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第二話 エヴァ襲来

■1945年8月2日

 ソ連 ソヴィエツカヤ・ガヴァニ

 北太平洋艦隊司令部


「急げ!出航を急がせろ!1隻でも多く用意するんだ!何としても明朝には間に合わせろ!」


 ソ連北太平洋艦隊司令のウラジミール・アンドレイエフ海軍大将が吠える。現在の彼にはとにかく時間も船も足りていなかった。


 先月末の7月31日、モスクワにおいてモトロフ外務人民委員が佐藤尚武駐ソ連大使を呼びつけ、日本に対して宣戦布告を行っていた。


 アンドレイエフが事前に聞いていた予想より一週間以上早い。


 かつて日本は三大海軍国の戦力を誇っていたが、それは米国がほとんど叩き潰してくれたので問題ない。問題なのはアンドレイエフの手元には兵を乗せて送るべき船が全く足りていない事だった。


 中国大陸の方は陸路で攻め込めるが、樺太サハリン千島クリル列島、そして北海道へは海を越えて侵攻しなけらばならない。だが現在、彼の手元には魚雷艇からトロール船までかき集めても100隻ほどの船しかなかった。戦車を乗せられるような揚陸艇は一隻もない。


 本来であれば米国との密約プロジェクト・フラで多数の揚陸艦を含む150隻近い艦艇を入手できるはずだった。だが現時点でソ連が受領できたのは50隻ほどの掃海艇のみ。それもほとんどが未だアラスカのコールド湾に浮かんだままである。


 アンドレイエフの所に回されたのはわずか4隻の掃海艇だけだった。


「二日後だ!明後日にはまず朝鮮半島に向けて第一陣を出航させろ!」


 朝鮮半島に対しては陸路から第一極東方面軍が攻勢をかけることになっていたが、アンドレイエフは旅団単位の部隊を上陸させ敵の背後を断つことを求められていた。


 旅団単位であれば手持ちの船を総動員すればなんとかなるはず。幸い天候もよく沿岸沿いのため航海も問題ないはず。アンドレイエフはそのように初手の作戦についてはある程度楽観していた。


 だが彼の知らない要因により、その目論見は大きく狂う事となる。




■1945年7月30日

 グアム 米艦隊気象センター・台風追跡センター


「これは大きくなるぞ……」


 テーブルに広げられた地図を見ながら数人の男たちが話し合っていた。


「針路は……高気圧の配置からみて、おそらく日本近海を通過するな」


「すぐに警報をだせ!とくに第5艦隊には大至急だ!」


 予報の指揮をとる中佐が叫ぶ。その声に弾かれたように下士官らが部屋と飛び出していった。


 米海軍は昨年のコブラ台風(Typhoon Cobra)で第38任務部隊が大損害を被ったことから、新たに『米艦隊気象センター・台風追跡センター』を組織し今年から運用を開始していた。


 三日前に彼らが見つけた時点では、それはまだ熱帯低気圧から成長したばかりの小さな台風だった。彼らは命名規則に従いその台風を「Typhoon EVA」と名付け、継続して観測を続けていた。


 だがEVAは彼らの予想を超えて急速に成長していった。例年より台風が少なかったため海水温が高かったことがその原因だった。


 まだ南太平洋に居るにもかかわらず、既に中心気圧は900ヘクトパスカル(ミリバール)を下回り、最大風速も50メートルを超えている。高水温が生む湿気を存分に吸収して成長したEVAは、東より張り出した太平洋高気圧の外縁に沿って北上を開始していた。




 EVAは日本近海に到達する頃には中心気圧888ヘクトパスカル、最大風速75メートルという超巨大台風にまで成長し、九州西岸を掠めつつ日本海に侵入した。


 日本の中央気象台もこの台風の接近に気付いてはいたが、制海権・制空権を失った状況では観測データが足りず巨大台風だとは認識していなかった。また天気予報が戦争開始とともに停止していたため市井に台風情報が流されることもなかった。


 このため「台風9号」と名付けられた台風は九州各地に甚大な被害をもたらした。また米軍上陸に対応するため九州に集積されていた航空兵力・海上戦力にも大きな損害を与えた。


 一方の米軍は、沖縄近海に展開していた第五艦隊は安全な海域に退避し、沖縄の第10軍も台風対策を行ったため被害はほとんどなかった。




 だがこの台風情報が出港準備を進めるソ連太平洋艦隊に伝えられる事はなかった。


 EVAは北上するにつれてその速度を増し、日本海に侵入した時点では時速100キロを超えていた。そしてその勢力と速度を維持しながら大陸東岸に向け日本海を北上していった。


