Small weapons of mass destruction~人類史上最も人を殺した兵器と呼ばれて~
2013年12月23日にミハイル・カラシニコフ氏が亡くなったことに関連するニュースなどを見て、勢いのままに綴りました。批判は覚悟しております。むしろ見なくても結構です。
※特定の個人ではなく、現状に大しての漠然としたメッセージです。
※あくまで作者の偏見に基づくフィクションです。カラシニコフ氏は一切関係しておりません。また、決して過激な反戦思想や、宗教的な意味もありません。
私はカラシニコフ。
世界がまだ東西に二分されていた頃、共産陣営の一人の天才技師によって造られた、突撃銃である。
1949年に連邦で正式採用されて以来、祖国の領土を、兵士を、民を守るという大義名分の下に、私は大量に投入され、戦場で鉛玉を吐き出し続けた。
幾度となく改良を加えられ、更に凶器としての性能を高め、鋼の弾丸で命を奪い続ける日々。
それでも私が耐えられたのは、頑丈な設計に加えて、いつかは平和な時代が来ると、信じていたからだ。その一心で前線に身を置き続けた。
やがて1989年11月にベルリンの壁が崩壊すると、冷戦は終わりを告げ、緊張が解けて東西は互いに歩み寄った。イデオロギーに縛られない自由な社会。誰もが自由や平和を、新たなる世紀に期待したことだろう。これからは安心して皆が暮らせる、そんな明るい時代が来ると……。
だが、現実は違った。
確かに大戦と呼べる規模の戦闘は消えた。しかし、代わりに各地で紛争が勃発し、テロリズムや犯罪が横行するようになる。
大国の支配から解き放たれた地域では、抑圧されてきた多種多様な思想が息を吹き返した。その中の一部が健全な人間の判断をも鈍らせ、他者を傷つける動機を与えてしまうモノとなっていった。
信条や、民族の名の下に、命を奪うことを躊躇わせない大義名分へと。
暴力に犠牲は付きものである。愛する者を失った悲しみが、痛みが、憎しみに変わる時、それは人々を果てなき闘争へと誘う魔笛となるのだ。
報復が血によって贖われ、繰り返されるたびに、復讐の炎は人心を焦がし、応酬の方法はますます過激になった。
安価で、堅牢。操作も容易。私の謳い文句である特性は、皮肉にも闘争の手段として各地で適用される理由になる。
そうして私はまた必要とされた。……いや、私たちと言うべきか。違法に製造されたモノも含めると、私の模造品は一億にまで達したのだ。
信じられないことだ。これほどまでに世界に大量に、分布した兵器が未だかつて存在しただろうか?
更に嘆かわしいのは一部の地域で、十代にも満たない少年、少女が私を手に戦場に身を置いているという現状だ。彼らは基礎教育の代わりに、私の扱い方を、殺人の技術を、学ぶのである。
そして戦場で引き金を引き、殺すのだ。……一つの疑念も抱かずに。
2013年12月23日。遂に私の生みの親が、94歳でこの世を去った。
優れた兵器の設計が戦争の長期化を防いだことは、扱う兵士の命を救ったことは、紛れもない事実であり、誇るに値する。
彼はどんな意味であれ、偉大な業績を成し遂げたのだ。が、同時に彼は私の悪いニュースが届くたびに、頭を悩ませたことだろう。
私が、私の模造品が、未だに世界中で悲劇を起こし続けている事に対して。
私はカラシニコフ。
小さな大量破壊兵器と呼ばれ、この数十年で最も人命を奪った悪魔の道具。
私は誰よりも近くで見た、人と人が憎しみ合い、争い合うのを。
私は誰よりも近くで聴いた、命が搔き消される、最後の断末魔を……。
だからこそ私は、もうこれ以上、汚名を着たくない。これ以上、傷つけたくない。
幾ら堅牢な私でも、流石に疲れたのだ。……これ以上私に、仕事をさせないでくれ!!
願わくば、平和のための抑止力でのみありたい。
それでも私は、今日も戦場で火を吹くのだ。
……いつかはこの身が不要になる日を、切に願いながら。
年末だってのにホント何書いてるんでしょうかね、僕は……。
正直迷ったんですよ? ヤバい奴だって思われそうで。
でも何か最終的に勢いで……(僕はコレばっか!!)
そもそも投降する場所考えろ! てもんですよね。それに前書きの『~カラシニコフ氏は一切関係ない~』ってやつも関係してたら逆に凄いわ! とツッコまれそうです。
ただ、今年はシリア内戦だったり、『アラブの春』での諍いや、南スーダンでの衝突などがニュースに上がる度に、現地の人が手に手にカラシニコフ銃(通称AKライフル)を持っているのが目に入りまして……。
加えて、カラシニコフ氏へのインタビュー記事などを読んだのですよ。それによると、世界に出回っているロシア製のAKは全体の12%ほどで、その大半は違法に量産された、粗悪なコピー製品だそうです。
しかもそれは極めて容易に手に入り、低コストであることから、今も紛争やテロの現場で猛威を奮っています。
また、操作が簡易なこともあって、銃を扱うのが初めての人間でも数時間から数日間の講習を受ければ、100m先の標的に命中させられるようになるそうです。(Wiki調べ)
そうしたことから年端もいかない子供たちを兵士にするには、うってつけの銃だったのです。
「オレは戦場で30人は殺した。どうするかって? 簡単さ、銃を敵に向けて、引き金の指を引く。ダダダダダダッ! これで終いさ」
モザンビークの元少年兵の言葉です。まだ15歳にも満たない彼は、この言葉を平然とジェスチャー付きで語ったそうです。
正直、衝撃を受けました。日本という平和な環境にいると、信じられないようなセリフですよね……。
と、まあこういった経緯があって、この異色の文章を投降致しました。
もちろん、色んな意味でストップ掛かったら、すぐに消しますよ!?
そんな訳で感想待ってます……。
最後に氏の冥福を祈っております。