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8. ゴールデンウィークは

 この学校に通い始めて一月半が過ぎた。青空に燕が元気に飛んでいる。

 俺は足早に剣道場へ向かう。


 俺は気付いたことがある。この学校はバカ学校だと言われているが一概にそうとはいえないようだ。というのも、英単語はからっきしな奴がサクサクとポケコンでゲームをつくっていたり。数式なんて覚えるのも苦に思うやつが、製図計算ではあっという間に解いてしまったり。漢字が苦手でも三国志の武将をつらつらとそらんじるやつもいる。

得意なこと不得意なことがアンバランスなんだ。


 だから平均を求められる入試やテストでは点は取れなくとも、他では驚く結果を出す奴が現れる。世間一般の尺度に照らし合わせると低くなってしまうだけなのだ。


 それは剣道も一緒だ。

 放課後、染森に剣道を教えているが、彼の場合は言葉で説明するよりも、動きを見せるとあっという間に覚える。たぶん、彼は聞いて覚えるよりも見て覚えるのが得意なのだ。漫画を描くのが得意な彼は、人の動きを観察することに長けていた。そして、俺はどちらかというと理屈っぽい。

「何回振ったら炎が飛ぶかなあ」とか言っている染森に「出ないよ」と言ってしまう俺よりも「毎日千本。一〇年振れば出るんじゃないか?」と笑う瀬良垣の方と相性がいい。


 一方斎藤君は理論派だった。

「右足と左足の中心に重心を置いて前に出れば半歩早くなる」

「気勢はどこを狙ったかを明確にして、まぐれ当たりじゃないのを知らせるために必要なんだ」

と説明すると数回の練習で、踏み出しが速くなり、声も出るようになった。

 二人とも覚え方も納得の仕方も様々だ。



 人に教えることは自分への確認にもなるから俺は大いに助かっている。

 なんだかんだ楽しい。

 俺は誰かとこうやって剣道を共有することに飢えていたんだと実感した。

 たぶんそれは瀬良垣も一緒で、彼もとても楽しそうだ。



 練習が終わると俺たちはミーティングと称して雑談をする。

 俺以外は全員B組だからクラスの話になることも多いが、剣道の話をしたり、染森の好きな漫画の話になったりもする。


「そう言えばゴールデンウィークどこ行ったの?」

「うちは弟が釣りに連れて行けって言うから、家族で行ったよ」

「へー染森。弟居るんだ」

「卓也の弟めっちゃ生意気だよ」

 斎藤が嫌そうな顔をしている。二人は同じ中学の同級生で、仲良くなったそうだ。

「そういえば、ふたりは兄弟とかいる?」

 染森がこっちを見て言う。

「僕は姉がいる。大学で他県に出てるけど」

「瀬良垣の姉か……美人そうだな」

「女兄弟いいなー、須佐は?」

 俺は少し苦い顔をする。

「妹……」


 三月に妹が生まれていた。それに対して俺はどういうリアクションをしたらいいのか分からなかった。ただ「そう」とだけ返すと「祝いの言葉もないのか」と返された。子供が生まれたことはどんな時であれ手放しで祝わなければならないらしい。


「二人とも女兄弟いるんだ。なんか、どっちも美人そうだな」

「どうだろう、そう言う斎藤は?」

 こっちに話を向けられたくなくて、斎藤に話を振った。斎藤の家は三人兄弟だそうだ。斎藤が真ん中っ子で上が高三、下は中二で仲はまあまあだそうだ。


 すぐに次の話題になって、兄弟の話は終わり。ゴールデンウィークの話に戻った。思い思いに過ごしていたようだ。



いつものように校門で別れると、俺は歩いて五分で着く家に帰る。


だがすぐに家に入れなかった。表情がうまく作れない。


 ゴールデンウィーク。

 父親が家に遊びに来いと誘ってきた。しつこく誘ってくるから一日だけならと父親の家に行ったのだが、あいつらは生まれて二か月の乳幼児を俺に託して出掛けて行った。缶を見て何とか作ったミルク。おっかなびっくり交換したおむつ。泣き止まなくてこわごわ抱き上げたりもした。壁にかかった命名札の『希葵』も何と読めばいいか分からなかった。

 勝手に冷蔵庫を開けるのも悪い気がして、ご飯も食べず。妹が夕方疲れて寝てくれた時やっと息を吐いた。

 それから父親たちが帰ってくるのを待つ間、また泣き始める妹と途方に暮れた。すごく時間が経つのを長く感じた。


 帰ってきた女が「ありがとう」と言いながら俺の腕に手を巻きつけた時はぞっとした。お土産だと言って渡されたクッキーはその場で投げ捨てた。

 父は俺の態度に唖然とした後、怒鳴りだした。また、妹が泣いた。一日中聞いた声にうんざりで。俺はそのまま飛び出して、じいちゃんの家まで帰ってきた。


 あれから何度か、また会いたいと連絡が来るがそれは無視している。


 思い出すとまた苦しくなってきた。


 あの日のことはじいちゃんには言えないでいた。じいちゃんも俺を気遣って聞いて来ない。

 まぁ、自分で言うのも恥ずかしいが、あの時俺は泣いていた。帰ってからも涙が止まらなかった。


 深呼吸をして「ただいま!」と家に帰る。台所からじいちゃんが「おかえり」と返してくれる。やっと、気持ちが緩んだ。今日はニンニクと魚の匂いがする。

 じいちゃんの料理の幅は俺がこの家に来てから広がった。もともと、凝り性で手先が器用なのもあってどんどんと上達している。もっぱら人に教わったり、ネットでレシピを検索してみたりして作っているらしい。九月から始まる市民学校の料理教室にも応募したそうだ。


「じいちゃん、今日は何作ってんの?」

 じいちゃんは鍋の蓋を取って見せてくれた。

「アクアパッタだ」と自慢気に言う。たぶん、アクアパッツァだ。

「すっごい、美味しそう」

「だろ? 手を洗ったらごはんにしよう」

 俺は台所の水道で手を洗った。じいちゃんはみそ汁の鍋に火をつける。

「じいちゃんの息子になりたかったな」

 水の音に消えそうな声で言った。なんだか今日は感傷めいている。


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