表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/99

74話 踏み出した一歩

 小日向と遊園地に行ってから、二日が経った。


 ふと目に入ったカレンダー。八月の最終週に入って、来週の月曜から学校が始まる。なんとなくで片付けた宿題は部屋の脇に積んであって、提出されるタイミングを待っている。


 俺はというと、……なにもしていない。


 真っ黒のテレビを視界に入れて、耳に挿したイヤホンから音楽を流し込み、机に積んだ本を撫でる。散歩に出たり、買い物には行くけれど。なにをやっても集中できない。


 歌詞に耳を傾けて、それっぽい気分に浸る自分が嫌いだ。だから適当に聞き流して、頭では何度も同じ事を考える。


 最初から答えのない問いに、答えを求めるから道に迷う。わかってはいるけれど、どうしようもない。

 こんな調子でダラダラ時間を潰して、夏休みが終わるのだろうか。


 そうなるのかもな、という嫌な現実感がへばりつく。


 ネットでも眺めて、探してみようか。決断の仕方みたいな。ない可能性のほうが高いけれど、あるかもしれないし。

 そんな気分で、スマホに手を伸ばして、少し弄っていたとこに着信。


【佐藤一輝】


 画面に出てきた名前に、一瞬戸惑う。

 一輝から電話がくるような用事、なにかあっただろうか。


 記憶を掘り起こしながら、通話に出る。


「どうした?」

『テツ! 宿題終わらん!』


「はぁ?」


 拍子抜けして、柄の悪い声が出た。


『助けてくれよん』

「助けるって……お前、もう夕方だぞ」


 外はオレンジに染まって、一日が終わろうとしている。明日のことならメッセージで十分だろうに、なんでわざわざ電話を……まさか。


「要約しろ。なにが言いたい?」

『テツんち泊まりたい』


「急すぎるだろ」

『しゃーねーじゃん。明日、いきなり午後練になっちまったんだから』


「午前中に余裕があるから、来たいと?」

『乗るしかない。このビックウェーブに』


「やかましい」


 そういえばこいつ、俺の一人暮らしを知っているんだった。男同士で、仲が良く、片方が一人暮らし。そりゃ、泊まりに来たくもなるか。

 しかしタイミングがな。


 タイミング…………タイミング………………。


『ま、テツが厳しいってんなら無理強いはしないが――』

「いや、来い」


『おん?』

「家の場所、送っとく。晩飯は?」


『まだ。食ってから行く』

「おっけー。布団は二つあるから、寝る準備だけ頼む」


『まさか、連れ込むために!?』

「ちげーよ。妹が一回だけ使ったのだ。洗ってるし」


『じょーだんだよ。了解了解っと』


 恋愛に関してやたらと場数を踏んでいる一輝からなら、なにか聞けるかもしれない。

 俺の事情は、できるだけ明かしたくはないけれど。けど、あいつなら勘づいていてもおかしくないわけで。そう考えれば、ただ心強いというか。一人でいるよりはずっとマシな気がした。







 チャイムの音がしたので、立ち上がってドアを開ける。


「ただいま」

「やめろ。男のただいまはゾッとする」


「ほいこれ。親からの差し入れ。菓子とジュース」

「お。さんきゅ」


 渡されたのは、大きめのレジ袋いっぱいに詰まった手土産。四人くらいのパーティーを想定していそうな量に、軽くびびる。


「まあ入れよ。大したものはないけど」

「お邪魔します。おおぅ……これが一人暮らしってやつか」


「座布団あるから、座ってくれ」


 コップを持ってきて、さっそくジュースを机に載せる。


「宿題はどうなんだ?」

「数学終わってる」


「どっちの意味で?」

「数学わからん」


 鞄から課題を取り出して、ぺしっと置く。


「場所は?」

「ここ」


 一輝が開いたページをのぞき込むと、発展問題だった。そういえば、俺もこの問題は苦戦したな……。


「ちょっと待っててくれ」


 ぱっと解法が浮かびそうにないので、部屋の隅から課題を蘇生。該当するページを開いて、どうやって解いたかを思い出す。


「あー。はいはいはい。それめっちゃ難しいやつだ」

「だよなぁ。回答見てもぜんっぜんわからん」


「模範解答、けっこうはしょってるからな」


 ルーズリーフを取り出して、飛ばされた部分まで丁寧に答案を作っていく。


「ほうほう。あー、そこか。なるほど」


 序盤の方にある難関を説明すると、一輝は大きく頷き、自分のほうに答えを書き始める。さらさらと淀みなく、そのまま答えまで。


「でけたかもしれん」

「正解」


「おおっしおし!」

「他には?」


「あと三つくらいある」

「見せてみ」


 一輝はこれでいて、なんでもけっこうちゃんとやる。宿題が終わらない、というのは、ただ単に俺の家に泊まりに来る理由がほしかっただけだ。自分でできることは自分でやって、その上で誰かに頼る。そういうところが、上手いというか、偉いというか。大人だよなと思う。


