43話 嵐の前の嵐 終
凛と氷雨の会話は、俺の入る隙がないほどスムーズに進んだ。
隙がない。比喩でもなんでもなく、ずっと二人で話している。俺の思考が追いつくより前に話題が変わるし、っていうか化粧の話とか知らないし。
すげー疎外感。
でもまあ、悪い気はしない。
凛はいつも通りウキウキしているだけだが、氷雨はそうじゃない。こんなに食いついてくる相手は珍しいのだろう。戸惑いながらも、つられて笑顔になったりする。その笑顔は、俺に見せるものより自然な気がした。
適当に聞いている格好をしながら、コップの水を飲んで、時間を潰す。
今日の主役は俺じゃないしな。
変な話題になったら、すぐに止めよう……。
「小雪さん、この後遊びませんか? 二人で!」
「いいの? せっかく阿月く……お兄さんに会いに来たんでしょう?」
「いいんです。どーせお盆にはまた会えるので」
「そうなの?」
「はい!」
二人は遊ぶ約束まで立てていた。一気に仲良くなったな。凛は人との距離感を詰めるのが得意ではあるが、ここまでは珍しい。よっぽど氷雨が気に入ったか。
いや。
ちょっと待て。
変な話題に……なってる!?
凛がちらっとこっちを見て、無害な笑みを浮かべる。
「ということで、あにぃ。午後はお留守番をお願いします」
「お、お前……まさか」
「ん?」
この場では聞けないことを、俺がいないタイミングで聞くつもりだ。
やっぱこいつバカのフリしてやがった!
「どうしたの、ヤキモチ?」
「…………」
「男子には聞かれたくない話もあるんだにゃー。妹のお願いを聞いてほしいにゃー」
「…………こいつ」
まんまと俺が見逃したのをいいことに、全力で煽って来やがる。
こいつ、ついに本性を現しやがった。無害な天然妹はブラフだったか。
ちらっと氷雨のほうを見る。
「妹さん、お借りしてもいいかしら?」
「…………相手してやってくれ」
賽は投げられた。もはや神に祈るしかない。
まったく、こいつはなにを企んでるんだか。
◇
彼女たちの取り決め通り、午後からは俺は不参戦。家に戻ってそわそわしながら、凛の帰りを待った。
夕方、戻ってきた凛は至って普通な様子だった。
「どうだったよ」
「ん? 楽しかったよ~」
「なにを企んでたんだ?」
「あにぃの学校生活について聞いただけだよ」
それなら、よかったのだろうか。
まあ、この間の小旅行について聞かれるよりはずっとマシか。
氷雨、よくぞ伏せておいてくれた。
「晩ご飯までゲームしようよ」
「いいけど、ずっとゲームじゃん」
「ダメ?」
「ダメじゃない」
カチカチと、格ゲーをやりながら会話をする。
「そういえば、帰りの飛行機、明日の朝ね」
「朝って、何時だよ」
「九時」
「いや早いわ」
けっこう早起きしないとダメなやつじゃん。今日はさっさと寝るか。それかいっそ、徹夜のほうがいいのか?
「三日間って言ってたから、もうちょっと長いと思ったんだけどな」
「現役JKは忙しいからね。いつまでもあにぃに構ってあげるわけにはいかないのです」
「はいはい」
適当に流しておく。
そこからはだいたい、当たり障りのない話だった。父さんと母さんの近況とか、近くに住んでいたおばあさんのこととか、新しくできたお店、つぶれた店。それから、凛のことについて。
「勉強、ついてけてるか?」
「まーねー。あんまり頭のいいとこじゃないし」
「そうか……」
「哲にぃは?」
懐かしい呼び方に、スティックに触れた指が狂った。キャラクターが高速で場外に落ちていく。
「あ、勝った」
にやっと口元を緩ませ、凛が呟く。
小さく舌打ち。こいつ、策士かよ。
「どうしたんだよ、急に。昔が恋しくなったか?」
「恋しいよ。すっごく」
キャラ選択画面でカーソルを動かしながら、俺たちは互いに探り合う。
それはどこか、二年前にも似ていた。似ていて、けれど決定的に違った。
昔のような幼さは、今の俺たちにはない。
「あの頃とは違うもんね。哲にぃは茨城にいて、花音さんは長野にいて、凛だけが札幌に残ってる」
俺は変わった。変わってしまった。だけどそれはたぶん、凛もだ。
明るく、無邪気で、真っ直ぐだった妹は、狡猾さを身につけてしまった。そうしないと生きていけないから。俺と同じように。
