悪徳の心得をお見せしましょう
爵位しか取り柄のない貧困伯爵家、その次男との婚約解消。
これは、予定調和だった。
だってこれは、シナリオ通りだから。
しかしその代わりに差し出された三男に関しては、予定外だった。
(婚約解消してはいさようなら、ということにして後でキリキリと締め上げ、私との婚約解消を後悔させてやろうと思っていたのに……残念だわ)
そう思ったけれど、シナリオでは三男などいなかったはず。うっすらとした記憶からそれを掘り起こしたアヴェリーチェは、こてりと首を傾げた。
「それで、その三男というのは?」
「こ、こちらです!」
そうして文字通り差し出されたのは、目元を布で覆い隠した、盲目の黒の長髪美青年だった――
アヴェリーチェ・レヴィア。
赤髪青目のいかにもな悪役面が似合う彼女が前世の記憶を思い出したのは、六歳の頃だった。
そこでアヴェリーチェは、自身がとあるアプリゲームで『悪役令嬢』だと呼ばれる存在で、ゲーム内のヒロイン――いわゆるところのプレイヤーの恋路を邪魔する役割を与えられた貴族令嬢だということに気付いたのだ。
そのことに気づきシナリオを変えようと色々行なった結果、この世界には二つの道があることを悟る。
一つ目は、予定調和。何をどう足掻こうと必ず起こるイベントのようなものだ。今回の婚約破棄イベント、そしてそれに付随する婚約イベントもそれである。
二つ目は、アヴェリーチェの意志である程度選択肢が選べる道だ。つまり、予定調和の邪魔にならない選択肢、のようなもの。
具体的に言うのであれば、アヴェリーチェの今の立場だろうか。アプリゲームの中だとアヴェリーチェはわがままで浪費家な爵位継承権第一位を持つ子爵令嬢だったが、今は父の片腕として経営の一端を任されている経営者でもあった。
アプリゲーム通りに行けば今頃学園に通っているが、アヴェリーチェは飛び級でとうの昔に卒業。
しかしそれでも婚約者が変わらない辺り、予定調和というやつの強制力はなかなかである。
しかしそれでも、アヴェリーチェは自由に生きたかった。
(だってアヴェリーチェ・レヴィアは、大金持ちの貴族令嬢なんですもの。なら存分に、その恩恵を受け続けたいわよね?)
前世、平々凡々な生活から一変、今ならお金さえあればなんとでもなる立場だ。女だからという理由で出世を上司から邪魔されることも、賃金が低いということもない。最高の環境。
恋にうつつを抜かしている暇などない。
だってアヴェリーチェは、根っからの仕事中毒者なのだから。
(仕事最高! 仕事LOVE!)
そのために必要な知識を持つ人間は、お金があるので集められる。必要な書物も、お金があるので集められる。
その中でも最高に良かったのは、アヴェリーチェ自身の能力だ。この少女、一度見たものは忘れないという超人的な記憶能力を持っていたのである。
おかげで、前世年齢が上がるごとに悩んでいた集中力と記憶力低下に悩まされない。
だからアヴェリーチェは恋愛にうつつを抜かすことなく、『ツェーレ伯爵家が持つ人脈と繋がる』という目的を達成するのと同時にサクッと婚約者を手放したのだ。
正直、ゲームのヒロインに自分が稼いだ金銭が使われていると思うと、はらわたが煮え繰り返る思いだった、というのもある。
……手放した、はずなのだが。
(別の人間がふわっと浮上するなんて、全く思ってなかったわ……)
しかも、完全にノータッチだ。今慌てて情報を集めさせているけれど、どうしたらいいのやら。
アヴェリーチェはそう、対面のソファに座る黒髪美青年――ユヴェリ・ツェーレに対して思った。
ツェーレ伯爵が言うには、本当に煮るなり焼くなり好きにしていいらしい。奴隷のようにこき使おうが、全く問題ないと言った様子で、代わりの婚約者を送り出してくるとは。
どちらにせよ、レヴィア子爵家が軽んじられていることは確かだった。盲目の三男であっても、婚約関係を続けていれば自分たちの家にレヴィア子爵家の利益が流れていくと、本気で思っているのだから。
(うーん、予定調和的に、私があの男に恋しなかったのがダメだったとか? それとも、特に関係ないのかしら……)
