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役立たずの温度魔法しかないので、辺境で“おいしい毎日”はじめます ~元パーティより幸せになりました~  作者: 妙原奇天


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第3話「温室に朝露を落とさない方法」

 夜の底がほどける前、温室は水の音で目を覚ます。

 外は氷の気配。内は息の気配。布の内側にたまった露が、ぽとり、ぽとり、と土に落ちる。落ちる先が土ならいい。葉の裏なら、朝の一刺しで黒い斑点が拡がる。


「露は敵?」ミアが毛糸帽子をかぶって首をかしげる。

「働き者。方向音痴なだけ」

「方向音痴を直す方法が、ある?」

「案内板をつくる。温度で」


 温室は昼の光を信じたまま寝落ちした子どもみたいに、夜明けの冷気に驚いて涙をこぼす。涙は露。露は葉の縁に降り、そこで冷えて、霜の端になる。

 対策は、三本立て――露の道をつくる/葉の“屋根”を足す/夜明け前の“あくび”を促す。


 まず、露の道。

 ぼくは内布の裏に指を這わせ、帯状に+1℃を置いていく。筋を上から下へ、ゆっくりと。温まった筋は、露の「こっちだよ」看板になる。水は温度のなだらかな方へ滑る。何もしないと、葉の裏=低いところ=居心地よさそうな陰に集まる。道標があれば、露は布の端の樋へまとまり、角で滴になる。

「おお、ほんとに線路みたいに集まってく」

「水は怠け者。楽な勾配が好き」

「わたしも」

「知ってる」


 次に、葉の“屋根”。

 ミアは竹籤を何束か抱えて戻ってきた。「おじさんの倉から勝手に借りました」

「勝手に返す前提なら、借りていないのと同義」

「哲学は後で。これ、どうするの?」

「小さな“露落としげん”を張る。葉の上じゃなく、葉と葉の間。弦の上に露を誘導して、葉から“落とす”」

 竹籤を斜めに渡し、交点に麻紐をひと巻き。結び目の少し下を−1℃、斜め上を+1℃。目には見えない温度の勾配ができ、紐に露が吸い寄せられていく。

「楽器みたい」

「朝の楽団。指揮者は露点」

「露点って?」

「空気が“これ以上は水を抱えられません、降参”って言う温度。そこに先回りして、降参の場所をこちらが決める」

「自首させるの?」

「そう。葉っぱの前に、紐で自首」


 三本目、“あくび”。

 夜明け前、温室の中だけ少し暖めておくと、外が明るくなったときに内部の空気がふっと伸び、露の粒が軽くなる。ぼくは布の入り口付近、肩口みたいな位置を+1℃/分で五分だけ温める。内部全部は温めない。差をつける。差が空気を動かし、ゆるい風が生まれる。

「朝の“あくび”で、目やに(露)を追い出すんだ」

「体にいい悪知恵、好き」


 温室の奥、背の低いトマトが一列、青い実を抱えて震えている。葉の先には昨夜の白い傷。

「間に合う?」ミアの声が、霜に触れないように静かになる。

「間に合わなかった部分は、今日から間に合わせる。――傷は今日の先生」

 ぼくは葉のを二秒触る。+1℃。茎へ血が戻るように、葉色が少しだけ深くなる。直接の救いではない。でも、回復の準備はできる。


 朝一番の湯客が温室を覗いた。腰の曲がった老婆。手には籠。

「湯の帰りに目に入ったからね。露を下げる内職を見に来たよ」

「内職じゃなくて、職業です」ミアが胸を張る。「温度係」

「ほう。なら、この子を見ておくれ」

 老婆の籠には、芽吹いたばかりのハーブの苗が並んでいた。葉の影に、黒い斑点。

「朝露でやられた。湯には効かなかった」

「湯は人間用。植物には加減が必要」

 ぼくは苗の上に、細い“屋根”を一本。糸の代わりに、髪より細い水筋を作る。布の裏に+1℃の筋を置き、その真下、苗の間に−1℃を置く。温と冷の挟み込みで、空気が糸になる。

