エピローグ りっくんランド ガイドツアー
■2000年某日
埼玉県 朝霞駐屯地
陸軍広報センター
東京都と埼玉県にまたがる広大な敷地をもつ陸軍朝霞駐屯地。その一角にある陸軍広報センターは「りっくんランド」の愛称で親しまれる人気施設である。
戦前から現代に至る国内外の膨大な戦闘車両コレクションは、英国ボービントン、ロシアのクビンカ、米国アバディーン、仏ソミュールに並ぶものであり、海外では『朝霞戦車博物館』の名で知られている。
和光駅から東武バスの陸軍広報センター行きに乗ることおよそ10分、赤茶色のタイル張りのゲートとモニュメント代わりの巨大な戦車が来場者を出迎えてくれる。
ここは実物の戦車に直接に触れることができ、イベントではそれらが実際に動くところも見れる事から非常に人気が高い。特に土日ともなれば入場料が無料なことも相まって親子連れで大盛況となる。
そして今日も開場を待つ見学客らが入口の前に長蛇の列をなしてた。
「9時半のガイドツアーを予約されている方はこちらにご集合くださーい」
ヒヨコが迷彩服を着こんだ様なマスコットキャラを伴った女性兵士がメガホンで呼びかける。それを聞いて20人ほどの老若男女がぞろぞろと集まってきた。
やはり親子連れが多い。個人客やマニアらしい少年グループもいる。
女性兵士が予約の点呼を終えたところで、その横から一人の老人が進み出た。
「皆さん、おはようございます。本日のガイドを務めますボランティアの内田です」
ガイドの老人は内田だった。
ベトナム戦争の終結後、彼は最終的に少将まで昇進し5年ほど前に退役していた。最後の戦闘任務は1990年の湾岸戦争で、この時も彼は戦車師団を率いている。
それなりに業界では有名人であることを自負していたが、幸い今日の客に内田のことを気づいた人はいないようだった。あれこれ尋ねられるのが面倒くさいので内田は内心ホッとしていた。
「途中でツアーを外れるのはご自由ですが、その際はわたしに一声かけてくださいね。それではツアーを始めましょう。皆さん私についてきてください」
そう言ってツアーの旗を掲げた内田は入口を抜けて施設に入った。その後ろをツアー客がぞろぞろとついていく。
「こちらの売店には、ここでしか買えないグッズがいっぱい有ります。お帰りの際にはぜひ寄ってくださいね」
入口を入ってすぐ左手にあるミュージアムショップの前を通り過ぎながら内田は如才なく宣伝した。今はボランティアの身であるが、軍への奉公も忘れない。
「一旦2階にあがりますね。皆さんこちらのエスカレーターに乗ってください」
2階は広大な展示ホールの周囲を囲む展望デッキとなっていた。つまりそこからは展示されている数多の戦闘車両を一望できることになる。
「「「おおーー!!」」」
それは迫力のある光景だった。皆が一様に感嘆の声をあげた。
「皆さーん、こちらにお集まりくださーい。記念写真を撮影しまーす」
広報の腕章をつけカメラを携えた女性兵士が呼びかけた。ツアー客らは集合写真用の台にぞろぞろと並ぶ。
「はい撮りますよーはいチーズ!ありがとうございましたー!写真は下のショップの画面で確認できますので、気に入ったら購入して下さいねー」
昨今は志願者も減っていて部隊の定数を充足するのも難しくなっている。軍も人気取りに一生懸命だった。
「ではここから展示の概要を説明しますね。手すりの方に集まってください」
撮影が終わると、内田がツアー客にこの博物館の概要を説明した。
「この施設は今からおよそ30年前に設立されました。日本だけでなく世界中の戦車を展示しています。収蔵車両の数はおよそ200台もあって、世界5大戦車博物館の一つに数えられています」
初めてここを訪れたらしい客から、ほー、とかへー、という声があがる。
「ここから見えるだけでも十分多いですが、これでも収蔵車両のごく一部です。隣接するガレージや屋外にも多数展示されていますので、ツアーが終わった後にゆっくりご覧になってください」
ついで内田は展示ホールを順に指さした。
