表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/10

第四話 樺太転戦

■1945年8月14日

 占守島 西部 片岡港


 港の横の海岸に乗り上げたSB艇に戦車が次々と乗り込んでいく。乗船順を待つ内田は車長席からその様子をぼんやりと眺めていた。


 米軍のLSTを小さくした様な日本軍の戦車揚陸艦であるSB艇は、チハならば1隻あたり9両を搭載できる。


 来島しているSB艇の数は4隻なので運べるのは36両が限界となる。このため破損や不調の戦車をのぞいたすべてのチハが樺太に向かう事になっていた。


「俺が残っても良かったんだけどなあ……」


「上官がそんなんじゃ部下の士気に関わります!もっとシャキッとしてください!見習士官殿」


 内田のボヤキが聞こえたらしく、さっそく軍曹がどやしつけてきた。


「す、すまない。その……第一小隊の連中が酷く悔しがってたのが可哀相だったから……」


 内田は慌てて言い訳する。


 先日の竹田浜の戦いで内田は小便を漏らすという失態を演じていた。幸いほかの新兵乗員らも漏らしていたことから軍曹の機転でばれる事はなかったが、お陰で内田は更に軍曹に頭があがらなくなっていた。


「なるほど左様でありますか。また臆病風に吹かれたんじゃなくて安心しました。まあ確かにハ号じゃ露助戦車の相手にもなりませんからね」


 第一小隊は九五式(ハ号)軽戦車3両で編成されている。現実問題として、米軍のM4戦車より強敵と伝えられるソ連戦車を相手にハ号がいくらいても役に立たない事は明白だった。


「だからといってチハなら大丈夫かと言えば、多少マシって程度だと思うけど……」


 47ミリ長砲身を有する新砲塔の九七式中戦車ですらM4に苦戦するのに、内田の戦車は短砲身57ミリ砲の旧砲塔である。普通ならば全く歯が立たない。


「安心してください。なんとかなるでしょう。今回は弾が違いますからね」


 そういって軍曹は背後の弾薬庫をポンと叩く。彼がいう弾とは通称『タ弾(ただん)』と呼ばれる三式穿甲榴弾の事だった。


 モンロー・ノイマン効果を利用したこの対戦車用成形炸薬弾は、メタルジェットで最大55ミリの装甲を貫通することができる。これならば旧砲塔のチハであってもソ連のT-34に辛うじて対抗できるものと期待されていた。


 残念ながら新砲塔47ミリ砲用のタ弾は無いとのことだが、今回の樺太移動にあたり内田ら旧砲塔を装備する小隊はこの砲弾を大量に受領していた。


「……まあ何とかなるかもしれないね」


 伝えられているソ連戦車の諸元と三式穿甲榴弾の性能を思い出して内田は曖昧に答えた。


「ま、主力は戦車第四師団が受け持つらしいから大丈夫かな」


 九州に進出せず千葉に留め置かれていた戦車第四師団は、本土決戦に備えて三式(チヌ)中戦車、一式十糎(ホニII)自走砲、三式砲(ホニIII)戦車を装備した精鋭戦車部隊である。これであればソ連戦車にも十分対抗可能だと陸軍は考えていた。


「次!第三中隊、第三小隊!乗船準備!」


「おっと、ようやく順番だ」


 そんな雑談をしているうちに内田の小隊の乗船順がようやく回ってきた。


「滑りやすいから慎重にね」


 内田はまだ新兵(豆タン)の操縦手にやさしく声をかける。


 小隊の乗船場所は上甲板を指定されていた。登坂板の斜度は30度もある。チハがギリギリ登れる傾きなので滑り止め代わりのシュロの筵が敷かれている。その上を内田は慎重に登らせていった。


 全ての戦車が甲板に固縛されると、慌ただしく船団は占守島を出航した。岸壁で見送る残置部隊に皆が手を振って別れを告げる。


 もしかしたら、これが今生の別れになるかもしれない。そう思った内田は出せる限りの声で叫び、振り切れんばかりに手を振った。


 いつの間にか内田は涙を流していた。軍曹や他の乗員も皆同じように泣きながら手を振っていた。




■1945年8月16日

 樺太南端 大泊


 二日間の船旅を経て、内田少尉ら戦車第十一連隊はようやく樺太の大泊港に到着した。


 彼らを乗せてきたSB艇(後で知ったが半数は海軍所属の二等輸送艦だった)は避難民を満載するとすぐに出航していく。これからも避難民を内地に送り、逆に物資や部隊を届けるピストン輸送を続けるとの事だった。


