王宮の暗い部屋にて
男が一人、王宮の暗い廊下をひっそりと歩いて行く。ところどころに燃える松明が黒々とした影を廊下に落としている。男は松明が作る影の中を選んで歩いて行く。人に見られないよう細心の注意を払っているのだろう。長く曲がりくねった廊下の先にようやく小さな灯りが見えた。扉の鍵穴からもれる灯りだ。男は扉を軽く叩いた。老女のようなしわがれた声が聞こえた。
「どなた?」
「この国の未来を憂う者です」
合い言葉だったのだろう、扉が内側に開かれた。
黒いヴェールを被った侍女が扉の脇に立っていた。男が入るや、入れ替わるように扉の外に出て行く。部屋の中は薄暗い。家具はなく、窓は閉じられ、窓枠には内側から板が打ち付けられている。床に小さなランタンが置かれていた。
豪奢なドレスを着た女が一人。ドレスに施された銀糸の刺繍がランタンの灯りに輝く。
女もまた長いヴェールをかぶっていた。ドレスの前に組まれた手には大きなラピスラズリの指輪がはまっている。
男は帽子を取り腰をかがめ優雅に挨拶をしようとした。
「あの女を殺して!」
その挨拶も待たずに、女が絞り出すように言った。
男は「あの女」が誰なのか、すぐにわかった。
「しかし……」
「出来ないの?」
「というより、死んでしまっては、却って心に残るもの。ここはむしろ、貶めるのがよろしいかと」
「生ぬるい!」
女は叫んだ。
「いえいえ、いいですか。要は、王子の心があの者から離れれば良いのです。男と言うものは女に夢を抱くもの。その女が、実は下衆な女と解れば幻滅し、恋心なぞ吹き飛びましょう」
「うまく行くだろうか?」
女はいらいらとあたりを歩き回った。歩くにつれ衣摺れの音がうるさくひびく。
「計画があります。お任せ下さい。うまく行かなければ、その時こそ殺せばいいのです。あの者の歌声、殺すには惜しい。しかし、歌姫は歌姫。王子の花嫁になろうなどと、思い上がりも甚だしい。思い知らせてやりましょう。なんといっても、将来の王妃ですぞ。どうして、歌姫風情がなれましょうや」
「そうね、その通りだわ。ほほ、あの者自身が三年待ってくれと言ったのだもの。その間にいくらでも仕掛けられるわね。すぐに結婚されては、こちらも打つ手がなかったけれど」
「いえいえ、もし結婚したら、その時こそ、暗殺すれば良いのです。……しかし、ブルムランドの弱体化を望む人間はむしろ、王子と歌姫の結婚を望むでしょう。歌姫には後ろ盾がない。王子は歌姫と結婚しても新しい戦力や人脈を望めないのです。王子が王になればブルムランドは弱体化するでしょう」
「そんな事になったら、大変だわ。絶対、あの女との結婚を阻止しなければ」
「この件、おまかせ下さい」
女はほっとした様子で、幾つかの情報を男に与えて部屋を出て行った。