 前に一度、話したことがある。


「一輝って、努力家だよな」


 と。そうしたらこいつは、へんっ、と鼻を鳴らして笑ったのだ。


「らしくないってか?」

「いや。ただ、努力って言葉は嫌いそうだと思った」


「嫌いじゃねえよ。ただ、努力してる自分に酔うのはだせえと思いはするけどな」


 だせえのは嫌いなんだ。と、一輝は言った。


 俺が弱い自分を許さなかったのとは、根本的に違う。

 格好悪い自分を許さないのは、自分を俯瞰している証拠だ。


 だから俺は、佐藤一輝に敵わないと思うし、勝ちたいとも思わない。同い年だけれど、鬱陶しいこともあるけれど、確かにこいつを尊敬している。


「終わったぁ!」


 なんてちょっと考え事をしている間に、終了。

 いや、せめてもうちょい溜めてこいよ。


「さぁてテツ。面白い話をしてくれ」

「なにそのフリ? 陽キャが陰キャを殺す常套句?」


「想像しただけで惨いぜ」


 クラスの中心人物が、隅にいるやつに面白い話をしろと強要する。残酷描写だろ。死人がでるわ。


「んなこと言うなら、一輝が面白い話をしろよ」

「おっ、いいぞ」


「乗り気だな。なんかあったのか?」

「カノジョができた」


「つまらん。次」

「反応薄くね!? 親友のカノジョとか、興味湧くはずだろ!」


「お前の場合、多すぎて覚えられないんだよ。高校通算何人目だ?」

「七安打ってとこかな」


 俺とは恋愛というものの概念が違うのだ。


 違う。

 良い悪いではなく、俺と一輝は根本的に違っている。


 チャラいとか、程度が低いとか、そんなふうに思っていたこともあるけれど。二年生になったくらいから、そう思う。


 一輝にとっての恋愛は、一種の娯楽。楽しく生きるための手段の一つに過ぎない。


 じゃあ、俺にとっての恋愛ってなんだ?