 露がふらふらと、糸に釣られて落ちた。

「おお……見えない橋だねえ」

「渡るのは水だけです」

「人は渡れないのかい」

「人が渡る橋は、ミアが作ってます」

 ミアは得意げに胸を張る。「朝のパン列、二人増えました!」

「二人は十分な約束だ」とぼくは昨日の言葉を繰り返した。


 露落とし弦の列が温室中に通ると、内部の空気は急に大人びる。泣きやすい子どもに、道と屋根と、あくびの時間を与えただけで、空間全体から「大丈夫」の温度が出てくる。

 ミアは肩を回した。「寒いのに、心の真ん中だけ温かい。これが仕事の温度?」

「うん。飯の温度でもある」

「じゃあ、朝の二次発酵、急いで帰ろう!」


 台所に戻ると、発酵の布がふっくら膨らんで、布自身が嬉しそうだった。

 生地を割り、成形する。今日の気分は“笛”。細長く伸ばし、端を少しくるりと巻いて、割れ目が音符になるように。

「音楽が多い朝だ」ミアが笑う。

「温度は拍子。パンは旋律。湯はハモリ」


 焼成に入る直前、戸がコン、と鳴った。

 領主館の若い行政官が、昨日より厚いマントで立っていた。「約束どおり、お迎えに」

「パンの一次は終えました。三十分後、二次も終わるので、焼きながらでも湯の記録を見ます」

「助かります。領主代理は几帳面で。『温度の記録を“運用”にしたい』と」

「運用?」

「個人の勘や善意から、町の仕組みに」

 湯守りが背後で鼻を鳴らした。「妙な言い方をしよるが、要するに“公にする”って話だ」

「良いですね」ぼくはうなずいた。「勘も善意も、仕組みの中で長持ちする」


 館へ行く前に、焼成。笛パンは、音符の割れ目から香ばしい蒸気を鳴らす。

 ミアが袋詰めを手際よく進めていると、朝いちの老婆がまた顔を出した。

「苗、助かったよ。さっきの橋(みえない糸)、覚えておきたい」

 ミアがすぐに紙を差し出す。「“今日の±1℃メモ”、毎日配ってます!」

「商売上手だねえ」

「生きる知恵は、パンのおまけで」

 老婆は笛パンを一つ買って、籠の苗の上にのせた。「あんたのパンは、音が温かい」


 館までの道は、雪が踏み固められて白い鳴き砂みたいに鳴る。行政官は歩幅が控えめで、雪を無駄に蹴らない。好感が持てる。

「領主代理エルマー様は、数字が好きです。嫌味じゃなく、安心したくて集めてしまう性格で」

「数字は“次の約束”を作ってくれるからね」

「ほっとしました。うちの人間にその言葉を授けたい」


 館では、薄い髭の青年が迎えた。机の上に帳面が山。

「君が温度係か。話は聞いた。――湯の苦情が増えている。『熱すぎる』『ぬるすぎる』『昨日と違う』。温度はわずかな差で“裏切り”になる。だから、基準と、手当の方法を公式にしたい」

「基準は、湯の顔…つまり湯気の柱の太さ、湯面の輝き、肌の反射、そして温度計が無い世界での“感覚の定量化”です。手当は、表層と中層の温度差を—1℃/+1℃で揺らして呼吸を作るやり方。詳しい“等高線”の描き方は、紙に」

