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神風が吹くとき ~ もしもソ連の参戦直後にソ連艦隊が台風で壊滅してしまったら  作者: もろこし


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9/10

最終話 ベトナム戦争

■1966年3月

 南ベトナム フエ近郊

 水陸機動軍 戦車第一師団


 朝鮮危機の後、内田は部隊を離れ千葉の戦車学校の教官をしばらく務めた。その後は戦車第四師団の参謀を経て、現在は水陸機動軍 戦車第一師団で大隊長を務めている。


「米軍って、もしかしたら阿呆なんじゃないですか?」


 ヘリボーン作戦を展開する米軍第一騎兵師団のレポートを読み終えた副官が内田に意見を述べた。


 彼の言葉はかつて樺太で共に戦った時のように率直だった。当時、砲手だった軍曹は今では兵隊の最高位である准尉にまで昇りつめ、縁あって内田の副官を務めていた。


「准尉、君の率直さは歓迎するけどね、時と場所は弁えた方が良いよ」


 内田は窘めたが、その苦笑した表情は副官の意見を完全に肯定していた。


「たしかに戦果は挙げてるんでしょうがねえ……すぐに元に戻るんじゃ何の意味もないですよ」


 准尉は内田の意見を無視して不満げに言葉をつづけた。




 米軍のレポートによれば、騎兵師団は敵部隊と拠点を殲滅し華々しい戦果を挙げた事になっている。


 ならばどうして敵は居なくならないのか。それは米軍の戦術に根本的な問題があるからだった。


 彼らの基本戦術である「サーチ&デストロイ」は、少数の偵察部隊で敵を確認したらヘリボーンで大戦力を一気に投入し追い立て、包囲部隊を金床にして撃滅するというものである。


 一見、理にかなったスマートなやり方に見える。だがこれには致命的な欠点があった。少数の浸透攻撃をまったく防げないのである。


 トリプルキャノピーとも評されるベトナムの密林は、人どころか戦車の進行すら隠し通してしまう。これでは偶々みつけた敵戦力をいくら叩いても、すぐに元の木阿弥になるのは自明の理であった。




「大戦中は南方の密林で我が国の部隊を随分と手際よく狩立てた癖にね。もう忘れたちゃったのかな?」


 そう言って内田は鼻で笑う。


「なぜ米軍は同じ戦術を使わないのでしょうか?」


 准尉はもっともな疑問を口にした。


「連中はお奇麗な戦争をしたいらしいよ。金持ちだからね」


 戦後の好景気を経て最新技術でスマートな戦争を目指すようになった米国は、泥臭い旧来型の戦術からの脱却を目指していた。


 それはヘリボーン作戦に限らず、例えば軍艦や戦闘機、果ては戦車に至るまで、何から何までミサイル偏重主義になっている点にも表れている。


 おかげで機銃をもたない米軍の戦闘機は北ベトナムの戦闘機に苦戦しており、日本空軍の機関砲を備えた野暮ったい戦闘機が活躍するという奇妙な状況も生まれていた。


 なおこの米軍の、『緻密な分析をして最適な解を導き出す癖に、すぐに忘れて同じ失敗を繰り返す』、という摩訶不思議な性癖は以後も歴史で何度も繰り返される事となる。




「……それで中佐殿、我々はどうするんで?」


「なに、簡単だよ。昔と同じやり方をすればいい」


「昔とは?」


「ヘリなんぞ使わない。兵隊は自分の足で歩けばいい。隙間なく前線を構築して粛々と敵を締め上げればいい。それを我々戦車部隊は後方からしっかりと支援する。それで万事解決……らしいよ」


 自分は経験がないから、ぜんぶ上からの受け売りだけどね、と内田は笑った。


「なるほど。敵の浸透作戦はそれで防げるとして……では町中に潜伏する便衣兵の対策は何かあるんですか?」


「それこそ我が国の十八番だよ。大陸では随分と相手にしたらしいからね。戦後20年経つけど経験や知見を持っている奴はまだまだ軍に大勢いる」


 かつて日本軍は中国大陸で便衣兵を完全に抑え込む事に成功していた。かなり強引な対応も多かったらしいが効果に間違いはなかった。


 この後、日本軍は内田が語った通りの戦術をとった。ヘリコプターを多数用意できないという懐事情もあったが、日本人には地に足をつけたやり方の方が性に合っているという面もあったのだろう。


