47話 ちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷ
「よーし、じゃあいこっか!」
元気溌剌。小日向がパーカーを脱ぐ。健康的な向日葵柄の水着。下も短いスカートみたいな形で、ちょっと安心する。
氷雨も水着になって、先陣を切った小日向についていく。てくてくと。やや不安そうで、どこか姉妹のようにも見える。
その後を追随するように、サッカー部男子二人もかけ出した。
「いくぞエージうぉおおお!」
「うぉおおお!」
雄叫びを上げながら、物凄い勢いで。そのまま海に突っ込んでいった。あいつらにはブレーキが搭載されていないらしい。
残された……わけではないが、俺と名取が少し後ろを歩く。
「はぁ……」
「どうした?」
「どう考えてもウチだけレベルが……ねえ」
「それ、いっつも一輝といる俺に言うか?」
顔とカリスマの格差をひしひしと感じているのだ。素のポテンシャルであいつに勝るやつなんて、そうはいない。
「フォローになってないんだけど」
「いや、そういうわけじゃ……ええっと、名取も水着、いいと思うぞ」
「いいって?」
「似合ってる」
「ふうん。それってつまり、可愛いってことよね?」
やや挑発的に聞いてくる。つり目の名取がやると、どこかキツネみたいだ。
「……引け目を感じることはないだろ」
「阿月ぃいい、フォローするなら最後までちゃんとしなさいよ」
「いや、ほんと、どっちかって言うと名取は美人タイプだから、可愛いとかじゃないってだけで」
「美人?」
きょとん、と首を傾ける。
名取は自分のことを指さして、
「ウチ、美人、マジ?」
「どちらかと言えば」
渋々頷く。すると、名取は急に胸を張って偉そうに笑う。
「はーん。阿月から見て美人ねー。はーん。ちょっとは見る目があるじゃない」
「やっぱ嘘。性格が下の下だ」
「性格だったらあんたも人のこと言えないでしょーが」
眉間にしわを寄せて睨んでくる。俺も自然と口がへの字に曲がり、対抗するようににらみ返す。
「「ぎぎぎぎ……っ」」
しばらく睨み合って、どちらともなくため息がもれる。
「ふぅ」
アホらし。
「さっさと行くぞ。海が逃げる」
「海は逃げないでしょ! ちょっと、待ってよ阿月」
「待たん」
砂浜をつかつか歩いて、波打ち際まで。
さっきまで全員いたはずなのに、なぜか男二人がいない。小日向と氷雨が、揃って遠くを見ているだけだ。
「あれ? 一輝とエージは?」
「あそこだよ」
指さすのは、視線の方向と同じ。
波しぶきを立ててクロールする人間が二人。観光目的で来た人が多い中で、まさかのガチ泳ぎだ。かなり目立っている。正直、一緒に来たと思われたくない。
「さっき一輝がね『エージ、モテる男は水泳が速い!』って言って。そしたらエージくんも『これからは海の時代なんすね!』って」
「小学生か?」
それで騙されるエージ……お前、その先輩を信じるのはやめたほうがいいって。
わははは、と聞き慣れた高笑いが聞こえる。
「テツもこいよ! 泳ごうぜ!」
まさかの勧誘。俺、さっきのビーチバレーがかなりきてるんだけど。一緒にやってたあいつは、ウォーミングアップ程度にしかならなかったらしい。
体力バカめ。
というかそもそも、俺は泳ぎが得意じゃない。
頭上で腕をクロスし、バツ印。
すると一輝は、エージを連れてこっちに泳いできた。大人しく撤収してくれるとは、意外だ。
「なんだよテツ、泳ぎは苦手か?」
「苦手だ」
「そんなこと言って、平均よりはできるだろ?」
「いや、苦手なんだな。これが」
「おいおい。でも、体育の授業……あれ。水泳の時間、お前、どこにいた?」
「苦手グループに紛れてたんだよ」
「うぉおおおマジか! そういえば水泳だけテツがいなかったような記憶が」
その時間はペアワークが少ないからな。気がつかなかったのも無理はない。
あと、俺も頑張って気配を消してたし。
「苦手って、どのくらい?」
横からすっと入ってきて、氷雨が聞いてくる。
「25メートルがなんとか泳げるくらい」
「うらぎりもの」
すーっと引いていく氷雨。そのまま小日向のところに隠れてしまう。気に入ったみたいだな、そのポジション。
そんでもって、心を開かないネコみたいな目を向けるな。やめろ。
「小雪ちゃん、泳ぐの苦手みたいなんだ」
「水も苦手よ」
「ネコか」
「ヒトよ」
「知ってるけども」
「ということで、なにかあったら助け合いだからね。海は危ないから、お互いに気をつけていこー」
普段からクラスのまとめ役もやる小日向。明るい笑顔で、全員に注意を促す。
小柄なおねーさんみたいな、それでいて天真爛漫な妹のような。そりゃ、モテるわな。とか、ぼんやり考えながら。
波際で、冷たい水に足を伸ばす。
つめた……いや、思ったよりぬるい?