 大泊に着いた戦車第十一連隊は休む間もなく今度は鉄道に乗せられた。ここから内路(ないろ)とかいう駅まで樺太東線で北上するらしい。


 こちらにも大量の避難民が乗っていた。それと入れ替わるように無蓋貨車に戦車を載せる。内田ら乗員は客車が足りないので戦車にそのまま乗っていけと言われた。連隊本部や整備中隊はちゃんと客車に乗せてもらっているらしい。内田はうらやましく思った。


 仕方なく戦車の上に座り流れる景色を眺めていると、目的地の内路が近づくにつれて徐々に砲声が聞こえ始めた。爆音を響かせ上空を何機もの航空機が通り過ぎていく。


「……見習士官殿、戦況は大丈夫でありますかね?」


 軍曹が珍しく気弱な声でたずねてきた。普段は自信に満ち溢れている彼だが、はじめて肌で味わう激戦の空気を感じて不安になったらしい。


 実は戦車第十一連隊は元々いた中国でも占守島でも、あまり過酷な戦闘を経験した事がない。それは軍曹も例外でなかった。


「うーん、船中で聞いた限りだと友軍も集まってるから大丈夫らしいよ」


 そう言って内田は北に向かう友軍機を指さして気楽そうに答えた。内心では彼も震えていたが極力それは表に出さない。士官は部下に弱気を見せてはいけない。彼はまだ見習士官に過ぎないが、過日の経験から少しでも士官らしくあろうと心がける様になっていた。


 実は内田が聞かされていた戦況はかなりギリギリらしかった。


 ソ連の参戦から数日の間、現地の第八八師団は消極的な反撃しか行えずズルズルと後退を重ねてしまっていた。政府の対応方針が定まらなかったためである。


 反撃に制限なしの通達がなされて以降は積極的に反撃を行っており、北海道各地から落合基地に航空部隊も集まり始めたことで今は辛うじて司令部のある古屯の手前で戦線を維持できている。


 だが航空部隊が活動できない夜間はどうしても苦戦を免れない。だから現地では一日も早い戦車部隊の到着が望まれていた。


 列車が内路駅に到着するやいなや、戦車第十一連隊は今度は塔路とうろへ向かうことになった。ここからは西へ陸路での移動となる。


 先に到着している戦車第四師団へ合流し指揮下に入れとの命令であった。古屯の守りは第四師団が残していった1個連隊で十分とのことらしい。事態は急を要するとのことで内田らは再び休む間もなく移動を開始した。


「休みたい……」


「……」


 軍曹も今回ばかりは内田のボヤキに何も言わなかった。


挿絵(By みてみん)



■1945年8月17日

 樺太西岸 恵須取郡 塔路


 塔路に到着したのは日が変わってから随分と経った時刻だった。


「各中隊長は集合!師団本部に向かう」


 連隊長以下、連隊本部の面々は中隊長らを伴って戦車第四師団本部に向かった。到着報告などしている暇はなく、すぐに作戦会議を行うとの事だった。


「各小隊は整備!我々がもどったらすぐに移動できるようにしておけ!」


「「「はっ!」」」


 残された内田ら小隊長以下は整備中隊と一緒に戦車の整備にかかりきりになった。


 もう丸一日近く寝ていない。しかしそれは連隊長も同じなので文句は言えない。内田らは考えるのを止めてひたすら手を動かし続けた。


「ほら、手の空いた者は食えるうちに食っておけ」


 途中で主計班が調達してくれた握り飯と沢庵が配られたのが本当助かった。だが腹が膨れると疲れも伴って一気に睡魔が襲ってくる。


「見習士官殿、命令に従うのも大事でありますが、兵隊を常に戦えるようにしておく事も大事な仕事であります。このままだと露助の目の前で全員うたた寝しかねませんよ」


「そ、そうだな。では半数は今より小休止。以後は1時間後に交代で」


 自身もうたた寝しかけていた内田は軍曹の言葉で我に返った。軍曹が内田の命令を伝達し、小隊の兵士らに交代で仮眠を取らせながら整備を続けた。




 およそ2時間後、連隊長らが師団本部から戻ってきた。作戦を伝えるとのことで小隊長以上が呼集がかかった。ちょうど仮眠をとっていた内田は軍曹に起こされて慌てて天幕に向かった。


