再び、王宮の暗い部屋にて 2
ランタンの灯りの中に、赤獅子騎士団団長バーゼルが姿を見せた。
「企みはその辺でおやめ下さい。王妃様」
「おまえは!」
「母上、まさか、あなたがこのような計画を立てているとは思いもしませんでした」
バーゼル騎士団長の後ろからレオニード・フォン・ブルメンタールが姿を現した。
「バーゼル、その男を捕らえろ」
はっと答えて騎士団長は男を縄で縛り上げた。
「お許し下さい、殿下。私は脅されたのです。娘は王妃付きの女官で、計画に加担しなければ、娘に何があるかわからないと言われ、逆らえなかったのです」
レオニードは男の青ざめた顔を見下ろした。
「レスター卿、それならそうと私に相談するべきだったのだ」
「申し訳ありません。殿下」
「ところで、ギルの乗った船の出航日をわざと間違えてマルテスに連絡したのは、どちらです?」
王妃がさっと横を向いた。握りしめた手が震えている。
「母上、あなたでしたか。宰相が間違える筈がないと思っていました。聞いたか、レスター卿、母上は最初からおまえの計画を信じていなかったのだ。ギルが海賊に襲われればいいと思っていた」
レスター卿の顔がさらに青ざめる。
王妃がレオニードを正面から見据えた。
「あなたが悪いのです。レオニード。あんな平民の歌姫風情にうつつを抜かすから。あんな女は妾で十分なのよ。それを正妃にしようなどと」
レオニードは軽くため息をついた。
「バーゼル、そいつを連れて行け。処置はおまえに任せる。侍女も下がらせろ。母上と二人で話をする」
はっという声と共に、バーゼル騎士団長はレスター卿を引き連れて部屋を出て行った。
「母上、お忘れでしょうが、ギルは私の命を救ったのです。ギルがいなければ私はこうして母上とお話しも出来ませんでした」
「何をいうの。もとはといえば、おまえが竜を倒しに行ったからでしょう」
「竜を倒さなければ、商人達がブルムランドを見限る所だったからです。いいですか、母上、ブルムランドは、父上の戦好きが高じて破産寸前なのですよ」
「農民達からしぼり取ればいいじゃない」
「戦で疲弊している彼らからですか? これ以上取ったら、農民達がこの国から逃げ出しますよ。一体誰が畑を耕していると思っているのです」
レオニードは思わず、声を荒げていた。息子の叱責にあって王妃はそっぽを向いた。拗ねているようだ。
レオニードは床に転がっていた椅子を拾い上げ埃を払って置いた。王妃に掛けるよう促す。自身は壁によりかかった。
「いいですか、母上。農民ではなく、商人やブルムランドにやってくる人々からうまく税金をとらなければならないのです。そうしないと、今あなたが着ている贅沢な衣装も売らなければならなくなりますよ」
王妃は厳しい目をして見つめる息子をきっと睨んだ。が、しかし、すぐに猫撫で声になる。王妃は椅子に座らせてくれた息子の気遣いと優しさに母親としての自信を取り戻していた。
「レオニードや、何をいうの。もちろん、私もわかっていますよ。財政が逼迫していると。だからこそ、おまえはマルテスの姫を娶らなければならないのですよ。そうすれば、豊かなマルテスの援助を得られるでしょう?」
レオニードは愚かな母親を気の毒に思った。
「確かにマルテスは金持ちです。なんといっても、造船技術を独り占めしているのですからね。そのうえ、真珠の産出国です。大陸から離れているおかげで、大きな戦争に巻き込まれる事もない。平和で豊かな国です。ですが、ブルムランドを未来永劫、援助出来るほど豊かではない。我々は自分達の手で国を豊かにしなければならないのです」
「だけど、その為には先立つ物がいるでしょう」
王妃はヴェールを上げ、さらに甘い猫撫で声で息子をあやすように言う。
「ねえ、おまえ。セラフィナに会ったのでしょう。重症を負ったというけれど、どうなの? 回復するのでしょう?」
「ええ、いづれは」
「美しい姫だったでしょう? 何故、セラフィナではいけないの?」
「では、何故、ララティナではいけないのです。健やかな姫でしたよ」
