魔女の体
ピーーッと私は気孔から思い切り空気を吐いた。
グンダグンダが驚いてとびずさる。
「ええい。往生際が悪いね」
グンダグンダが私に股がった。気孔を体でふさぐ。ナイフを大きく振り上げた。
「いやー」
私は尾びれで思い切りはねた。
グンダグンダの体が跳ね上がる。振り上げたナイフが天井にあたって水の中に落ちた。さっとくわえて、潜る。ナイフを海の底に落として取って返す。水に引きずりこんでやる。だけど、睡眠薬のせいで、いつもと勝手が違う。素早く動けない。その間にグンダグンダは、水から上がっていた。
「この、あばずれスフェーンめ。言っとくがね、この体はあんたの体なんだよ。え! わかってるのかい! 傷ついて困るのはあんたなんだよ。ぎゃ!」
グンダグンダが誰かに髪を掴まれた。おもいっきり、のけぞる。
ピュールだ。
しわしわの老婆だけれど、力は強い。
「おい、おまえ、何をした? どうして、あたしがこんな体になるんだよ!」
「お離し! お離しったら!」
グンダグンダが老婆の体を蹴った。倒れる老婆。
「ピュール!」
私は大声で叫んだ。ピュールが動かない。いや、細いしわしわの手を必死に伸ばしてグンダグンダの足を掴んだ。それを振り払って逃げるグンダグンダ。はしごを駆け上る。天窓がバタンとしまった。
逃げられた。
ガリタヤ達に偽物だって、知らせなきゃ。
私は水に潜った。洞窟を抜け、モイアシルの林に出る。頭上にボートの底が見える。モイアシルの道が閉じ始めていた。大急ぎで、林を抜けて海面に出る。ボートの様子を伺った。ボートはまだ、モイアシルの林の上だ。今、ボートから落ちたら、モイアシルのトゲに刺されて大けがをするだろう。私は、彼らがモイアシルの林を出て来るのを待った。あれ、帆船がもう一隻停まってる。あれはレオンの船だ。
レオンの船からボートが出て来た。
あれは、レオンだ! レオンがボートに乗ってる。私を迎えに来たのね。
レオーン!!
モイアシルの林の外に出て来たボートとレオンの乗ったボートが並んだ。
グンダグンダがレオンのボートに飛び移る。
嘘、レオンが私を抱き締めた。だめよ。それは私じゃない。
二人が見つめ合ってる。グンダグンダがレオンにキスしようとしてる。
レオンの精気を吸い取るつもりね。
だめ!
私はボートに突進した。大きくボートを揺らす。
絶対にキスさせたりしないわ。
海に落としてやる。
もう一度ボートに向って全速力で泳ぐ。ボートの前で大きく跳ねて、グンダグンダに体をぶつけようとした。レオンがグンダグンダの体をかばう。だめよ。中身はグンダグンダ。あなたの精気を狙ってる。
レオンと目があった。吸い込まれそうな緑の瞳が大きく見開かれている。
思い出した。レオンは私の愛する人。ただ一人の人。
ボートを飛び越して私は向こう側に落ちた。再び、海面に出ると矢が飛んできた。慌てて、潜る。レオンが「やめろ」と叫んでいる。「殺して」と言っているのは、偽物の私、グンダグンダだ。
私は仕方なく、矢の届かない遠くへ逃げた。
レオン、ああ、レオン。
私がレオンを忘れるなんて。
砂浜で会った時、ピュールが「結婚出来ない」って言って、あんな、あんな傷ついた顔をして。
どうしよう、どうしたらいいんだろう。
レオンを傷つけてしまった。
「ビシャ!」
海の底から一頭のスフェーンが上がってきた。
「キイル! どうしたの?」
「君が南に向って泳いでたって、誰かが言っててさ。お化けイカが出たってきいて、急に心配になったんだ。ごめんよ、ビシャ。君を群れから追い出して。悪かったよ」
「もういいの。それより大変なの。ピュールが、グンダグンダの体に閉じ込められたの!」
「ええ!」
私はキイルに事情を説明した。
「グンダグンダがそんな酷いことする奴だったなんて! すぐにピュールに会いに行こう。一人になって荒れてるよ。きっと」
私はレオンが気になったけど、近づいたら殺される。レオンはやすやすと騙されたりしない。レオンの力を信じよう。
私はキイルと一緒にピュールのいるグンダグンダの巣に戻った。
モイアシルの林が閉じている。私達は試しに問いかけてみた。
「ピュール、私よ。ビシャよ。キイルも一緒よ」
すぐに答えが返ってきた。
「ビシャ! キイル! あの女、魔女だったんだ。あたしをこんな体に押し込めやがって!」
グンダグンダのいる島全体が震えた。
ピュールは一体、どんな方法を使ったのだろう。
それともグンダグンダの体が怒ると島全体が震えるようになっているのだろうか?
