金庫の中身
「はあ……」
夜、とあるアパートの部屋。時計の針の音と、膝を抱える男のため息が、無気力な空間に溶け込んでいた。薄汚れた壁、散乱したゴミ。部屋の荒廃ぶりがそのまま男の精神状態を映しているかのよう。ただ一つ、部屋の中央に鎮座する黒く大きな金庫だけが異様な存在感を放っていた。まるで、男の運命を握る神のように。
「はあ……」
またため息をつくと、男は壁の時計をちらりと見上げ、のそのそと金庫に近づいた。
その時だった。インターホンが鳴り、男は肩を跳ね上げて振り返った。目をしばたたかせ、玄関を覗き込むように首を伸ばす。再び、インターホンが鳴った。
「あのー、荷物なんですけど、ちょっと見落としてて、遅くなってしまいました。すみませーん」
ドアの向こうから聞こえたその声にホッとした男は立ち上がり、玄関に向かうとドアを開けた。だが……
「うっ!」
突然、頭を殴られ、尻餅をついた。続けざまに腹を蹴られて倒れると、背中を足の裏で押され、男はわたわたと部屋の奥へと追いやられた。
「金、おい、金だ」
その無礼な訪問者は男に顔を近づけて、低く脅した。目出し帽をかぶった、おそらく男性。手にはナイフを持っている。最近ニュースでよく見る押し込み強盗に違いない。荒っぽい手口で、命を奪うこともいとわないタイプだ。そう思った男は震え上がった。
「騒ぐと殺すぞ。いいな。早く金を、ほう……」
強盗は部屋の金庫に気づくと、興味を示した。
「人間も入れそうなくらいでかいな」
「……はい、まあ」
「中身はなんだ?」
強盗はそう言うと金庫を撫でた。そして、顔をしかめて舌打ちをした。
「なんだよ、ベタベタしてやがる。シールでも貼ってたのか?」
「ええ、まあ……」
「スーツケースじゃねえんだぞ」
「はい……?」
「ステッカーとか貼るだろ。ああ、どうでもいい。開けろ」
「あの、でも、時間が……」
「なんだよ。すぐ開くだろ。お前の金庫だろうが」
「はい……はい」
男は震えながら金庫を開けた。強盗は「なんだよ。あっさり開いたじゃねえか」と言って、男を足蹴にして、中を覗き込んだ。しかし、すぐに顔をゆがめた。
「空っぽじゃねえか!」
考えてみれば、こんな部屋の住人の金庫に大金が入っているわけがない。強盗はそう気づくと、恥をかかされた気分になり、憤慨し、男を蹴り飛ばした。男は震えながら両手を上げた。
「あの、あの……」
「チッ、どういうことだよ……いや、でも何かを入れるつもりで金庫を買ったんだろう? おい、どこにある」
「あ、あ、ああ!」
「な、なんだよ、この!」
突如、男は目を剥いて強盗に飛びかかった。しかし、簡単にねじ伏せられ、そのまま金庫の中に放り込まれた。
「残念だったな。おい、さっさと金の在り処を言え。さもないと一生ここに閉じ込めてやるぞ。ガムテープを巻いて、そこの汚い布団でもかぶせて――」
強盗は先ほど中を覗いたときに、内側に取っ手がついているのを見ていた。おそらく安全対策で内側から開けられる仕組みなのだろう。だから強盗は男をそうやって脅した。しかし、部屋の電気がふっと消え、言葉もまた途切れた。
静寂はほんの短い間だけ。破ったのは鋭い悲鳴とガリガリと金庫の外側を爪で引っ掻く音だった。
震える男は、先ほど貼ろうとしていた御札をポケットから取り出し、ただ強く握りしめた。