#00 OP!
「―――であるからして…」
夏の風景。窓から聞こえる蝉の鳴き声に重なって、生徒達の唸るような声が聞き取れる。
榊 弘人は、流れる汗をタオルで拭いながら、授業を聞き流していた。
「――この数式を代用して…―――」
……数学は嫌いだ。授業で習うもののうち、何%が社会で実用性があるだろうか?
俺はうんうん唸りながら、そんな事を考えていた。この数学教師は、独り言のように授業を進めていくので、生徒からの人気は低い。が、居眠りやサボりにはもってこいの授業だった。
開始数分、タオルに顔を埋めて寝息をたてる生徒がちらほらと確認できた。しかしこのハゲ、何も気付かずに授業を続けるのだ。
「ねぇ……」
後ろの席からツンツンとつっつかれた。
俺は振り向かず、そのまま背伸びしながら窓の外を眺めた。ちょうどグラウンド脇のプールでは、他クラスの女子がきゃーきゃー騒いでいる。
「ちょっと…なにプールの方見てんのよっ」
小声ながらも少し怒った声で、再びつっつかれ――
「いたたたっ」
……刺された。
「ちゃんと話聞いてよねー」
背中の中心――あまり手の届かない、非常にもどかしい場所をシャーペンで刺され、俺は顔をしかめる。
「なんだよ?」
溜め息を吐きながら、ゆっくりと後席を振り向く。
肩につくくらいのショートヘアに、薄いピンクの可愛らしいメガネと青いヘアピンが特徴の彼女。
「ニヤニヤしちゃって。感じわるい」
黙っていれば美少女の部類に入るのだろうが、そうはいかないのが彼女―――赤塚ゆうは。
「………?なんかあったんじゃないのか?」
「べーつにぃー…なんでもないよーだ」
ぷいっと窓の外に視線を投げるゆうは。こいつとは長い付き合いで、幼少の頃から知っている。幼馴染みというやつだ。
なにかと反抗し、すぐにひねくれ、ワガママな奴。それは今でも変わらないようだ、というのは見てのとおり。
「用も無いなら刺すなよ」
溜め息まじりにそう言って、俺は授業に戻る。…もちろん聞き流すが。
「右から左に受け流……って、いたたたたっ」
「ばーか」
うなじの辺りをねじられた。こいつ、微妙なところばっか攻めやがる。
「お前なぁ……」
言いたいことがあるなら言えよ、と言いかけたところで、鐘がなる。ほぼ同時に、体中に繋がれた鎖が解かれたような感覚に浸る。
「…っと、飯だ、飯」
すぐに思考を切り換えた俺は、購買部へ向か――
「いたたたた!」
もう何処を攻撃されたかは省略。振り向くと、そっぽを向いたままのゆうはが、不満そうに腕を組んでいた。
「…………」
「なんだよ、さっきから?」
「………る…」
「る?」
急にしりとり開始か?とは言わず、俺は聞き返した。
「…だ、だから」
何故か口ごもるように言いながら、ゆうはは自分の鞄を指差す。そして…
「べ…弁当あげる」
「はぁ?」
何を言い出すかと思えば。
一方ゆうはは、日差しが暑いのか、少し赤くなった頬をパタパタと扇ぎだした。
「あげるって、お前、ダイエットでもしてんの?」
…スタイルいい方だとは思っていたが。着痩せするタイプか?
「してないわよ」
「じゃあなんで。……あ、ひょっとして体調悪い?顔赤いぞ」
「………!」
いまの言葉に何か障ることがあったのか、ゆうはは顔を赤くしたままガタンと立ち上がる。
「ああもう、だから弘人の分も弁当作ってきたんだってば!!」
……しーん。
「……あ…」
しまった、と口元を手で押さえ、周囲をキョロキョロ見回すゆうは。もちろん、他の生徒は何事かと目を丸くして、注目していた。そして耳まで赤くした彼女は、たじたじと切り出す。
「ほ…保健室…」
「名詞だけだと国語じゃ減点されるぞ」
教室を飛び出す際に机に置かれた、小さな包み。いつもゆうはが使っていたものと同じだった。
「……………」
可愛らしい包みを眺めながら苦笑し、小さく溜め息。
「……箸、入ってねーぞ」