「結婚出来ない」
ピュールが「『結婚できない』」と繰り返す。彼女には凍り付いた空気などないに等しいのだろう。
「そんな言葉、いつ覚えたの?」
キィキィと耳障りな自分の声に嫌気がさす。
「女の人がきて、あたしにしきりに言うんだ。で、覚えた」
「それって、意味わかってる?」
「ううん。どういう意味?」
私がピュールに答える前にレオンが水辺に来た。顔が強張っている。
「ギル、今のは君が言わせたのか?」
文字盤の「いいえ」を棒でさす。
ピュールが覚えた単語を言っただけだとレオンに伝えた。
「私は誰かと結婚するのですか?」
と文字盤を使ってきいてみた。
レオンが物凄く悲しそうな顔をした。
「君は……、君は覚えてないのか?」
文字盤の「はい」を指す。
「ああ、そうだな。俺のことも忘れていたんだ。結婚の話も忘れていて当たり前だな」
「ギル様、あなた様は」
「よせ、マリー」
「ですが」
レオンがついと、砂浜に向って歩いた。振り返って皆を手招きする。皆で何か話始めた。私には聞こえない。何を話しているんだろう?
「『結婚できない』」
ピュールがドムドムの実を食べながら繰り返す。
なんか、だんだん腹が立ってきた。私は急にその場にいるのがイヤになった。
さっと、身を翻して海中に沈む。尾びれを振って素早く泳ぎ出す。目の前の小魚をくわえ、飲み込んだ。ぐるぐる泳ぎ回る。キイルが何の遊びかとついてくる。
息つぎに海面に出るとレオンの呼ぶ声が聞こえた。私は頭のてっぺんからピーッと返事をして岩場に戻った。小魚を食べたからか、泳いだからか、気分は良くなっていた。
「ギル、急にいなくならないでくれ。頼む」
レオンが眉間にしわを寄せ怖い顔をしている。有無を言わせない迫力に気圧されて、私は頭を縦に振っていた。
それから、私達はピュールに言葉を教えた。ピュールは意外に賢く物覚えも速い。人間の習慣を教えれば意味もわかるようになるだろう。
日が西に傾き始めた。影の長さを見てレオンがほぅっとため息をついた。
「今日はここまでにしよう。グンダグンダの元へ行く方法はこちらで考える」
私は首を縦に振る。明日会う約束をして砂浜を離れた。
要塞の崖下を過ぎて人々の網が見え始めるあたりまで、私とキイルはボートについていった。そこで引き返そうとすると、レオンが何故ここから先ついて来ないのかと言う。
私はボートの上の文字盤を使って、人が漁をしていて、漁の邪魔をすると人が怒るからと伝えた。
揺れる文字盤を棒で指すのはとても難しい。
「スフェーンに人が漁をしているとわかっているとは思わなかった」とレオンが珍しそうに言う。
「網にひっかかった経験があるのではないでしょうか?」とガリタヤ。
ガリタヤが船縁から私に向って話しかけてきた。
「ギルベルタさん、緊急の場合の連絡方法ですが、タントルーフを使おうと思います。長く三回吹きますから、その時はこの辺りまで来て下さいね」
ガリタヤが三度、タントルーフを吹いてみせる。
私は首を縦に振って了解したと伝えた。そして、私も三度ピーッと気孔を鳴らして答えた。
「あなたの合図はそれですね。その音が聞こえたらあなたが来たということですね」
私は首を縦にふった。
ボートが次第に遠ざかって行く。みんながこっちを見て手を振る。レオンが辛そうな顔をして立っている。
どうしてレオンはあんな辛そうな顔で私を見るのだろう?
私は結婚しようとしていたのだろうか?
誰と?
わからない事だらけだった。