考えても仕方のないことをぐるぐる考え、思わずため息を漏らしそうになっていると、眼前の彼はそれを肌感覚で感じ取ったらしく、慌てた様子。
「あ、の。僕では、満足できませんでしたか……?」
「いいえ、そういうことじゃないのよ。ユヴェリ様。あなたは私の婚約者なのだから、どうぞ寛いでらして」
(そう、一番の問題は、この方ならばそういう生活でもいいかなと思っている自分自身に対してだから……)
しかしそれくらい、ユヴェリの造形は整っていたのだ。
顔の造形はもちろんのこと、長く伸びた黒髪を軽く結えているだけというそのスタイルにも不思議な色気がある。シャツとズボンという簡易な服でも、彼が着ていると高級品に見えた。
身長も高く、手足もすらりと長い。アヴェリーチェは女性の中でも長身なほうだが、ヒールを好んで履くためにさらに長身になる。そんな彼女と並んでもさらに高いので、確実に百八十センチ以上あるだろう。
目が見えない、という点を除いたとしても、ここまで完璧な美青年がこの世にいたとは。
(この美青年を婚約者として愛でられるなら、あの爵位しか取り柄のない伯爵家とも関わり合いを持っていていいかな、なんて思ってしまうわ)
アヴェリーチェは、美しいものが好きだ。前世では面食いだったが、今世では人のみならず宝石やドレス、そういったものにも魅せられた。
よって、アヴェリーチェがユヴェリを捨てる選択肢はない。
そう考えたアヴェリーチェは、決意した。
ぱちりと開いていた扇子を閉じると、彼女はにこりと微笑んで言う。
「ユヴェリ様」
「はい」
「ユヴェリ様さえ良ければ、魔法で視力を回復させる方法などございます。いかがでしょう?」
「……え?」
この美しい男のために、なんでもするのだ。
そう、金で解決することならばなんでも。
恋にうつつを抜かす暇などない、と言ったのはどこの誰だったか。
今のアヴェリーチェのそれはまさしく、恋する乙女のそれだった――
*
アヴェリーチェの提案は、あっさり断られてしまった。
ユヴェリ曰く「伯爵家に支援していただいているのに、僕自身にまでそんなことをしていただくなんて、申し訳ない」とのこと。
ユヴェリの言うことはもっともだ。
しかしアヴェリーチェという令嬢は、好きな相手には貢ぎたくなってしまう性格をしているらしい。
(今なら、元婚約者にアヴェリーチェがベタ惚れで貢ぎ続け、挙句ヒロインに負けて破滅していった理由が分かるわ……)
アヴェリーチェは本気で好きだったのだ。元婚約者のことが。
今のアヴェリーチェにとっては魅力のないただのボンクラ男だが、それは好みが変わっただけ。根っこの部分は何も変わっていなかったのだなぁと思う。
一目惚れでこれなのだから、なかなかにじゃじゃ馬である。他人事のようにそう思ってしまった。
そんなわけでアヴェリーチェは、仕立て屋と宝石商を呼んでユヴェリの服と目隠しの布、その他諸々を選んでいた。
「あ、あの……僕なんかにここまでしていただかなくても……」
そう弱々しい声でユヴェリが採寸されながら言うが、アヴェリーチェはにこりと微笑んで言う。
「殿方は、美しい恋人を着飾るために、金銭を惜しまないでしょう? 私がしていることも、それと同じよ。というより、あなたほどの美しい殿方を着飾らせないなんて、レヴィア子爵家の名折れだわ!」
仕立て屋と宝石商の人間どちらもが、何度も頷く。ちなみにどちらもレヴィア子爵家が運営する財閥の傘下の人間なので、自社製品みたいなものだ。
「いいですこと、ユヴェリ様。ユヴェリ様が私が贈った服と宝石を身につければ、自然と殿方たちの目が向きます。そうすればごくごく自然に、仕立て屋と宝石商も潤うのです。つまり貴方様は広告塔という立派なお仕事をされるのですよ」
「な、なるほど……?」
仕立て屋、宝石商どちらも「それだけなわけがあるか」といった顔をしていたが、そこは商売人。口にはしなかった。
(だってそうじゃない、男も女も根本的な部分はあんまり変わらないわ)
情などという儚いものではなく、実物。
そして色気よりも食い気である。
(衣食住。すべて完璧にして、この男を堕落させる……!)
