61話 デート その2
札幌から小樽に向かって、電車は進んでいく。途中までは平凡な田舎道で、どんどん建物の数が減っていく。
「どこに行こっか。哲、おすすめスポットはある?」
「そんなこと聞かれてもな。俺も去年から茨城だし」
「あ、そっか。うーん。じゃあ、スマホで調べよっか」
手は繋いだまま、器用に左手でスマホをいじ……いじり……いや、明らかにやりづらそうだな。
「やりづらいなら、――」
「大丈夫だから」
フリック入力をやめて、音声検索にする。「小樽の観光スポットを教えて」とマイクに向かって言えば、ピコンと音を鳴らして結果が表示される。
「これが現役JKの本気ってもんですよ。ビビった?」
「いや、ちっとも」
「そこは嘘でもビビったって言うところでしょ」
「嘘でいいのか?」
「イジワル」
花音は唇をとがらせ、肘で脇腹を小突いてくる。
俺が肩をすくめて笑えば、頬を膨らませていっそう不満げにする。
「もうちょっと優しくてくれてもいいんだよ?」
「どうしろと」
「あらかじめ素敵なお店を調べたり、あるじゃん」
「ランチくらいなら調べてるけど」
「調べてるの!?」
物凄く驚かれてしまった。俺ってそんなに気が利かないキャラだっけ。
花音は目を見開いて、ワクワクしているのだろう――ぐっと体を寄せてくる。密着する左半身。ちょっとずれようかと思ったが、俺の座っているのが右端のシートだった。
「どこ? どこ?」
「あんまり期待されると不安なんだが」
「大丈夫。期待してないから」
「ちょっとは期待してくれてもいいんだけどな!?」
あっはっはと気持ちよく、声を抑えて笑う花音。
「冗談だよ。ほんとはすごい嬉しい」
「そうかよ」
照れくさくて顔を逸らす。視線は列車の外へ。
視界に飛び込んできたのは、一面のコバルトブルー。夏の日差しを乱反射して煌めく海原だった。
「海! 海だよ哲!」
気がついたのか、窓の外を指さす花音。やけに嬉しそうだ。
なにか珍しいもの、というか懐かしいものを見るような。……ああ。なるほど。
「長野にはないもんな、海」
「あれ? 茨城って海あるんだっけ」
「あるある。なんなら通学途中の電車から見えるぞ」
「オーシャンビューの通学路……憧れるぅ」
「そんないいもんじゃないけどな。慣れれば感動もなくなる」
朝の通勤通学の時間帯では、楽しんでいる余裕などない。それに、ちゃんと海が見える区間は短いのだ。
「贅沢者め」
「長野だっていろいろあるだろ。あれ、富士山って違ったっけ」
「それは山梨なんだなー」
「まじか。そのへんの地域、あんまりよくわかってないんだよな」
山梨は首都圏だけど関東地方じゃない。みたいな、そういう豆知識レベルでしかない。
「いいところだとは思うよ、長野。暑くて寒いけど、果物美味しいし。軽井沢とか松本城とか。でも、ちょっと大人向けって感じ」
「なるほどなぁ」
「――隣の県だけど、富士〇もあるしね。そういえば、哲って怖いの苦手だっけ」
「いや、今は別に」
最後にジェットコースターに乗ったのなんて、五年以上前のことだ。乗れと言われれば乗れるはずだ……たぶん。きっと。できるだけ乗りたくないけど。
「お化け屋敷は?」
「いけるぞ。肝試しも余裕だし」
それに関してはこの間、少しだけ自信がついた。幽霊なんていない。どうせお化け屋敷なんて、人間が化粧しただけだろ?