「ここでは戦車が開発された歴史に沿って展示が並べられています。まず最初に左手前から第一次世界大戦期の戦車黎明期エリア、次が第二次世界大戦までの戦間期エリア、そしてあちらの奥が第二次世界大戦中の戦車エリア、ここが一番の見どころですね」
第二次世界大戦エリアには日本戦車だけでなくドイツや米国、英国、ソ連の有名な戦車が並んでおり、内田のいう通り最も人気が高いエリアだった。
ちなみに海外戦車は英米から購入したり樺太で鹵獲したものが展示されている。
「右手には戦後の戦車のエリアです。終戦直後から現代にいたる戦車が並んでいます。そして中央には現在の日本の主力戦車である八六式戦車が展示されています。では下におりて順に見ていきましょう」
「あ、各所に私と同じ様にカメラマンがいますので、声をかけてくださいねー!写真が気に入ったらショップで買えますー!宜しくお願い致しまーす!」
広報の女性兵士の笑顔に見送られながら、内田とツアー客はエスカレーターで1階にもどった。
■黎明期エリア
このエリアには英国マークI戦車やドイツA7V、フランスCA1戦車などが展示されている。もちろん全て本物ではなくレプリカである。
「こちらの黎明期エリアは今から1世紀近く前、はじめて戦車が戦場に出現した頃の戦車が並んでいます。なにしろ大昔のものなのでこちらの展示は実物ではなく全てレプリカとなっています」
レプリカなので中に入って見ることも可能になっているが、一般には知名度も低く戦車自体も地味で「格好悪い」ため人気は今一つのエリアである。
内田もそれは知っている。なので説明はあっさり済ませて次のエリアに移動していく。
■戦間期エリア
「このエリアから戦車はすべて本物が展示されています。触るのはご自由ですが上に登ったりはしないでくださいね」
内田が一応注意をしたが、古いとはいえ戦車である。付属品一つとっても簡単に壊れることはない。むしろ内田が気にしているのは客が戦車から転落して怪我をすることだった。
このエリアには八九式中戦車から続く日本陸軍の歴代の戦車に加え、英米仏ソの有名な戦車も並んでいる。
驚くべきことに日本戦車をふくめ全てが稼働状態を保たれており、イベントでは走行する姿を見ることもできる。
■第二次世界大戦エリア
「さて皆さんお待ちかねの第二次世界大戦エリアです。どうぞご自由にご覧になってください」
内田の言葉と同時に皆がわっとお気に入りの戦車に群がっていく。やはりドイツ戦車の人気が一番高い。次いで英国、ソ連、米国の順で人気が高いようだった。待機しているカメラマンに声をかけて記念写真を撮ってもらう客も多い。
残念ながら自国にも関わらず日本戦車の人気は低い。いつもの事だが九七式中戦車を囲む客が誰もいないのを見て内田は少しだけ寂しさを感じた。
■戦後エリア
「こちらがツアー最後となります戦後エリアです。日本をはじめ各国の現役戦車が揃っていますので、じっくり見ていってくださいね」
ここも第二次世界大戦エリアに次いで人気のエリアである。
日本戦車は戦後すぐの米軍供与戦車から、四八式、六一式、七四式、そして最新の八六式までが勢揃いしていた。米英仏の戦車は交換貸与されたものであり、ソ連や中華人民共和国の戦車は戦場で鹵獲されたものを購入したものである。
そんな中でも特に目を引くのは六一式戦車の隣に並べられたイスラエルのメルカバMk.1戦車であった。ともにエンジンを前部に持つなど共通点が多く比較される事が多い両車である。
メルカバはイスラエル国外では仏ソミュール博物館とここだけにしか展示されていない。非常に珍しい戦車なので、これを目当てに海外から来る客もいるくらいである。
そして日本戦車もこのエリアに来てようやく人気を集めることが出来ていた。一番人気はホール中央に鎮座する八六式戦車であった。
■八六式戦車
その名の通り1986年に制式化されたこの戦車は、四八式、六一式、七四式に続く戦後4代目となる主力戦車である。
六一式から続く日本伝統のエンジンを前に置くレイアウトを踏襲しており、外見的には先代の七四式からあまり変わっていない様に見える。だが世代的には戦後第三世代戦車に属し、西側標準の120ミリ滑腔砲と高度な火器管制システムを備えている。
