87話 嘘のない答えを その4
学校での作業が終わり、家に帰っても仕事は続く。一輝は一旦家に帰ってからくるので、それまでは一人でだ。
カチカチとシャーペンを鳴らし、芯をしまい、くるっと回し、人差し指と中指の間で振り――
「なんっも思いつかねえ……」
驚くほど虚無だった。虚無オブ虚無。
スマホでそれっぽい単語を調べていると、着信があった。【氷雨小雪】
「はいもしもし。阿月です」
『こんばんは。今、時間あるかしら』
「あるけど、どうした?」
『いえ。用事は特にないわ。ただお話したいだけ』
「お、おう……じゃあ、話すか」
相変わらずのストレートさに一瞬驚いたけど、冷静になると嬉しいな。我ながらただのバカップルだと思うけど。
「この後、一輝が家来るから。それまでになると思うけど。いいか?」
『佐藤くんが?』
「文化祭関係でな。ちょっと今日、俺の家でやることがあるんだ」
『お泊まり?』
「そうなると思う」
『…………』
なんだこの沈黙。
まさか小雪――いや、まさかな。そんなこと言い出すはずがない。大丈夫。大丈夫だからな。落ち着け俺。
『……私も、泊まりたい』
「いや言うと思ったよ!」
『今日じゃないわ。邪魔になるのはわかっているから、別の日よ』
「違う! そうじゃない!」
『親しい人の家でお泊まりするのは、楽しいことではないの?』
「友達同士でやるやつだから。同性でこそ成立するイベントだから。理由は俺に聞くな。名取あたりに聞いてくれ」
ごめん名取。最近会ってないのに押しつけた。
『わかったわ。聞いてみる』
通話の向こうで、なにやら動く気配。
『聞いたわ』
「メールで!?」
電話しながらメールするとか、そんなデジタルネイティブみたいなことを……成長したな。じゃなくて。
「なんて?」
『「やっちゃえ」だそうよ』
「あいつマジで許さん」
今度会ったら不幸な目に遭わせてやろう。
『決まりね』
「いや待て決めるな。……いいか小雪」
『どうしたの?』
「大事なことだから、お母さんに聞いてください」
スマホに向かって深々と頭を下げるしかなかった。俺の口から説明する勇気はない。そんな勇気は一生かけたって手に入る気がしない。
再び静寂。
『聞いてきたわ』
「レスポンスが早すぎるんだよなぁ。で、なんて?」
『「そういうことは大学生になってからにしなさい」と言われたわ』
「時期が具体的すぎてなんか嫌だな……まあ、そういうことだ」
『今できないことって、多いのね』
「今しかできないことも多いだろ。文化祭とか」
『……そうだけれど』
「大丈夫だ。先のことなら、待てばいい。別れる予定はないだろ?」
言ってて恥ずかしくなってきて、視線が泳ぐ。
『ふふっ』
「なんだよ」
『別れないわよ。絶対にね』
「怖い怖い。圧をかけるな」
面白いかどうかもわからないのに、笑ってしまう。くだらなくて、穏やかで、心地よい。
『そろそろ切るわね。忙しいのでしょう?』
「だな。現実逃避しすぎた」
『疲れたら、いつでも逃げてきていいわよ』
「わかった。じゃあ、また明日な」
『おやすみなさい』
「おやすみ」
通話が切れる。やや名残惜しい気持ちを払うように、スマホをスリープにした。
ここからの作業は、ノーパソでやろう。
◇
一輝がやってきたのは、電話が終わって三十分ほどした頃。ジャージに着替え、ラフな格好で中に入ってくる。
「ういーっす。調子はどうだ?」
「無から無を生み出すことに成功した。ノーベル賞かもしれん」
「すげー」
諦めと絶望の混ざった半笑いで、一輝がノーパソをのぞき込む。白紙だ。
「本気でゼロか。ちょっぴりテツジョークを期待したんだが」
「俺のジョークにポジティブな結末を求めるな」
「さてさて。どうしたもんか」
よっこらせと座り込む一輝。コップを持ってきて、俺も座る。飲み物は、今回も一輝が差し入れてくれた。
「これ、逃げ出したくなる気持ちはよくわかった……」
「だよなぁ。大丈夫って言うから任せたんだが、保険はかけておくべきだった。俺の支配もまだ甘い」
「王様かよ」
一輝は肩をすくめ、首を傾げる。
「一人は皆のために。ってやつじゃね?」
