45話 海! 水着! ナンパ!?
バスで20分ほど揺られると、白い砂浜と、たくさんの人が見える。
夏休みだからか、平日だというのに海水浴場は賑わっている。
太陽の光が乱反射する青と、眩しいほどの活気。色とりどりのパラソル。
「わっはっは! 海だぞテツ!」
「海だー! テツくん盛り上がってる?」
「海よ、阿月くん」
「海っすよテツ先輩!」
見ればわかるのに、なぜか全員が俺に報告してくるんだけど。
「ええっと……ウチもやったの方がいいの?」
残った名取が、困惑して首を傾げる。首を横に振って、
「いや、やらんでいい」
っていうか、エージ。この短時間で俺の呼び方変わってるし。
まあいいけど。いいんだけどさ。こいつも距離感バグってるな。凛タイプか? ちょっと似てるかもしれない。
「人気なのね。阿月って」
「さあな」
肩をすくめ、適当に返す。名取はふーん、と流した。どうでもいいよな。
砂浜に降り立って、一輝が仕切り始める。
「じゃあ、女子は更衣室に行ってくれ。男子はパラソル借りて休憩所の設置、その後に着替えなー」
「「「「はーい」」」」
一度解散して、男三人になる。女子たちは荷物を持って、海の家の奥に入っていく。
残った俺たちは、レンタル用のパラソルを手に入れ、ビーチの空いたスペースに陣取る。
尖った先端を地面に埋めながら、一輝とエージが話している。俺はレジャーシートを敷いて、端に荷物を置く係。
「一輝先輩、俺にモテ技術を教えてくださいっ!」
「モテるやつはなにしてもモテるし、モテないやつはなにやってもモテない」
「真理っ!」
「モテないやつが頑張ると、キモがられるからな。なにもせず、神に祈り、ダメなら諦めろ」
「ううっ……一輝先輩は勝ち組っすからね」
「んなこたねーよ」
わっはっは、と笑って、一輝が会話を終わりにした。パラソルの設置が終わったからだ。
足で周りの砂を踏んで、動かないように固定する。
「ほい、じゃあ俺らも着替えの準備して、女子と入れ替わりな」
「先輩方の水着!」
「俺たちのに興味あるのか……さすがに引くぞ」
「一輝先輩たちじゃないですよ。女性陣です!」
見たところ、一輝はしっかり手綱を握っているようだった。
狙っているとは言ったものの、エージだって暴走しているふうには見えないし。
大丈夫っぽい?
「テツ先輩、楽しみですよね」
「え、あーっと、……なにが?」
「水着ですよ水着。いくらなんでも楽しみでしょう?」
水着。
女子たちの水着。
「まあ、そこそこかな」
「薄いっ! 本当に薄いっ! もしかしてテツ先輩、女性を好きにならないタイプなんですか?」
「いや、なるけど」
「そうですか。でも一応、自分、身の安全に気をつけます」
物凄い警戒された。
俺のほうがヤベー奴だと思われてるじゃん。女子のが可愛いし、綺麗だと思うよ。普通に。芸能人もキャラクターも、ちゃんと魅力的だと思うし。
いろいろこじれてるのは、事実だけどさ……。
なんてことを話していると、海の家のほうから三人がやってくる。
「お待たせー」
先頭の小日向が手をヒラヒラと振って、その横に名取。氷雨は二人の後ろに少し隠れるように、ついてくる。
オレンジのパーカーを羽織った小日向と、半袖シャツを上から着た名取。
なぜか氷雨だけが、水着のまま。フリルのついた、そんなに際どくないものだが……いつもより肌の露出が多いのは明らかだ。目のやり場に困るのは、俺が経験不足だからか?