 天幕に入ると、既にすべての士官が揃っていた。中央に置かれた机には塔路周辺の地図が置かれている。全員が揃ったことで副官が作戦説明をはじめた。


「ソ連の戦車部隊は古屯を迂回し、この塔路を突破して要塞の背後を断とうとするだろう」


 副官が地図上で指し棒を樺太西岸の北から南、そして古屯の南面へと滑らせる。


 古屯周辺は山がちな地形のため戦車の大量運用に向いていない。このため古屯に残した1個連隊でも十分防衛は可能らしかった。だが塔路周辺は平野がひろがり戦車の運用に向いていた。


「したがって我々は、この地点で敵部隊の南下を阻止する」


 副官の示した場所は街道が左右から迫る丘で挟まれた狭隘部であった。防御する側のセオリー通りの場所である。


「この街道正面には第二八、第二九連隊が既に布陣している。新型戦車や砲戦車もあるので強力なソ連戦車の阻止はある程度は可能とみている」


 三式(チヌ)中戦車はともかく、一式十糎(ホニII)自走砲、三式砲(ホニIII)戦車であれば、正面からでもソ連戦車を撃破できる可能性はあった。もちろん砲威力は敵戦車の方が上なので戦車濠にこもっても耐えられるかどうか微妙である。


「それで我々十一連隊はどちらに配置されるのでありますか?」


 別の小隊の小隊長が尋ねた。


「我々はこの丘の西面に布陣する」


 副官の示した場所は隘路の東側斜面であった。戦車第四師団の布陣位置より北寄りに位置する事になる。


「つまり我々が先鋒を務めるのでありますか?」


 キラキラした目で質問するその少尉を内田は胡乱な目で眺めた。


 彼はそんなに死に急ぎたいのだろうか。配置からみて、もしかしたら自分たちは囮にされるのかもしれないのに。内田は内心げんなりしながら副官の答えを待った。


「いや、我々は敵の戦車部隊を一旦やり過ごして背後を襲う。正確には戦車に跨乗してくるであろう敵歩兵の排除が我々の任務だ」


 ソ連が戦車跨乗(タンクデサント)により戦車と歩兵が同時に攻めてくる戦法を使うことはドイツや満州の情報から知られていた。たしかに内田らも占守島では敵歩兵の対戦車銃に苦労させられている。敵は戦車だけではないのだ。


 とりあえず囮ではないと知って内田はほっとした。もちろん一旦攻撃して位置を暴露すれば敵戦車の攻撃を受けるだろうが、そのころには戦車第四師団も攻撃に移っているはずなので、全部の敵がこちらに向かってくる事はないはずだった。


 その後、各小隊は指定された布陣位置に移動し戦車壕を掘ることを指示された。第十一連隊は作業車を連れてきていないため手作業で掘るしかない。入念な擬装も必要である。


「これはちょっと無理じゃないかな……」


「壕は浅く掘って、あとは樹木を厚く被るしかないですね……」


 誰もが無理だと途方に暮れたが、見かねた第四師団が排土板を付けた作業車を融通してくれたので何とか朝までに完了させることができた。


 おかげで内田らは、ようやく久しぶりにぐっすり寝る事ができたのだった。

ソ連は樺太の戦いに戦車だけで5個大隊およそ200両を投入しています。もちろんほとんどT-34です。


史実では日本軍は樺太に戦車部隊を置いていませんでした。本作では第四師団と第十一連隊あわせてソ連と同じく200両ほどが配置につけましたが、質はソ連と比べ物にもなりません。


ただし日本側は航空優勢を獲得しつつある上に、海上輸送を断たれたソ連が補給に不安を抱えているので、何とかなっている状況です。


作者のモチベーションアップになりますので、よろしければ感想や評価をお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 某怪獣映画に四式が出て来ましたwが、 何処から都内に持って来たんだろう・・・
[一言] 樺太は戦前に鉄道が敷かれていたのですね知らなかったです。戦前の樺太は金カムで出ていたのでこれは驚きでした。   樺太が失われたのは文化的にも大きな喪失だったとも言えますね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