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29話 太陽に咲く花 その2

 小日向ひまりには、いつも助けられている。


 あいつが笑顔でいてくれることで、声を掛けてくれることで、俺がどれほど救われるか。

 誰よりも明るい少女に、俺は憧れに似た感情を抱いている。それは友情の範疇をでないものだけれど。俺の胸に宿る勇気は、彼女がくれたものだ。



 だから。

 今から語るのは、俺が彼女を助けるまでのことではなく。

 小日向ひまりが、阿月哲を救うまでの物語だ。







 札幌から引っ越してきて一ヶ月。茨城の高校に進学した俺は、当初の目標通りパーフェクトぼっちライフを確立していた。

 誰にも近寄らず、かといって浮かない程度には立ち振る舞う。単独行動も不自然に見えないよう、堂々と。


 人間関係、百害あって一利なし。


 少なくとも俺にはもう、誰かと関係を結ぶなんてことは考えられなかった。人の抱える地雷原に突っ込む勇気も、受け容れる度量もない。


 だからその体育の授業も、早く終わればいい。くらいにしか思っていなかった。

 種目がシャトルランだった。というのもある。


 そこそこの速さで走って体を温め、全体に混ざって体操をして、擬態するみたいに列に並ぶ。目立たないよう、九十回後半で落ちる。


 二回に分けて行われるから、後半は暇だ。話し相手もいないので、壁に同化してやり過ごす。周りではキツかったとか、まだいけた、体力落ちてる。みたいな会話が繰り広げられる。


 俺は空気だ。意識してみる。ぼんやりと周りを見るだけ。そわそわしない。自然にしろ。

 そうしていれば、だんだん慣れてくる。


 シャトルラン、見てるだけなら楽しいかもしれない。速いやつはターンが綺麗だし、目立ちたがりは派手だし、やる気のないやつは一回ごとにため息を吐いている。


 そんな中でふと、目を奪われる。

 女子側で走る一人。


 短めのポニーテールを揺らしながら、先頭を走る姿に――違和感を覚えた。


 名前は知っている。小日向ひまり。明るくて人気があり、目立っているから。

 ちらっと走っていない男子を見れば、何人か彼女に釘付けになっている。けれどその中の誰も、気がついている様子はない。


 …………まあ、どうでもいいことか。


 俺の人生と、小日向ひまりの人生は別物だ。たまたま同じクラスになっただけ。重なることも交わることもなく、もちろん同じ場所も目指さない。


「阿月も小日向推しなのか?」

「…………」


 唐突に声を掛けられたので、反応できない。

 横を見ると、妖怪みたいに音も立てず座っている男がいる。


 目が合う。逸らしたら負けだと、直感的に思った。


「話すのはこれが初めてかもな。俺は佐藤一輝。一般的な佐藤に、一番輝くで一輝だ。よろしくな」


 不覚だった。

 想像よりも長く、小日向のことを見ていたらしい。幸いなことに、こいつ以外には気がつかれていないようだが。


 ……いや、むしろ好都合かもしれない。


 佐藤一輝は男子の中でもリーダーシップがあり、女子との仲もいい。学級委員長もやっているようなやつだ。

 こいつを介せば、小日向のことについて本人に伝えられるかもしれない。


「俺は阿月。阿修羅の阿に、空に浮かんでる月」

「下の名前は?」


「哲学の哲」

「っぽいな。いい名前だ」


「で、なんだよ急に」

「揺れるポニーテールに惹かれるのはわかるが、小日向は恋愛禁止してるらしいから。ドンマイって言いに来た」


「そうじゃねえよ」

「そうじゃないよな」


 否定すると、余裕のある笑みを浮かべている佐藤一輝。こいつは本物の妖怪なのかもしれない。得体の知れなさがある。


「阿月の目は、そうじゃなかった。だから話しかけてる」

「何者だよ」


「サッカー部の未来のエースにして主将候補、この学校で最も有名な佐藤になる男。お前は何者?」

「俺は……」


「普通じゃないよな。自己紹介のとき、一人だけ出身中学を言ってない」


 喉の奥で言葉が詰まる。こいつ、そんなこと覚えてるのかよ。


 ため息がこぼれる。ひとまず、こいつには敵わなそうだ。大人しく応じよう。


「ここじゃ話しづらい」

「わかった。今日の放課後、部活ないから空いてる」


「……わかった」


 ひらひら手を振って、佐藤一輝は元の居場所へ。俺は内心で舌打ちした。

 見透かしてくるような態度が、気に食わない。







 もう痛まないはずの右肘を、ふとしたときに庇ってしまう。

 握らなくていいはずの白球を、指先が求めてしまう。


 もし、二年前に怪我をしていなければ。俺はあのグラウンドに立っていたのだろうか。


 頭を振って、思考を捨てる。たらればなんてキリがない。

 自販機でコーヒーを買い、カフェインを摂取。苦味がいらない考えを追いやってくれる。


「おう。悪いな阿月。ちっと部活の先輩に拉致られてた」


 やってきた佐藤にちらっと視線を向け、逸らす。

 放課後の非常階段は誰もいなくて、こういうときにはうってつけだ。


「で、言えなかった話ってなんぞ?」

「…………」


 缶を振って、コーヒーの残量を確かめる。

 言うべきか、言わないでおくか。そんな単純なことを、今更になって考え直す。


 余計なお世話だ。それは間違いない。

 けれど見なかったふりができるかと言われれば……。つくづく、自分は愚かだと思う。


「小日向ひまりは、たぶん足をやってる」

「やってるって、……怪我か? でも、あいつ今日は普通に走って――」


「そうだな。百十回だっけか。すごいよな」


 女子でその回数はぶっちぎりの一番だ。男子を含めても上位に食い込む。


「後半はほとんどわからなかったけど、前半の走りは明らかに不自然だった」

「そうか?」


 佐藤は首を傾げる。


「まあ、……正直に言うと俺の勘違いかもしれないけど」


 できればそうであってほしいと願う。だけど、勘違いではないという確信もある。あれを見るのは、初めてじゃない。


 そして最悪の場合。

 小日向はまだ、その怪我を問題視していない。


「そこまで言うってことは、あたりはついてるんだよな?」


 佐藤の問いに、頷く。単語だけで答える。


「シンスプリント」


 放置すれば疲労骨折につながる、面倒な怪我だ。

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