第五話 チハ vs T-34
■1945年8月18日 夜
樺太西岸 恵須取郡 塔路
日が暮れると、ついにソ連の戦車部隊が動き始めた。報告では多数のT-34が塔路に向かって南下して来ているという。
戦車壕に車体のほとんどを隠した上に擬装を被ったチハの上から、内田は街道の北をじっと見つめていた。
「な、なんて数だよ、まったく……」
今夜の月は満月に近い。月明りに照らされた街道を黒々とした無数の塊が向かってくる。間違いなくソ連のT-34だった。どの戦車も後ろにたくさんの兵士を乗せている。
「い、いいか、指示があるまでこのまま待機だ」
敵に聞こえるはずもないのに内田は小声で指示した。その声はわずかに震えている。チハではT-34に見つかったらひとたまりもない。
内田ら第十一連隊は、『敵を側背から適時攻撃し第四師団を援護』するよう命令されている。
しばらくして照明弾が敵部隊を照らし出した。それを合図に第四師団が射撃を開始する。一方のソ連戦車部隊も横に広がりつつ速度を一気に速めた。その数およそ100両ほど。今のところ数だけは日本軍の方が勝っている。
戦車から降りた(振り落とされた)兵士らも日本軍の陣地に向かっていく。そこで初めて連隊本部から内田らに攻撃開始の命令が下った。
「弾種榴弾!目標、敵歩兵集団!とにかく撃ちまくれ!」
返事の代わりに軍曹は即座に発射した。砲尾から薬莢が飛び出す。すかさず次弾を投げ込む様に装填し狙いをつけて発射する。熟練した軍曹はカタログスペックをはるかに上回るハイペースで放ち続けた。
攻撃は順調だった。敵の歩兵は第十一連隊と第四師団の砲撃に挟まれ玩具のように吹き飛んでいく。だが内田は疑問を感じた。
「敵がこない……」
発砲によりこちらの位置はすでに暴露している。だから内田は敵の一部がすぐに向かってくると思っていた。しかし一向にその様子がない。
「連中、こっちを舐めているようでありますね」
砲を放ちつつ軍曹が言った。どうやら砲の威力とこちらが動かないことから、無視して良い敵だと看破した様だった。悔しいが事実に違いない。
もうほとんどの敵戦車が内田らの前を通り過ぎつつある。
代わりに第四師団の方は酷い事になっていた。何両かのT-34は仕留めている様だが、爆発するのはどう見ても日本側の方が多い。
このままでは負けてしまう。どうすれば……自分に何ができる?今ならまだ第四師団がなんとか敵を引き付けている。もし今、自分たちが背後から襲い掛かれば……
恐怖と義務感がないまぜになって、内田の頭の中でぐるぐると回る。
内田は一瞬ギュッと目を瞑った。そしてゆっくりと目をあけると決意に満ちた声で命じた。
「これより壕を出て丘を下り敵戦車の攻撃に向かう」
内田の言葉に車内の全員がギョッとした顔で振り向いた。
「我々の任務は第四師団の支援だ。そして今まさに支援が必要とされている。つき合わせてしまってすまない……でも、きっとここが命の使い時なんだと思う」
何か言われる前に内田は皆に謝罪し頭を下げた。
軍曹も最初は驚いていたが、その表情が面白いものでも見る様に笑顔に変わる。
「……よいお覚悟であります。私も靖国までお付き合いしましょう、見習士官殿」
「本当にすまない……」
内田は再び頭を下げた。自分が出れば少なくとも小隊が、そしてつられて連隊もついてくるはず。命令違反か独断専行を問われるだろうが関係ない。どうせ生き残れはしないだろう。
そう考え戦車を壕から出そうとしたその時、無線手が叫んだ。
「連隊本部より!これより突撃する!目標敵戦車!ついて来いとのことです!」
どうやら内田と同じことなど連隊長の方が先にお考えの様だった。先ほどの自分の発言を思い出し内田は顔から火が出そうな程に恥ずかしくなる。
「連隊長殿に遅れるな!突撃!」