――と、思ったのだが。
一週間、二週間、と日が経っても、ユヴェリはどこまでも慎ましく、それでいて謙虚だった。
物を贈れば喜びこそせよ、申し訳なさそうな顔もする。
逆に何か自分にできることはないかと聞いてくる始末で、とてもではないが堕落させられそうになかった。
(ぜ、全然落ちないわ……)
というより、見た目だけでなく心も美しく謙虚とは、一体どこまでアヴェリーチェを夢中にさせたら気が済むのだろうか。好感度しか上がらない。
そんな気持ちに応えるべくアヴェリーチェが担当していた店舗を見て回る際に連れてきたが、杖を持っていても目が見えない彼の様子ばかり気になってしまう。
杖を持っていない方の手を持って誘導していたが、こういった経験がさっぱりなかったので死ぬほど後悔した。
(くっ! 今からでも勉強して完璧なエスコートを……!)
前世で介護職にでもついていれば……! と心底どうしょうもないことを考えていれば、待たせていた馬車に乗った瞬間、ユヴェリが俯きながら言う。
「……申し訳ございません。僕のせいで……」
「え?」
「いえ、その……アヴェリーチェ様を、周りの方が悪く言っているのが聞こえて……」
「ああ、確かに言っていましたね」
この辺りの区画は貴族たちも通うからか、道端で「盲目の人間を連れて歩くなんて」「さすがレヴィア子爵令嬢。婚約者を愛玩動物扱いですか」等々言っている声は、アヴェリーチェにも聞こえていた。
正直、あの程度の悪口は聞き慣れていたのでどうでもいい。
ただ、ユヴェリが心苦しく思っていたことに気づいたのが今だったことが、申し訳なかった。
「こちらこそ、申し訳ございませんでした。私の隣を歩くと当たり前のようにああいう声が聞こえるということを、全く失念しておりました」
「え」
「気にしないでくださいませ。我がレヴィア子爵家のことを羨む方々は、とても多いのです。自らが欲しいもののためになら、なんでもするお家柄でもありますし」
そう、多少の後ろ暗いことならば、躊躇いなくしてしまう。だからアヴェリーチェ・レヴィアは、アプリゲームで『悪役令嬢』だったのだ。
そして、それは今も変わらない。むしろ前世という経験が加わったことで、アヴェリーチェはより狡猾に自身の欲しいものを得るための作戦を考えるようになっていた。
なのであのような些事はいつも通りなのだと説明すれば、ユヴェリは明らかに動揺する。目元が隠れていてもこれほどまでに表情豊かなのは、なかなか面白かった。
「ア、アヴェリーチェ様はこんなにもお優しいのに、どうしてそんな酷いことを言うのでしょう……」
ぴしり。
今度は逆にアヴェリーチェのほうが、動揺してしまった。
口元に扇子を当てて誤魔化したものの、優しいなど今まで一度も言われたことがないため、目がきょろきょろしてしまう。
それを誤魔化すべく、アヴェリーチェは扇子をパタパタとはためかせた。
「そ、そう思ってくださるならやはり、ユヴェリ様の目を見えるようにしてみませんか? この国には魔導具がございますし、そうでなくとも隣国の妖精国は魔法が発展した国です。我が家の財力があれば、十二分に可能性があるかと思うのですが」
「……それ、は」
「それとも、他に何か懸念すべき点が? 私にできることならば、なんでもおっしゃってください」
そう言ってはみたものの、ユヴェリはまた黙ってしまった。
ちょうどそのとき、馬車が止まる。どうやらレヴィア子爵家に着いたようだ。
(ユヴェリ様がお話くださらないなら仕方ないわ。何か別の方法を考えましょう)
そう思い、アヴェリーチェが先に降りて手を差し伸べようとすると、ふと腕を掴まれる。
「ユヴェリ様?」
「……お話、します。ですからどうか、僕のこと、嫌わないでください……」
