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第三話 士魂部隊

■ポツダム宣言の受諾


 最後の頼みの綱であったソ連の突然の宣戦布告は、日本政府の心を完全にへし折っていた。さらに九州一帯を襲った巨大台風により兵力に甚大な損害を受けた事が追い打ちをかける。


 このため緊急で開催された御前会議においても宣言受諾に対する反対意見は出なかった。最大の懸念事項であった政治体制、天皇制の保証が明記されていたためである。


 その後、正式な閣議決定を経て、8月3日午前8時にラジオ放送、モールス通信を用いて日本がポツダム宣言を受諾する旨が世界に対して通達された。




 これに対する米国の反応は、まるで予期していたかのように迅速だった。


 放送からわずか2時間後、日本占領の最高司令官にダグラス・マッカーサー元帥が就任する事と、進駐に関する指示を行うため使節をフィリピンのマニラまで至急派遣する旨の通達を行ってきたのである。


 日本はすぐに陸軍参謀次長の河辺虎四郎を代表とした使節団を即時マニラに派遣した。


 マニラの司令部で行われた会談において米国は日本の使節団に対し、「米英は日本のソ連に対する自衛戦闘を一切妨害しない」との考えを伝えてきた。ポツダム宣言はあくまで米英中三ヶ国によるものであり、ソ連はその埒外であるという認識だと言う。


 さらにマッカーサー自ら次の様に語ったという。


「大陸の防衛はおそらく困難だろう。だが個人的には北海道、樺太、千島列島を日本が堅持することを望んでいる」(公式文書には一切残されていない)


 残念ながら日本は陸海軍の各部隊に日本の降伏と戦闘の停止を通達しており、これがソ連に対する初動の混乱を招いていた。


 だが米国の意向そしてマッカーサーからの言葉を機に、日本は一気に防衛体制を再構築する動きに向かう事となる。




■1945年8月10日

 占守島

 戦車第十一連隊「士魂部隊」


 ソ連の宣戦布告から10日後の8月10日、カムチャッカ半島の先端に最も近い占守島はソ連軍の侵攻を受けていた。


 この地域は台風EVAの被害を受けておらず、少数ではあるが艦艇が残っていた事が渡洋侵攻を可能にしていた。だが既にこの島を守備する陸海軍の各部隊にはソ連に対する反撃にはなんら遠慮が要らない事が通達されている。


 このため歩兵第九一師団、戦車第十一連隊、そして僅かに残っていた陸海軍航空部隊は警戒を強めるとともに、北部の竹田浜から上陸すると想定されるソ連軍に対して入念な迎撃作戦を練っていた。


 そして8月9日深夜、カムチャッカ半島の沿岸砲による砲撃を皮切りに北部の竹田浜にソ連軍が上陸してきた。しかしその戦力は歩兵のみわずか9千人足らず。戦車どころか装甲車すら持っていない。


 これに対し日本軍はこの島に歩兵2万3千人、戦車64両もの戦力を有している。沿岸砲や砲艦の援護があるとはいっても、普通に戦えば勝負にもならない戦力差である。


 航空偵察でソ連船団の接近も察知していた日本軍は、事前の作戦に基づき危なげなく対応した。


挿絵(By みてみん)


 だが誰もが落ち着いて対応できた訳ではなかった。


「ひっ!う、撃たれた!撃たれた!」


 甲高い音が九七式中戦車の砲塔内に響く。おそらくソ連の対戦車ライフルによる射撃は距離が遠く角度が浅かったのか、幸いにも薄いチハの装甲でも弾き返すことが出来ていた。


 だが被害が全く無いにも関わらず、第三中隊 第三小隊長の内田弘少尉は、自分が撃たれたという事実でパニックになっていた。少尉とはいえ内田はまだ見習士官に過ぎない。しかもこれが初陣となれば撃たれてパニックになるなと言う方が無理があった。


「見習士官殿!落ち着いてください!どこから撃ってきてるか分かりますか!」


 砲手を務める軍曹が怒鳴った。


 敵の射撃は続いている。この薄い九七式(チハ)中戦車の装甲ではいつ貫通されても不思議ではない。生き残るためには早急に対処する必要があった。


「え?は?……す、すまない!えーと二時方向、距離500に敵火点?」


 軍曹の怒鳴り声で少しだけ落ち着いた内田がようやく外を確認する。軍曹も素早く砲塔を旋回させ敵を確認した。


「敵火点を確認しました。弾種は榴弾でよろしいですか?」


「あ、ああ、よろしい。う、撃て!」


 内田の返事を待たず、すでに照準を終えていた軍曹は発砲した。57ミリ榴弾は過たずソ連兵の集団の中央に命中した。暗闇のなかに爆発光がきらめき長い銃身をもつ対戦車ライフルが宙を舞う。これでひとまず内田の戦車に対する射撃は止まった。


