8話 たとえば、君に好きだと言ったら。
氷雨と服を買いに行く約束してから、しばらく俺はパニックに陥っていた。なにぶんその手のことには疎いので、自信がない。
一輝や小日向に相談したいが、嫌な予感しかしないのでやめる。
結果として一人で黙々と、ウェブサイトを右往左往するはめになった。結論はわからん。なんか綺麗な女の人が、綺麗な服を着てたよ。眼福。収穫はゼロ。ふざけんな。
ただ、気になったことはある。
ベッドにスマホを投げ、仰向けに寝転がる。
氷雨に聞いてみるか、やめておこうか。
決めるのは明日の自分に任せることにして、目蓋を降ろした。
◇
懐かしい夢を見た。
目覚ましの時間より少し早く、ベッドから這い出る。
重い身体を引きずって、シャワーを浴び、ゆっくりと身支度を調える。
服、か。
個人的には最低限の清潔感があって、着られればいいと思っている。だから数は少ないし、オシャレとも言い難い。無難。という言葉がひたすらに似合う。
準備をして家を出て、集合場所の駅に向かう。
今日は暑い。もう夏だな。
日陰を選んで歩いていると、ばったり氷雨に会った。
「お、おはよう。偶然だな」
「家が近いもの」
確かに。
そうでなければ、彼女を家まで送り届けることなんてしない。昨日は土曜日で、初めてその役目を果たしたが、まあ、かなり近い。うっかりコンビニとかで会う距離だ。
間違っても、俺の家を知られたくはないが。
「暑いな」
「そうね」
氷雨はTシャツにロングスカートという装いで、涼しげながら品がある。きっと彼女が短いスカートをはくことはないのだろうな、と勝手に思う。
「今日くらい暑い日になると、話題を繋ぐために『暑いな』って十回は言いそうになるよな」
「そういうものなの?」
「黙ってるのがしんどかったら、なるかも」
「私は沈黙が嫌いじゃないわ」
「ならいいか」
話題が切れたら、ぼーっとしていればいい。お互いに気にしないなら、気楽にいこう。
ショッピングセンター行きのバスに乗る。朝の時間帯だからか空いていて、二人分のシートは確保できた。
俺は窓側に座って、氷雨が隣に腰掛ける。それで気がつく。けっこう近い。
窓の外を眺める。この距離で女子の顔を見るというのは、なんとなく罪悪感がある。
ここから三十分。けっこう長い。
「暑いな」
「冷房来てないの?」
「や、なんでもない。ごめん」
内心の動揺が出たせいで、変なことを口走ってしまった。ちっとも暑くない。むしろ寒くならないか不安なほどだ。公共の場のクーラーは、しばしば度が過ぎる。
「今日、どんな服を買うつもりなんだ?」
「可愛い服よ」
「それ、俺が選ぶので大丈夫かよ」
「阿月くんが可愛いと思ったのがいいわ」
「すっごい恥ずかしいんですけど。あの、俺すっごく恥ずかしいんですけど」
「どうして?」
「わかってくれよぉ」
情けない声が出てしまう。
なんの罰ゲームで女子の服を見て「うん。可愛いね」などと言わねばならないんだ。付き合っているわけでもないのに。
いつから俺の人生はこうなった?
知らないし、できれば知りたくない。
「阿月くんはどんな服が好きなの?」
「布面積がでかい服」
「大きいのが好みなのね」
「そこだけ切り取るのやめてくれない?」
悪意はないんだよなぁ。純粋な顔しやがって。
「ロングスカートは正解だったみたいね」
「ん、まあそうかもな」
嬉しそうな顔で言われると、困る。
短いスカートで脚を見せられても、それはかなり困る。うまく説明できないけど。
上手いことこっちのペースを作りたいのに、二言目には崩されてしまう。
「ねえ、阿月くん」
肩を叩かれる。
「どうしたよ」
「あれ。なんの行列かしら」
氷雨は身を乗り出して、窓の外を指さす。
窓側に座っていたのは俺で、横顔がすぐ近くに来る。ふわりと甘い香りがした。
「す、スイーツの店とかじゃないか? ほら、俺たちと同い年くらいで、女子が多いから」
「そうなのね」
「行きたいのか?」
「…………」
少しの沈黙を挟んで、氷雨は首を横に振る。
「興味ないわ」
ほんの一瞬、そこには【氷雪の女王】と呼ばれるにふさわしい冷たさが宿っていた。
そうだよな。バイトしてるんだもんな。わざわざ。
「すまん。余計な質問だった」
「気にしないで」
唐突に触れた彼女の冷たい部分。
だからだろう。口は勝手に動いていた。
「ついでに一つ聞いていいか」
「ええ。なんでも」
「たとえば。俺が氷雨さんを好きだって言い出したら、どうする?」
今まであったように、毒舌を発揮して切り捨てるのだろうか。
純粋な疑問だった。他意はない。
「無駄な質問ね」
そう。これは無駄な質問だ。
だけどまさか、気がつかれているとは思わなかった。
「阿月くんは、そういうことを言わないでしょう?」
「……だな」
それがわかっているから、こうも無防備なのだ。薄々予想はついていた。だけど、言葉にできるほどとは。
俺が思っている以上に、氷雨小雪は俺のことを理解しているのかもしれない。
バスは目的地にたどり着く。
気まずい空気は、少しもなかった。