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6話 氷雪の女王は春に焦がれる

 阿月哲は有名人である。

 人づきあいの少ない場所で生活していた、小雪にもその名前が届くくらいに、誰もが知っている生徒だ。


 モテているとかではなく、知られている。なんとなく大勢から信頼されているというだけのもの。


 地味なうえに面と向かって言われることもないため、本人は気がついていないけれど。


 森本珈琲で出会う前から、小雪は知っていたのだ。

 別のクラスの、別の世界の人として。


 ときどき、彼の教室の前を通る。そこにはいつも何人かの生徒がいて、談笑している。哲は中心にいるわけじゃないけれど、みんなは彼のところに集まっているように見えた。


 羨ましくなんてない。嘘ではなく、小雪はそう思っていた。

 あそこは別の世界だ。生まれたときからずっと、小雪の周りは凍てついている。吹く風は冷たく、行く先は暗い。


 だけどもし。

 あの場所に生まれ変わることができたのなら。誰かと一緒に、笑うことができたのだろうか。


 想像して、想像して――


「友達なんかじゃないわ――阿月くんは、友達なんかじゃない」


 その言葉ですべてを壊した。


 本心だった。けれど、伝わり方は真逆だった。そこまではわかる。だけど小雪には、訂正するための方法がわからなかった。

 間違えたのだ。いつだってそうだ。氷雨小雪は間違える。


 哲と目が合った。驚いたようだった。教室が静まりかえる。


 そして彼女は思い出す。

 自分は人といられないのだと。誰かの手を取っても、裏切るか、裏切られるかしてしまうのだと。


 正しい想いなどきっと伝わらない。だから逃げ出すのだ。

 ここではない、どこかへ。

 誰も、自分のことを知らない場所へ。


 ぐちゃぐちゃの頭を整理できないまま、鞄の中に荷物を詰め込む。授業は終わった。帰るだけだ。早く帰りたい。さっさと消えてしまいたい。


「氷雨小雪さんっている?」


 落ち着いているのによく通る、ここ数日で一番聞いた声。小雪が顔を上げると、彼は廊下から顔を出す。


「お、よかった。まだいて」


 躊躇いなく教室に入ってきて、小雪の前に立つ。


「な、なに……阿月くん」

「用件はない。ただなんとなく、氷雨さんと話したいと思ったんだ」







 わっかんねえな、と思う。

 目の前であっけにとられた氷雨を見て。


 どうして氷雨はこんなに上手くやれないのだろう。なんで自分のことすら言葉にできないのだろう。


 そりゃさ、俺にもわかんないよ。どうして?って聞かれても答えられない。

 きっと彼女の頭の中と、行動と、言葉は同じじゃない。


「阿月くんは、怒ってないの?」

「怒ってない」


「どうして?」

「ちゃんと話したいから」


 氷雨はやっぱり驚いた顔だ。


「行こうぜ。ここはちょっと、人が多い」


 歩き出すと、ついてきてくれる。嫌われたわけじゃなさそうで、ひとまず大丈夫そうだ。


 一輝から話は聞いた。

 少なくともあの場で、誰かの悪意がはたらいたことはないらしい。普通の会話をしたらしい。近くにいた女子も含めて。


 その中でこんな質問がでたらしい。


「いつから阿月と友達なの?」


 と。

 それに氷雨は、予想とは違う反応を見せた。


 怒っているようでもあったし、泣きそうでもあったし、どこか怯えているようでもあった――そう、一輝は言っていた。


 で、あの現場である。


 そこまで話を聞いても理解できないし、適当に「おけ。あとはなんとかしとく」とは言ったものの方法なんて頭にないし。

 とりあえず話すしかない。


 俺の基本方針『話せばわかる』。これを言った人はその後に撃たれたらしい。銃社会じゃなくてよかった。


 しばらく歩いたところにある公園に入る。

 自販機で俺はコーヒー。氷雨はミルクティーを買った。


 どこか落ち着けるところはないかと視線を動かして、ブランコの柵に腰掛ける。躊躇いがちに、氷雨が隣にくる。


「紅茶、好きなのか?」

「……ええ。甘いのが好きよ。阿月くんは、甘いのは嫌い?」


「甘いのも好き、だな」

「そう。……知らなかったわ」


「ほら、プリンも頼むし」

「そうだったわね」


「糖分って素晴らしいよな。安易に幸せになれる」

