大晩餐会
バシッと大きな音が大広間に響く。エルシオン王子だ。王子が、ララティナ姫の顔に平手打ちを浴びせていた。姫の体が床に叩き付けられ、手から落ちた剣が床にあたって大きな音を上げた。
「やめないか! ララ!」
人好きのするエルシオン王子の顔が怒りに歪んでいる。
国王陛下が立ち上がった。
「エルシオン、もう良い。ララティナ。おまえは謹慎だ。アップフェルト殿は親善大使として来られたのだぞ。部屋に行きなさい。アップフェルト殿が帰るまで、部屋から出さんからな。侍従長、ララティナを決して部屋から出すでないぞ」
ララティナ様が侍従達に取り押さえられて大広間から連れ出されていく。姫はずっと大声で、「何するんだ。離せ!」と怒鳴っていた。
世の中には凄いお姫様がいるんだ。びっくりした。
「アップフェルト殿、申し訳ない。とんだところをお見せした」
「いえ、気にしていませんので、どうぞ、お気遣いなく。あの、ララティナ様を許して差し上げて下さい。私はなんとも思っていませんから」
「いや、そういうわけには行かぬ。正式なブルムランドの使者に対しあのような無礼。誠に申し訳ない。あれには手をやいておるのだ。もともと、我らは船乗りの家系でな。あまり、堅苦しい事は好まぬ性質ではあるが、あれは行き過ぎておる。いや、誠に失礼した。ささ、部屋に案内させよう。長旅でお疲れだろう、ゆっくり休まれよ」
私達は侍従長の案内で別棟へと向った。
長い廊下を歩いていて気が付いたのだが、宮殿は外から見ると壮麗に見えたが、中は質実剛健といった感じで、華美な装飾品は一切なかった。
私はたくさん立っている塔に見とれた。青い空を背景に白い塔が眩しい。
案内してくれた侍従長が、総て物見の塔だと説明してくれた。マルテス王国は島国なので、他の国からの攻撃はほとんどないが、時々海賊の襲撃があるのだという。私達が海賊に襲われたと話すと侍従長はとても驚いていた。私達のような親善使節の船は、マルテス海軍が迎えに行くので、襲われる事はないのだという。そういえば、出発の日時がマルテス側にちゃんと伝わっていなかったとビアマンさんが言っていた。何故、そんな手違いが起きたのだろう。
その夜は国王主催の大晩餐会だった。
まさか私が、ただのちっぽけな一兵士の娘が一国の王から国賓として招かれるとは思ってもいなかった。生きていると本当にいろんな事がある。
私は薄桃色のドレスを着て晩餐会に臨んだ。
次々に料理が運ばれて来る。どれもこれも素晴らしい盛り付けで、その上おいしい。ほとんどが魚やエビ、貝を使った料理だ。島国だけあって、新鮮な材料が手に入るのだろう。
エビにいたっては、生で食べる料理が出た。手の平ほどの長さのエビをガラスのボウルに生きたまま入れ、そこにお酒をたっぷりかけて蓋をする。エビは苦しんで飛び跳ねるのだが、やがて動かなくなる。そのエビの殻を剥いて、酸味のきいたタレにつけてそのまま食べる。最初はとても食べられないと思ったのだが、これが食べてみるとめちゃくちゃおいしかった。
料理を運んで来た人が説明してくれた。
「このエビはトラッコエビといって、マルテスの北、トラッコ湾で取れた物です。我が国の特産品でございます。酒はマルテス産のワインを蒸留して作ったブランデーでございます。非常に強い酒で、エビが速やかに昇天できるようになっております。エビの体を損なわない配慮でございます。タレはワインから作った酢と香辛料、蜂蜜をくわえております」
私は説明をきいている間にも三匹ほどたいらげていた。とにかく何もかも忘れてしまいそうになるほど美味しいのだ。ガリタヤが「淑女ががつがつ食べたらみっともないですよ」と小声で注意してくれたので、三回目のおかわりは諦めた。
ドラがなった。
正面の扉が開いて、台車が入ってきた。台の上には氷で出来た大きなスフェーンの像が乗っている。像の足下には貝やひとでが彫られていて、スフェーンを取り囲むように小さな魚の像が幾つも置いてある。灯りを受けて透明な氷が光る。キラキラと夢のようだ。
「おお、素晴らしい!」
「なんて、キレイ!」
「この季節にあのように大きな氷があるとは!」
台の側に立っていた料理長が一礼する。国王陛下が声をかけた。
「おお、料理長! 今宵はまた一段と素晴らしいな!」