120ミリ砲の強大な反動を受け止めるため重量は50トンを超える。このため従来と同じく樺太と北海道、そして水陸機動軍のみが装備している。
その戦闘力と防御力は先の湾岸戦争でも遺憾なく発揮された。撃破したT-72の数は米軍のM1戦車に次ぐものであり、逆に撃破された八六式戦車は一両もない。四八式戦車から続く日本戦車の不敗伝説は今も続いていた。
このため輸出モデルの販売も好調であり、その販売先は東南アジア諸国やインド、トルコなどと多岐におよんでいる。
内田が現役最後の戦いとなる湾岸戦争で指揮したのもこの戦車であった。はしゃぐツアー客を眺めながら内田は少しだけ懐かしい気持ちでその戦車を眺めた。
■ガレージエリア
いかにもミュージアムらしい見栄えの大ホールと違い、ガレージエリアは只の大きな倉庫に過ぎない。広いだけで殺風景なそこは照明も薄暗く、そこに雑多な戦闘車両が説明パネルと共に並べられている。
ここは珍しい車両も多いが一般受けしないのか訪れる客もまばらであった。ツアーを終えた内田はホールを離れ、この閑散としたガレージエリアを一人で歩いてた。
彼の足はガレージの奥へと向かっていく。そして端に近い所に展示されている戦車の前で立ち止まった。
「片づけてくれても構わないんだけどなあ……」
内田が愚痴をこぼすその先には一両の九七式中戦車が展示されていた。それも57ミリ砲の旧砲塔を持つ初期型である。砲塔の側面に描かれた「士」の部隊章も掠れ、少々読みにくくなっている。
それはかつて樺太で内田が乗っていた車両そのものだった。
「展示するなら、せめて修理くらいしてくれても良いのに」
内田の言う通り、その車両は樺太で内田が指揮し、そして撃破された時の姿をそのまま保っていた。
砲塔左の装甲は割れて穴が開いたまま、エンジンルームは焼け焦げ、折れ曲がったフェンダーは横転時の衝撃を今に伝えている。
この博物館に来た時には必ず、何となくではあるが内田はこの戦車を見に来ていた。
別に墓碑的なものでも無いので一目見て満足する。そしていざ立ち去ろうと振り向いた時に内田は声をかけられた。
「あ、ガイドさんですね!さっきはありがとうございました!」
声をかけて来たのはツアーに参加していた3人の少年グループだった。聞くとまだ中学生とのことだった。
「ああ君たちは……楽しんでくれている様でなによりだよ。ところで、こんなガラクタにも興味あるのかい?もっと格好いい戦車は他に一杯あるが……」
このガレージエリアに限っても他に色々と見るべき戦車がたくさんある。内田はもっともな疑問を述べた。
「あ、この戦車が目的なんです!」
「僕たちはプラモデルのクラブに入ってて……」
「今度の大会のお題が戦車なんです!」
「それで樺太戦車戦のチハとT-34のジオラマを作ろうと思って……」
「ここに実物があると聞いて写真を撮りにきました!」
3人の少年は元気に答えた。
「なるほどね……これがその実物だというのは本当だよ。私が保証しよう。いっぱい写真をとって素敵な作品を作りなさい」
「「「ありがとうございます!」」」
3人は礼儀正しくお辞儀をすると、さっそく戦車に駆け寄っていった。
内田は夢中になって写真を撮ったり寸法を測る3人を微笑ましく眺めると、邪魔をしないようにそっとその場を離れていった。
3人の一人が説明パネルの写真を撮った時、あることに気づいた。
「あれ、この時の車長って内田って名前なんだ」
「内田って……そう言えばさっきのガイドさんの名前も内田じゃなかったっけ?」
「え?それって、もしかして!」
3人は慌てて振り向いたが、既に内田の姿は見えなかった。
本作の「りっくんランド」は本物の数倍の規模を持っています。館内は大宮の鉄道博物館をイメージして書きました。
以上で『神風が吹くとき ~ もしもソ連の参戦直後にソ連艦隊が台風で壊滅してしまったら』は完結となります。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。