71話 君までの距離:小日向ひまり
小日向ひまりは、モテる。
誰に対しても分け隔てなく明るく接するし、見た目も可愛いし、一緒にいる相手を楽しいと思わせる。だから当然のように、いろんな男からアプローチされる。
部活の先輩、後輩、クラスメイト、行事で少し絡んだ他クラスの生徒――挙げればキリがないほどに。そしてそれらを迷惑だと、彼女は思わない。ありがたいと思うし、素直に喜んでいる。
基本的に、彼女は誰のこともある程度は好きになれるのだ。人のいいところを見つけられるから。
誰にだっていいところがある。
じゃあなぜ、阿月哲なのかと言えば、それは彼が特別だった――からではない。
特殊だったからだ。
それが顕著に表れたのが、去年の文化祭。全体の役員になった哲は、一年生ながらにしてその役目を十二分にこなした。
主に彼が評価されたのは、もめ事の仲裁や、突発的なトラブルへの対応だった。上級生にも臆さず、しかし顔は立てて話し合いを進めること。要望に対しては真摯に検討し、最低でも妥協案を持ってくること。どれだけ大変でも人を責めないこと。
その結果が、今の状態だ。阿月哲は、校内において一定以上の信頼を勝ち取っている。
あいつは真面目な、いいやつだと。
その評価は概ね正しい。
けれどそれが、優しさからくるものではないと、ひまりは理解していた。
阿月哲の根底には、諦めがある。
彼は誰にも期待しない。誰かと関わることを嫌っている。だから放っておくと、つまらなそうな顔をして隅にいる。
笑わせたい!
始めは、そんなものだった。
退屈そうな哲を、どうにかして笑わせる。理由は特にない。人を笑わせるのは気持ちがいいし、好奇心もある。阿月哲が相手だからとかではなく、誰に対してもあるようなものだ。
だから一輝と二人で、積極的に関わっていった。
変化は早い段階で訪れた。拍子抜けするほどに。
そうして出来上がったのが、今の関係だ。一輝と哲とひまりの三人。
その三人でいるのは、心地よかった。
一輝は他校の女子にしか手を出さないし、哲は恋愛からは距離を取っている。
ちゃんとした異性の友達は、その二人が初めてだったかもしれない。女子としては扱われつつも、距離感を調整しなくていい。居心地がよかった。
その関係が物足りなくなったのは、いつからだろう。ある時期から、哲と女子が会話しているのにそわそわするようになった。居ても立ってもいられないというか、不安というか、独占欲?みたいな。でも、哲が誰のものでもないことは知っていた。
恋なのかもしれない。とは思っていた。
けれど、焦りはなかった。だって、哲の一番近くにいる女子は、ひまりだ。だからまだ、友達のままでも問題はないはず。
(あんまりもどかしかったら、告白しちゃうかもしれないけど……)
くらいの気持ちだった。
関係に甘えていたのだ。居場所に満足して、安定を求めたから。
(君までの距離は、縮まらないんだよね)
だからいとも簡単に追いつかれた。追い抜かれたのかもしれない。
結局、ひまりは手を伸ばさなかった。
氷雨小雪は手を伸ばした。
その差だ。それだけの、致命的な違い。
(今からでも、間に合うのかな)
間に合わなかったら、間に合わないのなら。
届けても、受け取ってもらえないのなら。
この感情は、しまっておいたほうがいい。友達でいられたほうがいい。
哲が小雪と付き合っても、仲良くする自信はある。
笑うのは得意だ。走ること以外に特技を挙げろと言われたら、笑うことだと答えるくらいには。
なんてことを考えながら、手を伸ばしたくなるのだから。バカだ。
バカだバカだと自分を罵りながら、小日向ひまりは、ようやく手を伸ばす。
坂を登るジェットコースター。落ちていく直前に、隣に座る少年の手を握る。大きな手から驚きと躊躇いと、それから温もりが伝わってくる。
いっそもう、この感情全てが手の平から伝わればいいのに。
思ったところで、下りは始まる。