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31話 太陽に咲く花 その4

「ほいご苦労さん、阿月っち」


 放課後、いつものように押しつけられた雑用をこなす。


 職員室のルリ先生へ報告すると、回転椅子をコロコロ動かして奇妙なダンスを始めた。

 足だけ固定して、腰を回す。この既視感……バランスボールを使ったヨガに似ている、


 白衣を着た女性教師が、不可解なダンスをするのを見せられている。

 なんだこの地獄は。


「帰っていいですよね」

「あんたね。この〝なにか言いたげなムード”を察しなさいよ」


「そんな独特な方法で示さないでくれませんか?」

「疲れてるから無理に決まってるでしょ」


「そうか……」


 もう、そうか。としか言いようがない。

 疲れたら変な踊りをする世界線、改変してえ。


「で、なんですか。俺に言いたいことって」

「小日向となにかあった?」


「なんでそれを知ってるんですか」

「あんなバカ騒ぎになってれば気づくでしょ。で、付き合うの?」


「仮にそういう展開だとしても、そんな直球で聞くことじゃないでしょ」

「つまんない男ね」


 ルリ先生は席を立ち、机に置いていたタバコケースを白衣に押し込む。

 横目でちらっと俺のほうを見て、


「来なさい」

「了解です」


 近くのコンビニまで。


 仕事に行き詰まったとき、あるいは話があるとき、ルリ先生は俺をそこに呼び出す。どうせやることもないので、いつも従っている。


 この学校で一番関わっている相手は、間違いなく彼女である。







 もはやなんのために買っているのかわからないタバコ。

 ルリ先生はそれに火もつけず、指先で回し、たまに咥え、すぐに捨てる。捨てる際にもなにかを真似るよう、先端を灰皿に押しつけて。


 その隣で俺は、買ってもらったアイスコーヒーを口にする。缶コーヒーじゃないちょっといいやつで、違いがわからないとは言えなかった。実際、ペットボトルのとなにが違うんだろう。


「意外と大人しい生徒なのね。阿月っちって」

「どういう意味ですか」


「そのまんまよ。なにもしてないでしょ、高校に入ってから」

「……失敗を、繰り返したくないので」


 茨城の五月は、もう夏の匂いがする。札幌とは大違いだ。目に映る緑の主張が激しくて、むさ苦しさを感じる。


「怖いのね。要するに」

「まあ、そういうことです」


 ルリ先生の要約は、ほとんど完璧だった。


 俺は人を恐れている。佐藤や小日向のような一個人レベルのことではない。集団になったときの人をだ。

 集団と関わることを恐れ、自らが集団の一部になることを恐れている。


「そ。なら無理をしろとは言えないわね」


 ルリ先生が優しい声を出すのは、珍しいことだった。

 だからため息交じりに、本心を口にしてしまう。


「わかってるんですよ。いつかまた、俺も誰かと関わらなきゃならないってのは」

「わかってるなら、それで十分」


「いいんですかね」


 一人で生きていたい。それは紛れなく本心だ。けれどやっぱり、一人では生きていけないとも思う。


 孤独と孤高は違う。

 俺はただ、孤独なだけだ。


「次はもっと上手くやんなさい」

「……そうですね」


 その言葉は胸の奥にすとんと収まった。


 終わったことはどうしようもなくて、それでも俺は進むしかないのだから。

 明日は明日の風が吹く。俺が望まなくたって、日は昇る。雨は止む。


 そんな単純な理屈を、ずいぶん遅れて思い出す。


「それで、ぶっちゃけ小日向のことはどう思ってるのよ」

「どうも思ってませんって」


 つまんない男ね、とルリ先生は呟く。

 その横顔はどこか楽しげだった。







 荷物を片付けて、教室を出る。電車までの時間を潰すために図書室に寄って、うっかり面白い本と遭遇。読み進めるうちに見回りの先生が来てしまった。

 すっかり日は落ち、各部活動も終わりを迎える。


 失敗した。この時間帯の電車は混むのだ。

 ややブルーな気分で昇降口を出る。


 そこで後ろから呼び止められた。


「あ、阿月くん。ちょっと待って!」


 ハイトーンのよく通る声。溌剌としていて、元気という言葉がよく似合う。

 振り返れば、やはり小日向だった。


「昼休み話したこと、まだちょっとしか考えられてないけど――」


 彼女の琥珀色の瞳は、淡い電柱の下、なにより強く輝いて見えた。

 困惑も、不安もない。

 なにかを決意して、ここにいる。


 周りにいる他の生徒のことなんて、まるで気にしていないようだった。今、小日向の世界には彼女と俺しかいない。


「あたしは、走りたい。もうすぐ大会があって、先輩たちはそれが最後で、だから頑張りたい」

「お、おう……じゃあ、頑張って」


「だけど、走れなくなるのは嫌だよ。怪我からも目を逸らしたくない」


 強欲だ。

 怪我をして走るか、走らずに治すか。


 その二択に対して、小日向は最悪の答えを持ってきた。そんなものを選べたら、誰だってそうする。

 だけど、不思議と悪い気はしなかった。それはきっと、彼女が本気だったからだ。


 本気で全部を拾おうとしているから。どうしようもなく、惹かれた。


「じゃあ、どうするんだ?」

「調べてみるけど、あたしはそんなに頭が良くないから不安です。だから阿月くん。力を貸してくれないかな」


 目を見て真っ直ぐに、躊躇いなく力を求めてくる。


「俺でいいのか」

「他の人には言えないよ。こんなこと」


 笑みを浮かべると、目が少し細くなる。白い歯が覗いて、それが眩しい。


 格好いいな。

 こんなふうに望んだことを言えるのは、格好いい。


 まるで主人公だな。


 全員が主人公なんだという言葉が横行する青春で、彼女は偽りなく本物だ。

 じゃあ、脇役未満の俺はどうする?


 答えは決まっている。


「わかった。俺が知ってる範囲で、手伝わせてもらうよ」

「ほんと!?」


「ああ。約束する」


 俺たちは、誰かを引き立てるために存在している。それでいい。それくらいがちょうどいい。

 何者にもなれないのなら、せめて誇り高い脇役であろう。


「ねえ、連絡先交換しようよ。訊きたいこと、いっぱいあるし」

「どうやるんだっけ。実はあんまり、詳しくないんだよな」


 次はもっと上手くやる。

 心の中で言い聞かせ、スマホを取り出した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 小日向ちゃん、通常の小説のヒロイン級の力を持ってますよね。俺も推してもいいと思うくらいいい子ですが… やっぱり小雪さん(なぜかちゃん付けが憚られる…)が気になる。 それだけ小雪さんが強いとい…
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