72話 君までの距離 その3
あ、やばいこれ死ぬやつだ。と確信したのは、上り坂の角度が恐ろしく急だったから。直角? ではないにしても、日常では絶対に見ることのない急斜面。べた踏み坂ってレベルですらない。壁だ。壁を登ってる。
ガタガタと音を立てるコースター。頂上に達する辺りで、心臓が止まりそうになる。
不意に左から伸びてきた手を、固く握る。ふと思い出したのは、肝試しのとき。
隣に小日向がいてくれると、苦手なこともなんとか堪えられそうな気が――
――した、のだが。
「だ、大丈夫?」
「おう。……なんとか」
出口のすぐ近くにあるベンチに座り、深々とため息。
ぜんっぜんダメだった。悲鳴を上げたりはしなかったけど、意識が消し飛びそうになった。降りた後、なんかふらふらするし。
「もしかしてテツくん。高いの苦手?」
「ちょっと苦手……かもしれん」
だいぶ気分は良くなってきたので、息を吸って顔を上げる。
よし。まだいける。
「でも、なんとなく楽しめそうなのはわかるし。単純に慣れてないだけだと思う」
不安そうにのぞき込んでくる小日向に、笑ってみせる。
「遊園地ってあんまり馴染みがなくてさ。なんだろ、遊び方がわかってないっていうのかな。頭ん中のブレーキを外して、こう、シンプルにやればいいんだろうけど……それが上手くできないというか……あれ、俺、なんか変なこと言ってない?」
まじまじと俺の顔を見ていた小日向が、ふっと小さく噴き出す。
「あはははっ。テツくんって、考えすぎなところあるよね」
「昔っからこうでさ」
「昔って、小学生くらいから?」
「かもしれない」
「あー。うん。なんとなく想像できちゃう」
小学生の頃の俺を想像しているのだろうか。腕組みする小日向は、うんうんと頷いている。
「どんな想像してるんだよ」
「まず眼鏡をかけて――」
「俺、今でも裸眼なんだけど」
「なぬっ! じゃあ、眼鏡は外してもろて」
「急に訛るじゃん」
「それで、ちょっと危なそうなことからは距離を取ってた」
「その通りだな」
木登りだとか近道だとか。そういう、子供ながらのスリルみたいなものが嫌いだった。なんとなく、賢そうに見えなかったし、危ないし、怖いし。
怖いという気持ちを乗り越えたときにある達成感とか、喜びみたいなものを俺は知らないできた。だから、楽しめないことが多いのだろう。きっとそれが、根本的な違いだ。
なんてふうに言語化してしまうあたり、考えすぎなのだろうけれど。
小日向は腕を組んで、難しい顔をする。
「考えないようにする方法を、考えればいいんだよね」
「頭痛が痛いみたいな状態だな……」
「うーん。テツくんはまだ乗れるの?」
「乗りたい」
それは嘘じゃない。怖いけど、楽しめるような気はしている。
だって、小日向がこんなに楽しそうなんだから。ここにあるものは、怖いものではないと思える。
「じゃあ、乗るしかないね!」
「だな。行こう。もう大丈夫だ」
「休憩挟みながらでいいから」
「ありがとな」
「いえいえ。お安いご用ですよ」
「それで、次はなに乗るんだっけ?」
「上がってから落ちるやつだよ」
「だいたいそうだろ!?」
遊園地というのは、そういうものである。
◇
上がって、落ちるまでの一瞬、全身を包む浮遊感。重力から解放されるようなあの感覚が、どうも苦手だ。どうしてもあの感覚は、転んだときの記憶を呼び起こして、痛みに連動する。
俺はきっと、考えすぎるタイプで、それは変えられない性質なのだろう。
だから、思考を切り替える。ここに痛みはないと。安全な場所なのだと。
閉じてしまいたくなる目を開いて、周りの楽しそうな声に耳を澄ませて――
「やばっ」
一昔前のJKみたいな感想が漏れたのは、三つ目のアトラクションが終わったとき。
「……ちょっと、面白かったかもしれん」
「ほんと!?」
「おう。あ、でもちょっと休憩」
相変わらずちょっとふらつくし、苦手だし、自分の意思で再チャレンジする勇気はないけれど。奇妙な爽快感を感じていた。
初めて立ち漕ぎができたときのような、達成感もある。
ゆっくり歩いていると、小日向がなにかを見て立ち止まる。
「どうした?」
「く、クレープ……」
視線の先には移動式の屋台があって、小さな列ができている。
「食べて行くか。俺もちょっと休みたいし」
そう言うと小日向はぱっと笑って、その笑顔がいつもより近くにあって。
言い訳なんてできないくらい鮮烈に、胸の奥を焼き焦がす。
高校に入った頃、俺は人が怖かった。強固に結んだ関係でも、簡単に壊れることを知っていたから。大切に想ったものが、簡単に零れることを経験したから。
信じることも、信じられることも嫌で。
けれど、彼女がいたから怖くなくなった。小日向がいつも笑っていたから、誰にでも明るく振る舞っていたから。誰かと一緒にいるのは、楽しいことだと思い出せた。
肝試しも、絶叫マシンも、隣にいるのが彼女だから、楽しさを見いだせる。
嫌いで染まった世界を、明るく照らしてくれる。見えなかったものを、見せてくれる。
そんな人がこの先、どれくらいいるだろう。
「クレープ食べたら、お昼ご飯がいらなくなっちゃうかも……」
「そんときは、昼ご飯を抜けばいい」
「そ、そんなことしていいのかな!?」
「たまにはいいだろ」
食事に気を遣うのは、運動部ゆえか。
「じゃ、じゃあ……チートデイということで」
上手いこと言い訳をくっつけて、納得したみたいだ。
小日向はいちごのクレープを頼んで、俺はチョコバナナのを頼んだ。
美味しいねと小日向が言い、俺は頷く。
それだけのことで、世界は色づく。
この感情が恋じゃなければ、なんだというのだろう。
それを二つ抱えた俺は、きっと誰より恵まれている。だから、笑っていたい。悩むけど、苦しいとは思いたくない。
この瞬間を大切に思う気持ちは、本物だ。