 ぼくは持参の紙に、図を描いて渡した。

「さらに、温度記録板を提案します。湯守りが毎朝“顔”を記述する表。文章で。『今日は右肩下がり』とか『湯気が二本立つ』とか。感覚を繰り返すと、言葉が数値になる」

 エルマーは目を輝かせた。「言葉が数値に」

「数値が橋になる。人が交代しても渡れる橋」

「いい。許可どころか、町の予算で板を作ろう。温度係にも小さな給金を出せるよう、規程を起こす。名も、残る」


 館を出ると、雪は細くなっていた。

 帰り道、温室の前で足が止まる。

 誰かが、布の端をわずかに持ち上げている。長い棒で、遠くから。中の暖かい空気を逃がすように。

「――誰?」ミアが声を荒くした。

 棒の先はすぐに引っ込んだ。影が雪に溶ける。追うにも足場が悪い。

 ぼくは布を直し、内側の空気の“あくび”をもう一度作ってやった。

「嫌がらせ?」

「もしかすると、単なる好奇心。ただ、寒さの中では小さな意地悪が大きな被害になる」

 ミアは唇を結ぶ。「パンを守る。湯を守る。温室も守る」

「守るには、仕組みがいる。――露落とし弦をもう一本増やそう。布の裾には“温度の錘”もつける。−1℃で重さを足す」

「温度で……重さ?」

「冷えた空気は重い。裾をほんの少し冷やしておけば、風が来ても布が浮きにくい」


 午後、グリンダ婆がまたやってきた。

「炉の呼吸、持ったよ。耳で見るってのはやっぱり真理だね。ところで、お前さん、温室に“音”をつけたらどうだい」

「音?」

「誰かが布を上げれば、鳴る細工。竹の笛を仕込んどくとか」

「防犯ベル……楽器型」ミアの目が光る。「かわいい」

「音は人を呼ぶ。音が呼んだ人は、見えない犯人より速い」

「じゃあ、竹笛を吊るして、紐に—」

「+1℃で柔らかく、−1℃で固く。鳴り方を調律できるね」ぼくは頷いた。


 夕暮れ。温室の露は、もう葉に手を出さない。露落とし弦がきらきらと働き、角の滴が規則正しく土に戻っていく。

 ミアは両手をこすり、「今日の温室、きれい」。

「きれいは機能だ」

「名言も増えた」

「拾ってくれる人がいるから」


 台所では、笛パンが二回目の歌を終えたところ。湯守りは帳面に線を引き、「今日の笛、二十四」。

 そこへ、午前の行政官が走ってきた。

「良くない知らせ。王都から通達――『寒波の兆候。各地で燃料不足。温度管理に関する技術の“借用”の打診』」

 “借用”。

 ぼくはミアと顔を見合わせた。

「借りに来るの、早いね」

「寒さに時間感覚はないからね」

 湯守りは顎の髭を撫でて言う。「借りたいなら、こちらの“仕組み”ごと持っていけと言え。人がいなきゃ、道具も知恵も死ぬ」

「条件提示、か」ぼくは前に書いた企画を思い出す。「『温度記録板』と『宥めの手順』、それに『露落とし弦』の設計図。――代わりに、粉と塩、竹籤の供給。約束は紙で」

 ミアが小さく拳を握った。「ざまぁじゃなくて、約束で勝つ」

「うん。約束の温度は、長持ちする」


 夜。湯に浸かり、天井の節目を眺める。

 今日も疲れて視野は狭い。手元はよく見える。

 温室、露落とし弦、竹笛、防犯――いや防音だ。敵を怒鳴るより、味方を呼ぶ仕組み。

 湯気の向こうで、ミアがささやく。「レオン。わたしたち、最弱から“最適”に変わってない?」

「辞書の順番を書き換えてる途中だね」

「書き換え係も、温度係の仕事?」

「もちろん。世界の用語集の余白に、小さく追記していく」


 眠る前、外でまた雪を踏む音がした。今日は三歩。笛は鳴らない。

 でも、布の裾に仕込んだ−1℃の錘が、静かに仕事をしているのを指先が知っている。

 ぼくは安堵の+1℃を胸に落とし、目を閉じた。


――


《今日の±1℃メモ》

・露の道づくり:内布裏を帯状に+1℃→露を布端へ誘導。角で滴にして土へ返す。

・露落とし弦:竹籤や紐に上側+1℃/結び目直下−1℃で温度勾配。露を“自首”させる。

・朝の“あくび”:入口付近を+1℃×5分で内部に緩い上昇流。葉の上の露を軽くして落とす。

・裾の“温度の錘”:布の裾に−1℃を薄く付けて比重UP。風で裾が浮きにくい。

・竹笛の防音:弦に小さな笛を結び、持ち上げられたときに鳴るように+1℃で柔、−1℃で硬を調律。


次回:第4話「燻製小屋と保存の知恵」――冬の長さに、香りと時間で勝つ。

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