 それはちょうどアンドレイエフが朝鮮半島にむけて最初の輸送船団を送り出そうとしていた時期と一致していた。




■1945年8月4日

 ソ連 ソヴィエツカヤ・ガヴァニ


 ソ連は対日宣戦布告の翌日、8月1日に満州と朝鮮半島に対して侵攻を開始していた。樺太サハリンでも昨日から現地部隊が越境し日本軍に攻撃を加えている。


 アンドレイエフの率いる北太平洋艦隊も朝鮮半島の敵の背後に部隊を上陸させるべく輸送船団の出港準備を整えていた。


「司令、天候が悪化してきています。出航を見合わせた方が良いかもしれません」


 参謀の一人が出航の延期を提案していた。確かに二日ほど前から波が高くなり、南の空には黒雲が拡がり始めている。参謀の言う通りアンドレイエフの目から見ても間もなく嵐が訪れるのは間違いないと思われた。


「延期は許さん。計画通り出航させろ!」


 だがアンドレイエフは進言を容れず出航を強行することを決断した。今回は沿岸沿いの航路であること、また仮に嵐が来るにしても例年通りなら大したことは無いだろう事がその理由だった。


 もちろん中央の指示に背けばどうなるか分からないという理由が一番であった。なにしろ朝鮮半島への上陸を終えたらすぐさま今度は樺太サハリンに兵力を送る必要がある。その先には千島クリル列島と北海道への上陸作戦も控えている。


 彼にはちょっとした嵐くらいで作戦を遅延させる余裕などなかった。




 だが天候はアンドレイエフの予想を超えて急激に悪化していった。そして恐れていた通り、朝鮮半島に向けた船団はソヴィエツカヤ・ガヴァニを出航して間もなく激しい嵐に襲われた。


 これまで体験した事の無い高波と強風が船団を襲う。観測史上最大クラスの台風を相手に、兵員や物資を満載した小型の掃海艇や砲艦が耐えられるはずもない。


 ある船は横波を受けて転覆し、ある船は波高20メートルを超える高波に飲まれ、ある船は巨大な三角波で船体をへし折られた。そして全ての船が積荷もろとも海の藻屑となり消え去った。


 しかもEVAがもたらした被害は船団だけにとどまらなかった。


 大陸東岸に上陸したEVAはウラジオストクやソヴィエツカヤ・ガヴァニを襲い、残っていた艦艇や船舶、港湾施設を破壊しつくした。また先に展開していた潜水艦部隊もそのほとんどが失われてしまった。


 こうしてソ連北太平洋艦隊は保有する艦や船のほとんど失い壊滅した。


 それは同時にソ連が日本に対して渡洋作戦を行う術をほぼ失った事を意味していた。


挿絵(By みてみん)



■1945年8月6日

 ソ連 ソヴィエツカヤ・ガヴァニ

 北太平洋艦隊司令部


 巨大台風が過ぎ去って二日後、アンドレイエフは寝る間を惜しんで対応にあたっていた。


 その司令官室の扉が乱暴に開けられた。間を置かず銃を構えた数名の兵士が足音荒く入ってくる。それに続いて階級章のない軍服を着た男がゆっくり姿を現した。


「ウラジミール・アンドレイエフ。貴官には重大なサボタージュの疑いが掛けられています。事情を聴取するため私に同行して頂きます」


 兵を率いていたのは司令部付きの政治将校だった。彼とは良好な関係を築いていたはずだった。だが言葉こそ丁寧だが、つい先日酒を飲み交わした時の親し気な雰囲気はもはや微塵も感じられなかった。


「ま、待ってくれ。艦隊の喪失は台風によるものだ。私の責任では断じてない!」


 慌ててアンドレイエフは弁解する。


「それは中央が判断することです。大人しく従ってもらえませんか。私も手荒な真似はしたくありません」


 政治将校の言葉を受け兵士らがアンドレイエフに銃を向ける。


「ひ、引継ぎや色々と準備が……そ、そうだ準備が必要だ。ユマシェフ大将ともよく相談する必要がある。少しでいい。時間をくれないか」


 行けばその先には間違いなく銃殺が待っている。弁解材料を用意するか、最悪の場合は脱出しなければ。アンドレイエフはなんとか時間を稼ごうとあがいた。だがそれも許されなかった。


「不要です。既にこちらの指揮はそのユマシェフ大将が引き継ぐ事になっています」


「な、なんだと!?ユマシェフが?」


「そうです。ですから後のことはどうぞ心置きなく」


 そう言って政治将校は兵士にアンドレエフの拘束を命じた。


 太平洋艦隊司令イワン・ユマシェフは自分をスケープゴートとして切り捨てた。その事を悟ったアンドレイエフは愕然として項垂れた。もう彼には大人しく連行されていくしか道はなかった。

ソ連の参戦は史実より8日ほど早まっています。


台風EVA(台風9号)は史実でも発生しています。ただし本作では勢力と針路が大きく違っています(カテゴリー1 → カテゴリー5、第二室戸台風レベル)。


作者のモチベーションアップになりますので、よろしければ感想や評価をお願いいたします。

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[気になる点] ウラジオストクとソヴィエツカヤ・ガヴァニ、復興までに下手すると年単位で復旧がかかるのでは? 港ごと吹っ飛ばす台風ですし、悪運でアンドレイエフ大将も生き残ったもので。戦後のロシア極東政…
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