そういうユヴェリは、空いている方の手で目元の布を取り払う。
開かれた瞳を見て、アヴェリーチェは目を見開いた。
血よりもなお鮮やかな、鮮血の。
柘榴色の、瞳。
しかもただの瞳ではない、カッティングされた宝石のように美しく乱反射する、まさしく柘榴石と呼ぶにふさわしい瞳だった。
この瞳を、アヴェリーチェはどこかで見たことがある。
(確か、妖精国の……宝石の妖精の、特長)
つまりユヴェリは。
そう思うのと同時に、ユヴェリが目を伏せて言う。
「……はい。僕は、妖精と人のハーフ、です」
*
場所は変わり、アヴェリーチェの私室にて。
詳しい話を全て聞いたアヴェリーチェは、詰めていた息をそっと吐き出した。
ユヴェリの話を要約すると、こうだ。
――どうやらユヴェリの母親は、妖精国から人身売買によって連れてこられたらしい。そこから『宝石の妖精は宝石を生み出すことができる』という能力を買われ、その富が続くことを願いツェーレ伯爵が無理やり事をいたしたよう。
しかし子どもがものとして扱われることを厭うた母親は、ユヴェリに妖精の特徴がないことを主張。
ツェーレ伯爵も最初は本当かどうか疑ったが、ユヴェリの母親が魔法で偽り、それからは目を隠して過ごしていた。
肝心の母親も、宝石を生み出すことはできなかったらしい。それもあり、ツェーレ伯爵は二人を冷遇した。
聞けば聞くほど吐き気のするとは、このことだろう。
(だけれど、ようやく腑に落ちたわ。ユヴェリ様とそのお母様の情報が、どれだけ頑張っても手に入らなかったから)
我が家の情報網を以てしても!? と思ったが、どうやら当たり前だったようだ。さすがにこの情報は、裏も含めて深く隈なく探らなければ出てこない。
そしてそういった情報を統制しているのはまだ、アヴェリーチェの父だ。本気を出して調べるなら、相談しなければならない。
しかしそれより何より大事なのは、ユヴェリの気持ちだろう。
アヴェリーチェは、俯いたままこちらと目を合わせようとしないユヴェリに目を向けた。
「ユヴェリ様」
「は、はい」
「……お母様を辱めたツェーレ伯爵に。そしてお二方を虐げ続けてきたご家族に。復讐したいとはお思いですか?」
「……え?」
「いえ、ユヴェリ様がお思いでなかったとしても、私は彼らを許しません。私の大切な方を傷つけたのですもの、それ相応の報いを受けていただかなくては、腹の虫が治りませんわ」
ユヴェリの瞳が見開き、ようやく目が合った。
柘榴石の瞳。
宝石の妖精、この血筋に恥じない、美しい瞳だ。
(まいったわ。目が見えるようになったら、さらにときめきが止まらなくなってしまった)
しかし縛られ続けたユヴェリには、前を向いて幸せになってもらいたい、とも思う。
だってレヴィア子爵家は、まさしく『悪徳貴族』だから。
他に道があるのなら、悪に染まる必要は、ないのだ。
アヴェリーチェは、優雅に立ち上がりドレスのスカートをつまんだ。
「これより、ユヴェリ様にレヴィア子爵家の『悪徳の心得』をお見せいたします。ぜひその目に焼き付けて――ご自身がどこへ進まれるのか、選んでくださいね?」
*
その日、ツェーレ伯爵家は一族揃って王宮に呼び出された。その中には部外者だが、長男と次男の婚約者たちもいる。
正直言って何事かと思ったが、別にそう悪いことではないと考える。だって自分たちは別に、何も悪いことはしていないのだから。
しかしその思いは、玉座の間に入った瞬間掻き消える。
中は、あまりにも物々しい雰囲気だったからだ。
玉座には国王が座り、王妃だけでなく王太子、王女、と王族が総出。
右側には、厳しい顔つきをしたこの世のものとは思えない美しさを持つ生き物がいる。尖った耳や彩色豊かな髪、瞳から、ツェーレ伯爵はそれが妖精国の使者だろうと結論づけた。