……ただ、あれだ。そんな子供だましに金を払うのはもったいないというか、ジェットコースターとかって上がって登るだけだし、ちっとも生産性がないからさ。
積極的に近づきたいとは、思わないかな。
「ふーん」
「なんだよ」
口元をにやにやさせる花音。
「別にぃー? 哲も成長したなって。花音お姉ちゃんは感動だよ」
「誰が姉貴だ。誕生日は俺のが先だろ」
「たった七ヶ月じゃん」
「暴論すぎる」
十二月生まれの花音と、五月生まれの俺。どう考えても俺が兄貴になるはずだ。
「精神的に、私のがお姉ちゃんでしょ」
「本当にそう思ってるなら、恥ずかしいから他では言うなよ」
「ひどっ。私ってそんなに子供っぽい?」
「ワガママなんだよ。お前も、凛も」
「凛ちゃん枠だったんだ……ちょっとがっかり」
同じではない。けれど、似たような部分があるのだと思う。
この言い方だとなんかあれだな。俺がシスコンみたいになって嫌だな。
「じゃあ今日は、哲にエスコートしてもらおうかな。いいんだよね、お兄ちゃん?」
「別にいいけど、二度と俺のことをお兄ちゃんと呼ぶな」
そういう趣味はないし、なんか周りの目が痛いだろ。
◇
小樽に着くまでの、少しの時間。生まれた沈黙の間に、ふと昔のことを思い出した。
小学六年生に上がる頃。徐々に男子の成長が女子を追い越し、身体能力の差が開き始めていった。
花音に連れられてやっていた野球は、いつしか俺のほうが上達し、試合にでる回数も増えていった。
夏が終わる頃に、花音は少年団を辞めた。
どうして辞めたのか聞いたら、「勝てないから」と言われた。
肩の強さも、足の速さも、筋力も。これからどんどん男子に追いつけなくなることを、彼女は理解させられていた。現実に、打ちのめされていた。
「勝てないの、つまんない」
その頃の俺にはわからない感覚だった。下手くそから始まって、試合にほとんどでなくて、それでも、花音が活躍してれば楽しいと思えたから。
だけど、その彼女はいなくなる。
元々が花音に誘われて始めた野球だ。彼女がいないなら、俺も続ける理由はなかった。チームは好きだし、友達もいるけど、少年団で終わりにしてもよかった。
終わりにしなかったのは、約束したからだ。
「なら、おれが勝つよ。花音のぶんまで、おれが勝つ」
不機嫌そうな、つまらなそうな、いじけたような顔をした少女に、誓ったのだ。
「哲が勝っても、私には関係ないじゃん」
「あるよ」
「なにが?」
「花音、おれと勝負しよう。三打席で花音が打ったら、花音の勝ち。打てなかったら、俺の勝ち」
「哲、ピッチャーできるの?」
やったことはなかった。けど、それ以外に勝負は思いつかなかった。
だから俺は、頷いた。
「できるよ。こっそり練習してるから」
その勝負で俺は負けて、花音が機嫌を取り戻してくれればいいと思っていた。
子供ながらに、小賢しかったと思う。
そして小賢しく振る舞おうとすれば、大抵のことは失敗する。そういうふうにできている。
俺は勝ってしまった。才能があったわけじゃない。運の要素が強かった。それでも、勝ちは勝ちだった。
「うぅっ……」
目に涙を溜め、花音は俺のことを睨みつける。
「ええっと……そういうつもりじゃ」
「許さないから。他の人に負けたら、絶対に許さないからね!」
高い声で怒って、一気にまくし立てられた。
「哲はピッチャーになるの! それで、誰にも打たれない! 負けない! そしたら私は、誰にも負けてない!」
真剣な目だった。
きっともう覚えていないだろうけど。俺も今では、あれを大したことではないと言える程度には、大人になったけれど。
あの日の俺には、それが全てだった。
「わかった。おれ、ピッチャーになるよ。それで、誰にも打たせない」
どうして今になって、そのことを思い出したのだろう。
考えている間に、電車は小樽駅に到着した。
長野と山梨を逆だと思っていたこと、想像以上に恥ずかしい。
ありがとうな感想欄!!!!
ミスらないように気をつけるけどミスったらまたよろしくお願いします。