エビ、二樽!
ウソ! 自力で泳いでる! 凄まじい勢いで追って来る!
「うわー」
私達は一目散に逃げ出した。ヤドカリがハサミを振り回す。
カシャ、カシャとすぐ後ろでハサミを打ち鳴らす音がする。
「潜るよ、息を吸って!」
ピュールが叫ぶ。私は大きく息を吸った。キイルの背にしがみつく。
ざんっと海に潜った。
スフェーンが本気を出すとこんなにも速いのか、というぐらい速かった。
びゅっと海面に躍り出た。息つぎだ。キイルの気孔が大きく開かれる。私も息を吸い込んだ。
もう一度、潜る。グングンと巨大ヤドカリを引き離す。
遠くにバシャバシャという音が聞こえていたが、とうとう聞こえなくなった。
泳いで行く先に小さく灯りが見えた。船の灯りだ。レオンの船だろうか?
ゆっくりと近づく。船縁に人々の姿が見えた。レオンが手を振っている。レオンの船だ。
私は手を強く振り返した。
「キイル、乗せてくれてありがとう。ピュール、私、人の世界に戻るわ」
「ああ、それがいい。ねえ、あたしのとさかについてるこれ、取ってくれない? それ、レオンがあんたにやったんだろう? あんたが持ってるべきだよ」
「でも、私もピュールに御礼がしたいわ」
「気にしなくていいさ。人になったりグンダグンダになったりして、面白かったし。さ、取って」
私はピュールのとさかから、レオンの耳環をそっと抜きとった。自分の耳に付ける。
船から縄梯子が降りて来る。レオンも降りて来た。私に上着を投げて寄越す。私ははっとした。下着姿だった。私は慌てて袖を通した。船縁にいた兵士達はいなくなっていた。気をきかせてくれたのだろう。
「ほら、背中に掴まれ」
レオンが、私に手を伸ばす。
「ううん、駄目よ。レオンが濡れてしまう」
「構わん。早くしろ。風邪を引くぞ」
相変わらす強引なんだから。でも、レオンがいつものレオンだ。旅に出る前のぎこちなさが消えている。よかった。
私はレオンの背中につかまった。
「グンダグンダはどうなった?」
「海の底に沈んで行ったわ。深い海の真上だったから、きっと水で押しつぶされていると思う。寿命もほとんどなかったし」
「確かめたわけじゃないんだな」
「ええ、逃げるのに精一杯だったから」
「ギル、彼らに言ってくれ。マルテスに帰るまで、船と一緒にいてほしいと」
「え、どうして?」
「グンダグンダが生きていた場合に備えておきたい。彼らがいたら、海の上で戦える。君が船にいる時に襲われたら、君を逃がす事も出来る」
「でもでも、彼らはクタイクタイ、その、繁殖期なのよ。だから、早く帰りたがってるの。無理は頼めないわ」
「ほんの一日、二日の事なんだ。もし、頼みをきいてくれたらエビを一樽褒美としてやろう」
「エビ?」
「ああ、ピュールが人だった時、美味しそうに食べていたんだ。きっと味を覚えているだろう。スフェーンはエビの殻を向けない。殻をむいたエビをやると言ったら、きっと喜ぶだろう」
私はピュールに話してみた。
「あのエビを食べられるのかい? だったら協力してもいいな。でも、樽は二樽だ。キイルの分もくれるならね」
「わかったわ、二樽ね。マルテスについたら渡すわ」
「今は、無いのかい?」
「ちょっと待って」
私はレオンにエビを船に積んでないか、きいてみた。
「マルテスに着いたら渡すと言ってくれ。今はない」
「ピュールがキイルの分もほしいって言ってるの。二樽って」
「くっくっくっく、ピュールは商売上手だな。いいとも、マルテスについたら二樽だ。そのかわり、しっかり働いてもらうぞ。呼んだらすぐに来いと言っておいてくれ」
「わかったわ」
ピュールに説明したら、横で聞いていたキイルが消えそうな声でいう。
「僕、いらないよ。それより早く帰りたい」
「ちょっとぐらい遅れたって間に合うって。あたし、キイルに食べさせたいんだよ。美味しかったんだ。きっと気に入るよ」
ピュールがキイルを説得する。
「うーん、わかったよ」キイルが仕方なさそうに承知する。
「ギル、用事のある時は名前を呼んどくれ。船のこの辺りに頭を出すからさ」
ピュールとキイルは海に潜って行った。
レオンが縄梯子を登る。レオンの大きな背中。温もりがなつかしい。
甲板では兵士達が出迎えてくれた。口々に私の帰還を喜んでくれている。
「ありがとう、みんな。さあ、今日はもう遅い。皆、休め」
レオンが兵士達を労う。船室に真水が用意されていた。船の上で真水は貴重品だ。私は潮で濡れた体を真水で洗い清めた。貴重な水を提供してくれた兵士達に感謝して丁寧に使った。
乾いた水兵の服に着替えてやっと人心地ついた。水兵の服は動きやすくて着心地がいい。
自分の体はやはり最高だ。
「あー」っと声を出してみた。歌える。また、歌えるんだ。
船室のドアを叩く音がする。ドアを開けるとレオンが立っていた。部屋に入るなり、レオンが私を抱き締めた。私も抱き返す。私達は固く抱き合っていた。
「ギル、どれほど心配したと思う」
「レオン」
「行方不明の知らせが届いた時、俺は気が狂いそうだった。やっと……、やっと、君に会えた。愛している」
レオンが私の唇を塞ぐ。頭の芯が真っ白になる。
レオン、私もよ。愛しているわ。
会いたかった。
何故、こんなに長い間離れていられたのだろう。信じられない。
レオンの大きな手が私の手を包む。ソファに並んで腰掛けレオンの肩に頭を乗せる。船が優しく揺れて、見上げればレオンの緑の瞳、いつまでもみつめていたい。
私達はとりとめのないおしゃべりをして、いつのまにか眠ってしまっていた。
翌朝、「海賊だ!」という声に起された。
夜明けの海の上に禍々しいドクロ旗が殺気をはらんで疾走していた。




