですね」とガリタヤ。
「そうです。セラフィナ様はマルテス島の西にあるシェル島の出身です。お母様はシェル島の貴族の息子さんと結婚してセラフィナ様をお産みになりました」
「シェル島というと、船の建造で有名な島ですな」とディレク。
「そうなんです。島には船の材料、シェル杉が豊富に生えていて、昔からこの杉を使った船を造っているそうなんです。セラフィナ様のお父上は船の設計者だったそうです」
「貴族なのにそのような仕事をされていたのですか?」
マルコが驚いた顔をする。マルコにとって貴族とは遊び暮らしている人々の事なのだろう。
「はい、素晴らしい設計者だったそうで、今もセラフィナ様のお父様が作られた図面を使って船が作られているそうです」
ほうっと皆一様に驚き感心した声を上げた。
「えーっと、ですが新型船用の帆柱の木を探しに山に入って崖から落ちて亡くなったという事でした。その時、セラフィナ様は三歳だったそうで、お母様もそれからまもなく、病いで亡くなられたそうです。ご主人が亡くなられて、随分気落ちしていたそうで、病いになったと思ったらあっという間にお亡くなりになられて。それで、叔父にあたるマルテス国王が引き取られてたそうです」
「で、一体いつ、レオニード殿下とセラフィナ様の縁談の話が持ちあがったんだ?」とディレク。
「レオニード殿下が十五歳の時、前マルテス国王が亡くなられて、今の国王が即位されたんです。その即位式の時にブルムランド国王が王妃様とレオニード殿下を連れてマルテスに来られて、その時、当時七歳だったセラフィナ様がレオニード殿下を気に入られて、お嫁さんになりたいと宴会の席で言ったそうなんです」
「七歳! まあ、子供の戯言でしょうが、それで殿下はなんと?」
「噂話ですから、どこまで正しいかどうかわからないのですが、殿下は自分が戦士で、戦をしている最中なので、いつ死ぬかわからない、姫に悲しい思いをさせるわけにはいかないと言って、丁寧にご辞退されたそうです。ただですね」
マリーが言い淀んだ。
「その、あくまで噂なんですが、姫がとても落胆したので、殿下は半島が統一されて姫に決まった相手がいなかったらプロポーズしましょうと約束されたそうなんです」
当時、ブルムランドの国王は半島の統一戦争の最中だった。レオンも国王陛下を助けて日々戦いに明け暮れていたのだろう。
しかし、ベルハの降伏で戦争は終結、半島は統一され、姫君も年頃、決まった相手がいなかったので、マルテス貴族の間ではレオニード殿下がセラフィナ様と婚約されるのではという噂が広まった。
ところが、帝国の皇女との見合い話が持ち上がり、セラフィナ様とレオニード殿下との結婚はないだろうという話になったのだという。
「マルテス貴族の間では、セラフィナ様に求婚したい若者が多いのでは? あの美しさですし、王家の姫ですしね」とガリタヤ。
「もし、姫君がレオニード殿下と結婚するなら、早々に諦めて他の方を探さないといけませんから、セラフィナ姫の結婚はマルテスの貴族の間では最大の関心事だったのでしょうね」とマリー。
「それなら、エルシオン王子の結婚の方が重大事でしょう。将来の王国の繁栄がかかっているのですから」ガリタヤがより現実的な話をする。
「エルシオン王子については、まだまだ、ご本人に結婚の意志がないようです。一応候補の姫はいるようですが」
「しかし、事情がわかってよかった。マルテス貴族の中には、ギル様を殺してまで、レオニード殿下とセラフィナ様を結婚させようという勢力はなさそうですな」
ディレクがほっとしたように言う。
私達はその後もいろいろと話し合ったが、結論は出なかった。とにかく、気をつけようという話になってその夜は休んだ。