どちらにしろピュールの怒りは凄まじいようだ。
と、突然モイアシルの林がざーっと小さくなった。海底に貼り付いている。
私とキイルは顔を見合わせた。
「これは何?」
「よくわからないけど、今ならグンダグンダの洞窟にいけるよ」
私達は、さあーっと泳いで洞窟に飛び込んだ。モイアシルがいつまた元の姿に戻るかわからない。
洞窟の奥で、老女となったピュールが物凄く怒っていた。テーブルがひっくり返っている。ピュールがわめき散らしていた。
「キイル、なんとかして! 元の体に戻して! この体、ちっとも動かないんだ」
「え? 動き回ってるじゃない」
私は洞窟の水溜りから顔を出した。
「あんた、あたしの体から出てよ。そしたら、あたし、元の体に戻れるんだから!」
私に向って腕を振り立てる。
「そんなこと言ったって無理よ。どうやって出るの?」
私は水溜りの隅に身をおいた。八つ当たりで叩かれたらたまらない。
「あたしにわかるわけないじゃない。グンダグンダはヤドカリのでかいのだったんだよ。この老婆の体はヤドカリの一部なんだ。自分の体を改造して人に見せてたんだよ」
「えーーー!」
ヤドカリって、やっぱり。グンダグンダの島全体が何かの形に似ていると思ったら、ヤドカリの殻だったんだ。
「こいつ、若い時はセイレーンって化け物だったんだ。若い男を歌声で呼び寄せて、精気を吸い取っちゃあ殺してたんだ」
「でも、でも、みんなの病気を治したってきいたよ」
キイルがびっくりして言う。
「えーっとね。昔、勇敢なお坊さんが耳に栓をしてここに上陸して、徹底的に痛めつけたんだよ。もう少しで、グンダグンダは殺される所だったんだけど、改心するから許してくれって命乞いをしたんだよ。お坊さんは、『これからは、海の生き物達の為に尽くせ』と諭して、魔力を奪うだけで許してやったんだ」
「ピュール、どうしてそんな事知ってるの?」
「グンダグンダの奴、自分の記憶を本体に置いていったんだ。というか、人間の頭に入り切らなかったんだと思う」
「えー? てことは、私の人の記憶も体に残ってるの?」
「いいや、あんたの記憶はなかったよ。まったく空っぽだった。グンダグンダは八百年分の記憶をもっているだ。それでかな。こいつの体に入った途端、そういう記憶がだだだーっと目の前に現れてさ。くらくらしたよ」
ピュールが老婆の体を使って目を回してみせた。
「でも、改心してたのにさ、どうしてまた、悪さをするようになったんだろう?」
「グンダグンダの体は死にかけてるんだ。寿命みたいだよ。それで、新しい体が欲しかったんじゃないかな。ずーっと生きていけるじゃん」
「そうね、ヤドカリだもの。体を新しくするのに抵抗ないわね。ていうか、それって、ピュール、あんたがあぶないって事じゃないの?」
「その通り! グンダグンダの体が死んだら、あたしも死ぬ」
「僕、嫌だよ。ピュールが死んじゃあ嫌だよー」
キイルがおいおいと泣き出す。
「だから、早く体を取り替えないといけないんだよ」
ピュールがバンバンと片手のこぶしをもう片方の手のひらに打ち付けた。
老婆にあるまじき動きだ。ピュールが入ったおかげで元気なおばあさんになってしまった。