「あんな山猿のような姫とおまえを結婚させるわけにはいかないでしょう。未来の王妃に相応しくないわ。セラフィナこそ未来のブルムランド王妃に相応しい姫ですよ。ね、身分卑しい歌姫とは、さっさと別れて、セラフィナと結婚しなさい。歌姫と結婚しても、あの者には何の後ろ盾もない。新しい戦力や人脈を望めないのですよ」
「何を言っているのです。ギルには民衆がついています。母上も明日の歌会をご覧になればわかるでしょう。多くの民が彼女の歌声で一斉に行動を起すのが。私はマルテスでその様子を見て来たのです。これ以上の後ろ盾はありません」
「民衆! それこそ、両刃の剣ですよ。民衆は力で押さえるもの。彼らは目先の利益しか追い求めないのですから。それより、セラフィナですよ」
王妃は言葉を切った。目を細め、声を低める。
「いいこと、これは極秘の話です。何故、兄上があの子を養女にしたと思っているの。あの娘は父親の遺産、シェル島を領地として受け継いでいるのですよ。その上、帆船の設計図の所有者なのです。おまえはさっき、マルテスが造船技術を独り占めにしていると言ったわね。あの娘と結婚すればそれが手に入るのです。おまえも知っているでしょう? 帆船一隻がどれほど高いか。帆船を造る度にセラフィナには莫大なお金が入るのです。今は後見人の兄上の物になっているけれど、結婚すればあなたの物になるのです。それこそ、将来に渡ってブルムランドに富をもたらす物ではありませんか!」
レオニードは絶句した。思ってもみない王妃の切り札だった。
「セラフィナは素晴らしい姫ではありませんか? あの美しさ、淑やかさ。彼女が将来に渡ってもたらす富。これ以上の姫はありませんよ。それに、おまえをとても慕っているのですよ」
王妃は邪気のない微笑みを口元に浮かべた。
「おまえ、十五の時に約束したのですって。半島が統一されて姫に決まった相手がいなかったらプロポーズすると」
「ええ、言いましたよ。姫が可哀想でしたから。七つの子を慰めるために言っただけですよ」
「でも、向うはそう思っていないのよ。ね、戦争も終わった事だし、セラフィナと結婚しなさい」
レオニードは一瞬ためらった。
ーー母は本当に知らないのだろうか?
「実は、あの後、父上から釘をさされたのです。セラフィナ姫はやめておけと」
「陛下から?」
「はい、父上がセラフィナ姫と私は結婚出来ないと言いました」
王妃は怪訝そうな顔をした。そして、「あ!」と叫んだ。
「ま、まさか!」
「そうです。そのまさかです。詳しくは父上にお聞き下さい」
王妃が真っ青な顔をして息子を見上げた。目が大きく見開かれ、狂ったように泣き叫びはじめた。
「ひどい! ひどいわ! あんまりだ! 私の妹を孕ませるなんて! あんまりよ! 私の大事な妹を!」
椅子から立ち上がり、部屋の中をこぶしをふるって歩き回る。壁にどんとこぶしを打ちつけ、そのまま、床にくずおれた。
嗚咽を上げて泣き続ける母にレオニードはなす術もなく立ち尽くす。
「あの時ね。きっと、あの時だわ。日付も合うもの。後宮の造営が終わって、まもなくだったわ。私は妹に自慢したかった。新しい後宮の素晴らしさを。私が妹を招待したのよ。あの頃、陛下は新しい後宮になじめなくて、時々部屋を間違えられていた。呼ばなければよかった」
一時の興奮が治まったのか、王妃の声は小さくなっていった。
レオニードは母親の側に膝を付き、慰めようと手を伸ばした。
ふいに王妃が顔を上げ、晴れ晴れとした笑顔を息子に向けた。
「でも、誰も知らないわ。陛下と私とおまえだけ。だから、おまえとセラフィナが結婚しても誰も妹と結婚したとは思わないわ。ねえ、セラフィナと結婚しておくれ」
「母上!」
レオニードは思わず身を引いた。
ーー金の為に血のつながった妹と結婚しろというのか!
心の中で何かが壊れた。
「母上、お体の調子はいかがですか? お顔の色がすぐれないようですね。侍医に診て貰いましょう」
レオニードは部下を呼んだ。
ブルムランドの王妃は、それからまもなくして修道院に預けられた。表向きは病気療養の為という名目だったが、実際は体のいい幽閉であった。
セラフィナ姫がレオニード殿下に感じた強い絆。
それは血の絆であった。