マルテス王国の首都ステンシアはコルダ湾の中程にあり、港街として栄えている。多くの商人が集まり、たくさんの貨物が行き来する大きな街だ。港の対岸には要塞がある。要塞は海賊の襲撃から港を守る為に作られたそうだ。ちょうど湾の入り口を見下ろす位置にある。
海賊達は商船に化けて近づいてくるからやっかいだと、エルシオン王子が言っていた。
その要塞で、私達を海賊から助けてくれたバルトロ艦長主催の舞踏会が開かれる。私達も招待された。
午後になって、私達は馬車に乗り、王宮を出て要塞へ向った。
私が襲われるとしたら、要塞への道中だろうというのが、ガリタヤ達の意見だった。ディレクが商船「金のミツバチ」号の船長、ビアマンさんと連絡を取り合って、私兵を街道のそこここに潜ませた。
馬車は街道をステンシアの港へ向って降りて行く。街中には入らず、街の手前で左に曲がって湾を半周する。途中、漁村が見えた。人々が集まって網を引いている。地面がうなるような歌が聞こえた。私は突然思い出した。あの夜、男が言っていた。漁師達の歌を聞けって。
「待って、馬車を停めて!」
馬車が停まる。私は窓から身を乗り出した。
「ギルベルタさん、どうしました?」
御者台に乗っていたガリタヤが振り向く。馬車と並んで馬に乗っていた守りの騎士ディレクもこちらを向く。
「あの歌が聞きたいの。少し待ってくれる? ほら、あの夜警告に来てくれた人が言ってたの。漁師達の歌を聞いてみろって」
ディレクが渋面を作る。顔に駄目ですよとありありと書いてある。私ははっとして口元を抑えた。
「ギル、どうしました?」
しまった、エルシオン王子だ。今の話聞かれただろうか? うっかりあの夜の話を人前でしてしまった。馬に乗った王子が近づいてくる。王族の方々も一緒に要塞に向っていたのを忘れていた。
「あ、あのう、歌が聞こえてきたので、聞きたいなと思いまして」
エルシオン王子が浜の方へ顔を向ける。
「あれは、漁師の地唄ですよ。浜で漁をしながら歌っているのです。案内しましょう」
「いえ、あの、浜まで降りなくてもここでも聞こえますから」
「すぐそこですよ。大した距離ではありません。近くで聞きたいでしょう?」
王子がニコッと笑って同意を求める。私は仕方なく「では、お言葉に甘えて」と答えていた。
「後続の馬車は先に行くように!」
王子の命令に御者達が応じる。私達は馬車を脇道に入れ、エルシオン王子の案内で浜の方へ降りていった。道の突き当たりで馬車を停めさらに歩く。
「あ!」
小石をふんでしまった。こける。
と思ったら王子が支えてくれた。エルシオン王子は気配りの出来る優しい人だ。
網を引いている場所に近づくにつれ、歌声が大きくなっていった。波や風の音で途切れ途切れ聞こえていた歌がはっきりしてくる。男達の野太い声に女達の甲高い声が絡む。
歌詞には、魚がたくさん取れますようにという祈りが込められていた。
私も女達の歌を歌おうとしたが、歌えなかった。発声法がまったく違う。私が教わった発声法ではあの声は出ない。無理に歌おうとすれば、喉を壊すだろう。私は歌うのを諦め、じっと聞き入った。
「この曲、十二弦の竪琴で演奏すれば面白いかもしれないですね」ガリタヤが言う。
「私もそう思った。十二弦の竪琴ならあの低音が出せるもの」
「大太鼓テンパルでリズムを刻むというのはどうでしょう?」
「それでは、太鼓の音が強すぎるわ。竪琴とは合わない」
「しかし、低い音でリズムを刻むならテンパルでしょう」
「お二人は音楽家なのですね。十二弦の竪琴と大太鼓の合葬、ぜひ聞いてみたいですね」
エルシオン王子が微笑んだ。この人も王子様なんだ。レオンとはまったく違うタイプだけど、優しい。
「さあ、そろそろ行きましょう。舞踏会に遅れますよ」
私達は来た道に戻って、要塞へ急いだ。