17.あの人の夢を見た朝
これは夢だ。
「お前の母親、頭おかしいぞ」
部活仲間がそう言ってうちの母からの着信履歴が並んだスマホを見せてくる。それも見せてくれたのは一人じゃない。職員室から呼び出しを食らって、学校にも何度か母から電話が来ていると注意を受けた。
息を切らして家に帰ると、ソファの上でスマホを抱きしめながら寝る母がいた。
テーブルの上には缶ビールの空き缶が何個も転がっている。
窓が開きっぱなしで、カーテンが風に揺れていた。
外は眩しいほど明るいのに、家の中は暗かった。
「……母さん」
側に立って見下ろすと、母が目を開けて俺を見上げる。暗い室内で目だけがぎらぎらと光っていた。
「あきらあきらあきらあきら、なんで家にいないの? なんで電話に出ないの? どこに行ってたの? もう授業は終わる時間だったでしょう? あきらも……あきらも父さんと同じように私を置いて出ていくの? あきら?あきら?」
俺は一歩下がってため息を吐いた。
「……置いていかないよ」
母は手を伸ばして缶ビールを飲み始める。
「あきらもいなくなったら母さん、死んじゃうかも」
俺はぞっとしてその顔を見下ろす。母さんの目が真っ黒になって、赤い舌がちろちろ動く。母は立ち上がると怯える俺に構わず抱きしめた。気持ち悪くて。アルコール臭くて怖くて俺は震えることしかできない。
「あきら、学校が終わったら早く帰ってきて」
「……分かった」
「絶対よ?」
ニィと笑って俺の頭を混ぜ返してくる。母さんが……部屋が……ぐるぐると渦巻いて混じってく。ぐるぐる。死んじゃうかも。死んじゃうかもと声が響く。ぐるぐる。
これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。目を覚ませ。目を覚ませ。目を覚ませ。
唐突に目が覚める。少しでも身じろぐとまた夢に引き戻されそうで息が詰まる。ゆっくりと辺りを見回して、ここがじいちゃん家の自分の部屋だと確認する。ゆっくりと体の先から力を抜いていった。
枕もとのスマホで時間を確認すると、まだ夜とも朝ともいえない時間だった。
顔を手で覆って大きく息を吐く。
友だちを失くし、先生たちからも煙たがられ、家には様子のおかしい母しかいない。思い出すだけで、きゅっと喉を締められるような、首筋が冷える心地になった。
結局、窓の外が明るくなるまで寝ることはできなかった。
じいちゃんが台所に立つ音を聞いて、スマホを確認する。
(5時半か早いな)
父からの着信が見えた。こちらもこちらで困っている。あれから何度も、遊びに来いと連絡が着ていた。
何の目的なのかは分からないが、良いことではないのは確かだ。こちらも頭が痛い現実。
何度か寝返りを打ったが眠気は訪れず。かといって早く起きすぎるとじいちゃんが心配するから、じっと時間が経つのを待ち起き上がった。布団を畳んで、制服を着る。洗面台で顔を洗ってから、台所のじいちゃんに「おはよう」を言う。ルーティーンをこなすと落ち着いてきた。
「じいちゃん、今日は朝練するわ」
早起きの言い訳して、テーブルに着く。
「おう、そうか。張り切りすぎるなよ」
じいちゃんはみそ汁を椀に注いで机の上に置いた。「いただきます」わかめと豆腐の味噌汁。白いご飯と漬物、今日は目玉焼きとソーセージだ。
「インハイ予選大会は来週末だな」
「うん、一日が女子団体と、男子個人。二日が男子団体と、女子個人だったはず」
インハイはとうとう来週末にまで迫っていた。県庁所在地にある武道館で二日かけて行われる予定だ。個人はベストフォーまで、団体は男女それぞれ一校のみが全国大会に進める。
「がんばれよ」
「うん」
じいちゃんは立ち上がって、弁当箱を手渡してくれた。
「そう言えば、あいつらはどうした?」
「……あいつら?」
ふいに顔を上げるとじいちゃんの視線が強くて驚いた。こういう目をする時は父たちのことだろうと察しがついた。ごめん、言えないけど、父さんからはしつこいくらいに連絡が着ている、悪い予感しかしないから返事はしていないけど。へらりと笑う。
「特に何もないよ。じいちゃんこそ……あの人からは?」
じいちゃんは横に首を振った。じいちゃんにとっては娘で、俺にとっては母親のあの人。夢で見た母を思い出して眉をぎゅっと寄せた。
じいちゃんが俺をじっと見ていた。
「そっか。どこにいるんだろうね」
慌てて明るい声を出した。
「弁当作んなきゃ」
俺は米をタッパに詰めて、しょうゆをかけて海苔を置く。そこにウィンナーと卵をのせてふたを閉めた。
それを鞄に詰めていると、じいちゃんが朝練するならとおにぎりを用意してくれた。
「ありがとう、いってきます」と台所を出て行く。
振り返ると、じいちゃんは何か考え込むように机を見つめていた。
そろそろ季節は初夏を迎える。