恥ずかしさを誤魔化すように内田は叫んだ。
連隊の様子を見ると全車が丘を駆け下っている。そしてなんと第二中隊の戦車の上に池田連隊長が乗っていた。
軍服を抜ぎ白シャツ一枚になり抜き身の軍刀を振りかざしている。普段の穏やかな人柄からかけ離れたその姿に、内田は勇気づけられ恐怖が少しだけ減ったような気がした。
一方のソ連戦車部隊はこちらが突撃に移ったにも関わらず相変わらず無視を決め込んでいた。こちらがソ連の基準では軽戦車だからだろう。いまだに前方の第四師団への攻撃に集中し、こちらに背を向けている。
「舐めやがって……目標、10時方向のT-34!距離500。弾種、穿甲榴弾。背面か側面を狙え!」
内田はまずは手近なT-34を目標にした。軍曹がすかさず狙いを定め発射する。
行進間射撃だったにも関わらず、熟練の軍曹の放った三式穿甲榴弾は過たずT-34の車体後部に命中した。小隊の他の戦車も狙っていたのか次々とその戦車に砲弾が命中する。
穿甲榴弾の名の通り小さな穴があくだけなので狙われたT-34は爆発しなかった。それでも乗員や機関に損害を与えたらしくT-34は薄い煙を吐いてゆっくり停止する。すぐにハッチを開けて乗員が飛び出してきた。
「き、機銃、撃て!撃て!逃がすな!」
すかさず内田が命ずる。ソ連兵が暴虐の限りを尽くしているという話は内田らも聞いている。情けをかける理由は無い。
第十一連隊は初撃で4両のT-34を屠ることに成功していた。それでようやくこちらを脅威と認識したらしく1個中隊ほどが反転してこちらに向かおうとする。その側面を狙ってさらに2両を撃破する。
だが第十一連隊の幸運はそこまでだった。
いきなり内田の横のチハが爆散した。周りを見ると同じように3両のチハが燃えている。いまのたった一撃だけで第十一連隊は1割の戦車を失ったことになる。
ふたたび内田を恐怖が襲う。だが内田は歯を食いしばってパニック一歩手前でなんとか踏みとどまった。
「絶対に止まるな!止まったら死ぬぞ!動き続けろ!小刻みに針路を変えて狙いをつけさせるな!」
背後で轟音を響かせるエンジン音に負けない様に内田は叫び、操縦手の肩を蹴って指示を出す。
周囲を確認すると両軍の戦車部隊は乱戦となっていた。連隊も既にバラバラになっているが、残り2両となった小隊の僚車はきちんと後ろについてきてくれていた。
先の経験から、近距離で1対3ならばチハでもT-34を食えるはず。内田は不用意に背面を晒している敵に狙いを定めた。
「目標、2時方向のT-34!距離500!止めずに当てて見せろ!」
軍曹がすぐに発砲する。今度も砲弾は過たずT-34の後部を捉えた。エンジンを損傷したらしく白煙をあげて停止する。だが小隊の僚車の放った砲弾は残念ながら一発は外れた。もう一発は砲塔に当たったものの何の影響も与えなかった。
エンジンが停止してもそのT-34は生きていた。内田の戦車を追って砲塔を旋回させる。
「敵はまだ生きているぞ!側面に回り込め!」
本来ならば電動で砲塔をまわすT-34の砲塔旋回速度はかなり速い。だがエンジンが停止した今では手動で回すしかないため、その動きは恐ろしく鈍い。
おかげで内田の小隊は砲の反対側に易々と回り込むことが出来た。
「砲塔の下を狙え!今度こそ仕留めろ!」
砲塔直下の側面装甲に3発の穿甲榴弾が命中する。乗員が殺傷されたのか、そのT-34はようやく活動を停止してくれた。
T-34の85ミリ砲をくらえばチハなんぞ確1で殺られます。ましてや旧砲塔チハで戦いを挑むのは、たとえ「タ弾」があっても無謀以外なにものでもありません。
今はこれでもまだ奇跡的についているだけです。次話で彼らは現実を思い知ることになります。
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