「お褒めにあずかり光栄でございます。しかし、この像、私一人で彫ったのではありません。厨房の皆で彫りましてございます」
料理長が合図をしたのだろう、白い同じ服を着た人々が入ってきた。お揃いの白い帽子、白い前掛けをしている。厨房で働いている人々のようだ。女の人もいる。皆が揃った所で一斉に、床に膝をついてお辞儀をした。
「そのもの達、大儀であった。褒美を取らそう」
国王陛下が手を振る。侍従の一人が料理長の前にしずしずと袋を置く。料理長が嬉しそうにそれを取り上げ押し頂いた。
「陛下、ありがとうございます。このように大層な褒美を頂いて、恐縮ではございますが、実はその、お願いがございます」
「ほう、珍しいのう、仕事以外は無欲なおまえが。申してみよ、きいてやれるかどうかわらぬがな」
あたりから笑いが洩れる。料理長が手に持った袋をぎゅっと握った。緊張しているようだ。
「今夜はブルムランド一の歌姫がお出でとお聞きしました。ぜひ、一曲歌っていただけないでしょうか? 図々しいとは思いましたが、黄金竜を倒したという歌声。一生に一度の機会かと思うと居ても立ってもいられなくなってしまいました。ぜひ、聞かせていただけないでしょうか?」
黄金竜を歌で倒したわけではないのだが、悲鳴で竜のうろこを砕いたという話はあまりに信じられない話らしく、結局、竜が私の歌声に酔ったところをレオンが倒したという話に落ち着いてしまった。いちいち違うと言うと、その度に歌声でブランデーグラスを割って悲鳴で竜のうろこをはじき飛ばしたと証明しなくてはならず、まるで歌でグラスを割る芸人のようになってしまうのだ。しかたなく誤解があっても訂正しない事にしている。
貴族の方達からも、ぜひ聞きたいという声が上がった。国王陛下が私の方を向いてお訊きになる。
「いかがかな? アップフェルト殿」
私は立ち上がって国王陛下に一礼した。
「もちろん歌わせて頂きます、陛下。このように美しい彫像を前に歌えるとは、なんという光栄でございましょう」
私は料理長の方を振り返った。
「あの、何かお聞きになりたい曲はありませんか?」
「え? あ、あの出来ましたら、『風よ届けて』という曲が素晴らしいと聞いております。歌って頂けないでしょうか?」
「ええ、喜んで!」
私はガリタヤに楽器の用意をするよう合図した。ガリタヤがかすかにうなづき、タントルーフを取り上げる。料理長や厨房の人々が壁際に異動して行く。私は氷の彫像の前に立った。広間のざわめきがやみ、あたりがシンとする。
ガリタヤのタントルーフから曲が流れ始めた。胸いっぱいに息を吸い、私は歌った。
丁寧に『風よ届けて』を歌いあげる。あの竜達を酔わせた高音部に来た時、人々の顔に唖然とした表情が浮かんだ。
曲が終わる。ガリタヤのタントルーフの音が静かに消えて行く。あたりが静寂に包まれる。そして、パン、パンパンパン。国王陛下が酔ったような顔をしながら拍手した。同時に広間全体から沸き起こる拍手、拍手、拍手、賞讃の声。
料理長が拍手しながら目に一杯の涙をためて私を見ている。こんなに感激してくれるなんて、歌姫冥利につきるというものだ。
国王陛下が立ち上がって拍手をしながら私の元へやってくる。
「素晴らしい歌声であった。これなら確かに竜も聞き惚れよう。どうだ? 料理長。満足したかね」
「はい、もちろんでございます、国王陛下」
料理長はとうとう泣き出してしまった。感受性の強い人のようだ。もちろん、感性のするどい人でなければ、あのように素晴らしい料理を作れるわけがない。
「陛下、今宵は本当にありがとうございました。私、一生忘れません」
料理長は涙を拭きながら、他の料理人達と一緒に大広間から退出していった。
「アップフェルト殿、今の料理長の様子で思ったのだが、もし、良ければ、下々の者達の為に歌ってもらえないだろうか?」
「はい、喜んで。国王陛下のお望みのままに」
「うむ。では、侍従長に手配させよう。さあ、皆の者。夜も更けた。歌姫殿の素晴らしい歌声を胸に今宵は休もうぞ」
こうして大晩餐会はお開きとなり、私達も宿舎に割り当てられた部屋に戻った。
その夜、私は何かの気配で目がさめた。見るとベッドの脇に黒い影が。誰かいる。悲鳴をあげようとして口を塞がれた。