「一人で皆のために。の間違いだろ。……あんま背負うな。お前だって、完璧じゃないんだから」
「テツが半分持ってくれりゃあ楽なんだが」
「俺は一人分しか持てん」
「つれねーのな。リーダーの素質、あるのに」
「いいからやるぞ。おしゃべりは片付けてからだ」
とりあえず書かなければ脳も動かない。
把握している情報を並べてみることにした。
出し物の名前は【黄泉屋敷】。
出てくるお化けはゾンビ、吸血鬼、フランケンシュタイン、ミイラ、口裂け女、キョンシー……andmore!(やけくそ)
「黄泉って、なんて意味だっけ。一輝知ってるか?」
「死者の国」
「死者の国にゾンビ、いるか? 死者が生者の国に蘇ったのがゾンビだろ?」
「やめてやれテツ。そのへんを追及するのは酷だ」
「誰だよ発案者」
「ストーリー担当」
「…………まあ、目をつむろう。たぶんバレない」
それっぽい勢いで押し切ればいいのだ。
「一番問題なのは、お化けの統一感のなさだが」
ストーリーを導こうにも、和洋中華節操なく取り込まれているせいでなにも見えない。ホテルのバイキングだってもうちょっと種類抑えてるだろ。
などと文句を垂れても、なにも変えられない。
「なんかないかな……こう、無理矢理まとめられるアイデア」
「鍋みてーだな。我がクラスながら、大変なことになったもんだ」
「鍋? ……もうそんな季節か」
「キムチ鍋食いてえ」
「作ろうか? キムチ鍋の素なら、この間買ったはずだけど」
「なんだと!? じゃ、じゃあ……」
「「じゃなくて!」」
二人揃って現実逃避してしまった。もうだめかもしれない。
「ううむ」
一輝はルーズリーフを出し、シャーペンを手に持つ。だが、一向に動く気配がない。俺もキーボードに手を置いて、石像と化してしまう。
時間だけが虚しくすぎていく。
「そもそも、ストーリーってなんだよ」
「今となっては俺にもわからん。テツの好きなようにしてくれ」
「しんどみ秀吉」
「おもんねー」
時間が経つにつれて会話の質も下がっていく。
零時を回り、一時を過ぎ、二時になる。
話している時間より、あくびのほうが長くなってきた。辛うじて何度か書き出してはみたが、どれもしっくりこなくて消してしまった。
「……寝るか」
ぼそっと一輝が言った。
「最悪、二日目に間に合えばいいし」
「…………だな」
無理なものは無理と諦めるしかないのだろう。
「テツカズコンビ、初の敗北だな」
「そんなに無敗だったか? 俺たち」
「勝ったことしか記憶に残らん!」
「ポジティブ野郎め」
予備の布団セットを敷いて、一輝が寝る準備を始める。風呂には入ってあるので、俺もベッドに潜り込んだ。
「そういやなんだが、テツ」
「ん?」
「この布団。俺が使っていいのか?」
「どういう意味だよ」
「いや、いずれ氷雨が使うんじゃないかと」
「……あのなぁ。俺もそこまでチキンじゃねーよ」
「言ったな?」
にやりと一輝が笑う。深夜テンションだろうか。相当悪い顔をしている。
だけど別に、今のは口が滑ったわけじゃないし。
「大事にすることと、蔑ろにすることは違う。……それくらいはわかってるから」
「ば、バカップル……っ」
「二人揃わないとカップルにならないだろ」
「うっざ。なんかうっざ」
「うるさいもう寝ろ。追い出すぞ」
布団にくるまって目を閉じる。
「いいかテツ。俺は客だぞ」
「それ言うの、招かれざる客だろ」
「ちぇ。ま、いい加減寝るか。ほんとに明日倒れる。あ、もう今日か」
鉄板ネタかよ。
電気を切って、一輝も布団に入る。
はぁ……どうなることやら。明日は生徒相手だからいいとして、明後日は普通の客が来るわけで。
客……。お客さんに読んでもらうためのものだよな。お客さん目線で、世界観に引き込むための文章?
いろんな種類のお化けがいて…………それをむしろ、活かせるとしたら?
ぐちゃぐちゃのピースが、一つにまとまっていく。
「あ」
目を開いた。
けっこうな時間が経っていたらしい。外がぼんやり明るい。
静寂の室内。寝息を立てる一輝。
ベッドから這い出して、ノーパソを起動。指二本で文字を入力していく。
…………いけるか?
言質とったぞ