 幾度か激しい戦闘も発生したが、日本軍は結局最後まで構築した戦線から敵の侵入を一切許す事はなかった。




■1966年10月

 南ベトナム フエ近郊

 水陸機動軍 戦車第一師団


 TVや映画などで見るベトナムの風景から、多くの日本人はこの地を水田と密林しかない戦車に不向きの地形だとイメージしているだろう。


 だが実態は違っている。


 履帯をもつ戦車の設置圧は意外と小さく水田で行動を妨げられる事はない。そもそもベトナムの国土の多くは水田や密林ではなく荒れ地が広がっている。


 このため米軍は南ベトナム国土の65%で戦車が活動可能であると分析していた。




 そんな密林と荒れ地の境界地域に内田の大隊は展開していた。


 すべての戦車が壕に車体を隠し車体上面だけをのぞかせている。部隊側面は歩兵部隊で固めて至近からのRPG攻撃にも備えている。ここまで準備すれば、あとは敵を待つだけだった。


 このように日本軍は一旦戦線を固定すると、決して無理はしなかった。敵の深追いも絶対にしない。それは罠に飛び込むものだと自らの過去の経験でよく知っていた。


「本部より大隊カクカク、敵はT-54大隊規模。引き付ける必要はない。森から出てきたら各車発砲してよい。終わり」


 部隊に指示を終えると内田は隊長車の砲塔から改めて森の切れ目を確認した。奥の方の木が揺れている。まもなく敵は姿を現すだろう。


 しばらくすると森の木立が左右に割れて北ベトナム軍の戦車が現れた。


 事前の命令に従い、すぐに大隊の各車が発砲する。距離はおよそ1000メートル。同時に複数の90ミリ徹甲弾で貫かれたT-54は、砲塔を高く吹き上げ爆発した。


 100ミリ戦車砲を有するT-54は決して弱い戦車ではない。むしろこの時代では攻防走の三拍子が揃った最強戦車といえた。


 だがこの距離ならば六一式戦車の90ミリ砲でも正面装甲を確実に貫通できる。それは敵についても同じことが言えたが、壕に潜って腰を据えて撃つのと、森から出たばかりで走行しながら撃つのでは命中率に雲泥の差があるのも当然だった。


 そんな戦闘の様子を内田は後方の本部中隊からじっと観察していた。今のところ戦闘は優位に進んでいる。味方に損害もない。


「報告より敵が少ないかな……」


 だが内田は疑問に思った。


 敵は大隊規模のはずなのに、その半分も出てこない。撤退したのかと思ったが敵の戦意は高いままである。


 ふと見ると森の木立の揺れが右に流れている事に気づいた。


「本部より第三中隊、敵は右翼に迂回している可能性あり。森に適当に打ち込んで炙り出せ」


 右翼の中隊が森に徹甲弾と榴弾を打ち込み始めた。内田は歩兵部隊も連絡し迫撃砲も打ち込んでもらう。


 ほどなく右翼の森に爆発が連続しはじめた。土くれや木に交じって違うものが飛び散る。それに耐えかねたのか、ついに敵部隊が森を飛び出してきた。


(素直に撤退すればよいものを……)


 そんな敵を内田は憐れんだ。だがかける情けはない。


「大隊カクカク、出てきた敵は逃がすな。確実に仕留めろ。追撃の必要はない。終わり」


 この日の戦闘で内田の大隊は12両のT-54戦車と15両のPT-76装甲車を撃破した。内田の大隊に損害はない。完全なワンサイドゲームであった。




 日本軍は戦線の維持だけでなく、その後方の町でも徹底的に便衣兵を狩立て破壊活動を起こさせなかった。


 当初こそは現地住民の大きな反発があったが、明らかに他地域より情勢が安定した事で、徐々に好意的な意見が大半を占めるようになっていった。


 こうして担当地域を見事に治めている日本軍を見習って、米軍は渋々ながら日本軍と同じ戦術を採用するようになった。南ベトナム軍、EATO各国軍もそれに倣い、ついにはラオス国境沿いのホーチミンルートからの侵入を阻止することに成功する。


