38話 不利相性
氷雨とぶらぶらする時間は、本当にそれだけで終わった。夕方までそこらへんをうろうろして、いろんな店に入って、別れた。
お互いにヒマすぎると、ああいうのでも楽しく感じるんだろうな。
家に帰った後、一輝に電話を掛ける。サッカー部は基本的に午前練習なので、簡単に繋がる。
『おうおう、おうおうおうおう。どうしたおうおう』
「圧が凄い」
『テツから電話きたら、おうおうってなるだろ』
「どういうことだよ」
『何かが起こる気がするっつうことよ』
「…………」
あながち間違ってはいないから、返答に困る。
『で、なに用だい』
「今度の泊まりなんだけどさ。……メンバー、どうなってる?」
『男女の人数は同じにしたいよな~。不健全な意味で』
「お前な」
『テツがいるから、俺はバッチリ欲望に生きるぜ! 任せたぞ、理性担当』
「まず一輝を除外するか」
『ひどいこと言うなぁ』
電話の向こう、ケラケラ笑うあいつは妖怪みたいだ。つかみ所がなく、ふわふわしていて、憎めない。振り払おうとしても、するりするりと躱される。
気がつけば、当然のように相棒扱いだ。
『テツ、一つ頼まれてくれないか?』
「内容による」
『氷雨小雪を誘ってくれ』
「…………」
『ここだけの話、可愛い女子は多い方がいい』
「ほんとにお前は……」
思ってもいないことを、軽々と言いやがる。
どうせ一輝のことだ。俺が自分から、氷雨を誘う提案をするのは嫌だろうとわかっている。だから、自分が泥を被って、促してくる。
「わかったよ。誘ってみる。だけど、他の女子はどうなんだ? 小日向くらいだろ。仲良くやれるの」
『それに関しては心配しなくていい』
『候補がいるんだな?』
『サッカー部のマネさんに、氷雨と話してみたいって言ってるやつがいる』
「へえ。じゃあ、あとは男子を追加か」
『それに関しても問題ない』
この男、仕事が早すぎる。
俺が口を挟む余地など、どこにもない。
まあ、俺には深い間柄の友人なんてそういないし。結局は任せるしかないのだが。
「じゃ、そんなもんか」
『つーわけよ。詳しい日程も決まったから。あとで送っとく』
「サンキュー」
まとまったところで、電話を切ろうとする。
だが、一輝はもう一つだけ加えてきた。
『後悔のないようにしようぜ』
楽しもうぜ。ではなく、後悔しないように。
その言葉が、やけに重くて。ずっしりと身にしみる。
ため息がこぼれた。
「当然だろ」
『おう。じゃあな』
電話を切って、ベッドに倒れ込む。
あいつは――佐藤一輝は、察しが良すぎる。話したことはなくとも、俺の抱えているものは見透かされている。
俺には、一輝のことがわからない。
あいつはなにを考えている? なにを経て、今のあいつは出来上がった?
……やめよう。むさ苦しい男のことなんて、こんな暑い日には考えたくもない。
ぼんやりと天井を見ていると、次第に眠気が襲ってくる。
氷雨に連絡しなきゃな。
そんなことを思いながら、誘惑に負けて意識を手放した。
◇
「なあ、凛。これからお前の兄貴は、最悪の人間になるよ。お前にも、母さんと父さんにも迷惑をかける」
自分の声が、途切れ途切れの記憶になって蘇る。
それは俺が、なにもかもを手放したときのことだ。
初恋を、失った日に。
「俺はこれから、全部を壊す」
阿月哲は、変わってしまった。
◇
着信の音で目が覚めた。
チャラチャラしたポップミュージックが、脳の奥にがんがん響く。鬱陶しくて体を起こすと、外は真っ暗だ。午後八時。仮眠のつもりが、ずいぶんと長くなってしまった。
「このうるっせえ音楽……凛か」
愛すべき?我が妹である。
あいつから電話なんて、珍しいこともあるな。
寝起きだけど。いいか。どうせ家族だ。適当でも大丈夫だろ。
「あい、もしもし」
『愛!? いきなり重すぎるよ!』
「うるせえうるせえ。蝉よりうるせえ」
『蝉!? どこにいるの?』
「札幌にはいねーよ」
『茨城にはいるんだよね! 見るのワクワクするなぁ』
開幕からフルスロットルだ。このハイテンション、若さ故なのか? 一歳しか違わないのに?
……………………。
…………。
ん?
っていうか、こいつさっきなんて言った?
『あにぃあにぃ』
「……お、おう」
なんだろう。すごく、……すごく嫌な予感がする。
まず第一に、こいつは自分が溺愛されていると思っている。両親に関しては確かにその通りなのだが、凛の計算には俺も入っている。
どんな無茶な要求でも、聞き入れられると信じている。
『明日、そっち行くから!』
「行くからじゃねーよ!」
『でももう、飛行機のチケット取っちゃったよ?』
「取ってから相談すんな!」
『相談じゃないよ。宣言だよ。もしかしてあにぃ、バカになった?』
「てめぇっ……」
冷静になれ。冷静になれ。
そうだ。どうせ母さんと父さんも一緒に決まっている。事前に連絡がないのはおかしいけど、うっかり抜けていただけに決まっている。
『いやぁ。久しぶりの兄妹水入らずだね』
「ガッデム!」
一人で来るらしい。バカか? バカだった。
俺の妹……バカだったんだよ。
阿月家の天然物。阿月凛。
阿月家の養殖物。俺。
そういうふうに言われたことが、何度かある。養殖ってなんだよ。人間の技術舐めてんのか?
『十一時に茨城の空港待ち合わせね。滞在期間は三日。じゃっ!』
「おいっ!」
『続きは会ってからね! バイビー!』
本能的に、ダメだと言われるのを悟ったらしい。切断された。かけ直しても繋がらない。電源まで落としやがったな。
「ぐぎぎぎっ……」
予定は空いているから、断るのに正当な理由はない。
よほど強い理由じゃない限り、母さんと父さんは凛の味方だからな……打つ手がない。
頼むから誰か、俺の夏休みを平和にしてくれ。
10万文字超えましたわよ。
たくさん読んでくれてありがとうだ。