そして左側にはなぜか、レヴィア子爵家の面々、そしてユヴェリがいる。
ユヴェリに関しては、もう興味もなかった。なので視線すら向けない。レヴィア子爵家の財を流すためだけに婚約関係を結ばせたのだ。本来の目的である宝石を生み出すこと、それを果たせない代わりでしかない。どのように扱われようと、ツェーレ伯爵としては知ったことではない、という感じだった。
しかしそれにしても、この場は異様である。
どういう状況なのか分からない中、しかし貴族としての矜持が、ツェーレ伯爵を奮い立たせる。
決まり通り玉座の前まで歩いた伯爵家一族は、男性は跪き、女性はカーテシーをした。
「ツェーレ伯爵、罷り越しました」
「うむ。……今日は、ツェーレ伯爵、そしてツェーレ伯爵家に関係する諸君の身柄を、妖精国の方々に引き渡すために来てもらった」
は、という空気の抜けた音が、どこからともなくこだまする。
ツェーレ伯爵自身も、国王から何を言われたのか分からなかった。
は? わたしたちを引き渡す? 妖精国に?
その言い方だと、まるでわたしたちが妖精国の者に対して、取り返しのつかない悪行を働いたみたいではないか――
その心を読んだかのように、レヴィア子爵家令嬢、アヴェリーチェが一歩前に出て、優雅にカーテシーをした。
「陛下。ツェーレ伯爵家の方々はどうやら、事態を把握しかねているようです。もしよろしければ、今回の一件に深く関与させていただきました私から、彼らの愚かの行ないについて説明できればと思うのですが……いかがでしょうか?」
「うむ。発言を許そう」
「寛大なお言葉、感謝いたします」
胸元に手を当てて会釈をしてから、アヴェリーチェはツェーレ伯爵のほうに向き直った。
「さて。ツェーレ伯爵、またそれに連なる関係の皆様。皆様の罪について、私の方から説明します」
「……どう、いう……」
「ツェーレ伯爵。あなたはこの国の貴族であるにもかかわらず、法律で禁止されている人身売買にて妖精の女性を買いましたね? ご安心ください、否定されようとも、これに関しては調べがついておりますので」
言外で「逃げられると思うなよ?」と語りかけられているような、そんな気持ちになる。ツェーレ伯爵は思わずぎりっと歯ぎしりした。
ツェーレ伯爵が何も言えないのをいいことに、アヴェリーチェはなおも続けた。
「そしてその妖精の女性とあなたとの間に産まれた子が、私の婚約者であるユヴェリ様です。それは間違いございませんね?」
「……ああ、そうだ」
「そしてあろうことか、ユヴェリ様のお母君、そしてユヴェリ様ご本人を冷遇された。これも、間違いありませんね?」
「………………」
その質問に、ツェーレ伯爵は答えなかった。妖精国の使者たちからの視線を、痛いほど感じたからだ。
しかし沈黙は肯定と同じである。さらに、射殺さんばかりの視線を浴びることになる。
その上でこんな、格下の、しかも年若い小娘ごときに尋問される。そのことにひどく腹が立ったが、国王の前なのでなんとか堪えた。
アヴェリーチェはそんなツェーレ伯爵をせせら笑うように、艶やかな笑みを浮かべた。
「ところでツェーレ伯爵。ユヴェリ様のお母君がどのような立場の方か、ご存じでいらっしゃいますか?」
「……は?」
「実を言うとユヴェリ様のお母君は、妖精国の中でも宝石の妖精の長――そのご息女だったのです」
何を言われているのか、ツェーレ伯爵は一瞬分からなかった。
しかし脳がだんだんと理解していくうちに、自らがとんでもないことを犯したことを理解し始める。
妖精国、そのなかでも宝石の妖精を治める長の娘。
自分たちは一体その妖精に、何をした?