戦争があるわけじゃない。事件があるわけじゃない。モンスターだっていない。
だけど、生きていくのは大変だ。うっかりすると死にそうになる。冗談ではなく。大げさでもなく。
「ねえ、哲にぃ。なにか聞きたいことはないの?」
「……あるよ」
凛がバカなフリを続けてくれたら、どれほどよかっただろうか。
だが、無茶をしろとは言えない。妹に無理を強いるなんて、兄失格だ。
話をしたかったのだろう。父さんも、母さんもいない。札幌から遠く離れた、この場所で。二人きりで。
ここなら、誰にも聞こえない。誰もなにも知らない。
「花音は、元気か?」
「自分で確かめなよ――って言いたいけど、それは意地悪だから教えたげる。元気だよ」
「そっか」
「いい女になってるって、お父さんも言ってた」
「セクハラ親父め」
ため息がこぼれる。じゃあ、あいつと縁が切れたのは俺だけか。
そして、その縁は今、再び結ばれようとしている。閉じたはずの過去は、思い出になってくれない。
「会いたいの?」
見透かしたように、凛が聞いてくる。
我ながら弱々しい笑みがこぼれた。
「会いたい、か。……どうなんだろうな」
そういう時期もあった。会いたくて、会いたくてたまらなくて、どうにかなってしまいそうな時期が。
だけど、今はどうなんだろう。
あいつのことを思い出さない日もある。
「哲にぃは意気地なしだからねえ」
否定できない。
「それとも、もういいの?」
「いいって、なにが」
「花音さんの代わり、見つかったの?」
「――っ」
当然のように放たれた言葉に、息が詰まる。
それはあまりに核心を突く一言だった。俺という人間に欠けたもので、だけどその欠落を、ずっと守っている。
なくしたことを、忘れたくないから。
「私はね、それを確認しに来たんだよ。哲にぃが遠くに行って、ちゃんと立ち直れたのかなって」
「余計なお世話だ」
「うん。でも、それが兄妹でしょ?」
「そうだな」
凛はなにも間違っていない。俺に否定できることは、なにもない。
「それで、氷雨か」
「うーん。でも、実際どうなの? 好き?」
「ずいぶん切り込んでくるな、お前は」
「切り込み隊長の凛ちゃんですから!」
スタートボタンを押して、試合開始。
ぽつぽつと、胸の中にあるものを言葉にしていく。もう、なにかを隠すのはアホらしい。この瞬間くらい、いいだろう。家族の前なんだから。
「こっちに来てからさ、そんなに多くないけど、友達ができたんだ」
「百人?」
「2、3人だよ。知り合いはもっといるけど、友達はそのくらい」
「哲にぃの友達ラインは厳しめなんだね。それで?」
いろいろ考えた。俺なりに、高校生のガキなりに。身の振る舞い方とか、理想とか、現実とか。考えてやってきた。
それで一つ、わかったことがある。
「みんな俺より頑張ってるなって、思った」
一輝も、小日向も、氷雨も。
それぞれが目標とか、自分の抱える問題と向き合っている。
「だから、尊敬してるんだ。力になりたい。俺にとって、氷雨はそういう相手なんだ。そういう中の、1人なんだ」
あいつらの輝きを見ると、胸が苦しくなる。
憧れは呪いだ。心を掴んで放さない。
けれど、確実に言えることがある。
「恋愛感情はないよ。でも、好ましく思ってる」
それが一番、誠実な答えだ。
「そっか」
平坦な声が返ってくる。
「哲にぃは、残酷だね」
その声は小さかった。本当に小さくて、聞き逃してもおかしくはなくて。
だけど聞こえたのは、……つまり、そういうことなのだろう。
◇
凛は、次の日の最初の便で帰っていった。
あいつがいなくなった部屋。テーブルの上には、花音の連絡先が書いたメモが置いてある。
俺はそれを、どう扱えばいいか。悩んだ末に、メールを送ることにした。
他愛ないやり取りが何度か続いて。
お盆休み。適当なタイミングで、会おうということになった。けれど、それはまだ先のこと。
一輝が企画してくれたお泊まり会のほうが先にあって。
……なんつーかな。
スッキリしない。
――過去を振り切れずとも、今は進んでいく。
お泊まり会編 始まります。
バチバチのラブコメだ!!
この感想欄では『男女で海でやりたいこと』を募集しています。ラジオみたいだね。