 これにより南ベトナムは1968年正月のテト攻勢を防ぎ切り、その結果ベトナム戦争は膠着状態となっていた。




 ■終戦


 米国のジョンソン大統領はこの機を逃さなかった。


 すぐさま北爆の停止を宣言するとともに停戦を提案したのである。これに現状の打開策をもたない北ベトナム側も仕方なく合意した。


 そしてパリで和平会談が開始されクリスマスを待たずに和平協定が成立し、あれほど泥沼だった戦争はあっけなく終結した。


 なお米国は安全保障のため軍を撤退させず、現在も軍を駐留させている。


 日本を含むEATO各国は、停戦が成立してしばらく後に粛々と軍を引き上げた。


 停戦が成立するまで、内田の戦車大隊はT-54と幾度か交戦しかなりの数を撃破していたが、逆に完全破壊された六一式戦車は一両もなく計画通りのタフさを証明した。この実績は日本製兵器の海外販売を大きく後押しすることに繋がったと言われている。




 内田の部隊に偶々同行していたある米陸軍大佐は、内田の事を『パットンも認めるエイブラムス将軍に並ぶ戦車指揮官』だと評した。


"He is one of the finest Armor leaders I ever met: bold and daring, but not foolhardy, he knew full well how to use defence and firepower to produce shock even in terrain like Viet Nam's. He also had the imagination and flexibility to task-organize in such a way as to get the most from his available assets. Had Uchida been a tank battalion commander in Third Army during World War II, General Patton would have acknowledged two peers: Creighton Abrams and Hiroshi Uchida.


Raymond R. Battreall Col., Armor"


「彼は私が今まで出会った中で最高の機甲部隊指揮官の一人だ。大胆だが決して無謀ではなく、ベトナムのような地形でも防御力と火力を使って衝撃を与える方法を熟知していた。彼はまた利用可能な資産を最大限に活用する方法で任務をこなす想像力と柔軟性も持っていた。もし内田が第二次世界大戦中に第3軍の戦車大隊長であったならば、パットン将軍はクレイトン・エイブラムスと内田弘という2人の同僚をきっと認めていたことだろう」


 これを聞きつけたマスコミが、さらに彼のことを「樺太の英雄」と同一人物だと気づいてしまった事から、再び内田はしばらくマスコミに煩わされる羽目になったという。

このやり方でホーチミンルートからの浸透を防げるかと言えば疑問ですが、まあ御大の「征途」へのオマージュです。ご容赦ください。あの小説の中の韓国軍は素敵ですよね。


本作では南ベトナムは滅亡せず、現代まで続いている設定となります。逆に大韓民国は分裂してないのに危なくなってます。


最後のバトルオール大佐の言葉は、史実では南ベトナム軍のコイ准将を評したものです。コイ准将は軽戦車部隊を率いて、はるかに強い北ベトナム軍の戦車を多数撃破し、崩れゆく南ベトナム軍の中で最後まで戦った勇将です。


本話で本編は完結となります。追加で「おまけ」も有りますので、最後までお楽しみください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 征途は不朽の名作なのです……。 そしてそれ以外のシリーズを終わらせる前に光帯の彼方へ行ってしまわれた御大はマジで絶許なのです……。 [一言] とりあえずこの世界の日本は宇宙勝利√にはならな…
[良い点] ベトナム戦争での戦術上の敗因は 歩兵での制圧を嫌がった事なので、これは有効でしょうな [気になる点] 戦術上の勝利は可能でも、 当時の南ベトナムって腐敗を極めていたので、幾ら戦争で勝利して…
[良い点] ベトナムが分断国家のままなのが面白いですね。現地人にはたまったものではないが。 [一言] 内田さんは大隊長まで出世、このまま内勤にはならなさそう。本でも書けば売れそう。樺太の名声含めて賞で…
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