途端、ぞおっと。背筋に悪寒が走り、体がひとりでに震え始めた。
その姿を楽しむように下から上へと視線を上げたアヴェリーチェは、こてりと首をかしげる。
「宝石の妖精の長は、落石事故で行方不明だったご息女をずっとお探しでした」
「は、ほほ、本人だという、証拠は」
「ユヴェリ様です。妖精国の方は、魔力の波長で親子関係が分かるのだそうですよ。その結果、ユヴェリ様と宝石の妖精の長、お二人が血縁関係であることが判明いたしました。そして長は、ご息女を辱め、貶め、あまつさえ冷遇して衰弱死させたツェーレ伯爵家の方々に対して、大変お怒りでしたわ」
宝石の妖精の長様にお会いするのに、ツェーレ伯爵家で学ばせていただいた人間関係が役に立ちましたの。
そう、アヴェリーチェは蠱惑的に微笑んだ。
じりじり、じりじり、と。真綿を包むかのように追い詰められていく。
「しかも、ユヴェリ様から聞いた話によりますと、宝石の妖精の方はお亡くなりになられた際、宝石と見間違うほど美しいその瞳を残されるとか。……そしてツェーレ伯爵、あなた様はそれを、ご子息の婚約者の方に、婚約祝いと称して贈られた、とか」
とんでもない罪が折り重なっていくのが、痛いほど理解できた。
それに耐えられなくなったツェーレ伯爵は、ジリジリと後退しながら色々なことを口走る。
「だ、だが、ユヴェリはわたしの息子だ。ということは、宝石の妖精の長とわたしは、義理の親子ということになるのではないかっ?」
「ですがツェーレ伯爵。あなた様はユヴェリ様のお母君と婚姻されておらず、またユヴェリ様を私生児だと認める書面も用意されていらっしゃいませんよね? ならば、義理でも親子関係はないかと。それに……親子関係があっても、許してもらえるかどうかは分かりませんしね?」
瞬間、ツェーレ伯爵は出口目掛けて逃げ出した。それに続くように、腰を抜かしながらツェーレ伯爵家とその関係者たちが走る。しかし彼らは簡単に取り押さえられ、婚約者たちの胸元に飾られた金剛石は取り上げられた。
そしてそのまま、彼らは妖精国の使者たちの手に渡る。
助けて、助けてと無様に泣き叫んだが、誰も見向きもしなかった。しかし一人だけ、視線がかち合う。
ユヴェリだった。柘榴石のような真っ赤な瞳で、ただツェーレ伯爵を見つめている。
どうして。だって、目が見えない、はず。
そんな疑問だけを残して、ツェーレ伯爵の未来は永久に閉ざされたのだった――
*
ツェーレ伯爵たちの身柄を、妖精国の使者たちに引き渡した日の夜。
アヴェリーチェはユヴェリと一緒に、ささやかな祝杯をあげていた。
テーブルには、グラスの他に瞳大の大きさを持つ金剛石が転がっている。ユヴェリの母親の瞳だ。一つは形見として、そしてもう一つは祖国にいる宝石の妖精の長に渡る手筈となっている。
「ユヴェリ様。大変お疲れ様でした」
「い、いえ、僕はただ立っていただけで……レヴィア子爵家の方々がご助力くださらなければ、あんな結末にはなっていなかったでしょう」
ユヴェリはそう言うが、正直言ってアヴェリーチェとしてもあの結末は想定外であった。
まさか、こうも事態が大きくなり、数週間で終わると思っていたことが調べ物やら隣国への訪問やらもあり数ヶ月に渡って引き伸ばされるとは。
まさかああもまとめて、アヴェリーチェが煩わしいと思っていた彼らが綺麗さっぱりいなくなるとは。
追い込まれていた際のツェーレ伯爵たちの顔は、傑作だった。できることなら高笑いしたかったくらいだ。転写機で撮っても良かったら、魔導師に作らせたものがあったのに。
(まあ何より一番の驚きは、ユヴェリ様が長のお孫さんだったことだけれどね……)
妖精国で言うところの長というのは、妖精の国を統治している王の次に偉大とされている。つまりこの国で言うところの公爵のような立場だ。
そしてユヴェリはあろうことか、このままアヴェリーチェの婚約者でいることを望んだのだ。玉の輿とはこういうことだろうか。いやしかし嫁いだのではなく婿入りなのだから、逆玉の輿?
