7話 共犯者
「……と、いうわけでだな。昨日のことは誤解だったんだ」
一時間目の数学が始まる前の時間。一輝と小日向と、ついでに聞き耳を立てる人に聞こえるよう、弁解する。
いつものごとく大事なところは伏せているから、けっこうガバガバ理論だったが。
「なるほど、よくわかった」
「そうだったんだ! なら納得だね」
こんな感じで二人が相づちを打って、追求しにくい空気を作ってくれる。
「ねえねえテツくん。どうすれば氷雨さんと仲良くなれるかな」
「知らんな」
「知らんかー」
「小日向はいつも通りにしてれば大丈夫だろ」
「大丈夫かな? うるさいって思われそう」
「本人に聞いてみたらいいんじゃないか?」
「そうだね。うん。そうしてみるの助!」
力強く頷いて、小日向は自分の席に戻っていく。
そのタイミングを見計らったように、一輝が教科書を取り出した。俺の机に置いてくる。
「テツ先生、わかりやせん」
「どこが」
「宿題のここ」
「え、ああ……もうちょっと早く言えよな。なんなら昨日の夜にラインしてくれればよかったのに」
「朝練の時間にやっていたんだ。仕方がないだろう!」
「朝練の時間には朝練をやれボケ」
なにを堂々と言ってるんだこいつは。大丈夫か次期主将。
ため息をついて、ノートを開く。
「ここをこうやってこう!」
「雑っ! でもノートわかりやす!」
ふむふむと頷きながら、せっせと書き写す。たぶん俺のノートがわかりやすいんじゃなくて、一輝の理解力が高いのだ。
授業が始まる前に解決した一輝は、「神様俺様アヅテツ様」などと意味不明なことを言っていた。
俺様を含めるんじゃねえ。っていうかアヅテツって誰だよ。
◇
特に問題もなく、平和なまま一日が終わる。
氷雨は今日、やることがあったらしく昼は別。まだ数日しか関わっていないはずなのに、彼女がいないのは違和感があった。
担任から頼まれていた資料運びを終え、職員室で報告する。椅子に腰掛けたまま、菱崎ルリ先生は労いの言葉を投げてくる。
「いつもご苦労さん、阿月っち」
「ほんと、人使いが荒いんですよ。帰宅部は帰宅するのが使命であって、雑用係じゃないんですからね」
ルリ先生は白衣を着た国語教師で、なんとなくやる気がなさそうにしている。実際、やる気はほとんどないのだろう。
モットーは、『成績を上げるのは生徒の役目』。受験期にあたりたくない担任ナンバーワンである。
「阿月っちぃ。そんなこと言って本当は、雑用したくてたまらないんだろう?」
「したくねえよ! なんで俺がドMみたいになってるんですか」
「ドMじゃないか」
「ドMじゃないですけど!」
「ふうん」
適当に流して、ルリ先生は立ち上がる。
「タバコ吸うけど、来るでしょ?」
「行きたくないです」
「訂正する。来い」
「最低。もうほんと、この人教育者として最低っ……」
半ば拉致されるような形で学校から出て、近くのコンビニに行く。
ルリ先生はコーヒーを二つ買ってきて、片方を俺に渡す。
「なんですか……急に呼び出して」
「氷雨小雪、アルバイト、校則違反」
ポケットからタバコを取り出し、口にくわえる。そのまま火をつけず、ルリ先生はこっちを見てくる。
「どこでそれを知ったんですかって顔ね」
「…………」
みのりんさんには、こっちから牽制してある。カフェで遭遇した女子たちではない、はずだ。確証はないけど、そう思う。
だから情報が漏れるとすれば、俺の知らないところ。
「地元の人、とかですか」
「正解。残念ながら、あんた一人のネットワークじゃ粗があるってわけ」
火のついていないタバコを指先でくるりと回す。
愛煙家だとルリ先生は言っているが、俺はこの人が火をつけたところを見たことがない。
「とりあえず、情報はアタシんとこで止めてあるけど。あんた、どこまで踏み込んでるの」
「勘違いしないでくださいよ。俺はまだ、あいつのことをなにも知りません」
「でも、解決したい?」
「傲慢ですかね」
「自覚してるならまだマシだ。でも、もっと上手くやりなさい」
結局、煙を出さないままタバコを灰皿にこすりつける。
捨てられたタバコは、その値段分の働きをしたのだろうか。俺にはわからないことばかりだ。
「上手く……ですか」
「あんたは教育者でもなければ、大人でもない。こうやって教師と悪事を働く、小狡い人間だ。そのことはわかってる?」
「重々承知してますよ」
「わかってない。あんたはまだ、わかってない」
「…………」
「大人ってのはね、思うように動けない生き物なのよ。常識とか、しきたりとか、責任が多すぎて。だけど、まだ子供のあんたらは違う」
それはそうだ。知識としては持っている。
だけど俺は大人じゃないから、どれだけ不自由かは知らない。
「バカみたいな理想、ぶん回しなさいよ。若者なんだから」
「ルリ先生も十分若いですよ」
「うるさいわね。退学したいの?」
肩をすくめて誤魔化す。
理想。
理想ってなんだろう。
俺は氷雨に、どうなってほしいのだろう。
俺は氷雨と、どうなりたいのだろう。
考えても答えは出ない。きっとまだ、ここにはないから。
◇
駅のホームで電車を待っていると、氷雨が階段から降りてきた。俺に気がつくと、小走りで近づいてくる。
「久しぶりね、阿月くん」
「いや、一日も空いてないけど」
「そうだったかしら。でも、しばらくぶりな気がするわ」
「そうなのか?」
「そうよ」
はっきりと肯定されると、じゃあそうなのかなという気がしてくる。今日も今日とて、氷雨小雪は難しい。
「今日はどうだった? なんかあったか」
「なにもないわ」
「そっか」
「阿月くんと会わない日は、とても退屈ね」
「そ、そそ、そっか」
聞きようによっては勘違いしてしまうことを平然と言ってくる。平静を保とうとするが、噛み噛みだ。
「俺といると退屈しない?」
「ええ。阿月くんは見てるだけで面白いわ」
「もしやと思ってたけど、俺って動物枠なの?」
「人間は総じて動物よ」
「知ってるけど!」
そういうことじゃなくって!
まあいいや。氷雨が楽しいなら、……不本意だけど、いいや。
「ねえ。今度の日曜日、空いているかしら」
「日曜日ならだいたい空いてるけど――え、日曜日?」
「そう。キリスト教で安息日と勘違いされていることの多い、日曜日よ」
「あ、そうなんだ。実際の安息日は?」
「金曜の午後から土曜の午前らしいわ」
「へえー。ためになった。いや違う、そうじゃなくってだな」
「諸説あるらしいわ」
「そっちじゃなくてだな!」
キリスト教の安息日とか、俺には関係ないし。
「日曜、なんかあるのか? バイト?」
「お買い物よ」
「ふーん。買い物ね」
「服を買わなければならないわ」
「そりゃ大変だな」
「一緒に来てほしいのよ。阿月くんの意見が聞きたいの」
「俺が意見、ね。まあいんじゃないか。それくらいだったらできそうだ――……ん? ゑぇっ!?」
驚きのあまり旧字体になってしまった。
「よかったわ。人からの意見をもらえるのって、貴重だから」
「俺、意見? 俺でいいのか?」
まずい。頭がパニックになっている。
どうにかしてなんとかしなければならない。
「楽しみにしているわ」
「……あ、はい」
流れに任せて頷いてしまった。
俺、そんなことできんの?
夏服、いいと思います。