海に来ること自体、ほとんど初めてのことだ。砂がにゅるにゅる指の間を通るのも、波が引く力が思ったよりも強いことも。全部、新しい。
「テツくんも怖い?」
隣から、小日向がのぞき込んでくる。
「いや、怖いとかじゃないけど。……やっぱちょっとビビってるかも」
「仲間ね」
不敵に笑った氷雨が、波の届かない場所で立っていた。
「来いよ」
「足が動かないわ。ぴくりともね」
「堂々と倒置法を使うな」
「おいで。浅いところなら安全だから」
小日向の手招きで、やっと最初の一歩。ちゃぷ、っと足を水に浸す。
「あっ」
引いていく波を追いかけるように、もう一歩。寄せる波が、さっきよりも高く足首まで包む。
氷雨は目をぱちぱちさせて、確かめるように水の中を歩く。
「楽しい……かもしれないわね」
「でしょでしょ!」
どれ。俺ももうちょい奥まで行ってみようかね。
とりあえず、膝くらいまで。ここまで来ると、かなり波に引っ張られる。
「くらえテツ!」
不意打ち。
「しょっぱっ!」
ばしゃん、と水をぶっかけられる。
「ふはははっ、洗礼だ」
「お前っ、くらえ!」
お返しに水を掛け返す。ちょっと力みすぎたせいで、横にいた名取にもヒットしてしまう。
「ちょっと阿月ぃい! やったなあ」
「いや違う、狙ってない!」
「問答無用! とりゃあっ!」
全身を使って、ありったっけの水をかけてくる。だが、今度は俺の後ろにいた小日向が巻き込まれたらしい。
「あ、ひまりごめんっ、そんなつもりじゃ――」
「ふふっ。海の中で待ったはないんだよ!」
小日向も乱入。
「俺も混ざるっす!」
勢いでエージも参戦。
「おうエージ、無礼講だ。全力で来い!」
「ちょっと一輝、なに焚きつけてんのよ!」
「恨みはないけど、テツくんにえいっ!」
「なっ――じゃあ俺はエージに!」
ノリよく、水の掛け合いが始まる。
知性を止めてしまえば楽しいもんで、珍しく思いっきり笑っていた。俺。こんなに笑えたっけ。まあいいや。
「えいっ」
控えめな声と、弱い水。斜め後ろからだ。
振り返ると、躊躇いがちに首を傾げる氷雨がいる。
「これで、いいのかしら?」
みんなのノリについていけなかったらしい。しまった。誘っておいて、俺が忘れるのはミスだ。
「もうちょっと強くてもいいんじゃないか?」
「こう?」
ぱしゃん。
さっきよりは強いけど、お腹くらいまでしか届かない。
「いやもっとこう、しゃがんで、膝の力をつか――ぶっ」
やり方を見せようと姿勢を低くしたところ。顔面に潮水が飛んできた。
完全に無抵抗な状態で、鼻に入った。
「ご、ごめんなさい! そういうつもりじゃ」
おろおろする氷雨。
「テツがダウンしたぞ!」
大丈夫。大丈夫なんだけど、すごいむせる。喉の奥が辛い。
息はできるけど、喉痛いし。や、大丈夫なんだけどね。
「ごめんなさい。……」
だから心配しなくていいんだけど。マジで。ただの事故だし。
手を横に振って、無事をアピール。
どうにか声を絞り出す。
「俺、一回休み……っ。大丈夫だから……続けてくれ」