「……そうね」


 夕陽が落ちていく。街灯が道を照らし始める。


 俺は本当に言いたい言葉を、コーヒーで押し流した。正しい言葉は、いつだって感情とは別の場所にある。


「氷雨さんにとって、友達はどんなものなんだ?」


 これが正しいかはわからないけれど。きっと間違いではない。

 友達とはなにか。その根本から、きっと俺とは違っている。同じ言葉を使っていても、意味は同じにならない。


「友達……」


 深く息をついて、目を伏せて言う。


「私にとっての友達は、敵のことよ」


 友達とは敵である。彼女はそうやって定義していて、おそらくそれが世間の認識とは違うことも知っている。

 知った上で、譲れない何かを抱えているのだろう。


「……じゃあ、俺は敵じゃないんだな」


 聞きたいことはあったけれど、最初に口に出たのはそれだった。


「敵だなんて、思ってないわよ。阿月くんは優しい人だから」

「ならよかった。一安心だ」


 おかげでコーヒーが美味い。

 なにかが解決したわけじゃないけど、なにも失わずにすんだ。


「ごめんなさい。変なことになってしまって」

「いいよ別に。このくらい、よくあることだ」


 しかし、友達が敵か。

 想像はしていたけど、大変なことがあったんだろうな。


「みんなには俺から言っとく。それで、今日のことはチャラだ」

「本当にそれでいいの?」


 聞いてくる氷雨は、どこか必死だった。

 なにかを訴えかけてくる瞳からは、目をそらせない。


「いいの?って、どういうことだよ」

「ぜんぶ阿月くんがくれるだけで、私はなにもできてない。私は、これでいいの?」


「――っ、」


 それは、どうなのだろう。

 昨日お弁当をくれたからいい。とか、君はそんままでいいとか。きっと正しい答えなんていくらでもあって、だけどそれを言ったら二度と、彼女の本音は聞けなくなる気がした。


「私は阿月くんのことをもっと知りたいわ。だけど、そうするメリットがあなたにあると思えないのよ」

「損得勘定で関わるつもりはない。ってのは、嘘になるんだろうけど――」


 多かれ少なかれ、俺たちはお互いに何かを求める。それを否定することはできない。


 だけど、それだけではないと思うのだ。


「――いつか来るよ。俺が氷雨にたすけてもらいたいときが。そんときに手を貸してくれたら、俺は嬉しい」


 いつも不思議そうにしていて、常識を知らなくて、嫌いな相手には棘しかなくて、なのに俺の前ではどこまでも透明で、信じていると言ってくれる。


「私が、阿月くんをたすける……」


 難しい顔で氷雨は考え込み、しばらくして顔を上げる。


「万全の準備をしておくわ」

「まあ、ゆるーく頼む」


 コーヒーを飲み干す。緊張していたのだろう。喉がやけに乾いていて、いつもより早いペースで飲んでしまった。


「だからまあ、友達だとかそうじゃないとかはどうでもいいよ。そんだけだ」


 名前のある関係を嫌うのなら、名前などいらない。

 俺と氷雨。ただそれだけでいい。二人の関係は、二人で勝手に決めればいい。


 絡まっていた視線がほどける。顔を伏せたのは、氷雨だった。


「阿月くんを見てると、うまく話せなくなるわ。言いたいことがちゃんと言葉にできないの」

「ゆっくり探せばいい。わかるまで聞くから」


「そうね。あなたは、そういう人なのよね」


 俯いたままの氷雨の口元が、柔らかく持ち上げられていた。


 それを見て、思いつく。


「そうだ。一個だけお願いがあるんだけど、聞いてくれないか」

「なに? 阿月くんの頼みならなんでも聞くわよ」


「なんでもは聞くんじゃない」


 笑いながら突っ込むと、氷雨は口元を隠して、小さく肩を上下させる。


「笑った顔を見せてほしい。スマイル一つ、みたいな」

「スマイル……?」


「そう。こうやって、にこっと」


 口角を持ち上げてやってみる。

 氷雨は困惑していた。いつも通りだ。


「いいけど、……こうかしら?」


 ガチガチの表情筋で、お世辞にも上手いとは言えない。はっきり言って下手くそだ。


 いつか氷雨が、堂々と笑えるようになってくれればいい。


 一番伝えたい言葉は飲み込んで、俺たちは帰路につく。

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