「よ、よし!前進!き、機銃も撃て!」


 敵の攻撃が止まり少し余裕のでた内田は調子に乗って指示した。


「なに言ってんですか!この暗闇でどこを狙うんですか!周りは友軍兵士がいっぱい居るんですよ!味方に当たりますよ!」


 だが彼はすぐに軍曹に叱られた。いまだ見習士官に過ぎない内田にとって教育係を兼ねる軍曹は上官より怖い存在である。


「す、すまない……えーと、指示あるまで現位置を保持。敵火点を発見次第、これを粉砕する」


「分かればいいんです。次は気をつけてください。こちらこそ差し出がましい事を言って失礼しました、見習士官殿」


 現在、戦車第十一連隊は歩兵第九一師団を援護する形、つまり歩兵直協でゆっくりとソ連上陸部隊を竹田浜に押し込めつつある。ここでの戦車の役割は勇躍前進して敵兵を蹴散らすことではなく、歩兵の背後をゆっくり進み敵の火点をしらみつぶしに潰していく事である。


 ここで勝手に前進したり機銃を撃ったりすれば、軍曹の言うとおり味方に被害がでるのは間違いなかった。


 この後、日本軍はソ連の対戦車砲や対戦車ライフルに多少は苦戦したものの、わずか一日で竹田浜に追い詰めることに成功していた。当初は9000人ほどいたソ連軍であったが、最後は生き残りの5000人ほどが降伏した。


 日本軍の損害は戦車四両と歩兵1000人足らずに過ぎない。内田をはじめ指揮下の四両も欠ける事なく生き残っている。まさに鎧袖一触の戦いと言えた。




 だが占守島以外の地域では今も苦戦が続いていた。


 中国大陸は言うまでもなく、樺太でもソ連軍が100両を超える戦車を先頭に越境攻撃を仕掛けてきている。現地の第八八師団は奮戦しているものの、樺太に機甲戦力が一切配備されていないため戦線を押し込まれつつあった。


 このため日本は戦車輸送が可能な陸軍のSB艇、海軍の二等輸送艦の生き残りをかき集め、関東防衛のために温存されていた第四師団の戦車を樺太に送り込む事にした。


 またそれでも足りないため近在の占守島に駐屯し、ソ連軍との戦闘を終えたばかりの戦車第十一連隊に対しても樺太への移動命令が出されていた。


 移動命令を受け取った連隊長の池田末男大佐は、司令部前広場の隊員全員を集めた。内田も小隊の面々とともに整列している。


 演説台に登った池田は、目の前に整列する隊員らに静かに語り掛けた。陸軍戦車学校をはじめ教育畑の経歴が長い池田の声は静かで落ち着いたものだった。


「われわれは大詔を奉じ家郷に帰る日を胸にひたすら終戦業務に努めてきた。だが悪鬼ソ連は卑怯にも降伏した我が国に襲い掛かってきた。諸子の奮闘により幸運にも我々はこれを撃退したが、満州や中国の地では未だソ連の暴虐の嵐が吹き荒れている。よって我々は再び降魔の剣を振ることとなる」


 ここで池田は一度言葉を切り、ゆっくりと皆を見回した。


「我々は明後日、この地を離れ樺太に向かいソ連戦車撃滅の任につく。だが残念ながら全員が向かうことは出来ない。船腹には限りがあるためだ。悔しいだろうがハ号(九五式軽戦車)の部隊はこの地に残すことになる」


 その言葉であちこちから抗議の声が上がった。


 戦車第十一連隊は九七式(チハ)中戦車39両(新砲塔20両、旧砲塔19両)と九五式(ハ号)軽戦車25両を保有している。つまり池田は4割の戦車を占守島に置いていくと言っていたのである。


「残される諸子の悔しい気持ちはよく分かる。だが今は恥を忍ぎ将来に仇を報ぜんとする赤穂浪士となってほしい。そして樺太に向かう諸子は玉砕もって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとする白虎隊のごとき気概を持ってソ連軍にあたって欲しい」


 このように池田は最後に檄をとばし出陣の訓示を締めくくった。


「やっぱり俺も行くことになるのか……」


 内田の小隊は4両のチハで編成されている。旧砲塔ながら幸か不幸か全車すこぶる調子も良い。このため池田の言葉で自動的に内田の樺太行きが決まっていた。


 命令とあれば仕方がない。せめて次は無様な姿は見せないようにしよう。池田大佐の訓示を聞いて内田はその心に誓うのだった。

良く知られているように、史実の戦車第十一連隊は歩兵を伴わずソ連軍に単独で突撃し、奮闘はしたものの人的物的に大損害を受けました。


本来であれば負けるはずのない戦力差なので、ここでは普通に鎧袖一触となっています。


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[良い点] 8/3にポツダム宣言の受諾、と言う事は原爆投下が無いと言う事ですね? 呉空襲はあったんでしょうか? 無かったなら残存艦艇が増えるから面白くなりそうw あと各地の航空隊根こそぎ移送するとかか…
[良い点] 士魂部隊は色々な媒体でよく出てきますが見習士官でビビりなやつが出てくるのは新鮮でよかったです。 [一言] 史実の戦車第十一連隊とは違い損害も少なく本命の戦車部隊と激突まで待ったいけたのは大…
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