「び、ビキニじゃない……っ」
「甘いなエージ。世の中、そう上手くは回ってないんだぜ」
けっけっけ、と一輝が笑う。
「でも生足が拝めたのでオッケーです」
「タフだなぁ。我が後輩ながら」
すらっと伸びた、しなやかな小日向の足。陸上部で鍛えているからだろう。無駄なものがなくて、素直に綺麗だと思う。
氷雨は壊れそうなほど細くて――いやいやいや。なにを飲み込まれてるんだ。
悪影響を受け始めている気がする。いつもなら、こんなこと考えないはずだ。
「三人とも準備ありがとね」
「ウチらで荷物番やってくから、行ってきなよ」
俺たちの前まで来ても、氷雨は二人の後ろに隠れたままだった。彼女よりやや小柄な小日向の背中にいるので、あんまり意味がないのだが。
ちらっと目が合うと、さっと逸らされた。もっと小さくなってしまう。
……大方の事情はわかった。
「行くぞ、テツ」
「あー、先行っててくれ。すぐ追いかけるから」
「ほいほい。んじゃ、エージ。カモン」
「おっす!」
着替えに行った二人とは別で、俺は自分の鞄を漁る。
奥の方にあったはずだ。カシャカシャした手触り。よし。これこれ。
「氷雨さん、これ着るか?」
薄手のウィンドブレーカー。夜は森の中で過ごすと聞いたから、用意しておいたのだ。蛍光グリーンで、控えめなデザイン。海で着ても違和感は少ないはず。
「え?」
「上に着るの準備してなかったんだろ。これなら濡れてもすぐ乾くし、寒くないし」
「でも、これは阿月くんの……」
「男物が嫌なら、無理はしないけどさ」
「着させていただくわ」
「おう。じゃ、俺も行くから」
立ち上がって、荷物を手にする。
海の家で二百円払って更衣室を借り、海パンに着替え、外で二人と合流。
「テツ先輩、なにしてたんすか?」
当然のようにエージが聞いてくる。ほんの少し伏せようかと思ったが、どうせ名取と小日向にも見られている。隠すようなことでもない。
「氷雨に服貸してた」
「彼シャツ!?」
「そんなんじゃない。ただ、上に着るものがなさそうだったから」
「なんてことをするんですか! 唯一、フル水着だった人を!」
「風邪引いたら元も子もないだろ」
「うっ――」
エージは言葉を詰まらせると、険しい表情で地面を睨む。どんだけ水着が見たかったんだよ。
唇を噛みしめるエージの肩を、ぽんと一輝が叩く。
「わかったか。これが〝格”の違いってやつだ」
「テツ先輩……手強いっすね」
「見て学べ。お前はまだ成長できる」
「ういっす! テツ先輩から学ばせて頂くっす!」
サッカー部どもが、揃って俺を見てくる。
「はぁ?」
ちょっと見ない間に、わけがわからんことになってないか?
エージは俺に真剣な目を向けてくる。
「よろしくお願いします。〝先輩”!」
「お、おう……?」
なぜだろう。その〝先輩”という言葉には、今までにはなかった重みが加わっていたような。
一輝に対して発せられるのと、同じようなニュアンスを含んでいた気がした。
◇
海に来た。俺たちは高校生。
だが、海にいるのは高校生だけじゃない。家族連れもいるが、それはあまり関係ない。
経験の浅さが招いたことだ。
俺たちのパラソルのところに、四人。氷雨、小日向、名取ではない人影がある。遠目からもわかる、男で体格がいい。間違いなく年上だろう。
ナンパ……。
ナンパされてる!?
彼らは三人になにかを言っていて、それに立ち向かうような姿勢で立っているのは――
――氷雨!?