 違うということはわかる。けれど、どう違うのかと言われると、困る。

 本気度、とか。簡単に言いたくなるけれど。一輝だって本気でやってる。本気で楽しむために、手を抜いていない。軽いけど、雑な生き方をするやつじゃない。


 そもそも俺が本気だなんて言うのも、おかしい気がするし。


「で、その新しいカノジョがどうしたんだ?」

「可愛いってわけよ」


「帰っていいぞ」

「ワンモアチャンス!」


「巻き返せるのか?」

「大丈夫だ。問題ない」


 勇ましいフラグの立て方だ。

 ため息をついて、続きを促す。


「まあ女子というものはだな、『私のどんなところが好き?』って質問をしてくるわけだ。飽きもせず、懲りもせず、付き合う男が変わるたびに」

「地獄みたいな情報だな」


「ところがどっこい現実よ」


 喉の渇きを潤すように、一輝はオレンジジュースを飲み干す。空になったコップに、また注ぐ。


「で、なんて答えたんだ?」

「顔が好みで、優しくて、ノリがいいから好きだっつった。したら、つまんなそうな顔してんだよな」


「まさかだけど、カノジョの愚痴か?」

「自慢なんだな、これが」


 どこか自虐的に笑い、ポテチの袋を開ける。


「ぶっちゃけると、あいつより顔が好みで、あいつより気配りができて、あいつより面白い女なんていくらでもいるんだよな。んで、それは俺に関してもそう言えるわけでさ。

 俺よりサッカー上手いやつも。俺より顔がいいやつも。俺よりリーダーシップのあるやつも。ゴロゴロいるんだよな」

「それで?」


「カノジョさんが求めてたのは、絶対的な理由なんだ。で、俺が同じ質問をしたらちゃんと返ってくるんだな」

「どんな風に?」


「さすがに恥ずかしいからパスで」


 興味がないことはなかったが、冷静に考えて一輝が褒められたことを聞く。というのも虚しいというか、大した意味のあることではない。

 女性から見た一輝の姿など、どうだっていいことだ。


 話の論点は、そこじゃない。


「……絶対的な理由、か」


 改めて言うと恥ずかしいワードだ。けれど、取り繕わない言葉だから誠実だ。


「それだけ聞くと、一輝との相性は悪そうだけど」


 重いのは嫌いだと、本人も言っていた。


「だってこの話、嘘だからな」

「…………、おい」


 睨みつけると、一輝はにんまり笑う。


「面白い話だったろ?」

「面白くはなかった」


「でも聞き入ってたな。テツの負けだ」


 勝ち誇ったようにコップを掲げ、ごくごくと飲む。俺にできることは、ため息を吐くことしかない。


「どっから嘘だ?」

「カノジョできた」


「全部じゃねえか」


 詐欺師とか向いてるんじゃないだろうか。


「付き合う前からあるわけねーのさ。絶対的な理由なんて。ロミオとジュリエットじゃあるまいし」


 チョコレートを開けて、口に放り込んだ。甘い。打ち消すように、ポテチに手を伸ばす。こいつの話を、ちゃんと聞く方がアホらしい。


「失恋して傷ついたって、飯食って寝て、また別の誰かを好きになる。その繰り返しだろ?」

「……そうだな」


 身にしみる。顔をしかめてしまうが、炭酸のせいにしてしまおう。

 息を吐く。


「それってさ、付き合ってたら見つかるかな」

「少なくとも、俺は見つかってねえよ。簡単に見つかるもんじゃない」


 どうしてもその人でなければならない理由。

 俺がそれを見つけられていないのは、明白だ。見つかっていれば、どちらかで悩んでいない。


 付き合わないと、答えは出ない。

 小日向と一緒にいたら、あるいは氷雨と一緒にいたら。


 どうなっていく? 今現在、確たることはなにひとつ言えない。別れない保証はない。お互いのことを知っているだなんて、傲慢だ。わからないことだらけで、困惑して、喧嘩もするだろう。


 だったら、もっとシンプルに。

 俺はどう生きたい?


「なあ一輝」

「おう、どうしたよ」


「どうしてお前は、俺のことを親友って呼んでくれるんだ?」


 少しの間を置いて、一輝は答えた。


「さあ? 面白いからじゃねーの」

「面白い?」


「だってよ。阿月哲なんて、最初は誰も知らなかったろ? だけど俺とか、小日向と絡み出して、文化祭でも活躍して、テツカズコンビなんてもんで球技大会でも結果を出して――そしたら、だんだん皆が阿月哲に気がつき始めた。今では立派な有名人だ」


 一方的に知られていることは、よくある。


「それ、面白いか?」

「皆が認めた阿月哲を、最初に見つけたのは俺だ。そのことが誇らしいんだよ」


 パリッ、とスナック菓子の割れる音。


「そうかよ」

「テツは? 俺が親友の理由」


「他に親しい男友達がいないから」

「消去法!」


 思い切り笑ってやると、一輝も声をあげて笑った。


 いつか切れるような浅い関係はいらない。信じられる数人がいればいい。

 男相手にそんなことを言ったって、暑苦しいから流すけど。







 朝起きてしばらくして、一輝は帰っていった。

 空になった部屋から出て、しばらく歩いて、また考えて、呟いてみる。


「絶対的な理由は、ない」


 正解を求めようとしても無駄だ。どちらを選んでも正解なのだから。

 五〇点ずつじゃない。一〇〇点の取り方が二つあるテストの、どちらを選ぶか。


 ならばシンプルに、俺がどうやって生きていきたいか。なりたい俺は、どんな姿をしているか。

 そうやって考えると、散らかっていたものがまとまっていく。


 結局、俺がなりたいものは変わっていない。なれないとわかっていても、諦めたわけじゃない。

 花音と和解したあの日、踏み出したのは理想を追うための一歩だ。


 弱さと醜さを受け容れて。

 やっぱり俺は、誰かを守る男になりたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 一輝め、わざわざ話をしに来たな? いい奴w [一言] 絶対的な理由ねぇ それを求めてたら、何もかもが手遅れになるな(笑)
[一言] まずは、いい親友だなあ、と。そんなん、めったにいない。 そして、「本物」なんて簡単には見つかったりしないってか。見つからないというか、見極めつかないというか。 そうやって、結論はもう出てし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