そうぐるぐる考えてしまう程度には、アヴェリーチェは動揺している。
ワイングラスをくるくると回しながら、アヴェリーチェはおそるおそる問いかけた。
「そ、の。ユヴェリ様。本当に……ほんっとうに、祖国へお帰りにならなくてよいのですか? しかも、我が家に婿入りされるなど……」
「何か問題でもありましたか? 国王陛下は大変御喜びになられていましたが……」
それはそうだろう。ユヴェリがアヴェリーチェの婚約者で、婿入りすると決めたから、妖精国はツェーレ伯爵たちの引き渡しだけで今回の一件を済ませたのだ。場合によっては戦争になっていた。
しかしそれはユヴェリでなく、この国の都合だろう。
「その。大変差し出がましいですが、ユヴェリ様にはお幸せになっていただきたいのです。ですから、この国のことを考えていただいたのであれば、大変心苦しいなと……」
「違いますよ?」
「……え?」
「僕は、アヴェリーチェ様が好きだから婿入りするのです。もしアヴェリーチェ様がいらっしゃらなかったら、祖国に帰っていたでしょう」
純真で謙虚で優しい。
そんなユヴェリには似つかわしくない、血も涙もない言葉だった。
まるで欲しいものは何がなんでも手に入れ、邪魔なものは多少後ろ暗いことをしても蹴散らす、レヴィア子爵家に染まってしまったかのよう。
「ユヴェリ様。我が家で過ごすうちに、我が家の考えに染まってしまいましたか……?」
思わず口元を押さえて呟くと、ユヴェリは柘榴石の瞳を細めて笑った。
「そうかもしれません。僕の瞳が赤いのは、アヴェリーチェ様の色が赤だからですし」
「え」
「あれ、知りませんか? 宝石の妖精は、愛する人の色を瞳に宿すんです」
知らないどころか初耳だ。
(えっと、待って……ユヴェリ様の目が赤かったのって、目を隠していた理由を話してくださったときよねっ? そ、それじゃあ……もう、あのとき、から……?)
その考えに至り口をパクパクとさせていると、ユヴェリは嬉しそうに身を寄せてきた。そして手を重ねてくる。
「悪徳だなんて言いますが、僕はそんなアヴェリーチェ様も含めて、心から愛していますよ。あなたとの縁に、感謝を」
空いている方の手で顎を持ち上げられ、固定される。そして美しい顔がどんどん近づいてきた。
唇が重なり合うのと同時に、アヴェリーチェは思う。
(縛り付けられたのは、どちらだったのかしら)
しかしそんなこと、どうでもよかった。
だってこれから先ずっと、ユヴェリといられる。それだけは確かなのだから。
自身の色に染まった宝石の瞳を見つめながら、アヴェリーチェはその熱に身を委ねた――