咄嗟にフラッシュバックする、あいつの毒舌っぷり。
俺の前では完全に封印されているが、基本的にあいつは男が苦手だ。苦手がゆえに、過剰に防衛しようとする。
「荷物頼む!」
「エージ任せた!」
持っていたものを放り投げて、俺と一輝が全力ダッシュ。
「えっ、あっ、はい!」
足場の悪い砂浜を「うぉおおおしくじったぁあああ」「あんなの実在すんのかよぉおおお」「茨城だぞここ!」「そーいうのは神奈川でやれ!」などとわめき散らかしながら突っ込んでいく。
相手はおそらく、大学生以上。まともに話し合いをスタートすれば不利になる。
俺も一輝もそれがわかっているから、ダッシュのスピードを止めずに到着。
「「ちょっと待ったぁああああ!」」
スライディング気味に、氷雨と男の前に割り込む。後ろから一輝が止まりきれずぶつかってきて、倒れ込んだ。「ぶへっ」だっせえ。
俺を犠牲にストップできた一輝が、
「あの、彼女たち。俺らのツレなんですけど」
と牽制する。
男――一番先頭で、氷雨たちをナンパしにかかっていた金髪。色黒、筋肉質、ピアスの役満野郎は「へえ」と軽く笑う。
「じゃあ、ちょっと貸してくんない? いいよね?」
「戻ってくれないですかね。変な騒ぎになるのもダルいんで」
明らかに上からの態度に、一輝は口元をひくつかせていた。辛うじて笑顔は保っているが、こいつ、煽りに弱いのか……?
「俺らは男じゃなくて、奥の女の子に言ってるんだけど? わかんない?」
「彼女たちも嫌だって言ってますけど――」
一輝の言葉に合わせて、ちらっと後ろを向く。小日向と名取は、怯えながら小さく頷いた。だが、さっきまで抵抗していたであろう氷雨は、少しだけ様子が違っていて、
「頭がおかし――」
「よぉおおおし! 三人とも嫌だって言ってるんで、帰ってもらっていいですかね!?」
とんでもないことを口走りそうだったので、叫んでかき消す。
俺が叫んだことで、周りの海水浴客もこっちを見てくる。よし。向こうもやりづらくなったはずだ。俺も恥ずかしいけど。
金髪の男は、明らかにイラついている。
「高校生なのに、大学生に逆らっていいわけ? ネンコージョレツって知ってる?」
引く気はないらしい。後ろの三人も、とりあえずオラついている。他にやることはないのか。ないか。脳みそがないから。
…………こいつらっっ。
奥歯を噛みしめ、拳を握る。
一輝と目が合った。考えることは同じ。
『ぶっころしてえ!』
湧き上がるのはシンプルな殺意だった。どうして見知らぬクズに、俺たちの楽しい時間を邪魔されなきゃいけない?
このまま追い返しても、モヤモヤは残るだろう。
目だけで会話する。
『やるか?』
『やるぞ』
俺が聞いて、一輝が答えた。やる。
なにがあっても大丈夫なよう、安全を確保しつつ、目の前の害虫を叩き潰す。
後ろに下がって、比較的冷静な小日向に言っておく。
「ちょっと面倒事になる。ごめんな」
氷雨は反省してほしい。前も大変な目にあったのに、学習しないのか。
さて。
一輝の隣に立つと、端的な質問が飛んでくる。
「バレー、できるか?」
「苦手じゃない」
「十分」
じゃあ、やりますか。普段あんまりこういうのはしないし、好きじゃないけど――
「いやー。俺って帰宅部なんで、先輩後輩とか、よくわかんないんっすよね」
声を張って、周りからの注目を引き続き集める。誰も関わってこようとはしない。怖いもんな。大人の男。それが普通だ。だけど気にする。面白そうだと、注目してしまう。なら、それを利用しろ。
「なんで、教えてもらっていいっすか? 先輩のほうが優れてるなら、俺たちに負けちゃったりしないですよね?」
「みのりん、ボール」
後ろから名取が投げた、遊び用のバレーボール。
それだけで、意味は十分伝わるだろう。
せっかくの海だ。こういうくだらないことは、娯楽で終わらせるに限る。
「まさか、逃げたりしませんよね?」
俺たちが勝ったら、消え失せろ。
ただし俺たちが負けても、試合の間に人が集まればいい。こっちに手を出せない状況が作れる。
男たちは狼狽えていた。怯えるだけだったガキが、急に攻めてきたからか。
こういうのを見ていると、思い出してしまう。
腹のそこにある、俺の真っ黒な感情。まだ消えていないらしい。きっと生涯消えない。残り続ける。
――立場に甘えんなよ。クソ共が。
胸の中で吐き捨てた言葉は、目の前にいる彼らへの言葉ではなかった。