48話 一回休み
パラソルの下に戻って、お茶を飲んで一息。喉の奥に詰まっていた塩を、奥へと押し込んでいく。手を後ろについて、一言。
「別に、気にしてないって」
「私は気にするのよ」
「そうかい。でも、本当にもう大丈夫だから」
「……ごめんなさい」
「うん。じゃあ、これで最後な。許したから」
氷雨はまだ、浮かない表情をしている。気持ちはわかる。俺が逆の立場だったら、地面にめり込むまで頭を下げるだろう。
けど、な。
いいじゃん。男なんだし。とか、思ってしまう。俺は男で、頑丈で、だからちょっとやそっとじゃ傷つかない。俺が同じ事をするのと、氷雨がやるのとでは重さが違う。比較にならないくらい。
違うんだよな。
こうして隣にいるのに、ぜんぜん違う。氷雨は女子で、ナンパされて、危なくて。俺は守らなきゃいけない側で。でも、俺がナンパで危ない目に遭うことはない。
不平等というか。なんというか。
難しいなぁ。と思う。月並みだけど。なんもわからん。女子がわからんし、他人がわからんし、それどころか自分もわからん。
「俺はもうしばらく休むけど、どうする?」
「私もここにいるわ。水が怖いもの」
「変なトラウマを植え付けてしまったか……」
「阿月くんのせいじゃないでしょう?」
「でも、気にするだろ。俺が関係したことなんだから」
「…………一理あるわね」
申し訳なさそうに頷いて、少し考え、氷雨はすっと立ち上がる。
「なら、克服してくるわ」
「おう。楽しんでな」
「戻ってきたときには水雨になってるわ」
「`を置き去りにするな」
くすっと小さく笑って、砂浜を駆ける。勢いよくスタートしたせいか、途中で少し転びかけながらみんなの輪に入っていく。
さっきの冗談。あいつ、ボケたよな。
前は単なる天然だったのに、最近は意図的なものが増えている気がする。
どこに向かってるんだ……?
もしかして、凛のことを真似しているのだろうか。あんなふうなやり取りがしたくて、考えてやってるのか?
だとしたら、なんつーか。
こそばゆいな。
自分が今、どんな表情をしているのか。鏡がなくたってわかる。
笑えているのだろう。
諦めからでも、呆れからでもなく。普通に笑っている。
みんなの姿をしばらく眺めて、ふと、鞄をいじる。
……っていうか、貴重品置きっぱなしで遊んでた。しくじったな。いくら見えるところとはいえ、警戒心が薄すぎだ。荷物番、必要だな。
スマホを取り出して、メールボックスを確認。
受信ボックスに、一件来ている。今朝送られてきたらしい。
送り主は、新島花音。
初恋の相手で、今はメール友達のようなもの。
『哲へ
今日もうちの高校は練習試合です。
みんなちょっとずつ強くなって、秋の大会では勝てるといいな。野球部のマネージャーなので、スコアもつけらるし、高校野球のルールも勉強してるし、哲より知識はあるかも(笑)。
中学でもマネージャーができればよかったなーって思います。そしたら、もっと近くで哲の試合が見れたのに。なんてね、冗談。
練習の後にキャッチボール付き合ってもらってます。外野手の優男くんに。イケメンで性格もよくて、背が高いんだよ。完璧超人。
最後自慢になっちゃった。じゃあ、また。
花音より』
手紙か。とツッコミたくなるような書き方。
それがどこか可笑しくて、俺も同じような書き方をする。
昔のことは、なにも触れず。
ただの仲がいい友人のように。
笑えるようになったのは、そのおかげかもしれない。
向き合うことで、花音との時間は過去のものだと理解して。
過去は抗いようもなく、錆びて、剥がれて、俺は変わっていく。単純な理屈をやっと受け容れた。
それでいいじゃないか。
引きずっていて、どうなるというのだろう。
花音とメールをしていて、文字伝いのあいつは元気そうで。昔と変わらなくて。なんか、バカみたいだなと思う。
今すぐってわけにはいかないけど。
ちょっとずつ、昔みたいになれたらいいなと思う。当たり前のように笑って、だけど少し、大人になっていられたら。
あの初恋を、綺麗にまとめられるんじゃないか。
なんてな。
今は少し、雰囲気に酔っているだけだ。
◇
「テツくん、テツくーん」
ちょん、とつつかれる。ひんやり、やわらかい。
あたまがぼんやりする。
ちょんちょん、また肩に触れる感触。くすぐったくて、手を伸ばす。捕まえると、小さい。手か? 誰の?
誰の……?
「ん……あれ。小日向?」
ということは、握っているこの小さな手は、手触りのいい指は――
目の前の少女は、顔を赤くして、空いたほうの手をわたわたさせる。
パーカーを着て、麦わら帽子を被っていた。よく似合っていて、可愛らしくて――そうじゃなくて、手!
「え、ええっと、おはようテツくん!」
「お、おはようってか悪い! 今放すから」
「あ、……うん」
「俺、寝てたか。けっこう経った?」
疲れてはいたけど、寝るほどとは。
たったあれだけの運動でバテるとか……ちょっと情けないな。
「二〇分くらいだよ。そろそろお昼にしようと思うけど、食べられそう?」
「それは問題ない。みんなは?」
「手を洗いにいってる」
「起こしに来てくれたんだ。ありがとな」
「いえいえ。お安いご用ですよ」
じゃあ、さっさと動かないと。
ちょうど向こうから、一輝たちも戻ってくるし。荷物番はいいだろう。
「行くか」
「そだね」
途中で他のメンバーとすれ違う。ついでに海の家で買い物してきたらしい。一輝とエージが、揃ってイカ焼きを掲げていた。
エージが元気に、
「聖剣クラーケンっす!」
と言っていたので、
「韻が踏めるな」
と返しておいた。いいラッパーになってくれ。
昼飯、なにを買おうか。焼きそばなんか美味そうだよな。
ううむ……。
「小日向、なに食べる?」
「あのですね……」
なぜか目が泳ぐ。どうしたのだろう。
小日向は手をもにょもにょさせて、珍しく、小さな声で呟く。
「実は今日、お弁当を作ってきているのです」
「お弁当?」
「こっそり練習してまして。よかったら、テツくんにも食べてもらえないかなーって」
「いいのか? あ、違う。いいから言ってくれてるんだよな。じゃあ、是非」
「ほんと!?」
嬉しそうに目を輝かせる。
「本当もなにも、めっちゃ楽しみだぞ」
「緊張するなぁ」
あははと笑って、小日向は指を立てる。
「でも、焼きそばは買っていこうね」
「焼きそば?」
「海で食べる焼きそばは格別だからね」
夏祭りとは違うのだろうか。
気になりはしたが、まあいいか。楽しそうだし。楽しいし。




