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75話 夏の終わり

 小日向にメッセージを送ったら、返事はすぐに来て、そのまま夕方に会うことになった。

 電車に乗って、高校の近くにある待ち合わせ場所へ。


 予定の十五分前に着くと、彼女は既にそこにいた。

 右手を挙げて合図すると、手を振り返してくる。


「早いな」

「落ち着かなくて」


「そうだよな」


 頬を掻いて、少し視線を泳がせて、それから小日向に向き直る。


「ごめん」


 自分の声が、やけにはっきり聞こえた。


「俺は、氷雨が好きだ」


 緩く流れる空気と、遠くから聞こえる排気音。歩行者信号の音。

 小日向は静かに瞬きを繰り返し、ちいさく笑った。微笑みよりも微かに、夕陽にかき消されそうなほど曖昧に。


「それ、小雪ちゃんに言った?」

「……まだだけど」


「だめじゃん。間違えてるよ、順番」


 泣いてくれたら、怒ってくれたらどれだけ楽だったか。

 笑ってくれてしまうから、胸の奥でいろんな感情を潰す。


「だな」


 それで、俺は黙ってしまった。小日向もそうだった。


 学校が始まって、それから俺たちはどうなるのだろう。今までのようにはいかない。

 恨んでくれたら、どんなに楽か。だけど小日向がそうしないことは、わかる。


 俺にできることも、言うべきこともない。


「もう行くよ」


 小日向は頷いた。

 そのまま俯いたように見えたけど、俺は振り返らなかった。







「――――…………はぁ」


 駅までの道を、俺はゆっくりと歩いた。息が切れて倒れるほど走りたかったけど、それもなにか違う気がして。通学路と同じルートを、亀のように一歩ずつ。


 考えていたことは、なんだろう。いろんなことを思い出した。いろんな未来を想像して、けれど半分は弾けてしまった。

 残った半分を確かめるように、丁寧に歩く。


 軽くなったわけじゃない。人一人に足る感情は、結局一人ぶんしかない。やっと両手で抱えきれるレベルになった。それだけだ。

 それ以外に思うことがあるとすれば……。


 俺は、ずるいな。

 好きだと言われてから、やっと覚悟を決めるなんて。


 勝算があるから勝負をするようなもんだ。そんなものは勝負じゃない。ただ流されているだけだ。

 流されているつもりは、ないけどさ。


 俺は臆病で、情けないから、自分から手を伸ばせない。


 自己嫌悪とは違う感覚で、けれどやっぱり俺は、俺のことを否定する。自分を否定することと、自分を嫌うことは違う。


 辛いと思ってしまう自分は、間違っているのだろう。空っぽになったような気分だって、ただの身勝手だ。

 だけどその事実に、蓋をしようとは思わない。


 電車に乗って、席に座って、目を閉じて、前を向くために息をする。


 俺は結局、誰かを守るような自分でいたい。

 だから楽しいときに一緒にいること。一緒にいて楽しいこと。それとは別に、もう一つの軸を持つことにした。


 誰かと一緒にいるというのは、苦しさを分かち合うことなのだと思うから。

 その人が辛いとき、真っ先に助けに行くのは俺がいい。そのために恋人になりたいと思う。それだけはずっと、変わらないままだった。


 氷雨と小日向が泣いていて、二人が違う場所にいたら。

 俺はきっと、氷雨の方へ走っていく。


 その違いに、委ねることにしたのだ。


 電車が止まって。改札を出て、家路につく。

 寄り道をせずに帰って、ベッドに座って、スマホを取り出す。


 絶対的な理由はない。

 だけど、そんなものがなくたって、俺たちは恋をする。伝えたり、伝えられなかったり、届いたり、届かなかったり。そんなことを繰り返す。


 その過程で、ふとした瞬間に見つかればいいと思う。

 そう願うから、俺は生まれて初めての勝負をする。


 氷雨小雪は、男からの告白を断り続けている。

 俺は彼女から理由を聞いている。父親の存在が陰を落とすから、男が怖いのだと。

 友達は裏切るから、作らないことも知っている。


 関係性を盾にして、人は人を傷つける。俺だって、無意識のうちにそうしているのだろう。


 それでも手を伸ばす覚悟が、あるか?

 拒まれても、そこに嫌悪がない限り。彼女が俺を見ていてくれる限り、離れないと誓えるか?


 誓おう。


 氷雨がそうしてくれたように。俺もそうしよう。

 手を伸ばして、弾かれて。伸ばされた手を、弾いて。それでも俺たちは、離れることはしなかった。

 だから大丈夫だ。


 連絡帳から彼女の名前を見つけ、電話をかける。

 コールの音につられて、鼓動が早くなる。落ち着こうと息を吐いたところで、繋がった。


 ややこもった、小さな音。

 電話をした時に、お互いが困惑して放つ最初の一音。その残響をかき消すように、「もしもし」と声を掛ける。


「はい。――阿月くん、よね?」

「阿月です」


「はい。氷雨です」

「今、時間あるか?」


「夏休みの予定は、お盆前に消化しきったわ」

「宿題も?」


「もちろん」


 淡々としていて、けれど僅かに弾むようなトーン。そんな些細なことも気がつくほどに、俺は彼女のことを見ていた。彼女の声を聞いていた。


「じゃあさ、次の土曜日。二人で花火でも見に行かないか?」


 絞り出すように言い切った。同時に、心臓が破裂してしまいそうになる。もう二個くらい予備がないともたなそうだ。手を当てて、しっかりしろと念じる。


 返事がない。

 長い沈黙。電話の向こうに気配はあるのに、それだけだ。


 なにかまずいことを言っただろうか。花火大会に嫌な思い出が? それとも、単純に断る理由を探している?


「……ゆかた」

「ん?」


「浴衣を着ていくわ」

「あ、おう。わかった」


「電車で行くの?」

「バスが出てるから、それで行こうと思ってる」


「集合時間は?」

「夕方の五時半とかかな。打ち上げには余裕があるから、もうちょっと遅くできるけど」


「その時間にしましょう」

「わかった。そうしよう」


 大まかなことは、スムーズに決まっていく。


「細かいことは、後でメールする」

「…………ねえ、阿月くん」


 少しの沈黙を挟んで、氷雨はなにか言いたげにして、


「いえ。なんでもないわ」


 打ち消した。


「なんでもないなら、いいけど」

「ええ。悪い意味ではないから。それじゃあ、土曜日にね」


「わかった。それじゃ」


 あっさりと切れる通話。

 静まりかえる部屋。


 約束できた。

 今まで簡単にできたはずのことがやけに大変なことに思えて、安堵する。


 まだ落ち着かない心臓の音を聞きながら、目を閉じる。


 そうしているうちに眠ってしまって、起きたのは午前二時だった。

 簡単なものを食べて、風呂に入って、また眠った。

 ふわついた感覚は、まだ残ったままだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一輝のおかげでだらだら引き延ばしてどちらにしようかなってやる男にならずに済んでよかったな どんだけ引き延ばして比較したって結局最後はどっちと深い仲になりたいかっていう自分の感情に従って決める…
[一言] 決着は、割合と急だったなあ。親友のアシストのおかげ? まあ、読者としては、認識できる関係の深さからして、こちらになるのはまあ妥当なとこかなあ、と思えはするのですが。氷雨さんが守られるだけの存…
[良い点] 結論出したね。 次は花火か。 俺の心臓も落ち着かない。
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